日本一周第1回「いい日旅立ち」 |
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8日目「夢の吹く頃〜北海道・秋田県〜」 | |||
2006年7月3日(月) |
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平日の早朝でも、例え雨が降っていても、朝市はにぎわっている。よっぽど僕も蟹を東京に送ろうかと考えたぐらい。 3人で朝食に海鮮丼を食べようということになった。 僕たちが入った店の海鮮丼は、ウニや鮭、イカやホタテなどの中から3種類を選べるというもの。僕はイクラとアワビと蟹を選んだ。これに蟹の味噌汁と、デザートのメロンがついて1500円というから大変お得。う〜ん、ずっと北海道に住んでもいい、なんて思ったりした。
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食後は3人別行動することになった。せっかくなので駅前のロッカーに一緒に荷物を預け、昼に函館駅でまた会うと約束。 僕は、五稜郭へ向かうことにした。 |
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◆五稜郭 |
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榎本武揚(1836〜1908)率いる旧江戸幕府軍が、函館(当時・箱館)を占領し、蝦夷共和国を旗揚げしたのは1868(明治元)年12月のことである。 |
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新撰組を率いる土方歳三(1835〜69)もまた会津若松からの敗走後、榎本らに合流してここ函館にまでやって来た。すでに昨日、終焉の地を訪ねているが、五稜郭跡地にもその銅像が建っていた。 |
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あいにく今日は月曜日で資料館は閉館中だった。そこで五稜郭タワーに上ってみた。 「五稜郭」の名は、その敷地が五角形の星の形をしていることに由来している。タワーから敷地を眺めると、それがよくわかる。 |
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タワーの上には、箱館戦争についての展示がある。人形で戦争の経緯を紹介している。ここでも人気は土方歳三。タワーの上にも像がいらっしゃった。 |
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考えてみると、北海道が歴史の主要な舞台となるのは、この箱館戦争が最初ではないのか。 1869(明治2)年5月18日、榎本らは降伏。旧幕府と明治新政府の戦いは幕を閉じたのである。 |
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帰りは函館駅まで歩くことにした。その途中、「中島三郎助父子最後の地」と書かれた碑を見つけた。中島三郎助(1821〜69)は蝦夷共和国の重臣で、箱館奉行並を勤めた。蝦夷共和国の降伏2日前にこの地で長男・恒太郎(1848〜69)、次男・英次郎(1851〜69)と共に戦死している。こうしたものが町の中にあるのを見ると、箱館戦争の激戦の様子がうかがい知られる。 |
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函館に行くにあたって、友人に何が見所かを聞いていたところ、「ぜひ生ビールを飲んできてください」と言われたので、「函館ビール」を訪ねてみた。 まだ午前中なのだが、旅なのでかまわないだろう。調子に乗って「五稜の星(ヴァイッェンビール)」と「北の一歩(エールビール)」と2杯も飲んでしまった。 |
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函館駅で一緒に荷物を預けた女性二人とはお別れ。一人はもう少し函館に滞在し、僕はこれから本州へ戻って秋田へ。 作家の卵の16歳の少女(写真下)は札幌へ向かっていった。 |
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考えてみたら、この旅では何一つお土産を買っていない。せっかく日本最北の地を訪ねたのだからと、「白い恋人」を購入した。チョコレートをはさんだクッキーで昔から好きなお菓子だ。数日後、山形で伯母の家を訪ねる予定でもいたので、そこへ持っていくことにしよう。もちろん、その一年後、この「白い恋人」が賞味期限改ざん問題で販売中止になることは予想だにしていなかった…。 |
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函館からいったん青森へ戻り、そこから電車を乗り継いで秋田へとやって来た。着いた時にはすっかり夜になっていた。それなら何はともあれ夕食をとりに行こう。 |
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青森・函館と、新鮮な海の幸は食べてきたので、ここでは季節外れとは思いながらも“きりたんぽ”を注文した。
飲み物は日本酒・太平山。 |
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秋田名物きりたんぽ鍋 |
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初めて聞く名物と言うと、ついつい注文したくなってしまう。あみこ茸、それから“とんぶり”も頼んでみた。“とんぶり”とはホウキ草の実のことで、別名「畑のキャビア」。確かにキャビアを思わせる食感が不思議だった。 |
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哀しみ本線日本海〜秋田県〜 | |||