洛中 |
首途八幡宮 |
所在地:上京区智恵光院通今出川上る桜井町102−1(地下鉄烏丸今出川駅 徒歩15分) |
HP:http://www.nishijin.net/kadodehachimangu/iware.htm |
首途八幡宮
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本隆寺から観光に出かけた際、今出川通りに向かう途中にこの神社はあった。「源義経(牛若丸)奥州へ旅立ちの地」と書いてあるので、気になって立ち寄ってみた。なにしろ僕は卒業論文を源義経
(1159〜1189)で執筆しているので、非常に興味がある。
ここ首途八幡宮(かどではちまんぐう)は、もとの名を「内野八幡宮」と言い、宇佐八幡宮より御神霊を勧請し祀られた神社である。
かつてはこの地には金商人の金売り吉次の屋敷があったと言われる。この吉次こそが、牛若丸のちの源義経(1159〜89)を奥州の地へ導いた人物である。「平治物語」には、金売り吉次は義経の郎党堀弥太郎景光(生没年不明)の別名だという記述も見られるが、実在したlのかどうかはっきりしない。奥州と京の間で金の取引している商人の集合体として生み出された人物だとも考えられ、彼にまつわる伝説もまた、全国各地に散らばっている。
それはともかくとして、1174(承安4)年3月3日未明、鞍馬山を抜け出した牛若丸は、この地で吉次と落ち合い、屋敷近くの内野八幡宮で道中安全を祈願したと言う。
やがて義経は奥州の豪族・藤原秀衡(1122?〜87)の元を訪ね、その庇護を受ける。そして、1180(治承4)年に兄・頼朝(1147〜99)の元に馳せ参じ、平家追討に加わることになる。
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「源義経奥州首途の地」の碑
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そんなわけで、現在この神社の参堂には「源義経奥州首途の地」の碑が立っている。碑自体は2004(平成16)年に義経の首途(かどで)830年を記念して建てられた新しいものである。
この故事にちなみ、内野八幡宮は「首途八幡宮」と呼ばれるようになったそうである。旅行安全の守護神としてのご利益がある。
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首途八幡宮本殿
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このようにこの神社は、平安時代にまで遡れるほどの由緒があるのだが、たびたび戦災に合い、現在の社殿は1965(昭和40)年に再建されたものとのことである。なお御祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと/応神天皇)、比淘蜷_(ひめおおかみ)、息長帯姫御子命(おきながたらしひめのみこと/神功皇后)。
ただ一説によると、ここには桃園親王こと貞純親王(873?〜916)の屋敷があった場所で、御祭神もまた貞純親王であるという。貞純親王は、清和天皇の第6皇子で、その子の経基王(914?〜61?)が後に源の姓を賜っている。つまり源氏の祖であり、義経の先祖にあたる人物なのである。
義経伝説もそんなところから結びつけられたのだという説もあるのだとか…。
まあ、ことの真偽は学者の先生にでもお任せすることにして、ここは義経伝説のロマンに浸ることにしたい。
義経首途の地から、今日の観光をスタートすることになったのは、何となく縁起がいいではないか(笑)
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(2006年5月21日) |