第2章−サイレント黄金時代(25) | ||
鞍馬天狗見参 〜嵐寛寿郎と「鞍馬天狗」〜 |
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数年前のことだった。たまたま日曜の朝、テレビをつけたら、「仮面ライダー龍騎」(2002〜03年テレビ朝日)を放送していた。「仮面ライダー」か懐かしいな…。そう思いながら見ていると、驚いた。まるでホスト系とも思えるような若いイケメン俳優が主人公を演じているではないか。う〜ん、明らかに、子供たち以上に若い母親層を狙っている。そう思って、身の回りの人に聞いてみると、僕と同世代の女性にも、「仮面ライダー龍騎」ファンが思いの外いることがわかった。 2007年現在も、「仮面ライダー」シリーズは「仮面ライダーカブト」(2006〜07年テレビ朝日)を放映している。その「仮面ライダー」と並ぶ人気特撮シリーズ「ウルトラマン」も、やはり「ウルトラマンメビウス」(2006〜07年TBS)が放映中だ。 考えてみると、僕も子供時代「ウルトラマン」や「仮面ライダー」といった特撮が大好きだった。ちなみに1974年生まれの僕がリアルタイムで覚えているのは「ウルトラマン80」(1980〜81年TBS)と「仮面ライダースーパー1」(1980〜81年TBS)からだが、もちろん、僕が生まれる前からこの2つのシリーズは子供たちを熱中させてきた。初代「ウルトラマン」 (1966〜67年TBS)は1966年(前身の「ウルトラQ」も入れると1965年)、「仮面ライダー」(1971〜73年NET)は1971年に放映が始まっているから、それぞれ40年と35年続いていることになる。ともかくそれだけの長い期間、ウルトラマンと仮面ライダーは、子供たちのヒーローであり続けているのである。 |
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◆月光仮面と鞍馬天狗 | ||
こうしたテレビにおける子供たちのヒーローの元祖というのは、「月光仮面」(1958〜59年KRT)である。“本格的な「国産テレビ映画」第1号(*1)”として製作されたこの作品の主人公「月光仮面」は、白い覆面にサングラス姿で白いオートバイに乗って颯爽と現れ、悪を懲らしめては去っていく神出鬼没のヒーロー。 「♪どこの誰かは知らないけれど 誰もがみんな知っている…」という主題歌「月光仮面は誰でしょう」は、直接この番組を見ていない僕だって知っている。 1年半の放送で、最高視聴率は60.7%、平均視聴率も40%を超えるほどの圧倒的な支持を子供たちから集めた。ラジオ番組「君の名は」が放送される時間帯は銭湯の女湯ががら空きになったというが、同様に「月光仮面」の放送中は銭湯から子供の姿が消えたそうである。 この「月光仮面」は映画の「鞍馬天狗」にヒントを得て創造されたのだという。鞍馬天狗は、戦前から戦後にかけて銀幕を駆け巡ったスーパーヒーローで、やはり子供たちの圧倒的な支持を集めた。 鞍馬天狗は謎の勤皇の志士である。そのあだ名は、鞍馬山の稚児であった牛若丸(後の源義経)に武芸を教えた天狗に由来する。またの名を倉田典膳と言い、普段は物静かな浪人姿であるが、仲間の危機を知ると黒い宗十郎頭巾を被り、白馬に乗って颯爽と現れる。剣はめっぽう強く、近藤勇率いる 新選組や佐々木只三郎率いる見廻組を向こうに回しても、決して敗れない。絶体絶命の危機に陥っても必ずそこから脱出する。もちろんただ強いだけではなく、義も知っており、例え敵であろうとも近藤勇や勝海舟のような人物とは心を通じ合わせる…。 そして、この鞍馬天狗を最大の当たり役としたのがアラカンこと嵐寛寿郎(1903〜80)であった。 *1 樋口尚文「テレビヒーローの創造」18ページ 以下、「月光仮面」に関しては同書を参照 |
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◆大衆小説「鞍馬天狗」の誕生 | ||
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◆「鞍馬天狗」の時代背景 | ||
初期作品「御用盗異聞」「小鳥を飼う武士」は、薩摩邸焼き討ちから鳥羽伏見の戦いに至る1867(慶応3)〜1868(慶応4・明治元)年の出来事に基づいているが、その後の作品でも鞍馬天狗は、歴史上の事件の裏で暗躍を続ける。「天狗廻状」「ご存知鞍馬天狗」(1936〜37年)では蛤御門の変(1864年)に関わり、「天狗倒し」(1943年)「鞍馬天狗敗れず」(1945年)では生麦事件に関与、「江戸の夕映え」(1940年)では彰義隊と交流するといった具合である。 最後の作品「地獄太平記」は、上海が舞台となる。作者の大仏は生前「天狗はパリまで連れていき、コミューンで戦死させるんだ」とも語っていた(*2)。その作品は「鞍馬天狗巴里に死す」という題名で、鞍馬天狗が明治新政府の使節として、通訳となった杉作と共に渡仏するという構想(*3)であったそうである。結局実現はしなかったが、鞍馬天狗が例えパリに現れたとしてもまったく不思議でない気がするのは、僕だけではないだろう。 さらに、佐幕派では勝海舟(1823〜99)や近藤勇(1834〜68)、佐々木只三郎(1833〜68)。勤皇派は西郷吉之助(のちの西郷隆盛/1828〜77)や桂小五郎(のちの木戸孝允/1833〜77)といった実在の人物が巧みに絡み合うのも見所の一つである。 面白いことに、初期シリーズ作品には時間的な矛盾が数多く見受けられる。「鬼面の老女」の冒頭には、高札に「戌三月」と書かれているとの記述があることから、戌年である1862(文久2)年の出来事だということがわかる。ところが、 新選組の前身である浪士組が結成されたのは、翌1863(文久3)年2月のことで、この頃にはまだ新選組は存在していない。さらに、宗房は鞍馬天狗によって西郷吉之助に引き合わされるが、彼は勤皇派の意見の対立に悲観して、僧・月照と共に薩摩潟に身を投げる。これは史実では1858(安政5)年の出来事だから、ますますありえないことである。また、後には鞍馬天狗が天誅組の生き残りであることが明らかになるが、その天誅組が天誅組の変で壊滅したのは1863(文久3)年のことである。 「赤穂浪士」(1927〜28年)などで知られる時代小説の大御所 ・大仏次郎にしては、あまりにも基本的な間違いだと思えるのだが、大仏は最初から時代小説専門だったのではなく、フランスの作家ロマン・ロラン(1866〜1944)の翻訳で文芸活動を開始している。彼が時代小説を書き始めたのは、実は生活に困ってのことであって、「鬼面の老女」はほぼ最初期の作品にあたる。 *2 「大仏次郎時代小説全集 付録月報2」(1975年4月) *3 渡辺才二、嵐寛寿郎研究会編「剣戟王 嵐寛寿郎」295ページ |
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◆鞍馬天狗、銀幕へ | ||
鞍馬天狗がスクリーンに姿を見せるのは、早くも原作の連載が始まったのと同じ1924(大正13)年。原作第4作の「女人地獄」を映画化した「女人地獄」(1924年帝国キネマ)であった。鞍馬天狗を演じたのは実川延松(1894〜)である。 さらに翌1925(大正14)年には、尾上松之助(1875〜1926/「完全無欠のスーパーヒーロー」参照)が鞍馬天狗を演じた「鞍馬天狗 全五篇」(1925年日活)も製作されている。 そして、鞍馬天狗の決定版とも言えるアラカン(嵐寛寿郎)が1927(昭和2)年に登場する。彼は、嵐長三郎として「鞍馬天狗異聞/角兵衛獅子」(1927年マキノ)でスクリーンデビューを飾ったのだ。 嵐寛寿郎は本名・高橋照一。1903(明治36)年12月8日に京都で誕生した。母方の祖父が人形浄瑠璃の桐竹紋十郎(1847〜1910)、叔父に関西歌舞伎の嵐徳三郎(1890〜1950)がいるという芸能一家である。ちなみに父方の叔母の子が女優・森光子(1920〜2012)で、アラカン の従妹にあたる。 1919(大正8)年、アラカンは16歳の時、嵐徳太郎の名で義士劇の舞台に立つ。その後、地方回りの歌舞伎一座を経て、1927(昭和2)年にマキノに入社。マキノ入社に当たって彼に「嵐長三郎」という名をつけたのは牧野省三(1878〜1929)であった。苗字の嵐はそのままで、顔が長いから「長三郎」(*4)というわけである。 牧野から雑誌「少年倶楽部」を渡され「角兵衛獅子」を読んだアラカンは「ダイブツジロウちゅうこの人がええわ。剣が強うて涙がある。おまけに子役がついている、鞍馬天狗やりたい」と答えたそうである(* 5)。もちろん「ダイブツ」ではなく「オサラギ」が正しい。ちなみにこのペンネーム、大仏次郎が鎌倉の大仏の裏に一時期住んでいたことからつけられたそうだ。 その後アラカンは「続・角兵衛獅子」(1927年マキノ)、「角兵衛獅子功名帳」(1928年 マキノ)とマキノで2本の「鞍馬天狗」に出演。1928(昭和3)年にはマキノを飛び出して独立プロダクションを作る。その理由は、当たり役だった鞍馬天狗の第3作「角兵衛獅子功名帳」を“最終篇”と銘打たれたことへの反発であっ た(*6)。 アラカンがマキノをやめるに当たり、牧野は「嵐長三郎」の名前を返上させた。そのため、彼は「嵐寛寿郎」と芸名を変えている。しかし、嵐長三郎という名前は、先にも述べたように牧野によっていい加減につけられたもの。第一、名跡でも何でも無いのだから、返上というのはおかしな話である。それだけ牧野がアラカンに愛着を持っていて、彼を手放したくなかったということなのではないだろうか。 嵐寛寿郎としての最初の映画も、やはり「鞍馬天狗」(1928年嵐寛寿郎プロダクション)であった。その後、最後の作品となった「疾風!鞍馬天狗」(1956年宝塚映画)まで、アラカンは約30年に渡って鞍馬天狗を演じ続ける。実にその数40本(*7)。シリーズ40作というのは、「男はつらいよ」(1969〜95年松竹)の48作に抜かれるまで、日本映画史上最長記録であった。 *4 嵐寛寿郎、竹中労「鞍馬天狗のおじさんは」39ページ *5 同書 38ページ *6 同書 41ページ *7 42本という説もある。 |
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◆鞍馬天狗の決定打・嵐寛寿郎 | ||
アラカンより前の「鞍馬天狗」映画は現存していないし、アラカンのマキノ時代の「鞍馬天狗」3部作も残っていないので、現在見ることの出来る最も古い「鞍馬天狗」は嵐寛プロの第1作「鞍馬天狗」(1928年)ということになる。現在ビデオ化されているのは前後篇併せて約70分のものである。 ストーリーはほとんど映画オリジナルといっても良いのだが、角兵衛獅子の杉作少年(嵐佳一)に、親方の隼の長七(尾上松緑)、少年たちに同情的なその妹(映画ではお露/生駒栄子)、 新選組の密偵お兼(五味国枝)といった主要人物や、鞍馬天狗が大阪城内の水牢に閉じ込められるという展開から、おそらく「角兵衛獅子」(1926〜27年)が元になっているのだろう。 僕が観た2番目に古い「鞍馬天狗」映画もやはり「角兵衛獅子」の映画化である「鞍馬天狗/角兵衛獅子の巻」(1938年日活)。もっとも、古いと言っても、シリーズ10年目、18番目の「鞍馬天狗」映画である。これはアラカンが自身のプロダクションを解散して、日活に入社してからの最初の作品である。つまり、アラカンは自身の節目節目に「鞍馬天狗」、それも「角兵衛獅子」を映画化しているのである。 アラカンが日活に入社した1938年にはもう一本、「鞍馬天狗/龍攘虎伝の巻」(1938年日活)が作られている。こちらは「山岳党奇談」(1928〜30年)の映画化。1928年版「鞍馬天狗」での鞍馬天狗はあまり頭巾を被って登場していないのだが、1938年に作られた作品においては、天狗のスタイルは黒い着流しに宗十郎頭巾、そして拳銃を構えると言うお馴染みのものに変わってきている 。 鞍馬天狗の頭巾は、後ろからマゲを出すという形のものだが、「(宗十郎頭巾は)これが具合悪い。後姿がノッペラボーや、それでいろいろ考えた。チョンマゲを頭巾から出して見たら、サマになったんです。」(*8)ということで、アラカン自らの工夫であった。 *8 嵐寛寿郎、竹中労「鞍馬天狗のおじさんは」39ページ |
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第二次大戦末期や終戦直後はさすがに「鞍馬天狗」はほとんど製作されていないが、1950(昭和25)年に時代劇が解禁になってからは、毎年のように製作されている。例えば、1953(昭和28)年だけで6本が製作されている。そして、その総数が40本になるのだが、現在ビデオ化されていて簡単に観ることができるのはうち10数本にすぎない。 しかし、シリーズ全体で一貫したストーリーがあるわけではなく、それぞれの作品は独立している。また、基本的にどの作品も鞍馬天狗が超人的な活躍で事件を解決するという展開で、奇想天外、単純明快、似たような内容の作品ばかりである。そのせいか、何作も続けて観ていると、どの話がどの作品のものだったのかがわからなくなってしまう。しかし、そうしたマンネリ感というものが、当時の観客に好まれた要因なのだろう。 |
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◆映画オリジナル「鞍馬天狗/黄金地獄」 | ||
映画が40作も作られると、大仏次郎の小説では間に合わなくなってきてしまう。そのため、映画オリジナルのストーリーに基づいた作品も製作されるようになってくる。 戦時中に製作された「鞍馬天狗/黄金地獄(鞍馬天狗 横浜に現わる)」(1942年大映)もそんな作品の一つ。クレジットは一応「原作 大仏次郎」となっているが、実際にストーリーを考えたのは監督の伊藤大輔(1898〜1981)であった。舞台は明治維新後の横浜。鞍馬天狗が明治政府の密命を受け、偽金造りのユダヤ人組織に立ち向かうというのがそのストーリーである。その鞍馬天狗に、目の手術資金を稼ぐために横浜へやってきた盲目の少女・お力(琴糸路)と角兵衛獅子の少年・杉作(沢勝彦)らが絡む。面白いことにここでの杉作は、鞍馬天狗のことを知らない。幕末に活躍した杉作少年が、明治になってからも少年のままでいるはずないから、この杉作は名前だけが同じでまったくの別人なのだろう。 かつてハリウッドで活躍した上山草人(1884〜1954)扮するボスに率いられた外国人組織を敵に持ってくるあたり、戦時中の作品らしい。にもかかわらず、クライマックスの騎馬による銃撃のシーンが西部劇そっくりだというのは面白い。 この映画には、鞍馬天狗が敵を斬りながら300メートルを疾走するという場面があり、それが最大の見所となっていたそうである(*9)が、現在のフィルムには残念ながらその場面は残っていない。ひょっとしたら終戦後のGHQ(連合国最高司令官総司令部)の検閲によってカットされたのかもしれない。その意味では非常に残念ではあるが、スピーディーな展開や、風船や縫い針といった小道具が巧みに配置された一級の娯楽作品であり、シリーズ中でもとりわけ印象的な作品の一つである。 *9 嵐寛寿郎、竹中労「鞍馬天狗のおじさんは」142ページ |
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◆杉作少年 | ||
「鞍馬天狗」の主要登場人物では、まず誰よりも天狗を慕う角兵衛獅子の杉作少年が思い浮かぶ。小説では「角兵衛獅子」に初めて登場し、その後も「山岳党奇談」(1928〜30年)や「青銅鬼」(1931年)などで何度となく登場してくるが、決して数は多くない。ところが、映画の場合はほとんどの作品に登場している。アラカンが鞍馬天狗を演じた映画40作中、杉作少年が登場しないのはたった3作だけである(*10)。アラカン以外の「鞍馬天狗」にも、大抵の場合杉作少年は登場している。 杉作は鞍馬天狗のそばで様々な活躍を見せる。小柄さを活かして敵の陣地に忍び込み、時には捕らわれた天狗を救い出すこともある。もっとも、江戸川乱歩(1894〜1965)の「少年探偵」シリーズでの明智小五郎にとっての小林少年のような万能な助手というわけにはいかず、子供らしい好奇心から失敗してしまうことも多い。もちろん、そうした危機には必ず天狗が助けに来てくれるから、我々は安心して観ていられるのである。 アラカンの最初の「鞍馬天狗」映画「角兵衛獅子」3部作で松尾文人(1916〜)が演じたのを皮切りに、多くの子役が杉作を演じてきた。最も多くの回数杉作少年を演じているのは鈴木勝彦 (1923〜35)と宗春太郎(1928〜61)で、それぞれ6作ずつである。 *10 川西政明「鞍馬天狗」E〜Fページ「鞍馬天狗映画化一覧」 |
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僕が最も印象深かった杉作少年は、美空ひばり (1937〜89)が演じたもの。14歳当時の「鞍馬天狗/角兵衛獅子」(1951年松竹)が最初の作品である。もちろん、彼女は歌声を披露し、明るく楽しいミュージカル・タッチの作品となっている。ひばり人気も相まって大ヒットとなった。 この作品では、山田五十鈴(1917〜2012)演じる磔のお喜世が、誤解から鞍馬天狗を仇と付け狙う。だが、天狗に命を救われたことで、次第に天狗に惹かれていく。 二人の仲をひばり演じる杉作は嫉妬する。役柄で言えば当然杉作は少年なのだが、ひばりの姿はまるで大人の女性を思わせる。そして、三角関係のごとき雰囲気を醸しだしている。 その後、「鞍馬の火祭り」(1951年松竹)、「天狗廻状」(1952年松竹)とひばりの杉作によるシリーズが引き続き作られた。このうち「天狗廻状」(原作小説1931〜32年)もアラカンのお気に入りだったようで、1932年に寛プロ/新興、1939年に日活でも映画化している。 |
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◆黒姫の吉兵衛 | ||
鞍馬天狗の片腕にはもう一人、黒姫の吉兵衛がいる。彼は元泥棒。そのすばしっこさを利用して、天狗の密偵として活動する。時にはスリとしての腕前をも披露する。例えば、「鞍馬天狗 /角兵衛獅子」(1951年松竹)では、新選組の密偵である磔のお喜世(山田五十鈴)を渡し舟に乗せないために、吉兵衛は彼女の財布を掏り取ってしまう。もちろん、天狗の危機に現れて、彼を救うこともしばしば。 同時にコメディ・リリーフ的なキャラクターでもあり、「鞍馬天狗/角兵衛獅子」(1951年松竹)では美空ひばりの杉作少年に対して、彼女の師匠で、「東京キッド」(1950年松竹)でも彼女と競演したボードビリアンの川田晴久(1907〜57)が吉兵衛を演じ、歌声も披露している。 |
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◆鞍馬天狗の宿敵たち | ||
鞍馬天狗は勤皇の志士であるから、当然佐幕派がその敵となる。中でも近藤勇率いる新選組が、最大の敵役として、鞍馬天狗との間で数々の死闘を演じる。 新選組というのは、映画では扱いが複雑である。新選組を主人公とする映画においては当然ヒーローとして好意的に描かれる。最近でも大河ドラマ「新選組!」(2004年NHK)があった。その一方で、勤皇方を主人公とする映画では敵役となる。「鞍馬天狗」の場合は当然後者なのだが、近藤勇に関して言うと、敵ながら義を知る人間として比較的好意的に描かれている。例えば「龍攘虎傳の巻」(1938年日活)では、鞍馬天狗を裏切って 新選組に売った男を、近藤は叱責する。 だから、近藤勇に扮する俳優は、「鞍馬天狗/角兵衛獅子」(1951年松竹)などの月形龍之介(1902〜70)のように準主役級のスターであり、鞍馬天狗を相手に息詰まる剣戟を見せる。もっとも意外なことに原作小説で鞍馬天狗と近藤が直接刃を交えるのは「角兵衛獅子」での1回切りであるのだが…。 愛刀・虎徹(こてつ)を振るう近藤勇もまた強さでは鞍馬天狗に引けを取らない。「鞍馬天狗」(1928年嵐寛プロ)では、待ち受ける勤皇の志士10数人に単身挑み、ことごとく血祭りにあげる。 鞍馬天狗のもう一つの宿敵は佐々木只三郎率いる見廻組。佐々木只三郎と言えば、坂本竜馬暗殺の実行犯だと言われているせいか、どうも人気が無い。新撰組の近藤が比較的共感を得ているキャラクターであるのに引き比べても、完全な悪役に徹していて、損な役回りである。 「鞍馬天狗」(1928年嵐寛プロ)では、偽の書状で鞍馬天狗をとある寺へおびき出し、見廻組数十名で卑怯にも待ち伏せする。 鞍馬天狗は、とにかく強い。原作小説でも強いが、映画はそれに拍車をかける強さである。例えば1928年版「鞍馬天狗」では、数十人の見廻組に待ち伏せされた天狗が、たった一人で次々と敵を斬り伏せ、最後は隊長・佐々木只三郎との一騎打ちとなる。いくら佐々木が強くても、これでは天狗にはとても適いっこないような気がするのだが…。 それだけに、「鞍馬天狗/鞍馬の火祭り」(1951年松竹)で、天狗が黒川弥太郎(1910〜84)演じる偽天狗に1度やられるというのは珍しい。最後の決闘でも、一瞬天狗がやられたかと思わせる演出が、西部劇「ヴェラクルス」(1954年米)でのゲーリー・クーパー(1901〜61)とバート・ランカスター(1913〜94)のガンファイトを思わせた。 また、どう考えても助かりっこないようなピンチも、天狗は幸運もあって切り抜けてしまう。「鞍馬天狗/角兵衛獅子」(1951年松竹)では、天狗は大阪城内の水牢に鎖で縛り付けられる。水はもう天狗の頭を超すばかりになっている。彼の危機を救わんと、水に飛び込む杉作(美空ひばり)。どう考えても、少年の杉作に鎖を切ることができるとは思えない。だが、次の場面では、天狗は無事生還しているのである。 もっとも、こうしたご都合主義敵な部分は原作小説にも時折見られる要素でもあったりするのだが…。 原作小説の天狗は、「鬼面の老女」(1924年)で初めて現れた時「年齢は四十になるまいと思われる(*11)」と述べられており、まさに青年真っ盛り。作中ではしばしば、出会った女性に思いをかける。ところが、映画の鞍馬天狗はいたって高潔である。下宿先の娘や、助けた娘、あるいは敵方の女からでさえ、天狗は思いを寄せられるが、彼自身は常にそ知らぬ顔で、その思いを受け入れることはない。アラカンが鞍馬天狗を最後に演じたのは53歳。年齢さえも超越した存在になっていく…。 *11 大仏次郎「鞍馬天狗T」15ページ |
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◆アラカン天狗の最後とアラカン以後 | ||
何十人もの新選組、見廻組を向こうに回しても天狗は決して敗れない。彼が刀を振るうと、そのたびごとに敵は倒れていく。だから何とも言えず痛快で、安心して見ていられる。 ところが、こうした映画での鞍馬天狗が、原作者の大仏次郎によって待ったをかけられた。その理由は「第一に著作権無視である、第二に原作を勝手に書き変えて題名だけ盗んでおる、第三に映画の鞍馬天狗は人を斬りすぎて、作者の意図に反している(*12)」ということであった。 第三の理由に関して言えば、確かに、原作小説の鞍馬天狗は、人を斬る際にしばしば心を悩ませている。作品によってはまったく人を斬らないことすらある。つまり、原作小説では明確に人を斬る理由付けがなされているのだ。ところが、映画の天狗は面白いように人を斬る。そこが原作者にしてみると我慢できなかったのだろう。 そこで、大仏は「天狗ぷろだくしょん」を立ち上げると、1954年の「鞍馬天狗/天狗出現」(1954年東宝)を皮切りに、小堀明男 (1920〜80)が鞍馬天狗に扮するシリーズの製作を開始した。残念なことに僕は観ていないのだが、やはりアラカンのイメージには勝てなかったせいか、あまりヒットせず、3作で打ち切りとなった。小堀の天狗は「肥りすぎて、ちっとも颯爽としていない(*13)」 、「モタついてテングじゃなくデング(*14)」であったそうである。その結果 、再びアラカンの鞍馬天狗が再開された。 アラカンは「天狗ワテがつくった。(略)小説が売れた理由の一つはワテや、ワテの立ち廻りや、あのフクメンかて工夫をしたのはワテや。(*15)」と述べているように、鞍馬天狗を有名にしたのは、大仏次郎よりもむしろ自分なのだと自負していた。確かにそれも一理ある。僕もやはり「鞍馬天狗」を知ったのは映画が最初で、原作小説のほうは、今回この項を書くにあたって初めて読んだぐらいである。読んでいる最中も、どうしてもアラカン演じる鞍馬天狗が浮かんできてしかたがなかった。 *12 嵐寛寿郎、竹中労「鞍馬天狗のおじさんは」163ページ *13 島野功緒「時代劇博物館」191ページ *14 「時代小説のヒーローたち」52ページ *15 嵐寛寿郎、竹中労「鞍馬天狗のおじさんは」164ページ |
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もっとも、小堀が鞍馬天狗を演じる以前にも、アラカンの鞍馬天狗と並行する形で、数多くの俳優が鞍馬天狗を演じている。それは、市川百々之助(1906〜78)、坂東好太郎 (1911〜81)、斯波快輔、酒井猛、島田正吾(1905〜2004)、杉山昌三久(1906〜92)など。 中でも珍品は喜劇王エノケンこと榎本健一(1904〜70)が鞍馬天狗を演じた「エノケンの鞍馬天狗」(1939年東宝)。原作は「角兵衛獅子」と「天狗廻状」をあわせたもので、エノケンの鞍馬天狗はいきなり意表をついた白覆面に白装束といういでたちで現れる。この作品で鞍馬天狗のライバルとなるのは近藤勇(鳥羽陽之助)ではなく芹沢鴨(如月寛多)のほう。そのため池田屋事件に芹沢が乗り込むと言う史実を無視した展開がみられる(*16)。エノケン天狗の剣戟は奇妙キテレツではあるが、テンポが良く、クライマックスの天狗VS 新選組の立ち廻りはまるで、ショーを見ているかのようである。 *16 実際には1864(元治元)年の池田屋事件の前年1863(文久3)年に芹沢は近藤によって粛清されている。 |
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アラカン後では、東千代之介(1926〜2000)が「鞍馬天狗/白馬の密使」(1956年東映)を始め5作品で鞍馬天狗を演じている。僕はそのうち、マキノ雅弘(1908〜1993)が監督したシリーズ最後の「鞍馬天狗」(1959年東映)を観た。千代之介は当時30代前半で、若々しい。アラカン天狗と違い、美空ひばり演じる芸者の小染に愛を語るなど、甘い二枚目として描かれているのも新鮮である。しかし、チャンバラ映画のヒーローとしての魅力はさすがにアラカンには遠く及ばないのが残念なところ。小染との逢引の最中、彼女が 新選組幹部のお座敷で聞いた情報を入手すると、彼女を置いてさっさと仲間のもとに向かうというのも、考え方によっては女を利用しているようにも取れる。やはり、軟派な天狗よりも硬派な天狗のほうがヒーローらしい。 それにしても、この数年前に杉作少年を演じていた美空ひばりが、21歳に成長して今度は鞍馬天狗の相手役になっているのは面白い。せっかく歌姫ひばりを起用しておきながら、歌う場面が少ないのは残念である。 現在までのところ、最後に映画に登場した鞍馬天狗は、市川雷蔵(1931〜69)で、「新鞍馬天狗」(1965年大映)と「新鞍馬天狗/五條坂の決闘」(同)に主演している。アラカン自身も「鞍馬天狗を演って、一番よろしかったのは市川雷蔵です(*17)」とも語っているように、それなりに面白い作品になっているのだが長続きしなかった。雷蔵の黒い着流し姿を見ていると、どうしても彼のヒット作「眠狂四郎」シリーズ(1963〜69年)が思い浮かんでくる。 以上、すべての鞍馬天狗映画を合計すると、全部で69本(*18)となる。また、謎の勤皇の志・黒頭巾が活躍する大友柳太郎(1912〜85)主演の「怪傑黒頭巾」(1953〜60年東映)というシリーズがあったが、これなどは明らかに、「鞍馬天狗」の亜流といえる。そのうちの一篇「怪傑黒頭巾」(1958年東映)を観たが、大友は黒い頭巾で白馬にまたがり、ピストルを構えるなど、まさに鞍馬天狗そのもの。さらに、アラカン天狗の最後の杉作少年だった松島トモ子(1945〜)が角兵衛獅子を演じるなど、亜流と言うよりパクリではないのかとも思える内容であった。それでもこのシリーズなかなか人気があったようで、全部で8本製作されている。 *17 川西政明「鞍馬天狗」Y〜Zページ *18 嵐寛寿郎、竹中労「鞍馬天狗のおじさんは」223ページ |
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◆アラカン生涯の当たり役「鞍馬天狗」 | ||
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◆剣戟スター嵐寛寿郎の評価 | ||
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(参考資料) 嵐寛寿郎、竹中労「聞書アラカン一代/鞍馬天狗のおじさんは」1976年11月 白川書院 竹中労「鞍馬天狗のおじさんは」1992年8月 筑摩文庫 松島トモ子「母と娘の旅路」1993年3月 文藝春秋 島野功緒「時代劇博物館」1993年5月 現代教養文庫 樋口尚文「テレビヒーローの創造」1993年10月 筑摩書房 松竹株式会社 企画・監修「男はつらいよ/フーテンの寅さん25年の足跡」1995年9月 廣済堂出版 「大佛次郎/新潮日本文学アルバム63」1995年11月 新潮社 荷村寛夫「嵐寛寿郎と100人のスター 女優篇」1997年4月 ワイズ出版 渡辺才二、嵐寛寿郎研究会編「剣戟王 嵐寛寿郎」1997年5月 三一書房 縄田一男、永田哲朗「図説 時代小説のヒーローたち」2000年10月 河出書房新社 筒井清忠「時代劇映画の思想/ノスタルジーのゆくえ」2000年11月 PHP新書 林家木久蔵「キクゾーのチャンバラ大全」2001年3月 ワイズ出版 川西政明「鞍馬天狗」2003年8月 岩波新書 大仏次郎「鞍馬天狗T〜X/大仏次郎時代小説全集第1〜5巻」1975年9月〜1976年6月 朝日新聞社 |
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