【廃墟マニヤ File051】
S免鉱業所(福岡県)
(その2)
朝の通勤ラッシュに巻き込まれてうんざりしながら、ようやく辿り着きました。まだ朝の8時過ぎだというのに、既に気温は30度近くまで上がり、頭がクラクラしてきます。覚悟を決めて、まったく日陰がない竪坑櫓のほうへ。
しかし写真で見て知ってはいましたが、実物の竪坑櫓の存在感は、やはりひと味違いますね。手前に見える円筒状の構造物は、第八坑の斜坑口のようです。
後ろには緑に覆われた小山がありました。恐らくボタ山でしょう。
竪坑櫓に近づいてみます。昔の写真で見た、荒れた草原の中にそびえ立つ姿を見たいと思っていたのですが、周囲はグランドや公園として整備され、そういう意味ではちょっと残念でした。ちなみに敷地内にある福祉施設は「シーメイト」という名前で、結構海から離れたこの場所でなぜ「シー」なのかと不思議に思っていたら、まさかの地名ダジャレネームのようです。
(別カット[537×800pixel]を見たい方はここをクリック!)
この竪坑櫓、他の九州や北海道に残っているものと違って、巻上機が櫓の上部に置かれていました。そのため、このような土台の上にビルディングが載っているような構造になっているのだそうです。上部の巻上機室には1000馬力の巻上機が設置されていたという話で、現役当時に見てみたかったですね(現在内部にそういった機器類は何も残っていません)。
ちなみに竪坑櫓というのは、ざっくり言ってしまえば中で作業する鉱員や掘り出した石炭を積むためのエレベーター装置のようなものです。操業当時は、この真下に地下430メートルまで垂直に掘られた竪坑が延びていました。
反対側はこんな感じ。
かなり丈夫そうに見えましたが、よく見るとコンクリートの表面が剥離して、鉄筋が見えている部分もありますね。
オーバーハング部の床に大きな穴が開いています。クレーン用の開口部でしょうか。
中に入って上まで登りたかったのですが、ちょっと無理なようです。あきらめて次の目的地、I万里造船所へ向かうことにしました。
(別カット[1024×683pixel]を見たい方はここをクリック!)
END
(2004.7)
(この頁最初へ)