【廃墟マニヤ File008】
M井A別炭鉱・炭鉱住宅(北海道)
(その2)
その昔、北海道へポンチ狩りに出かけたときの話です。いつも言っているように、当時は情報もほとんどなかったので、とりあえず地図で炭鉱などを探し、その近くをクルマでぐるぐる走り回るという、かなり行き当たりばったりの旅を続けていました。
その日も芦別から夕張へ向かって適当にクルマを走らせていたところ、道路に並走する線路の鉄橋上に石炭用貨車1輌を従えたディーゼル機関車が止まっているのに気づきました。運転手が乗っている様子もなく、どうやら現役だと思っていたこの線路、廃線となってしまっているようです。
帰ってから調べたところ、この線路は芦別と頼城をつなぐ「M井A別鉄道」のもので、橋梁上に展示されていた(放置されていたわけではありません)ディーゼル機関車(DD501)は富士重工によって1964年(昭和39年)製造された車両だそうです。上の写真ではわかりにくいのですが、四つ目(前照灯が4つ)というのが、北海道らしいですね。
ちなみにこのM井A別鉄道、廃止は1989年(平成元年)3月とのこと。
これは何かあるかもしれないと期待しつつ先を急ぐと、道路に並行して鉱山などでよく見かけるパイプが登場!
その先、茂った植物の後ろに廃なオーラを放射する建物群を発見!
クルマをとめて、ちょっとのぞいてみることにします。
茂みの後ろには無人の炭鉱住宅が何棟も並んでいました。
窓の大きさが九州の炭住とは違いますね。
室内はどこもこんな感じで、比較的新しいようです。
毎日この景色を眺めながら暮らしていた人がいたんだと思うと、また窓の外の風景が違って見えてくるのでした。
階段を上がって屋上に出てみます。
暖房用の煙突でしょうか?
高さに対して建物と建物の間隔がずいぶん広い感じですね。公園や駐車場など、何か施設でもあったのかもしれません。
写真が少ないけれど、これでお終いです(昔はあんまり写真を撮ることに興味がなかったもので……)。前述の通り、次にここへ来たときは、まったく何もなくなっており、呆然と立ちつくしたのを昨日のことのように思い出します。
ちなみに東洋一といわれた選炭工場や立坑の写真に関しては、まったく撮ってません。なにをやっているんだ、オレ!!
END
(1991.8)
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