【珍スポ観光 File016】

ゴジラの里(福島県)

(その2)

銀色の卵

まわりに写っている人を見てもわかるように、かなり巨大な卵です!

 

ゴジラの卵

な、なんとゴジラの卵のようです! この看板の注意書きは、やっぱり触るとゴジラが孵化して出てきてしまう恐れがあるということでしょうか!?

 

卵

銀色に輝いています。大きさは7〜8メートルぐらいでしょうか。

 

足跡

ん、この窪みは!?

 

足跡

足跡です! セメントで作った出来の悪い池のように見えますが、決してそんなはずはありません。長さ11メートル、幅6メートルもあります。

 

ゴジラの里構想看板

「なぜ、こんなところでゴジラの卵が発見されたのか?」という疑問に答える、ちょっとナイスな看板をみつけてしまいました。

未来都市SUKAGAWA「ゴジラの里」構想です!

 

ゴジラの里構想看板

福島県須賀川市は、特撮の神様といわれる円谷英二監督の出身地だそうで、須賀川青年会議所を中心として町おこしを目的に開始されたビッグプロジェクト(?)が「ゴジラの里」構想だったのです。

このゴジラの卵と足跡はその第一弾で、1987年に制作されました(看板に「発見日1988.4.28」とあったので、完成は1988年だったのかもしれません)。ちなみに最初は80メートルのゴジラの全身像を造ろうという話もあったらしいのですが、予算の関係で卵と足跡となったようです。

この他にも、1990年には山肌にゴジラの輪郭に配置した150個の電灯が灯る「ゴジラのシルエット」が実現したり、各種イベントが開かれるなど、この看板とは微妙に違うような気もしますが、少しずつ構想は前に進んでいっているようです。

 

さて、ここまでは補正に失敗した写真の色を見てもわかるように、1990年5月の話です。この後、1995年、SPAの「珍日本紀行」に取りあげられたときには、看板が別のものに替わっており、卵にはヤンキーアタック(たぶん)による穴があいていました。

 

2004年のゴジラの里

先日久しぶりに近くを通ったので、どうなっているのか立ち寄ってみることにしたのですが……まったく何もなくなっていました。どこがそうだったのかもわからないほどです。

調べたところ、どうやら1997年3月に放火によってゴジラの卵は焼失、撤去されてしまったようです。Webサイト「動物園、B級SPOT大好き!」管理人の荒川さんの話によると、1998年6月に訪れたときには既に卵も足跡もなく、ゴジラの絵の描かれた看板だけが草に埋もれかけて残っていたそうです。芭蕉が生きていたら、やっぱり「夏草や〜」と詠んだでしょうか。


福島県須賀川市

END
(1990.5/2004.7)


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