【珍スポ観光 File008】

風車の弥七の墓(茨城県)

(その2)

広い駐車場

案内板に従って入っていくと、予想したよりかなり広い駐車場がありました。もちろん他にクルマは1台も停まっていません。

 

墓案内

風車の弥七の本名は「松之草(村)小八兵衛」というようです。みなさんご承知のように「水戸黄門漫遊記」はフィクションですが、そこに登場する「風車の弥七」は、実在の人物であったこの「松之草(村)小八兵衛」がモデルとなっているそうです。

看板によると『水戸二代の藩主光圀公 ある年盗賊の首領を捕らえたが、思うところあって罪をゆるし解き放った。この者は一昼夜に三十里(120キロメートル)を往来し、忍びの達人だった。首領は感激して「この恩恵は一生忘れませぬ。自分の命のある間は、けっしてご領内に盗賊は立ち入らせませぬ」と誓った。はたしてそれ以後、領内には夜盗の類はなくなり隣国の動静まで光圀公は居ながらにして知り得る。(桃源雑話より)』(ちなみに出典の部分は、この墓がある常陸大宮市の公式サイトによると「桃蹊雑話」となっています。看板の文字は上のようになっていたと思うのですが……)ということです。

 

弥七の墓石

これが風車の弥七の墓。やはり風車は欠かせないアイテムのようですね。でも小八兵衛は、なぜ自分の墓に風車を捧げられるのか不思議に思っているでしょう。

 

お新の墓

隣には「お新」の墓があります。ちなみに「お新」というのは小八兵衛の奥さんみたいです。

 

住居跡

道を挟んで反対側の畑の中には「弥七とお新の住居跡」があります。あくまでも「弥七」でオシていくようです。

 

トイレ

駐車場のはずれにはきれいなトイレが建てられており、飾りのモチーフは当然風車です。

 

男性用

さらにこのトイレ、男性用の入口には「弥七」と掲げられていました。

 

女性用

……ということは、女性用はもちろん「お新」です。


茨城県常陸大宮市松之草

END
(2002.11)


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