朝日新聞社が出している「論座」の2005年の8月号に、恩師井形昭弘先生と私(納 光弘)の対談が「師弟交歓」のページに掲載されました。 許可をいただきましたので、この私のホームページにアップさせていただくことになりました。

















師弟交歓

医学会編


鹿児島大学医学部第3内科
(現 大学院医歯学総合研究科 大学病院 神経内科・呼吸器内科)

各界オピニオンリーダーが語る次世代への提言

 医療現場での相次ぐ手術事故や診療ミスなどで国民に不安が広がっている。この現状に心ある多くの医師たちが医療不信を憂え、事故防止の管理体制や医療従事者の再教育など再発防止に向けて具体的な取り組みを強めている。
 患者本位の医療とは何なのか、医の倫理はどう徹底されているのか。論座「師弟交歓 医学界編」―師の志(こころざし)を受け継ぐ―第5回は、鹿児島大学元学長、現名古屋学芸大学長で医療教育界の重鎮として世界的に著名な井形昭弘先生と井形先生を最大の恩師として仰ぎ、神経内科医学・医療の高度化に尽力しておられる鹿児島大学医学部第三内科教授の納光弘先生に登場していただき、真の医療人養成の教育とは何かを中心に忌憚(きたん)のない意見を交わしてもらった。



井形昭弘先生は、母校の東京大学医学部第三内科の医局員だった昭和45年当時、わが国の大規模薬害事件として話題になった「スモン病」が整腸剤キノホルム薬による薬害であることを究明され世界的に注目された神経医学の権威者だ。同46年鹿児島大学医学部第三内科の初代教授として赴任、同62年には同大学学長に昇進され、始終一貫「世界で活躍出来る人材たれ」をモットーに社会に貢献できる名医を数多く育ててこられた。現在も政府の医療・社会保障関連審議会の要職にあるかたわら名古屋学芸大学の現職学長として21世紀に通用する新しい人材の育成に邁進されている。

◎いがた あきひろ◎ 東大医学部卒。神経学・神経内科学の権威。スモン薬害事件を解決後、東大教官から鹿児島大学第三内科初代教授に赴任。同大病院長、同大学長として、22年間にわたって優秀な人材を数多く養成。同大の名を世界に広めた功労者として鹿児島では、明治維新で活躍した大久保利通など歴史上の人物を育てた島津斉彬公と並んで人づくりの名伯楽と呼ぶ人も多い。現名古屋学芸大学学長。厚生労働省社会保障審議会委員、日本尊厳死協会理事長など多くの要職を持つ。平成12年勲二等旭日重光賞を受賞。静岡県出身。76歳。

一方、納光弘先生は、井形先生の薫陶を受けた神経内科医学の名医の一人で、鹿児島大学医学部第三内科二代目教授として、難病の多い神経医学を解明できる次代の医療人の養成に全力を挙げている。また納先生は、自らの痛風闘病体験をもとに「痛風はビールを飲みながらでも治る」(小学館発刊)を執筆され、大きな反響を呼びベストセラーになっている。自然科学者、画人としても多様な能力を発揮しているユニークな医療人として知られる。

◎おさめ みつひろ◎ 九大医学部卒。鹿大、九大、聖路加国際病院で研修後、実家の病院での勤務医を経て、鹿大第三内科に入局。米メイヨークリニックに留学。帰国後、井形先生の後を受けて鹿大第三内科教授に就任。その後病院長も兼務したが、激務による過労で痛風を発病。その時の闘病記をまとめ、治療法の誤解を解いた「痛風はビールを飲みながらでも治る!」(小学館発行)がベストセラーとして今も増刷を続けている。個人のホームページ ( 納 光弘のホームページにリンク )としては最も多い4500ページを持ち、後進の教育にも活用している。 また桜島を題材とする日本画家( 納 光弘画廊にリンク )としても有名。筋ジストロフィーなど神経内科の著名医の一人。鹿児島県出身。63歳。

世界に活躍出来る人材たれ

井形
 スモン病の発病原因が整腸剤キノホルムであることを解明出来、裁判も患者勝訴のめどがついて、一安心していた矢先に「鹿児島大学医学部に神経内科を中心とする第三内科が新設されるので、初代教授として神経内科専門の君が応募してみないか」との打診があり、幸いにも採用され白地のキャンパスに新しい医療の絵がかけるという意気込みもあって、鹿大に赴任することにしたんです。鹿児島の青年達はなにかむんむんとして私の話しを一言一句聞き漏らさない、何かを吸収しようという大変な熱気に溢れ、さすが明治維新を起こした薩摩隼人は違うなというのが第一印象でした。みんなの顔を見て鹿児島に骨を埋めようと思いましたよ。
 当時私は28歳で、九大卒業後、4年間の研修の後、実家の鹿児島の父親の経営する病院で消化器内科医として働いていたんですが、ちょうどそのころ地元の鹿大に、神経の専門科が新設され、そこに東大からすごい先生がやってこられるという話を聞き、父親が懇意にしておりました鹿大第二内科の佐藤八郎先生にご相談したところ喜んで引き受けていただきました。そのご縁で第三内科医局に入れてもらったんです。入局面接で井形先生にお会いしましたら、噂にたがわず素晴らしい先生でした。井形先生から「鹿児島でしかやれないことをやろう。その中から世界に発信できる仕事が生まれる」「世界に活躍出来る人材たれ」とお話しをいただいた時には、何か全身に電気が走るようなすごいショックを受けたのを今でも鮮明に覚えています。それ以来すっかり井形先生の信俸者になりいまだに続いています。
井形 私も鹿児島に行った時にはまだ、42歳と若かったんですね。納先生たちの輝く目を見ていたらつい引き込まれて「何か鹿児島で、世界に発信出来る仕事をして、世界一の第三内科を作ってやろう」と大それた気持ちを持ちまして大言壮言したのかも知れませんね。今でもその時のことを時々思い出すんですが、その度に恥ずかしい気持ちもしています。(笑)

薬害スモン病事件
昭和45年、市販薬の整腸剤を服用した人たちの中から様々な神経障害を訴える人が相次ぎ、大規模薬害裁判に発展。大きな社会問題となった。井形先生を中心とする神経内科医の研究で、整腸剤キノホルムが薬害の主原因であることを確定させ、患者全面勝訴の大きな要因となり、7561人の患者を救った



神経難病HAMの発見で、野口英世記念医学賞を受賞

 大言壮言じゃありませんよ。井形先生は、就任早々から当直・宿直勤務を引き受けられ、常に第一線で患者の病気に立ち向かわれる姿は、本当に感銘しました。「分からない、治らない、でもあきらめない」の三ない科(第三内科)作りに有言実行で努められました。私たちも「目の前の患者さんの病気の原因を明らかにし、治すこと」をモットーに医局の運営を実践される先生のリーダーとしての強い熱意に動かされて、研究と治療に没頭し、多くの成果を上げることが出来ました。その一つとして、鹿児島・沖縄に多かった神経難病の原因究明があげられます。
井形 そうでしたね。当時の医療では神経疾患の患者は医師から治らないといわれ、家に引きこもった状態でした。特にこの地方では脊髄(せきずい)に異常のある患者が多いことが毎日の診療で感じていました。
 鹿児島・沖縄の全域で難病検診を実施しました。その結果、脊椎(せきつい)神経にまだ病態が明らかにされていない新しい病気があることを発見し、この新たな脊髄疾患を「HAM」と名付けて学会に発表し、野口英世賞を受賞するなど世界的に高い評価を頂きました。
井形 納先生達の不眠不休の努力が大きな成果につながり、神経疾患の医学・医療研究に大きな足跡を残しました。こうした努力、実績が患者の病気から逃げない鹿大医学部の伝統を構築していったとも言えると思います。
 この時の研究は医療人としてのその後の私の人生に大きな自信となっただけでなく、医療教育者として井形先生の教えをもとにいい医療人を育てていくことを一生の仕事にしようと決めたきっかけともなりました。それとこの研究の時に「成せばなる。成さねばならぬなにごとも、成らぬはおのが成さぬなりけり」という上杉鷹山の教えがいかに人生にとって大事なことかも実感しました。それ以来、後進の指導には常に「努力すること」をモットーに「こつこつ頑張れば必ず道が開ける」という井形先生との研究を通して得た私の体験を話しています。
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野口英世記念医学賞
多くの患者が発症している難病の原因究明・治療方法の開発などに功績のあった医師たちに贈られる世界的な医学賞の一つ。井形・納チームが解明したHAMの発見も平成元年、神経難病の研究に大きく貢献したとしてこの賞が授与された。
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上杉鷹山(ようざん)
出羽(山形県)米沢藩第9代藩主。莫大な借金で取り潰し(倒産)寸前にあった名門上杉藩を質素倹約と新産業の奨励に努め藩経済を立て直した名君。この時の教えが前述の名言で、故ケネディ米大統領が上杉鷹山の指導力を絶賛したことで世界的に有名になった。

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井形イズムが大学を変える


 当時は、どこの大学医局でも権威主義全盛時代で、映画やテレビの「白い巨塔」で揶揄(やゆ)された大名行列みたいな教授回診が一般的でした。しかし、井形先生が大学に持ち込まれたのは、医学教育と言えども、教育者は自らが率先して範を示し、実践していく。また現場の声をよく聞くという極めて民主的な運営でした。私たちはこうした井形先生の方針を「井形イズム」と呼んで、みんなでこの井形イズムを大学全体に広めようと運動していたのを覚えています。
井形 私は東大にいたころ、大学の権威主義による運営には大変苦労した経験がありました。だから、鹿大では、民主的な運営の中で新しい人材を養成する真の教育機関にしたいと思っていましたので、納先生達の協力はありがたかったですね。
 私も九大医局で権威主義による運営やインターン制度などに疑問を感じて青医連(青年医師連合)運動に参加したこともありましたので井形先生の理念には大賛成でした。井形先生が病院長・大学学長に栄達されても終始一貫井形イズムで運営され、今日の鹿大の新しい伝統・校風を築いたと確信しています。ですから私は、井形先生の後を受けて第三内科教授を引き受けましてからもまた病院長の時も常に井形イズムの徹底を念頭に運営してまいりました。
井形 今、次世代人材養成の大学教育はどうあるべきか、教育界で論議されていますが、私はまず、教育指導者自らが研究の範を示し実践する。若い人の芽を摘まず伸ばすよう指導していくという教育の原点に立ち返ることが大事ではないかと思っています。
 おっしゃるとおりだと思います。井形先生の教育方針が間違っていないことを証明するように井形先生から薫陶を受けた学生の中から実に多くの優秀な人材が育っています。特に私共の第三内科からは、全国の大学に12人もの教授を送り出しております。いずれも医学・医療の研究者として極めて優秀な先生ばかりで、こんな教室は、全国でも極めて少ないと自負しております。


出会いを大切に感性を磨く

井形
 納先生は、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生や日本学術会議議長の黒川清先生など当代一流の名医の先生たちとの出会いを大切にし、親交を重ねてきたことが、医療教育者として一回りも二回りも成長させた大きな原動力になっていると思います。
 日野原先生とは35年前からお付き合いをさせていただいております。日野原先生からは、研修医時代、患者本位の医療はどうあるべきか、臨床医としての心構えを本当に丁寧に教えていただきました。また黒川先生からは“出る杭は伸ばす”というグローバル化した医療の中で世界に通用する医療人を養成するにはこの方針しかないと聞かされ共鳴いたしました。この他にも東大では、神経内科の権威である杉田秀夫先生、薬理学の江橋節郎先生など国際舞台で活躍されておられる先生方と深いお付き合いをさせていただき、人との出会いを「感じ」、その出会いを「大切にする」という自らの感性を磨くことが医療人としても大変大事であることを学びました。人との出会いの大切さは、患者さんとの出会い、医局スタッフとの出会いにも通じることだと思い、私の人生訓にしております。またお付き合いさせていただいてます先生からは、人材養成の原点として、教育現場のリーダーの資質のあり方についてもお話を聞くことがありますが、私の持論であるPM型リーダー資質論に間違いないことを確信し、意を強くしていることです。
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いい人材を育てるPM型リーダー論
PはPerformanceの略で、自分の考えを持ち、部下に強い指導力を発揮できる能力を示す。MはMaintenanceの略で部下の意見に耳をよく傾ける能力が優れているかを示す。大文字のMP型が理想でPM型>pM型>Pm型>pm型の順となる。(納先生のHP http://www5f.biglobe.ne.jp/~osame/omoukoto/ri-da-noshishitsu.htm を参照)

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鹿児島大学医学部出身名物医師群(一部紹介)

京都府立医科大学附属脳・血管系老化研究センター教授
中川 正法先生

「鹿大第三内科の伝統は、リーダー自らが模範を示すこと、患者の訴えから逃げないこと、努力すること、若い後輩の芽を摘まないことです。おかげで私も若干28歳で米コロンビア大学で最高の神経学を学ぶことができ、帰国後は国立沖縄病院の神経内科のリーダーとして病院のレベルアップに貢献することができました。今、自分も医学生を教える責任者になり、井形・納両先生の教育理念を実践しています」

(財)癌研究会癌研究所生化学部長
今村 健志先生

「納先生からHAM発見の話を聞き、自分みたいな者でも一生懸命頑張れば世界的な仕事ができるかもと思ったことです。これが今日の分子生物学という地味な研究の大きなエネルギーとなっています。特に納先生から人との出会いを大切にしあらゆることに感動できる感性を身に付ける大切さを教えていただきました。また地道にこつこつ努力する尊さも教えられました。その教えが、今日、がんや骨代謝研究の業績につながっています。

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井形 今回鹿児島で開かれた第46回日本神経学会総会も納先生が会長として強いリーダーシップを発揮してその責任を果たされ、かつてないほどの研究論文が多数発表されたことも今後の神経学の発展にとっては大変意義のある大会でした。神経内科の領域には神経難病というまだまだ治療法が確立されていない病態がいくつも存在しています。患者の病気から逃げない強い信念を持った医療人の養成に今後も活躍してください。
 ありがとうございます。井形イズムの継承を確実に実行していくことをお約束します。今夜は久しぶりに先生の大好きな本場の焼酎を用意しております。みんなで飲みましょう。
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鹿大医学部教官評価制度(MOST VALUABLE TEACHER表彰制度)

医学部の学生が教官を教育法や指導方法などについて評価し投票するもの。教官を評価するユニークな制度として全国でも注目を集めている。納先生は発足以来4年連続受賞の記録を更新中。

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鹿児島大学医学部 第三内科同門会(OB会)会長
大勝 洋祐先生

鹿大第三内科助教授を経て医療法人三州会 大勝病院を設立。神経内科を中心に民間としてはベッド数260床を持つ南九州でも有数のリハビリ施設を併設した大型病院を運営。神経内科・リハビリ関連医療団体の要職を兼ねる臨床実績豊富な著名医。


 第三内科は、昭和46年、井形昭弘先生を初代教授として神経学の研究・発展に大きな業績を上げ、この間300人を超える優秀な医療人が巣立ち、それぞれが医学・医療の第一線で活躍しております。今日、教室は鹿児島大学大学院医歯学総合研究科神経病学講座として、また大学病院は神経内科・呼吸器内科と名称は変わりましたが、医学生の教育方針、患者の皆さま方に最高の医療を提供する診療体制、それを実現する医療スタッフとの連携等すべて井形イズムが浸透し継承されています。鹿大第三内科が桜島を上回る大山となり、日本の医学・医療の前進に少しでもお役に立てるよう同門会一同連帯を強めていきたいと思っております。


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第46回日本神経学会総会会場で収録
【監修】医学ジャーナリスト
早稲田大学講師(医療社会学)松井宏夫
【提供・協力】鹿児島大学大学院医歯学総合研究科
鹿児島大学医学部第三内科同門会

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