北アルプス高天原周辺
1977年8月6日
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北アルプスの縦走を卒業するつもりで裏銀座コースを縦走した記録です。
山歩きや自然保護を美化する方々には許せないでしょうがこれもひとつの楽しみです。
行動記録
@ 8月7日 (土) 晴れ
五時半に、葛(くず)温泉で荷物を運搬してもらう手続きを済ませ、工事用道路を鼻歌まじりに二時間歩くと濁沢(にごりざわ)の東電詰め所に着いた。
歩き始めたとき無人地帯かと思わせた谷間も、ここに至る最後のトンネルを抜けるころは既に作業も始まり、ブルドウザーのうなる音がこだましていた。
来年はこのダムも完成するそうである。
高台にある飯場兼事務所の右を巻いて十分くらい歩くとダムの全容がつかめた。ロックフィルダムだった。飛騨白川郷を旅したとき初めて知った、岩を組みあわせただけの荒削りでグロテスクなダムだ。
「俺たちは湖の底を知る最後の人間のひとりになるんだな」
いずれ底に沈むと分かっているせいか私は何となく感傷的になっていた。
「あの石、きっと上質の砂利になるぞ。売れば儲かるだろうに」
相棒がとんでもないことを言い出す。
「運賃が嵩んで採算がとれまい」
私も調子づいて商売人を気取る。
そうでもして気を紛らわすしかなかった。
《濁沢の取付き》(詰め所から三十分かかった)までは帽子をかぶっていても何のたしにもならぬ暑さだった。岩盤が露出するほど採石され、草木の消えた砂地に陽光が反射して上下左右くまなく照り付けた。
《取付き》には、幅は狭いが水量が多い急流を一度渡らねばならなかった。正面に南沢岳直下の《濁りの大崩れ》が白い岩肌を晒し、今にも崩れそうであった。
《ブナ立て尾根》は、濁沢の右岸(頂に向かって左側)を、左に大きな孤を描くように、ブナの樹林帯の中を登った。ガイドブックには、林の中を我慢して六時間ほど歩くとしか書いてなかった。
《取付き》から一時間半たって我々は昼食をとった。沢から尾根に変わる平坦な場所だった。登ってくる大部分の人々が一休みして直ぐ立ち去った。
一息つくと私もはしゃぎがちだった。先ほどまで愚痴ばかり並べ立て、ことあるごとに「休もう」と口にした私を相棒がからかった。
「先が楽しみだね、あの子」
「まだガキじゃないか、この痴漢め」
「俺はただ、可愛いって言ってるんじゃないか」
「おまえの妹よりずっと若いぜ」
「だから可愛いんだ。色っぽい女なんて興味ないよ」
「そりゃ、ますますおかしい。そんな言い方は中年が口にしたがるもんだぜ...」
いつものとおり相棒が突っかかる。
「じゃ、おまえはあの子を可愛いと思わないのか」
「そう思うよ。でも、赤の他人だぜ。それに保護者付きだ。もっと別の女にしろよ」
「馬鹿野郎! 俺はそんなことを言っていないぞ」
「困ることはないさ。せいぜいがんばることだ」
「いくつぐらいだと思う」
「そうだな、ありゃー、きっとジュウシ(十四歳)だよ」
コーヒーを沸かしながら我々はいつものとおり言い争いを続けた。軽口を叩き合うと今までの疲れが和らいだ。
話題にしたグループとはここで行き違いになったのだった。休もうとしない相棒に腹を立てながら、負けたくない気力だけで歩いていたときだった。
「手袋が落ちましたよ」と、太ったおばさんが言った。
これから発とうとする三人グループの一人が私に教えてくれたのだった。もう片方の手袋はいくら探しても見つからなかった。
我々は彼女たちを親子連れと見ていた。母と娘、それに伯母の組み合わせと思った。
昼食(一時間かけた)を済ませてから三十分くらいは快調に歩けたものの、またもとのもくあみだった。十五分歩いて十分休む有様だった。相棒はそんな私に苛立っていたものの口にはしなかった。ゆっくり歩けばいいと思いつつ、早いペースになりがちな私だった。
『あの登りさえ澄ませば三角点に着くんじゃないか』と、私は何度も甘い期待を持った。それがつぶれるたびに、『せめて一時間ごとに標識の一つもつけてよさそうなものだ』と感じた。
「南アルプスならともかく、ここは北アルプスじゃねーか。サービス精神が欠けるよなー」
私は相棒に冗談めかして不満を並べ立てた。
このルート唯一の目標物である《三角点》には午後一時に着いた。道の真ん中に頭だけ露出した三角点に誰も気づかず通り過ぎて行った。申し訳程度の丸い表示板があるだけだった。「あと一時間」とだけしか書いてなかった。しかし、三角点を過ぎてもしばらく樹林の中を歩くしかなかった。
「もう歩けないよ! バテたあ」
南沢岳を望める展望が開けたところを抜け、あと三十分で小屋に着く場所だった。靄がかかり今にも雨が降ってきそうな気配だった。
「あとちょっとじゃないか。しかたねーなー」
我々が歩みを止め、私が腰を下ろすと先ほどの三人連れがやってきた。
彼女たちとは《三角点》の直前で一緒になり、それ以来互いに追い越しあっていた。さっさと追い越していけばいいのに、花を見てはああだこうだと並べ立て、ご丁寧に立ち止まる始末だった。
「駄目ねー、センセイ!」
舌足らずで尻上がりな娘の声が響いた。どうやらこの《センセイ》も私と同様にお荷物のようだ。
相棒は、私をダシにして娘にちょっかいをかけていた。奴ときたら、好みの娘をからかうのと、私をコケにするのが大好きだから始末が悪かった。話しかける気力も失せていた私は、口惜しかったもののどうすることも出来なかった。
相棒はごうを煮やして先に行ってしまった。コケにされてバツの悪い私は三人連れから逃げるようにして歩いた。
十五分もすると今までの疲れが嘘のように消え、休むことなく歩けた。薮をこぎつつ登り切ると急に視界が開けた。アンテナが彼方に見え、左側の林の中に山小屋があるのに気づいた。
ほっとすると今まで気にならなかった爪先の痛みが増した。爪が皮膚に食い込んでズキズキする。
ようやく烏帽子小屋に着くと相棒が笑いながら話しかけた。
「ビールを早く飲もうぜ!」
私は林の中を歩いているとき何度この言葉を繰り返しただろう。
午後の三時を過ぎていた。
A 8月7日(日) 晴れ
小屋のアルバイトが朝食をとるように言った。まだ五時だった。私は相棒に起きるよう促した。
「もうとっくに起きているよ、おまえが先に行け!」
相棒は珍しく寝起きが悪かった。
我々が譲り合いをしていると、アルバイトが布団をあげると言い出した。
「しかたねーな」
捨てぜりふを吐いて相棒が起き上がった。私はだるくて仕方なかった。身体じゅうがべとついて不快だった。
昨夜は互いが疲れきっていて、小屋に着くとたちまち寝入っていた。
烏帽子岳が望める《にせ烏帽子》で写真を撮って小屋に戻ると、ほとんどの登山者は去っていた。小屋はもぬけの殻のように静まりかえっていた。
慎重に自分なりのリズムで歩くと、昨日の辛さが悪夢と錯覚しそうだった。
《三ツ岳》のピーク(頂)まで一時間かかったが、一度しか休まなかった。相棒は私を気遣い、しきりに
「大丈夫か」
「無理するな!」
と、呼びかけた。
相棒の気遣いがありがたかったものの、おっくうに感じていた。
《三ツ岳》の手前で、ずっと先を歩いていた七人のグループを追い越した。関西のグループだった。あくせくせず、のんびりと歌を口ずさんで歩いていた。こういうことは関西人でないと様にならない。
《三ツ岳》の頂は三六〇度の展望が開けていた。後方には、烏帽子岳、針ノ木岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、白馬岳が、左側には、餓鬼岳、燕岳、大天井岳、槍ヶ岳、穂高の峰々が、右側後方には、立山連峰、五色ケ原、越中沢岳が、そして右側には赤牛岳、水晶岳、かなたに薬師岳が聳えていた。
名前を知っていても、どれがその山なのか分からなかった頃を思い出すと、今ではおのおのの山の特徴や連なりが確定できることがうれしかった。
周りのグループと同じように、山を指差して、互いが繰り返したヘマ(失敗)を語り合った。
陽光が眩ゆかった。立山の方向から積雲が上昇していて多少不安にさせたが、我々はそれほど気にしなかった。
あと三十分で野口五郎岳に着くと予想して、我々はコーヒーブレークをとった。《三ツ岳》から下り、野口五郎岳に至る登りの途中だった。我々は、景色を眺め、冗談を交わして一時間休んだ。
今日は水晶小屋まで六時間歩けばいいので焦る必要はなかった。むしろ、早く着いてはならなかった。
昨日の三人連れが、我々を無視するように通り過ぎようとしていた。
「こんにちは」
私が調子付いて挨拶すると、
「あらー。まだここにいたの」
《センセイ》がびっくりしたような口ぶりで言った。
「そちらは僕たちよりもずっと先に発たれたしょ!。僕らは烏帽子岳に寄って来たんですよ」
私はムッとして反論した。
「そうなの。立派ねー」
センセイが笑って答えると、娘までがクスクス笑う。
「どうですか。コーヒーなど一杯...」
持ち前のひとなつっこさで相棒が話しかける。
「でも、あとちょっとだから...」
三人連れはそう言って去った。
我々が出発して五分もしないうちに三人連れに追いついた。お花畑だった。
《母親》は写真を撮るのに夢中だった。雷鳥の雛がヨチヨチ歩いていた。
「あらー、鈴木さん雷鳥よ! きっと親鳥もいるはずねー」
センセイが叫ぶと、
「だめねー! 逃げちゃうじゃないのサー」
呆れたように娘が叫ぶ。
「ねー。この花を撮っておきましょうよ」
センセイが指示し、《母親》がシャッターを押しまくった。
グリーンパトロール(公園指導員)がやってきて、申し訳なさそうに注意を促しても、センセイが質問する始末だった。
「ねー。雷鳥が現れると雨になるって本当なの?」
二人組のグリーンパトロールも呆れて立ち去った。
我々はパトロールの後を追った。ひと登りすると野口五郎小屋があった。先ほどの休憩から十五分もたっていなかった。
野口五郎小屋には一時間半いた。荷物の分担量で、我々が言い争いをしていると例の三人連れが笑っていた。
ノックせずに共同便所を引き明け、女の子が入っていて私がたじろいた。相棒に大声で笑われてバツが悪かった。
十分で野口五郎岳に登れるというものの、我々は登らずに先に向かった。ルートを外してわざわざ頂を目指す気力はなかった。
野口五郎岳を下るとちょっとした雪渓があった。槍ヶ岳がグッと聳えた。北鎌尾根がせり出して、《槍》と呼ぶのにふさわしい雄大なパノラマだった。
ガス(霧)がまくのが難点だったものの我々はシャッターを押しまくった。写真を撮るためにこの雪渓で一時間ばかり休んだ。
横で休んでいるアベックは、我々と反対方向からやってきたそうだ。今朝、薬師沢から歩いてきたという。彼らと、山歩きの失敗を取り止めのなく語り合った。気持ちのよい人たちだった。
「山では、女性は女王様ですね」
三十歳前の男性に私が話しかけても、彼は黙って笑うだけだった。
「そうかなー」
ちょっと浅黒で、二十五歳過ぎの女性が笑って言った。
「山では、男は荷物運びってところですよ」
私がそう言うと、彼女は笑ってうなずいた。
「可愛い女には、男なら誰だってそうしたくなるものさ」
先ほどから私のやりとりを聞いていた相棒が口を挟んだ。
「あら、私はそういうタイプじゃないって言うわけ」
相棒はニヤニヤ笑うだけで反論をしなかった。
「そうかもしれないわ。さっきだって、青いヤッケを着ていた子も空荷で歩いていたもの。男の人ってやさしいのかな...」
せっかく彼女が折れたのに相棒は持論をまくしたてた。
「そんなにゴマをすったってくだらないよ。オンナのほうが体力はあるし、遭難で生き残るのはたいていオンナなんだ。でも、可愛いオンナにはやっぱり甘くなるなー」
「この人、とっても厳しいんだから」
相棒を指して、彼氏に同意を求めたが、連れの男は黙って笑うだけだった。
我々がこんなやりとりで暇をつぶしていると例の三人連れがやってきて写真を撮るとたちまち去った。
山の中腹をなだらかに巻くようにしてルートが続いていた。朝からずっと赤牛岳と水晶岳を眺めてきたが、このルートは水晶岳に向かうものだ。
二つの山は対照的だ。赤牛岳は、赤土質の脆い山で、めったに人が踏み入らないそうだ。反対に、水晶岳は、別名を黒岳といい、上部が岩稜である。
昨年、薬師岳から立山に縦走したとき、今日と反対側から眺めたのだが、あのときもこの二つの山の際立ったコントラストに興味を持ったものだ。
泊まる予定の水晶小屋は、岩稜の下の地肌を晒した斜面にあった。そこに行くためには、今日一番の難所である《東沢出合》の痩せ尾根を通過しなければならなかった。
山を歩くたびに味わされるものの一つは、目的地が目の前に見え、いかにも難なくたどり着けそうなところほど意外に手強いことだ。
このルートもそうだった。一度登り降りすれば、あとはそのまま登るだけのように錯覚させた。実際は降るだけのようにも映った。
しかし、そんな甘い見込みはじきにすっ飛び、一時間たっても高度を稼げず、ようやく登ってもまた下るハメに落ちた。
《東沢乗越》は進行方向の右側、黒部湖寄りに巻いて歩いた。地肌は脆かったが、大キレットに比べればそれほど困難ではなかった。だが、左側の東沢寄りの斜面は、深く切れ込み、覗き込むと吸い込まれそうで、近寄るのもためらった。
ここに至る途中で例の三人連れを追い越した。歩き慣れたせいか、昨日ほどの疲れを感じなかった。汚名を挽回しようとムキになっている私を相棒が押さえた。
「無理するな。もっとペースを落とせ!」
我々の不安は、天候が悪化していることだった。岩場を通過し、水晶小屋を望む高台で一服していると肌寒くなっていた。風が強いにせよ、湿気が多いのが気になった。
水晶小屋に着いても、例の三人連れの姿は見えなかった。我々は、野口五郎小屋で一緒になった《単独行の兄ちゃん》と、今まで歩いてきたルートをぼんやり眺めていた。
小屋の受付は、昨日出会った単独行の若者が言ったとおり、四時からだという。まだ、三十分ほど間があった。湿気の多い、冷たい風が吹く外で我々は受付が始まるのを待った。
B 8月8日(月) 暴風雨
小屋の戸板が外れる音で目覚めた。奥で寝ていた娘が駆け寄り、風に吹き飛ばされないように戸板を押さえた。午前二時だった。
雨と風がちっぽけな山小屋を痛めつけた。戸板は三度外れた。
私の寝床は戸口から二番目だった。吹き上げる風で戸板が揺らぐたびにすきまから雨が吹き付けて、おちおち眠っていられなかった。
それにしても、小屋の中は静かすぎた。これほど小屋が痛めつけられても、先ほどの娘のほかは誰も起きようとしなかった。
『くそ! 何で俺たちだけが苦労しなければならないんだ。いっそこの小屋ごと吹き飛ばされてしまえ』
私は風の音に脅えながら、戸板を押さえる徒労感を覚えた。
今日は一日じゅう雨だ。谷から吹き上げる強風が山小屋を揺さぶり、巻き上がった小石が屋根を転げまわって気味の悪い響きを立てた。山に面した窓から、今にも岩が飛び込んできそうだ。風が止むと、大粒の雨が降り注いだ。
東京でも雨が降っているとラジオが伝えた。三俣蓮華岳では雨量一二〇ミリだと言う。『嘘だろ?』と私は思った。他の地点は、せいぜい十ないし二十ミリ程度なのだ。
でも、雨量の多いことに間違いない。昨日は泊まり客にさえ、「水が少ないから売れない」と言っていたこの小屋のアルバイトが、「タンクが一杯になったのでどんどん使ってください」と言うくらいだ。
「こんな日に歩く奴はいないだろう、いるとしたら大馬鹿者さ」と話していると、着の身着のままのアベックがやって来た。午前八時だった。近くの雪渓でテントを張っていたもののとても眠れず、テントが吹き飛ばされる不安にかられて駆け込んだという。彼らは、我々の横に座るとたちまち寝入った。
九時ごろ、黒部五郎岳を目指すという、六人グループが小屋で一休みしてそのまま立ち去った。
我々が、「こんな雨の中を歩いて大丈夫かな?」と話していると、十時ごろに単独行者がやってきた。薬師沢から今朝歩いてきたそうだ。こんな暴風雨の中をのこのこ歩きまわるのは自殺行為に等しいのだ。我々もそんな無茶を何度もしていた。
その男が、自慢げに山男ぶるのに、『馬鹿な奴だ、キザなことを並べ立てて』と私は腹が立った。
十一時ごろに全員がずぶ濡れでやってきた九人グループにはもっと腹が立った。来た頃は、猫なで声で「すいません一緒に泊まらせてください」などと哀願したコイツラは、時間が経つに連れて横柄な態度をとり、先客を脇に追いやって平然とし、騒ぎまくっていた。
四十歳近いオッサンが、「我が○○会設立以来の最大の不幸」などと息巻くのがアホ臭かった。昨晩から一緒になった《単独行の兄ちゃん》がコツコツ作った天気図を勝手に使い、ラジオも持たずに歩く無神経さに私は腹が立った。オッサンはもとより、グループの誰一人としてそんなことに気づかない無頓着さが不思議だった。
私は、《山男》ぶる人間が嫌いだ。何かというとカッコウばかり気にし、自分勝手な世界をを作り上げ、自分より経験が少ないとみると法螺を吹きたがる、エセ人間にむしずがはしる。
私だって、カッコウよく振る舞いたいときがある。たいてい可愛い女の子を前にするとそうなる。しかし、どこでもカッコウをつけたがるのは異常ではなかろうか。
遊びだからといって、他人を傷つけたり、反社会的な振る舞いをしてはならないと私は思う。むしろ、遊びだからこそ、周りの人たちと協調し、助け合い、楽しみを分かち合おうと感じる。
昼過ぎて多少風も弱まったものの荒天に変わりはなかった。この山小屋の便所は別棟にあったが、風が吹き上げてくるので落ち着かないのに閉口した。
昨夜から一緒になった、静岡から来たという二人連れの娘たちの、暇さえあれば食べている旺盛な食欲に度肝を抜かれたものの、私は、食べ物に対する心配りに感心した。
軽量化ばかり気にして、缶詰や即席物しか持ち歩かない我々の芸の無さに気づいた。彼女たちが、生野菜、パン、おむすび、シチューを独自に調理して食べるのを見て、そんなことを感じた。
今日のハイライトは、着の身着のままで来たアベックだった。彼らは終始無口だった。ほとんど目を閉じていて、私は病気なのかと思っていた。昼食は女性だけしか摂らず、男は何も食べなかった。
たった一杯のコーヒーをお裾分けして、彼らがとるものもとらずにこの山小屋に飛び込み、女性の持ち物しか持参してないことに初めて気づいたのだ。隣にそんな人たちがいることに気がつかず、コーヒーをがぶ飲みし、タバコをふかしていたのが恥ずかしかった。
三十歳近いその男の優しさを口にすることはたやすいものの、空腹に耐え、彼女にだけはひもじさを味わせまいとすることなど、私には真似の出来ないことだった。
夕方になると、相変わらず吹き荒れているものの、雨脚が弱くなった。
「これからの水は有料ですよ」と、アルバイトが言った。
我々は、明日のルートをどうするかで言い争いを続けた。
「きっと明日も雨だ。寄り道などせず、さっさと下山しようぜ」と、私が言うと相棒が不満を並べ立てた。
C 8月9日(火) 曇りのち晴れ
予想したより天候の回復は早かった。七時半頃には、ほとんどの宿泊客が小雨の中を発っていった。外に出ると、谷から水蒸気がもうもうと吹き上がっていた。
我々は山小屋からちょっと登って写真を撮った。雲ノ平が真下に見下ろせ、彼方には、雲に巻かれて山頂だけを晒す黒部五郎岳が望める高台だった。
相棒はシャッターを押しまくった。彼は、おとといから槍ヶ岳ばかり撮り続けた。私は、いつものとおり構図が決まらず、技巧にこだわる自分に苛立っていた。
水晶小屋からの槍ヶ岳は広大すぎてアクセントがなかった。北鎌尾根が平坦になるのが不満だった。雲の流れが速くてカメラを構えるたびに視界を遮られるのも癪だった。
我々が水晶小屋を発つ九時前には、野口五郎小屋からやってきた登山者が、小屋の前にたむろしていた。
東沢寄りに巻いて山小屋の裏の斜面を下ると、なだらかな山並みが続いた。直下には、沢ぞいに高天原に至るルートも見え、一時間ほど前に発っていった例の三人連れらしき姿も見えた。
我々は高天原のルートを沢ぞいにとった。早く着くのが取り得のルートだった。
蚊の多い、ぬかるんだ薮道を歩くと紫色の花が群生していた。あでやかさにひかれて私が立ち止まり、触ろうとすると相棒が「よせ!」と怒鳴った。
「毒草なんだよ」と、相棒が言う。
「トリカブトと言って、昔のアイヌ人が熊狩りに使ったくらいの猛毒があるんだ」
私がけげんなそぶりをすると、相棒がその花の解説をした。北海道に群生し、アイヌ人はこの草の根から毒を採取したそうだ。
「花だって毒気があるんだ。触ればかぶれるぞ」
不満顔をしている私に相棒は続けた。
「学生時代に北海道を一ヶ月歩き回っていたときよく見かけたものだ。こんなところに咲いているなんて...」
懐かしそうに相棒が呟いた。
陰気な沢ぞいの道が終わると、黄金色づいた草原が広がった。
なだらかな尾根が、右手の視界を遮った。正面の林の中に山小屋がちらっと姿を見せた。左側は一面の草原だった。
昨日の雨で足元がぬかるんでいた。我々は、しばらくの間、澄んだ水の流れの中を歩いた。
高天原(たかまがはら)は、《北アルプス最後の秘境》だという。どのルートをとっても、そこに至るのに三日を要すため、訪れる人も少なく、それゆえに植生物がほどよく生息しているそうだ。
相棒は地名の響きにメルヘンの世界を想像すると言った。彼の思い入れは深かった。
「縦走ルートからはずれているし、天気も悪いから、寄り道なんてしないで早く帰ろうぜ」と、私が口にすると、
「俺は高天原に寄るために今度の縦走を決めたんだ。ほかのところを削ったって絶対行くんだ!」と、偉い剣幕でまくしたてた。
十一時半に高天原山荘に着いた。昨日とうって変り、太陽が容赦なく照りつけた。雨上がり直後のせいか全てが生き生き映った。普段はそんなことに感激しない私でさえ、些細なことに気づく有様だった。
山荘の人の話では、大方の客は昨日の大雨で見切りをつけて、今朝早々に下山していったそうだ。
気の早い客は昨日の雨の中を無理して発ったという。強風に煽られてさぞ苦労したことだろう。
今朝発った人たちも、このうららかな草原を見ることもなく去ったかと思うと、私は僥倖を感ぜずにはいられなかった。
「ついているな!」
私がふと口にすると、さも当然という口ぶりで相棒が説教を始めた。
「おまえは直ぐ日和るからいけねー。やっぱり来てよかっただろう」
不満はあったが、私はあえて反論せずにぼんやり草原を眺めた。
「あらー。おいしそう」
「駄目ねー、センセイ! これから準備するのじゃないのサー」
「そうだったわねー。でも、おいしそうよ」
「またー。すぐ日和るんだから...」
陽光が草原に反射して山荘の前は眩かった。我々が注文したラーメンを食べていると、もう四日も同じルートを歩いている例の三人連れが、我々の前で言い争いを始めた。
毎日追い越し合いをしてきたものの、我々は彼女たちについて全く知っていなかった。
どう見ても中学生くらいの、あどけなさの残る痩せ身の娘のことは話題にしていたが、彼女たちと立ち入った話をしたことがなかった。
「本当に先生なんですか?」
相棒が話しかけた。
「そうよ。どうして...」
けげんそうに小太りのセンセイが聞き返した。
「生け花なんかの先生ですか」
私が口を挟むと、彼女たちがクスクス笑った。
「小学校のですよ」
バツが悪そうに先生が答えた。
「それじゃ。彼女も先生なの...」
娘を指して私が聞くと、
「そうよ。タマゴよ」
「誰だよ。ジュウシ(十四歳)なんて行ったのは...」
私が相棒に話しかけると、
「やーねー。わたし子供じゃないわ」
「どう見てもジュウシだ!」
相棒は自説を曲げなかった。
「ああー。また馬鹿にしてー」
「でも、ハタチ(二十歳)じゃないでしょ」
今度は私が挑発した。
「失礼ねー。そんなに歳をとってないわ」
「それじゃ、やっぱりジュウシだ!」
「いや、十六ぐらいかもしれないぞ」
相棒は譲らず、私もあれこれと挑発して、ムキになっている娘をからかった。
「この子は私の教え子。大学生よ」
センセイがようやく種明かししたが、相棒はジュウシだと言い張って娘を挑発した。
彼女たちは、我々と同じルートを、同じ日数をかけて歩くそうだ。東京から信濃大町を経由して烏帽子岳に登り、稜線づたいに野口五郎岳、高天原、雲ノ平を廻り、新穂高温泉に下ると言う。ガイドブックの一日の日程を二日かけるのも我々と同じ発想だった。
「どうりで。ゆっくり歩いていたわけですね」
「あら! あなたたちも...」
私がうなずくとセンセイが驚いた。
センセイと鈴木さんは同じ職場だそうだ。娘がセンセイの教え子で、《マリちゃん》と言うのも分かった。
「僕はてっきり鈴木さんがマリちゃんのお母さんだと思っていました」
そう私が口にすると、無口な鈴木さんはまんざらでもなさそうに笑った。
「センセイとマリちゃんが親子だなんて、とても思えないからなー」
「どうせ私は太っていますからね!」
相棒に向かって、センセイがふてくされて言った。
「誰だって、私たちを見たらそう考えるはずよ」
痩せ身の鈴木さんがとりなした。
「センセイが若いときはすごく可愛かったんだ。今みたいに太っていなかったし、スポーツ万能だったのよ」
マリちゃんもセンセイを慰めた。
彼女たちは相棒と私の歳を逆に見ていた。
「本当にあなたが年上なの? 信じられないわ」
興奮が冷めやらぬセンセイが、相棒にあてつける様に大袈裟に驚くそぶりをした。
相棒は、大学四年のとき、少年補導員に家出中学生と間違えられたくらいの童顔だ。人見知りの激しい私は、妻帯者と間違われることもあるくら老けている。
いつものことで、慣れっこになっているが、女性の前では私が不利だ。相棒も若く見られるのが不満で、間違われるたびに私に文句をつける。
山荘から十分歩くと露天風呂があった。我々はそこから三十分薮を掻き分けて《夢の原》に出向いた。めったに人が入らないとみえて荒れ放題だった。
右側に水晶岳から赤牛岳に続く稜線が高く連なり、そこから尾根が派生していた。左側には、草原を挟んで薬師岳の広大な稜線が聳えていた。
露天風呂は、囲いのあるものと無いものの二つあった。我々は囲いの無いほうに入った。例の三人連れが入ろうとしたので、「女性はあっちに入って!」と叫ぶと、センセイが、「早く出なさいよ」と笑って言った。
囲いのある風呂に向かった彼女たちが叫び声をあげた。そういえば先ほどアベックが入ったばかりだった。
フンドシひとつの男が追いたてられて我々のほうに移ってきた。連れの女性までついてきたが我々は入浴を拒んだ。
我々と一緒に入浴していた《単独行の兄ちゃん》は湯にのぼせて帰ってきた。彼は出る機会を失ったそうだ。
後からやってきた登山者のほとんどが囲いの無い風呂に入りたがり、女性のほうが多くなって、彼は一時間もためらったようだ。
何とも気の弱い男である。例の三人連れにからかわれて真っ赤になるのもおかしかった。
夕食も済み、何となくだらけきっていた頃だった。また露天風呂につかり、ビールを飲みながら月見でもするかと我々は話していた。
「クマ。熊だー」
慌てふためいた男の声が響いた。
「冗談は止めろよ」
「嘘をつくなよ!」
「あらー、本当よ。クマだわ」
乾いた女性の声が響いた。
その声にひかれて我々は山荘の裏側の窓に駆け寄った。確かに、大きな黒い塊が残飯置き場に居座っている。
それはほんのわずかな時間のことだった。黒い塊が動いたに過ぎなかった。他の宿泊客と同様に、私にはそれがクマだと信じられなかった。
興奮も冷め、『あれはきっと何かの錯覚に過ぎないのだ』と自分に言い聞かしていると、また別の叫び声があがった。
先ほどから二十分が過ぎていた。同じ場所にクマがやってきて、大声で追い立てても、ライトを浴びせかけても、全く動ずる気配はなかった。ドラム缶より大きなクマが近くを徘徊してるのにゾッとした。
山荘の人の話では今年はクマが多く出没しているそうだ。「ここじゃ別にたいしたことでもないですよ。ヒグマじゃないから危険は少ない」と言われたものの不安になった。
そんなことを知らずに露天風呂から戻ってきた人たちは、クマが出没したことを全く信じようとしなかった。
私と相棒は、ビールを飲みに外に出る気が失せていた。
D 8月10日(水)晴れのち曇り
飲み過ぎて頭がズキズキした。昨晩は、例の三人連れと《単独行の兄ちゃん》を交えて取り止めの無い話を続けた。
相棒がいなかった。夜明け前に起きて花を撮ってきたそうだ。花に霜がうっすら覆っているのに、思わず見とれていたそうだ。
「上手く写っていなければ口惜しい」と口にしつつも、けっこう満足していた。
「それじゃ、お先に。すぐ追いつかれるでしょうけど...」と、センセイが挨拶して、六時過ぎに発った。
草原を写し、山荘を振り返ると、目的の半ばを達成した思いも加わり、今までの道のりが急に懐かしくなった。再び訪れることもあるまいと思うと足取りがにぶった。
林の中のぬかるんだ坂道を薬師沢に向かうと、娘三人と男一人のグループがけだるい足取りで歩いていた。
「あれー。あんたは昨日ここを下ってきたんじゃなかったの? あんたも手が早いなー」
先を歩く相棒が、さも感心したという口ぶりでその男を冷やかした。確かに、彼は昨日この沢を下ってきたと言っていたのだ。
「ゆっくり行こうぜ。女性には太刀打ちできないからな」
私はいつものとおり泣き言を並べた。
「じゃー。この人たちについていくか。おまえしっかり歩けよ!」
相棒はリーダー気取りを始めた。
水量の多い渓流を渡り、急な登りにさしかかると、我々はセンセイたちのグループを含めて追い越し、一気に峠まで登った。
我々が腰を下ろし、例のグループが通り過ぎるのを待っていると、
「元気出しなさいよ。男のくせに!」とセンセイが言った。
マリちゃんをからかっていると、例のグループが休みもせずに、通過していった。
頃合いを見計らって、我々はまたしんがりについた。
例のグループのしんがりを歩く娘は、マイペースで歩き、物珍しそうに何度も立ち止まった。急に止まるので私としょっちゅうぶつかる始末だ。
「もう少し早く歩いてもらえないかなー」
苛立ちを隠して私が言っても彼女は平然としていた。
「どうぞお先に」
「そう言われたって...。あんたのグループが先を歩いているんじゃないか」
「いいのよ。私、遅いんだから」
私はじっと耐えてその娘の後ろを歩いた。
「ねー、先に行っていいのよ」
「いいから、前を見て歩いてくれない」
「いじめないでよ」
「そんなことはしてないよ」
「人がせっかく景色を味わっているのに...」
「こんなところに景色なんてものはないよ。林の中だもの」
「うるせーなー。とっとと歩け!」
私と娘のやりとりに腹立てた相棒が怒鳴った。
「お父さんに言いつけるから...」
きっとして娘が叫んだ。
「甘ったれるな!」
相棒がわざと大声を出した。
娘がべそをかきそうになったので私はもっぱらなだめ役だった。相棒がカッコウよく振る舞うのが不満だった。
この娘ときたら、先ほどまで腹を立てていたくせに、我々を下男扱いし始めた。いつのまにか我々も彼女を《お姫様》と読んでいた。
登り切ると視界を妨げるものは何も無かった。振り返ると、薬師岳が広い稜線を晒していた。
去年の夏、まだ梅雨が明けきらぬ頃に、雨の中を薬師岳山荘まで歩いて散々な目にあった私には懐かしい景色だった。
「ここは決して平らじゃないですよ。雲ノ平という名前から誰もが誤解するけれど...」
先ほどの男が、二人の娘に説明していた。《お姐さん》と《むっつりさん》が彼の説明に聞き入っていた。我々は彼を《隊長さん》と呼んでいた。
雲ノ平は斜面に広がる台地だ。薬師岳から見下ろすと、聳え立つ峰と峰の間にぽっかり広がっている。昨日、水晶岳側から見下ろしたときも、所々に雪渓が残っていた。
我々が隊長さんの説明に耳を傾けていると、センセイたちのグループも到着した。いつのまにか意気投合して、九人でぞろぞろ歩いた。
「ねー。この花の名前を知っている」
お姫様が私に話しかけたが、分からなかった。
「イワイチョウっていうのよ」
私は黙ったままだった。
「フリルのついた花が特徴よ」
先ほどとうって変わって、お姫様が自慢げに説明した。
相棒は彼女を誉めて花の名前を教えてもらっていた。花に興味の無い私は、ちょっかいを出したのを悔やんでいた。
彼女は私に花の名前を質問して、先ほどの仕返しを試みているようだった。
我々は、《岸壁ノ原》で休みをとった。大きな岩が整然と並び、水溜まりに薬師岳が写っていた。
薬師岳から五色ケ原まで十二時間かけて歩いた去年の縦走を思い出すとぞっとした。
登り降りを何度繰り返しても目的地に着かぬ苛立ち、今にも雷が落ちそうな天気の中を歩く不安、滅多に人と行き交わぬ寂しさ、自分が嫌になるほどの体力の消耗、私を叱咤する相棒の罵詈雑言、これまでして歩く必要があるかという悔いーなだらかに映る越中沢岳で私はこんなことをたっぷり味わったのだ。
そんな思い出を語り合っていると、相棒が足元の草を指した。
「この花を知っているか」
「よせやい。花に興味が無いのを知っているくせに」
私はむっとして答える。
「これがチングルマだよ」
「からかうなよ。チングルマはこんな草じゃないぞ。白い花弁に黄色のメシベというくらいは俺だって知っているぞ!」
我々が口論していると娘たちがやってきて相棒の言い分を認めた。
私がガイドブックを取り出して反論すると、全員で笑った。
ここに群生しているのは、チングルマの種子だそうだ。
雲ノ平山荘には、既に娘たちのグループが到着していた。
「あの子まだかしら」と、お姐さんが呟いた。それが私には不可解だった。
「あんなに遅れて大丈夫かな」
「いいのよ。あの子はいつもそうだから」
あてつけ気味に私が口にすると彼女はきっぱり言いきった。
「同じパーテーなのにそれでいいんですか」
「あの子は好きなままにさせておけばいいのよ」
「けっこう力はありますよ。さっき後を着いてみましたがバテてはいませんでしたね」
隊長さんがとりなすように言った。
私は、一人だけ別扱いし、突き放したり、甘やかすのが不思議だった。はぐれたり、転落したりしたらどうするつもりだろうと考えると理解できなかった。
お姫様がセンセイたちと楽しそうにやって来ると、娘たちは山荘を発っていった。
相棒はセンセイと意気投合していた。話が弾むと、彼はセンセイを《おばちゃん》と呼ぶ始末だ。東京人どうしの気安さがそうさせたかもしれなかった。
私がいつも驚かされることは、相棒のひとなつっこさだ。けっこうズケズケものを言うわりに、相手に受け入れられるのが不思議だ。言葉を選び、言いたいことの半分も口に出せず、後悔してばかりいる私には羨ましいものだ。
雲ノ平山荘の前で一時間半休んでから、我々はセンセイたちと別のルートを選んだ。彼女たちより一足先に発って、祖父岳に向けて一文字に歩いた。
祖父岳の頂は平らだった。ケルンがいくつも積んであった。とっくに鷲羽岳に登っているはずの娘たちが昼食をとっていた。
黒部五郎岳や立山の峰々に積乱雲がもくもくと沸き上がり、周囲の山々を包み込んでいた。
隊長さんは、「雲行きが怪しい」とか、「雷が発生しそうだ」と呟いて、娘たちに出発を促していた。
相棒と私は、珍しく意見が一致して、鷲羽岳に登らずに沢を下ることに決めた。
娘たちは天気のことなどいっこうに気に留めていなかった。お姫様に至っては、「どうしても鷲羽岳に登る」とゴネる始末だ。
隊長さんは、我々に「天気が崩れそうですよね」とか、「雷になりそうですね」と話しかけ、相づちを求めた。
「山は何度でも来れるけど命は一つさ」
相棒が誰に話すわけでもなく呟くと、娘たちは渋々腰を上げた。
黒部川の源流は鷲羽岳だという。我々は、計画していなかったこの源流を降ることとなった。
ひどいガレ場であった。地肌が露出する、脆い岩の斜面だった。
「どこから降りてもいいんです」
隊長さんが娘たちに説明したが、彼女たちはためらっていた。岩苔乗越の手前だった。
「ここを降れっていうの」
お姫様が不服げに言った。
隊長さんは立ち止まったまま思案していた。
「ここから降りればいいんですね」
相棒が念を押した。
「そうなんだけれども...」
歯切れが悪い隊長さんの答えだった。
相棒が一気に駆け降りると、隊長さんが続いた。私には彼らがちっぽけな石にしか見えなかった。
「早く降りて来いよ!」
相棒が叫んだ。
お姐さんとむっつりさんが、腰を落として恐る恐る降っていった。
「早く来いよ! ビクビクするな」
苛立ち気味の相棒の声が響いた。
「先に降りてよ。恐くないでしょ」
私は、お姫様に先に降るよう促した。ちょっと前に、後ろから石を落とされてびくついた私は、彼女の前を歩きたくはなかった。
「アンタのグループが先を歩いているんだぜ」
「あなたの友達が一番先に降りたわ」
互いが譲り合いをしていると、また相棒が怒鳴った。
「早く来いよ!グズグズするな」
「根性なしめ! おまえそれでも男か!」
相棒が悪口雑言を並べ立てた。
私が足元に注意してジグザグに降り始めると、お姫様もすぐ後をついてきた。時折振り向いて落石にも気を配ったので時間がかかった。
「グズグズしないで駆け降りてこい!」
事情を知らない相棒が、また怒鳴った。
お姫様が降りてくるのが遅れていた。他の娘たちは、彼女を無視して隊長さんと先に進んだ。
相棒が私に先に行くよう指示した。私もそのとおり歩いたが、十分たっても彼は来なかった。
私が立ち止まると、娘たちもようやく歩みを止めた。
相棒が私を呼んだ。応答すると、 お姫様を急きたてて下ってきた。
「あら! みんな待っていたの...」
バツが悪そうに彼女が言った。
「まー。この子ったら!」
お姐さんが申し訳なさそうに叫んだ。
「待っていなくてもよかったのに」
お姫様が憎まれ口を吐いた。
我々は元のとおりにしんがりについた。
「ああ。鷲羽岳に登りたかった。ねー。そう思わない」
お姫様が話しかけた。
「もう決定したんだ。グタグタ言わないで前を向いて歩いてよ」
私はぶっきらぼうに答えた。
「でも、そう思わない」
「雨も雷もなかったわ!」
「ねー。雨なんて嘘なんでしょ」
相手にしないので、彼女は矢継ぎ早に不満を並べた。
「ああだこうだと言わないでほしいな。疲れちまうじゃねーか」
受け答えが面倒になった私は、次第に言葉が荒立っていた。
初めは大きな岩がゴロゴロする干上がった河原も、どこからともなく湧き出す水で次第にぬかるんでいた。岩にへばりつき、木の枝を支点にしながら、迂回を繰り返すうちに、ようやく人の踏み跡に出会った。ルートは川から外れて、薮こぎを強いられた。頭上を気にすると草で足を滑らす始末だった。
我々は、相変わらずお姫様の後を歩いた。厄介なお荷物だったが、捨てるのもしのびがたかった。彼女も諦めがついたのか、我々と同じペースで歩いた。
駄々っ子だが、愛らしさもあって憎みきれなかった。私も相棒も妹が二人いるので、違和感はそれほど感じなかった。
黒部源流を降って一時間たつと先を進む娘たちがようやく足を止めた。視界の開けた谷間だった。
左側には三俣山荘に至るジグザグな道が続いていた。右側の尾根には、ここに降るジグザグな道が斜面にはっきり刻み込まれていた。
雲ノ平で別れた、センセイたちのグループが右側上部の道を歩いているのに気がついた。我々が手を振ると彼女たちからも応答があった。
「帽子を振っているのが多分マリちゃんだろう」と、相棒が言った。
もう登るだけだと分かると、互いが分散していた。娘たちにルートを教えると、隊長さんは腰を下ろした。
お姐さんとむっつりさんが、一歩ずつ踏みしめるように登っていった。それほどの急坂ではなかった。
私は、むしょうに苛立ちを感じていた。彼女たちを挑発するように追い越した。いつでも追い越せたことを示しておきたかった。
無理をしていることは息遣いが荒くなっているので分かっていた。久しぶりに長時間歩き、色々腹を立てたせいで、私は疲れ切っていた。
が、後には相棒がぴったり付いていた。もう、娘たちの姿は見えなかった。
どうしてペースを落とすか思案して歩いたが、私には策が浮かばなかった。いつものとおり、言いがかりをつけるしかなかった。
「トップはいつもおまえだろう。いつものとおりにしようぜ」
私が言うと、相棒は苦笑いして言った。
「おまえはどうしてカッコウばかりつけたがるんだ。こんなペースを続けられるはずがないじゃねーか。俺は分かっていたけど、おまえがどうするか楽しみにしていたのさ。見栄っ張りめ!」
私は黙るしか手がなかった。
三俣山荘に着くと、我々は、正面に広がる槍ヶ岳をぼんやり眺めた。燕岳、大天井岳、西岳を経て槍ヶ岳に向かった二年前の夏を思い出すと、感慨もひとしおだった。槍ヶ岳を裏側から眺めることなど当時は思いつかなかったのだ。
なんやかやと腹を立てても、宿が決まれば娘たちが異性であることに変わりはなかった。
食事を待つ間の一時間は、お姫様を相手に、我々のいつもの狂態やヘマに尾鰭羽鰭をつけて喋りまくった。先ほどとうって変わって彼女が素直に耳を傾けるのもおかしかった。ちょっぴり太目だが、けっこうグラマーで、愛敬がある娘だと初めて気が付いた。二十歳前後の娘だった。
むっつりさんも我々の側にいて、私が相棒をこき下ろすのをニコニコ笑って聞いていた。お姫様と同じ年頃だった。勝ち気な性格が時折口にする言葉に含まれていて、私には煙たかった。
山荘の外では、男だけの宴がたけなわだった。若い勤め人が十人ほど円陣を組んで、酒盛りをしていた。
「おまえんとこはストもようせんで、うちよりぎょうさんとりよる。ほんま、腹たつで」
からみ合いながらも、和気会々の雰囲気が漂っていた。
「あんちゃんたちも、こっちにきいへんか」
窓際で槍ヶ岳を眺めて、二人の娘を相手に言い争う我々に向かって男たちが話しかけた。
「ほんまに羨ましいで。おい、委員長、我々にオンナをくれー」
彼らは俄かに職場集会を始め、役員をしているという男に向かって叫んだ。委員長と名指しされた男が下を向くのもおかしかった。
「ストせにゃならんで」
勤め人たちは我々を肴にしてはしゃいでいた。我々は彼らのやりとりを笑って見ていた。
「あんたらよりも、このこらと一緒のほうが楽しいで」
東京育ちの相棒がわざと関西弁で応じた。
関西人にライバル意識をむき出しにする相棒のこだわりがおかしかった。
樅沢岳の影が槍ヶ岳を次第に包み込んでいった。西日に照らされ、北鎌尾根から南岳に連なる槍ヶ岳の広大な稜線がくっきり浮き立った。
我々は冷え込むのを感じて、互いの部屋に戻った。
(注)ここまでが縦走直後にまとめた部分である。これ以後は、一年後に加筆した。
E 8月11日(木)雨のち晴れ
靄が一面を覆っていた。窓ガラスに水滴がべったり張り付いていた。山荘は午前四時からざわめき、槍ヶ岳を目指す人々があたふたと発っていった。顔を洗うと水が冷たくて、ひりひりした。
六時二十分に我々は発った。久しぶりに相棒と二人で歩いた。いつもなら、陽光が眩しい頃なのに、まるで夜道のように暗かった。十メートル先も見えなかった。四十分経ってから、三俣蓮華岳直下の高台で一息ついた。
我々は、三俣蓮華岳を左に巻いて歩いた。もうこれからはひたすら下るだけだ、わざわざ主稜まで登ることもない、これからはのんびり槍ヶ岳を眺めていこうと決めていた。
我々のすぐ後にはセンセイたちのグループがいた。次は、お姐さんとむっつりさんだった。相変わらず、お姫様がずっと遅れて歩いていた。互いが黙りこくっていた。
登り降りを繰り返しているうちに夜が明けた。前方からは、重そうなザックを背負った登山者がぽつぽつ歩いてきた。
相棒はカメラを首に吊るし、なんだかだと言って立ち止まった。私の手持ちのフィルムはきれていた。意地を張って、先頭を歩いてきた私は苛立っていた。
私が相棒を急きたてても、「もう急ぐこともないのに」と言い出す始末だった。
三俣山荘から双六小屋までは、ずっと尾根を巻いて歩いたものの、小さな登り降りをしなければならなかった。
我々が言い争いをして歩くと、センセイたちや娘たちのグループが、勾配のきつい登り坂にさしかかろうとしていた。
センセイとお姫様が互いのグループの先頭を歩いていたが、彼女たちはすぐに立ち止まった。互いのグループは彼女たちを残して、登っていった。
ムキになって登ると、たちまち彼女たちに追いついた。彼女たちは息をきらしながらも、グループから遅れまいとしていた。
追い越した直後に小雨がパラツキ始めた。我々は、しんがりの二人を追い立てて歩いた。
昨年は北アルプスの縦走のほとんどが雨と関わった。
五月の北穂高岳から奥穂高岳への縦走は、初日から雨で、涸沢小屋に三泊させられ、奥穂高山荘から涸沢に抜けて下山した。
七月の薬師岳から立山への縦走も、六日のうち三日が雨で散々な目にあった。
八月の白馬岳から鹿島槍ヶ岳への縦走も、五竜小屋に二泊させられて、遠見尾根を下った。
そして、十二月の八方尾根は大雪で、やむを得ず八ヶ岳に転進した。
雨の中を歩いてろくなことがなかった我々は、雨の怖さに脅えていた。
例のとおり、お姫様が遅れがちだった。先ほどまで、自分たちのグループに遅れまいとしていた彼女は、我々が後につくとペースを落とす始末だ。
雨脚が一段と強くなった。昨日の発言を思い出した私は、彼女を無視して先に進んだ。
黒部の源流を降っているとき、「あの人は勝手に案内したがっているのよ。私たちが頼んだわけじゃないのに」と、隊長さんの行動を説明したのだ。
いつのまにか先を進むグループに追いつき、雨の怖さを強調したが、センセイたちや娘たちは無頓着だった。私は早いペースで先頭を歩いた。
相棒の姿が消えていた。
呼びかけると、
「ちゃんと歩いているから心配するな。お姫様の後にいるぞ」と、返事が返った。
しばらくしても相棒の姿が見えなかった。私は、娘たちと別れて、彼が来るのを待った。
お姫様を追い立てる様にして相棒がやってきた。
「この子は全く困り者だぜ。テコでも動かねー、しぶといアマッ子さ」
相棒がアテつけても彼女は笑うだけで平然としていた。
「世話をやかすなよ。ノウタリン」
私も興奮して、言葉がきつくなった。
憮然として彼女は立ち止まった。今にも泣き出しそうだった。
私は慌ててご機嫌とりに努めた。
「ちゃんと歩けば、後でアイスクリームをおごるから...」
「あんまりねー、今の言葉」
「ほらほら、歩くんだよ! オネーチャン」
相棒が歩くように促した。
「ほっといてよ!」
彼女は意固地になって立ち止まったままだ。
「アイスクリームに汁粉をつけるから...」
私が腹立ちをこらえて言うと、
「絶対守るわね。嘘をついたら許さないわ」
ようやく彼女が歩き始めた。
我々が、お姫様を追い立てて歩くと、先に進んだグループが待っていた。今度は、マリちゃんとむっつりさんが先頭を歩き、我々はしんがりに付いた。
眼下に双六小屋が見えたとき、私はほっとした。ここまで来たら、このわがまま娘と別れられると思った。
それとともに、相棒の余計な振る舞いに腹を立てていた。『仏心を出しやがって! 世話を焼かないと昨夜誓ったのに! なんで俺がご機嫌取りをしなければならないのだ。忠告をきかないヤツラの世話まで焼くこともないのに...』
そんな私の苛立ちを知らないお姫様が話しかけた。
「約束は守るわね!」
双六小屋には隊長さんがいた。彼は槍ヶ岳に向かうと言って、今朝早く発っていた。彼を囲んで、娘たちやセンセイたちが楽しそうに話しをしていた。我々は、関わらぬように脇に黙って座っていた。彼はこれから西鎌尾根づたいに槍ヶ岳に登るそうだ。
双六小屋は、槍ヶ岳に向かうルートと雲ノ平に向かうルートの分岐点だった。我々は、これから鏡平を経て、新穂高温泉に向かうのだ。
樅沢岳を経て槍ヶ岳に向かう西鎌尾根は、だだっ広くて忍耐を強いられる道のりを感じさせた。四、五時間で槍ヶ岳に着くと分かっていたが、私にはその気が起こらなかった。
約束どおりに、娘たちにお汁粉(甘酒だったかもしれない)をごちそうすると、センセイがきょとんとしていた。だが、約束したアイスクリームはなかった。
「嘘つき!」
「騙したのね」
お姫様が私を批難した。
私が下を向いて呟いていると相棒が、
「おまえもアホだよ。性悪女を相手にして...。自業自得さ」と、言った。
元はと言えば相棒が巻いた種である。『仏心を出して関わったばかりに、出費も増えた』と、思うと私の不満は増すばかりだった。
双六小屋で三十分休憩して、我々は鏡平を目指した。左俣谷ぞいの尾根に着いてから、我々はセンセイたちや娘たちと別れて一休みした。お姫様が近寄ってきたが追い払った。そんなやりとりを見て、面白そうに相棒が笑った。
鏡平に至る我々のルートは降るだけだった。我々は、例の人々の後を付かず離れずに歩いた。
右側には、笠ケ岳が聳えていた。雲ノ平で初めてこの山を眺めたときに、あまりにも富士山に似ているのに驚いた。本物の富士山よりちょっぴりスリムだった。正面には乗鞍岳も見えたが、槍ヶ岳から北穂高岳に連なる重厚な稜線のある左側の景色にひきつけられていた。
鏡平山荘は林の中にあった。先行のグループを追い越して山荘に着くと十二時十分だった。
心配していた天気も次第に回復し、照りつける陽光に苦しめられたものの、谷から吹き上がる水蒸気が山々を覆ってしまった。
私と相棒は天気が下り坂に指しかかっていると判断し、この山荘で一泊する予定を繰り上げて下山することに決めた。
我々はこの山荘で二時間ほど休んだ。
センセイと鈴木さんが新穂高温泉から鏡平に来たことがあると知り、我々はセンセイたちのグループを先頭にして、林の中を歩いた。
二時間もあればワサビ平に着くとタカを食って、呑気な足取りで歩いていた。私は地図も見ずにセンセイたちの後を歩いた。
一時間ぐらい経ってからセンセイが首をひねり始めた。「ルートがずいぶん変わっている」と言い出した。
今まで降ってきたルートに間違いはなかった。道標のとおりに歩いてきたのだ。
「おばちゃんしっかりしてよ。脅かしちゃだめだよ」
相棒がおどけて言った。
地図には一回だけ川を横切ることが示されていて、確かに一度川を渡ったのだ。あとは小池新道の石畳を降ってワサビ平に着くはずだった。が、いつまで経っても石畳の道にならなかった。
広い河原を我々は降っていた。砂防ダムに突き当たったものの、巻き道がどこにもないのだ。
「あら。間違ったみたいね」
センセイが素っ頓狂な声を出した。
「ねー、鈴木さん。前はこんなところを歩かなかったわねー」
「そうよ。川を渡った記憶があるけれど、こんなに降らなかったわ。道が変わったのかしら...」
「どこかに渡り口があるかも知れないわ」
「もっと下だったかしら...」
なんとも頼りのない会話だった。
元に戻ろう、と私が言っても彼女たちはどんどん降っていくのだ。
「しっかりしてよセンセイ!」
マリちゃんはそう言って川原に腰を下ろした。
例の娘たちはぼんやり立っていた。
「あんたたち若いし、男の子でしょ。渡り口を探してくれない」
センセイが我々に言った。
相棒は十分ばかり川原を降っていった。
私は地図を見た。どう考えても渡り口はもっと上流にあるようだ。それに、間違いに気づいたら元に戻るのが鉄則なのだ。それを主張してもセンセイたちは受け入れなかった。
「おおい。下に道はないぞ!」
相棒が怒鳴った。
お姐さんとむっつりさんが対岸をうろついていた。
「ここから登れるみたい」
むっつりさんが私に言った。
「アンタが登ってみる? 俺はどう考えても元に戻るべきだと思うよ」
「でも、ここから登れるのかもしれないわ」
彼女は執拗に私を急かせた。不満であったが登るしかなかった。彼女たちに川原を溯るように告げて、私は渋々薮の中を登った。
薮を掻き分けて登っていくと岩がゴロゴロしていた。諦めかけつつ登りつめると石畳の道に出た。
「あったぞ!」と、私が呼びかけても全く反応がなかった。
荷物を道端に置いて私は上のほうに駈けた。時折川原が見えたので、そのたびに呼びかけたものの返事がなかった。
渡り口まで五分くらいかかった。相棒が先頭を歩いていた。「ここだぞ!」と叫ぶと、「分かってる」と答えた。あっけなさすぎてがっかりした。
失敗のモトは単純だった。渡り口の標識を隠すようにテントを張っている大馬鹿者がいたのだ。
「やっぱり男の子ね」
センセイがさも感心したとように言った。
『男も女もあるものか。こんな時ばかりこき使いやがって...』と思った。
「俺の声が聞こえた?」と、むっつりさんに確かめると、彼女がうなずいた。
『クソッタレ! 返事ぐらいしてもよさそうなものに。元はといえばオマエが命令したんじゃないか』と、彼女の愛想のない答えに腹が立った。
「でも、戻れば渡り口に着くと分かったのだもん...」
私の気配を察して、彼女は不満げに呟いた。
相棒は、川原を遡行していくうちに、横切っていく登山者を見かけて渡り口を知ったという。
人の言うことに耳を貸さず、嫌なことを他人に強いるオンナたちの態度が気に入らなかった。
予定より一時間も遅れてワサビ平に着いた。五時半前だった。
ここから先はクルマも出入りする広い道だ、間違いようもない一本道だ、と思うとほっとした。
谷間の林道を歩いているせいか、日が落ちるのが早く感じた。センセイたちのグループがはしゃいでいる割に、娘たちのグループは、お姫様を除いてグッタリしていた。
相変わらず、お姫様がしんがりをマイペースで歩いていた。彼女だけは元気だった。
我々は、センセイたちと一緒に先を急いだ。相棒は、相変わらずジュウシだと言い張ってマリちゃんをからかっていた。
時折気になって振り返ると、お姫様がとぼとぼ付いてくるのが分かった。関わればペースが落ちるので、彼女を無視して歩いた。
六時にホテル新穂高の前に着くと、全員がバテきっていて交わす言葉も少なかった。
相棒が電話をかけに行き、マイクロバスを待つ間、私は、南岳と北穂高岳を結ぶ大キレット(切戸)を仰ぎ見ていた。重量感に威圧された。
しかし、あの痩せ尾根を通過するときに脅え切り、愚痴を並べ立て、相棒の後を渋々歩いたことは口に出せなかった。何度も引き返そうと並べ、岩にへばりつき、鎖場に冷や汗をかいで北穂高岳に抜けた初めての北アルプス縦走が妙に懐かしかった。
マイクロバスの中で、私は今までの道のりを振り返っていた。
「これで北アルプスともお別れだな」と、相棒に話しかけると、彼も神妙な顔つきをしていた。
槍ヶ岳で始まり、槍ヶ岳で終わるという我々のセンチメンタルな《卒業旅行》はこうして終わった。
民宿《双六山荘》には午後六時半に着いた。
三度目の整理をして
1975年7月末に10泊11日で縦走して以来、北アルプスを10回縦走した。私が24から27歳の頃だった。
ほとんどが一週間程度の縦走だ。今では気恥ずかしい内容だが、一週間に渡る記録はこれしかないので、あえて晒す。(1981年10月記す)
【行 動 の 記 録】
8月5日(金)晴れ
20時25 国分寺駅集合
21時00分 新宿駅着
22時30分 新宿駅発 (急行アルプス六号)
8月6日(土)晴れ
4時53分 信濃大町駅着
5時05分 バスに乗車
5時25分 葛温泉着
5時45分 同地発
7時20分 濁沢入口(朝食)
8時15分 同地発
8時45分 濁沢取付着
9時00分 同地発
10時30分―11時30分: 沢から尾根に変わる台地(昼食)
13時00分 三角点
15時10分 烏帽子小屋着
8月7日(日)晴れ
5時00分 起床
6時05分 烏帽子小屋発
6時35分 ニセ烏帽子(写真)
7時00分 烏帽子小屋着
7時15分 烏帽子小屋発
8時20分 三ツ岳頂上(写真)
8時40分 雪渓で小休止
9時05五分―10時15分コーヒーブレーク
10時30分―12時00分 野口五郎小屋で休む
12時30分―13時30分 雪渓にて昼食(写真)
時刻不明 東沢乗越
15時30分 水晶小屋着
8月8日(月)暴風雨、 本日は行動中止。
※ 雨量125ミリメートル、 宿泊者24名
8月9日(火)曇りのち晴れ
6時00分 起床
7時00分 水晶岳中腹(写真)
8時50分 水晶小屋発
9時05分 ワリモ岳分岐点
9時40分―10時40分 川原にて休む
11時30分 高天原山荘着 本日の行動はここまで
※ 《地糖》の散策、露天風呂、 夜にクマが出てきて大慌て
8月10日(水)晴れのち曇り
5時30分 起床
6時20分 高天原山荘発
8時00分 高天原峠(休息)
9時00分 苗代ノ池(写真)→詩ノ原→岸壁ノ原→コロナ平
※ 花の見物に時間をかける
10時25分―12時05分 雲ノ平山荘で昼食 アルプス庭園→スイス庭園
13時30分 祖父岳頂上
14時00分 黒部源流を降る
15時45分 三俣山荘着
8月11日(木)小雨のち晴れ
5時00分 起床
6時20分 三俣山荘発
7時00分 三俣蓮華岳直下
8時ごろから雨
9時15分―9時50分 双六小屋で休憩
12時10分―13時50分 鏡平小屋で昼食
※ これ以後ワサビ平までの記録は、他のパーテーに追従していたので無い(ルート誤りのロスがある)
17時20分 ワサビ平着
18時00分 ホテル新穂高前
18時30分 民宿・双六山荘
8月12日(金)曇りのち雨
10時30分 民宿前からバス乗車
11時30分 平湯でバス乗り換え
12時30分 上高地・大正池着→田代池→河童橋(昼食)
14時40分 上高地発(マイクロ)
16時30分 松本駅前着(散策)
17時22分 松本駅発
20時52分 八王子着・乗り換え
21時20分 国分寺駅着 焼鳥屋「おじちゃん」で反省会
22時40分 同店で解散