初めての旅(能登半島から京都を回る)
1972年9月2日ー5日


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【まえがき】
この記録は、出向いてから7年後にまとめたものです。これは、かってまとめた《初めての旅・十年目の旅》の前段部分としたものですが、今回は誤解を与える部分を整理しています。僕≠ニいう書き方は今ではためらいますが、原文に従っていますのでご容赦願います。

【ルート】
 ◎9月2日 国分寺市→松本→糸魚川→黒部市
 ◎9月4日 黒部市→七尾→狼煙(禄剛崎)→輪島→羽咋市千里浜
 ◎9月4日 羽咋市→金沢→東尋坊海岸→鶴賀→琵琶湖→大津
 ◎9月5日 大津→栗東→名古屋→川崎→国分寺市

    

能登半島 琵琶湖




「おい、起きろ! 早く逃げないと溺れてしまうぞ」
 運転席で眠っているMの肩を僕は揺する。僕は海を指差す。
「見ろよ。あんなに海面が盛り上がっているぞ!」
 しばらくして、Mが笑いこける。
「何を寝ぼけているんだ! そう映って当たり前じゃないか。このクルマは坂に停めてあるんだ」
 それに気づいた僕は照れ笑いしてごまかす。

・・・これは7年も前の初秋1972年9月初旬)の一こまである。4日違いの生まれのMと僕が東京を発って3日目の朝のことだ。僕らは22才になったばかりだった。

 太陽が沈もうとしている海岸べりの未舗装道路を、ほこりを巻き上げてクルマは走る。先ほどまでススキに覆われていた道も、広い視界を晒す。岩をむき出しにした海岸線が右手に続いた。いつまでたっても平坦な海原が続き、時の流れが停止したかのような錯覚におちる。
 スピードに酔っているMが、時折、僕に現在地を問う。地図と時計をにらみあわせて、当てずっぽうな地名を答えると、「まだそんなところか」とMはつぶやく。
 内海から外海に変わったことぐらいしか僕にも分からない。
 僕らは珠洲(すず)市から北東に進路をとり、国道249号をはずし、奥能登の海べりを輪島市に向けて走った。
 Mは朝からずっとハンドルを握っている。走り出すとめったに停まりたがらない彼を適当に牽制し、僕はルートを指示する。彼は、昨日、信濃大町から糸魚川までの山道を僕にハンドルを握らせ、冷や汗をかきどうした失敗を悔やんだのかもしれない。

 クルマを停め、僕らは海を見下ろす高台に立つ。
「ずいぶん走ったはずなんだけどなあ」
 不服げにMが僕に話し掛ける。
「寄り道ばかりしてきたから思うほど走っていないんだよ」
 僕はさりげなく話題をそらす。
 互いがぼんやり海を眺めていると、逆方向から観光バスがやってきて僕らの傍に停まる。千枚田(せんまいだ)というアナウンスが流れた。華やいだ服装の娘たちが、わいわい騒いでバスから降りる。シャッターを押したり、笑いあってにぎやかだ。それもつかの間のことだった。バスはほこりをたてて去った。再び静寂が僕らを包み、僕らは追い立てられるようにクルマを走らせた。

 灯がともり始める輪島の町を通り抜け、すれ違うクルマも絶えた山道を門前(もんぜん)町に向けて走りつづける僕らは、
「同じ方向だったら乗せてやったのに」とか、
「輪島で泊まるべきだった」と、愚痴っぽくなっていた。
 僕らは互いを罵り、羽咋(はくい)を目指して、暗い山道を走りつづけた。今回のドライブの中でMが最も楽しみにしている、能登半島の付け根である羽咋市の千里(ちり)浜を目指して走った。


 今では能登海岸道路が完成し、賑やかな観光地となっている千里浜も当時は取りたてるほどの海岸ではなかった。輪島で泊まらず千里浜に来たのは、どうしてもこの砂浜をクルマで走るのだというMの執念に屈したからだった。無口で、照れ屋で、理屈っぽいMは、一度決め込むと梃子(てこ)でも動かせぬ頑固者だった。
 僕らは砂浜にクルマを停め、長かった一日の道のりを語り合い、明日に備えて眠るように努めた。早朝に黒部市(富山県)を発ち、国道から何度も道をはずし、能登半島をほぼ一周していた。明日もまた、四〇〇km走らねばならぬのだ。
 うとうとしかけると、突然強烈なクルマの光を浴びせられ、卑猥な言葉を投げつけられた。僕らが男どうしと分かると、クルマは全速で走り去った。時折、静寂な浜辺に爆音が響き渡った。こんなことが深夜二時まで繰り返された。
 ライトを浴びせかけられるたびに僕は目覚め、そのたびにぼんやりと海を眺めた。暗い海に薄ぼんやりとサーチライトが広がるが、まどろっこしい光の舞だった。河口特有のむっとする発酵臭が鼻についてよけい眠れなかった。傍で寝息を立てているMの図太い神経に羨望と憎らしさを感じ、『こいつに付いてきたばかりに』と自分のふがいなさを呪っているうちに僕は眠りにおちた。

 不機嫌なMをなだめて、僕らはルートの打ち合せをした。「今日は京都までだ!」とMが断言した。目的地も告げず伯母に黙って発った負い目、どこまで突き合わされるかとう不安、それらがからみあって僕は戸惑うだけだ。
 彼方から観光バスが砂浜を走ってくる。Mはアクセルを何度も踏み込んでエンジンを空吹かしし、河口に向けてクルマを後退させると、わざわざクラクションを鳴らしてバスに向かって全速発進させた。タイヤのきしむ音が響き、身体が座席に引っ張られ、僕は思わず両足を踏ん張る。
 時折、スカG≠ヘ大きく跳ね上がった。僕はアームレストを握り締め、Mがヘマをしでかさないように祈るだけだ。
「ガキの真似をしやがって・・・・」
「臆病者が・・・。泣き言を吐きやがって!」
「調子者め!浮かれやがって・・・」
「根性なしめ!」
 僕らは互いを嘲り、罵り合った。
 速度を増すたびにMはスピードメーターを読み上げる。
 次第に恐怖心が薄れた僕も、「もっと出せ!」と口走る始末だ。
「やっぱり来て良かった」とMがそっと呟いた。
 Mの愛車スカイライン2000GTは、砂浜を何度も跳ね上がって走り続けた。


 Mと出かけたこの三泊四日のドライブは、僕にとって一つのエポックとなるものかもしれない。この旅で得た自信がきっかけになって、キャンプや旅行に出向くようになったからだ。いつも受け身だった僕が、進んで宿の交渉をしたり、目的地に至るルートを選択し、最も苦手だった他人とはなすことのタメライ(躊躇い)を吹き飛ばしたからだ。
 が、このドライブは、学生生活最後の秋のことゆえの過剰な思い入れも伴っている。Mとは、勤め先の仲間からけちん坊と罵られつつ彼が二十才のとき手に入れたスカG≠ナ、それ以前に何度もドライブに出かけていたからだ。
 ともあれ、事前にロクな打ち合せもせず、ガムシャラに走ったこのドライブは能登以外にも多くの思い出を残している。信濃大町から糸魚川に抜ける曲がりくねった狭い山道、太平洋岸とは反対方向に沈むのに驚かされた親不知の日没、奥能登の蛸島や狼煙(のろし)で味わった寂寞感、若狭湾の深くて蒼い海、琵琶湖西岸のひなびたたたずまいなど、枚挙したらキリがないほどである。

 僕は能登半島を三度一周している。その中には10日(うち4日を狼煙のキャンプ場で過ごした)かけて歩きまわった旅もある。出向くたびにルートは変えたものの、同じ場所に立ち寄ってしまうのも我ながら可笑しい。
 しかし、最も印象が深いのは、やはり初めてのドライブであり、千里浜の出来事なのだ。
 何と言おうと、あの旅には今では気恥ずかしいほどの意気がり≠竍驚き≠ェあった。勤め人と学生との立場の相違はあったものの、一つのことに熱中し、やり遂げた満足がそうさせるのかもしれない。【1979年9月に記す】


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