佐久と小諸をめぐる
2009年9月26日〜27日


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 圏央道、関越自動車道、上信越自動車道を利用して佐久市へ出向いた。佐久は独身の頃に軽井沢と清里のかけもちドライブに何度か出向いたが上信越自動車道のインターチェンジを初めて使った。国道141号のバイパスができたのを知らずいつもどおりに岩村田に入って大慌てし、県道138号を使って千曲川に出るまで冷や汗の連続だった。

穂の香乃湯
夜に着いたので暗くてすみません

●佐久の温泉
 佐久市内には小諸と韮崎を結ぶ国道141号と松本へ向かう国道142号しかないと思い込んでいたが下仁田へ向かう国道254号もある。望月へ向かう道路は142号と254号が重複表示されていて道の駅「ほっとぱーく浅科」に至るまでは疑心暗鬼の走行だった。あさしなにある「穂の香乃湯」にたどり着いたころは日も暮れて入浴気分も失せていた。「浅間山や佐久平の広がりを眺望できる名湯」というキャッチフレーズも日が落ちては台無しだ。泉質はナトリウム・カルシュウムー塩化物温泉だが、あくの強い温泉に入ってきたせいかあまり特色を感じなかった。

●小諸へ泊る
 そこで思い出したのが小諸だ。島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」の舞台で、温泉ガイドには「あぐりの湯こもろ」もある。といっても小説や詩に無関心な妻には藤村の名前さえわからないようだ。市街地から外れた国道8号線にはファミレスも見当たらないのも心細い。宿を決め、明日の下見を兼ねてクルマで15分かけてようやく食事にありつく始末だった。高速道路ができてから国道は寂れたようで小諸でファミレスを期待しない方がよさそうだ。ファミレスは佐久平に集中している。

●懐古園散策
 小諸市にある城址公園懐古園は初めて出向いた。駅からすぐにある施設で案内標識も多いから迷わずに出向けた。もっとも小諸駅には長野新幹線は停まらないから電車の場合は、佐久平でJR小海線に乗り換えるか軽井沢でしなの鉄道に乗り換える必要がある。クルマの場合は上信越自動車道の小諸インターチェンジが近いが、8号線と上信越自動車道は小諸駅を大きく迂回していてわかりにくい。佐久市からは国道141号線の旧道を利用して小諸市街へ向かった方がわかりやすいだろう。バイパスの場合は佐久平駅の先で左折すれば近い。

懐古園
城内はすでに紅葉だ
門の内側。駅からの方が立派だ
石垣
懐古園から千曲川が見えます
寅さん会館や美術館へ向かう急坂
稲刈りも終わってのどかだ
あぐりの湯こもろ
風呂から山がどーんと望めます
こもろ駅前
懐古園は駅の反対側。専用通路あり
最中が美味しい虎屋
元美少女です

 城跡を利用した懐古園の中には藤村記念館のほかに動物園や児童遊園地もあって家族連れが集まる。といっても、あとで温泉に立ち寄る約束を妻にしていたから城跡と藤村記念館と小山敬三美術館を回るだけにとどめた。以上の施設は共通利用券500円(大人)で入場できるが、国民的映画を扱う「寅さん会館」は別料金だ。城跡の水の手展望台からは千曲川が大きく蛇行するのがよく眺められる。ちなみに千曲川は、埼玉・山梨・長野の県境である甲武信岳が源流でJR小海線信濃川上から松原湖、八千穂を経て佐久や小諸に至り信濃川に合流する。美術館へ向かうために作られた酔月橋から地獄谷を眺めるのも退屈しない。

 藤村の「小諸なる古城のほとり」は、古城から眺めたものでなく、千曲川から仰ぎ見た景色だ。川に向かって下る道には田が広がりちょうど稲刈りをしていたが浅間山を望むにはいい場所である。出向いて気づくのもうかつだったがこれもわたしの知識のずさんさで、この詩が収められている『落梅集』の一は「千曲川旅情の歌だ。そして、藤村は小諸義塾の国語教師として7年過ごし、その体験をまとめた随筆『千曲川のスケッチ』も残している。

●小諸の温泉
 小諸市内には文学記念碑や高浜虚子記念館のほかに旧本陣跡も残っているのでひまつぶしになるだろう。駅前からはコミュニティーバスが多方面に出ているからあらかじめ調べて出向いた方が良いだろう。そして忘れてはならないのが温泉だ。湯の背温泉、布引温泉、中棚温泉、小諸温泉、菱野温泉、天狗温泉、高峰温泉があるけれど、日帰り客が入浴できるのは「あぐりの湯こもろ」、布引温泉「こもろ」、高峰温泉(入浴時間の制限あり)に限られる。

●あぐりの湯こもろ
 あぐりの湯こもろは千曲川を挟んだ山側の高台にある複合施設で温泉は付属施設である。8号線の「押出」交差点からだけでなく懐古園からも向かえる。こちらはややわかりにくいものの千曲川をまじかに眺められるのがうれしい。ともあれ「浅間連山の雄大な絶景が眼前に広がる」というパンフレットのとおり見晴らしは最高だ。ここも泉質はナトリウム塩化物泉である。あくやぬめりが少なく特色が欠けるのは穂の香乃湯と似ているが、ぬるめの露天風呂から浅間連山を眺めるだけで十分くつろげる施設である。近くには布引温泉「こもろ」もあるが今回は入浴しなかった。

【データ】
 9・26(土)13:00発、14:10八王子、16:30上里SA、17:20佐久IC、18:00-17:15穂の香乃湯、20:00小諸泊り 280km
 9・27(日)8:40-13;15小諸:懐古園・あぐりの湯・駅前散策、13:50上田IC、梓川SA・釈迦堂PA・藤野PA、21:30帰宅 310km 合計590km  *大月・小仏トンネル17km渋滞で禁煙4時間、高速料金はETC休日割引で各1,000円でした。

●島崎藤村あれこれ

 藤村の詩で思い出すのは「名も知らぬ遠き島より」ではじまる『椰子の実』や「まだあげ初めし前髪の」ではじまる『初恋』ぐらいのものだ。いずれも5語や7語で区切られているのがなじみやすいものの今では耳慣れない文語体だから違和感がともなう。
 むしろ、「木曽路はすべて山の中である」という長編小説『夜明け前』にひかれて妻籠宿から馬篭宿を歩き、父の戒めを破って自己の出自を告白してアメリカへ旅立つ『破戒』を読んで社会の深層に寄り道する始末だ。
 わたしにとっての島崎藤村は敗北や挫折の世界を描いた小説家に映る。土着的で慣習的な社会に飲み込まれ、浮き上がる個人の葛藤が強調される。でも、同じように社会と個人を描いても小林多喜二の『蟹工船』のような社会告発はない。そこが自然派小説とプロレタリア小説のちがいだろうか。また、同じように社会を扱った石川達三や松本清張ともちがう。いずれにせよ藤村には抒情的な詩を書いた青年時代と歴史や社会を描いたその後に大きなズレがある。
【以下の引用では旧字体をひらがなにし、音節を明確にするため・を加えています】

  小諸なる・古城のほとり
  雲白く・遊子悲しむ
  緑なす・はこべ(旧字体)は萌えず
  若草も・しくに(旧字体)よしなし

 この詩は5字と7字の繰り返しだが、『若菜集』にある「初恋」は反対に7字と5字の繰り返しだ。

  まだあげ初めし・前髪の
  林檎のもとに・見えしとき
  前にさしたる・花櫛の
  花ある君と・思ひけり

 どうでも良いことばかり並べたが定型詩は簡単のようでリズムを刻むのがむずかしい。

 『落梅集』の四にある「椰子の実」は伊良子岬といわれているものの、汐の香りにふるさとを思い出したわたしには最後のフレーズが懐かしい。

  海の日の沈むを見れば
  激り(たぎり)落つ異郷の涙
  思ひやる八重(やえ)の汐々(しほじほ)
  いづれの日にか国に帰らん 

  出向いたのを機会に『千曲川のスケッチ』も読みました。



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