たかがクルマのことだけど

クルマ狂人と呼ばれないために


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目次
 
クルマ狂人の振る舞い
 ●自分もなったという反省をこめて


 クルママニアと《クルマ狂人》は似て非なるものである。クルママニアは走らせるだけでなく、所有することにもこだわるクルマの愛好家である。私がこれからとりあげる
《クルマ狂人》は自己中心な判断と行動をまわりに押しつける者だ。それは決して特別な人ではない。他人と協調してクルマを走らせることを忘れ、ストレスやうぬぼれの蓄積によって正常な判断力を失ったときに顕在化するふつうのドライバーの狂態である。


クルマ狂人の振る舞い

 道路で目にする狂人の振る舞いをあげれば次のようなものだ。

 @合図もせずに割り込みや針路変更をしてまわりのクルマに急ブレーキを踏ませる。

 Aフラフラ走行をしたり並列走行をしてまわりのクルマに不安感をまき散らす。

 B前のクルマに異常に接近したり煽りたてて一定の速度で走ろうとしない。

 Cカーブや交差点の中あるいは横断歩道や歩道に乗り上げてぬけぬけと駐車する。

 D2つの車線をまたいで走行したり、センターラインを無視して走る。

 E対向車や前車がいるのに上向きライトで走り続ける。

 F火のついたタバコやゴミを投げ捨てて走る。

 G夜間に無灯火や片目ランプで無神経に走りまわる。

 H後ろや横にクルマが近づくと急に加速を始める。

 I道路をサーキットと勘違いして走りまわる。
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自分もなったという反省をこめて

 私はクルマ狂人を批難したり、断罪してすませるつもりはない。クルマの運転に慣れるにしたがっておちこむワナとして扱うつもりである。これから綴ることは、私もかつてそういう振る舞いをしたという反省を込めたものである。 

 これから私はなぜ狂人になってしまうかを考えていきたい。ある面では、クルマという強固な物体の中にいる安心感、密室に隔離されたうぬぼれ、簡単な操作で動かせる安易さがそうさせるのだろう。でも、それをクルマのせいにしたくはない。操作する人間の側面を無視するのは無責任である。

【お詫び】

 これからとりあげる、@スピードに慣れるころの錯覚、A便利さに溺れる中毒症状、B安全箱に入っているためのごう慢さ、Cクルマを財産視することから生れる狂気、D自分をベテランと思い込むは目次に記載されていません。基本用具の使い方をあれこれ言うより現実を直視したいのであえて加えます。

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