沼津の中にある伊豆
伊豆と富士山




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◆ 伊豆のイメージ
 
 伊豆半島の付け根の沼津で生まれ育った私が、半島を一周したのは二十歳過ぎてからだ。それも東京から友人と出向いた。

 川端康成の『伊豆の踊子』とか、井上靖の『しろばんば』に描かれた伊豆は寂しい田舎でしかない。沼津にいた頃の私も、それに似た思い込みがあった。

 私のイメージは、祖父の生家に出向いた印象と結びついている。

 三津浜と大瀬崎の間にある久連(くづら)が祖父の生まれた場所だ。祖母と一緒に橙色のバスに一時間以上ゆられて何度か出向いたが、そのたびにバス酔いで閉口した。

 私が生まれる前に、祖父は敗戦後の栄養失調で死んだ。生家を継ぐ人だったが、祖母と知り合って沼津市街に住んだという。町中育ちの祖母が、姑仕えを嫌ったようだ。

 家を継いだ祖父の弟は、祖父の死後も我が家の面倒をみてくれた。寡黙な人だったが、素朴で親切だった。祖母に連れられて私が出向くと歓待してくれた。

 だが、夜になると真っ暗になるのに怯え、一人で便所に行くのが怖かった。静か過ぎるのも、町中で育った私にはなじめなかった。

 家からバスで一時間以上の久連でさえこうなら四時間もかかるという下田などさぞ寂しいに違いない、というのが幼い私の思いだった。

 また、放水路ができる前の狩野川は、台風が通過するたびに上流の家屋や家畜それに土砂を沼津の河口に堆積させた。永代橋から下流の川幅が半分くらい土砂で埋まり、橋脚に流木が絡んでいた。被害の大きさよりも、流されてきた物で田舎のイメージが増した。豚とか鶏を飼うのは町中では珍しかった。
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◆ 西海岸を走って
 
 伊豆の東海岸や下田街道は、昔から道路が整備されているので観光地化している。途中に伊豆スカイラインや伊豆中央道もあるから東京や横浜から日帰りでドライブするのも楽だ。

 それに比べると、西海岸は開発途上の面がある。海と山に挟まれた狭い道も、次第にトンネル化されているが、その分、味気なくなった。むろん、生活道路は広くて安全で確実なのが良いに決まっている。

 でも、石廊崎(いろうざき)、中木(なかぎ)、妻良(めら)、子浦(こうら)、波勝崎、雲見(くもみ)、岩地(いわち)を経て松崎に抜け、仁科(にしな)、田子(たご)、宇久須(うぐす)、土肥(とい)、戸田(へだ)を周り、大瀬崎(おせざき)に至る西海岸には、訪れた時々の思い出が残っている。

 奥石廊から中木に至る研ぎ澄まされた景色、妻良や子浦の静寂な湾内、高台を走るマーガレットラインののどかで快適な走行、雲見から岩地に至るカーブの多い道、黄金崎の夕焼け、戸田から大瀬崎にかけての緊張を強いられた山道走行など枚挙したらキリがない。
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◆ 富士山を眺める
 
 西海岸は、クルマよりも船で出向いたほうが印象を増す場所だろう。沼津や田子の浦から観光船やフェリーを使ったほうが味わいが深い。

 波の静かな駿河湾から富士山を眺めるのも味がある。そして、山と海に囲まれた集落を確かめるのも良い。沼津と西海岸は、陸づたいよりも海を通じて触れ合ってきたに違いない。

 西海岸の印象は、富士山との関わりで捨てがたい。土肥、戸田、大瀬崎、西浦、内浦から海を介して眺める富士山は雄大だ。クルマで走っていることを忘れ、海上を走りたくなる衝動に駆られたこともあった。

 また、西伊豆スカイラインの達磨山(だるまやま)とか、戸田村から大瀬崎に至る山道で、入江のカーブや山並みの先に壮大な富士山が映った。

 富士山はどこから見ても美しいが、西海岸の人はどんな思いで眺めたのだろう。景色であるとともに、海上の目標物であり、季節の移り変わりを感じさせたに違いない。
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