13 井上陽水に感じたもの
フォークのことあれこれ
トップページに戻る 目次ページに戻る
前頁へ 次頁へ
【お知らせ】フォークのことあれこれ22に「氷の世界を聴き直す」を追加しました
陽水ブームというものがちょっと前にあった【★25年前現在=補足】。騒ぐのは僕より4つ5つ若い世代だった。僕はそのころ井上陽水というひとを好きになれなかった。彼の声域が高音域で口ずさめないこともあったものの、顔つきが陰気なこととポーズをとるのが厭味(いやみ)に映ったからだった。テレビ出演拒否などと大見得を切るところも腹立った。《もったいぶりやがって!》と思ったものである。
目次に戻る
●完璧性
井上陽水にはショーマンとしての完璧性を感じた。今では珍しくもないが、出演拒否というポーズをとることによって人気を煽る方法を編み出し、実行したのは彼だった。そこに僕は合理(利)的世代の行動を見たような気がした。僕らは理屈の多い世代であるが、自分の感情までを合理的に制御(コントロール)できない弱点がある。それゆえ、無駄と知りつつも社会の変革を求めたり、デモにも参加したものだ。だが、陽水のファンは冷めた(クール)世代だった。音楽としての完璧さが僕にそんな反発をもたせたのかもしれないが、そういう音楽が登場することに僕は時代の変化を感ずるしかなかった。
《歌いたいなら歌えばよい、狭い客層だけでなく広く聞かせればいい》。これが当時の僕の反発だった。《テレビに出る出ないでハクをつけるなんて、もったいぶりをつけやがって!》と憤慨したものだ。マスコミに相手にされずにいたフォークの歌い手が多かったことを知っているばかりに特にそんな気がしたものだった。陽水なりのこだわりにせよ、彼のファンがその行動を美化するのに妙ないきがりを味あわされたのだ。
目次に戻る
●氷の世界
僕は、陽水のアルバムの中で最もヒットした『氷の世界』の音楽性の高さを認める。音楽としても完璧に近いはずだ。だが、それゆえにフォークの香りをまったく感じないのである。
今からみれば、何でこんな湿っぽい詩であるかと驚かされる。そこに、陽水の繊細(ナイーブ)な感受性をみる。しかし、これはあくまで今からみた判断にすぎない。ブームのときの陽水は、リズムや音域の側面はむろん、彼のポーズによってスポットライトを浴びていたはずである。
陽水の詩については触れたくない。なんとなく女々しく感ずるし、寂しさの押し売りめいた厭味を味わされるからだ。強いて1つぐらい取り上げるとしたらアルバム『氷の世界』にある最後のフレーズだろう。
もうすべて終ったから
みんな、みんな終ったから ♪
(『おやすみ』)
目次に戻る
【追記】
この文章は、フォークにこだわるばかりに陽水については拒絶反応があった産物です。アルバム『氷の世界』は何度も聴きまくり、音楽性の高さは認めていました。ちなみに、このアルバムの収録曲名を記録しておきます。
1「あかずの踏み切り」、
2「はじまり」、
3「帰れない二人」、
4「チエちゃん」、
5「氷の世界」、
6「白い一日」、
7「自己嫌悪」、
8「心もよう」、
9「待ちぼうけ」、
10「桜三月散歩道」、
11「FUN」、
12「小春おばさん」、
13「おやすみ」 の13曲でした。
『小春おばさん』は私が特に気に入っていた唄でした。モップス(注)にいた星勝がアレンジしていました。また、一番唄った『心もよう』だけがノートに全文引用してあるだけなのも、拒絶反応が多かった反映でしょう。
(注)モップスについては、「吉田拓郎(2)」の補足を参照してください。私が気に入っていた日本のヘビーメタルバンドでした。
目次に戻る