*2008年10月のワタクシ。*

 

10/1(水)

大学のゼミの先輩だった人が、このHPを見付けて連絡をくれた。
ずっと絵を描き続けていて、個展の案内をくれたので、行って来た。
なんと四半世紀ぶりの再開(笑)。

行くよとメールで伝えたものの、いつ行くかは決めてなくて、思い付きで出掛けたんだが、行ってみれば銀座の一等地。
ちょっとビビりました(ナゼ私が?笑)
おっかなびっくり階段を上がって個展会場を覗くと、いたいた、四半世紀ぶりの、見知った顔!
あまり変わってなかった、ような。
本人もだが、作品に昔の面影が見えて、なんだか嬉しかった。

大学時代、マンガばかり描いていて、ゼミは一応『西洋画』だったと思うんだけど、正直私は油絵への意欲は無くなっていた (と言うより元々あまり好きではなかったのかも…今にし思えば)。
それでも、一緒のアトリエで描いて批評会で話し合った人が描き続けているというのは、とても嬉しい。
マンガにしてからが、続けてる人は少ないのだから。
絵で食っては行けないが、毎年のように銀座で個展を開き、財団法人の会報の表紙や、乃南アサの本の装丁にもなっている。

意外と、と言っては申し訳ないが、人の出入りが多かったので、簡単な近況と当時のゼミのメンバーの動向を交換し合って(と言ってもごく少人数、だけど)早々に辞去した。
描き続けてる人は、他にもいると知って、ますます嬉しい。
でも、絵で食べて行くって、本当に大変なんだろうな。

「マンガ家になったんだね、すごいね」と言われた。全然そんなんじゃないのに。
恥ずかしくないように、ちゃんとしなければ。

昔からのこだわりを大事に育てつつ、より優しく暖かい画風に成長している彼の作品。
昔は油絵だったけど、今は素材はアクリル絵の具だそうです。

藤沢彦二郎webギャラリー

ぜひご覧ください。

 

 

 

 

10/4(土)

沖縄行きが近いので、ダイビング器材を郵送しなくては。
阿嘉島ツアーの幹事S氏がフィンを借りて来てくれて、ついでに器材を持って行ってくれた。
なぜフィンかと言うと、足がまだ心配だと言ったら、少しでも負担の少ないタイプのフィンを使ってみては、という事。
ありがたくお借りする事にして、沖縄へは借り物のフィンを送った。
でも、正直言うと、地上で履いてみても泳いだ(潜った)時に痛むかどうかは正確には予測できない。
ただ、着脱は楽そうなので、ボートダイブには便利そう。
ありがたい事です。

出発までもう日が無いのに、調子に乗って散歩に出れば途中で痛くなってへたり込むし、そろそろ身体慣らさなきゃ、とプールで泳げば微妙にチクチクするし。ウニが出たので病院に電話して報告してみたけど、待ち時間は変更できず、7日に診てもらったところで取り出すのは無理、このまま行くしかないんだけど。
そして突然、恐ろしい事を思い付いてしまった。
潜って水圧がかかると、トゲが押し込まれて痛くなったり………しない、しないってばっ!!
ああ、どうしよう。
沖縄行って潜れなかったら。って言うか潜ってみて痛くて耐えられなかったら。
人にも迷惑かけるし、危険もあるし、やっぱり旅行全部キャンセルした方が賢明か?
2週間も、潜れなくて歩けなくて、どうすんじゃ、南の島で。
考え出すとどんどん怖い方に思いが向かってしまって、一人でメソメソしてしまう。
でもキャンセルしたくない。だって行きたいんだもん。
半年後には、もう2週間も旅行ができる御身分じゃなくなってるかもしれない(根拠は無いけど…)。今行きたいのよ、私は。

腹をくくった。
送った器材の隙間に、絵の具とスケッチブックを詰め込んだ。
ダメだったら、2週間絵でも描いて、楽しく過ごそう。

 

 

 

 

10/6(月)

映画『レッドクリフ』の試写券をいただいたので、ネーム中にもかかわらず予習(図書館で本3冊借りて読む)して、M氏を誘って行った。
いえね、前からそのうち読みたいなとは思っていたのよ、『三国志』。
でも、あまりにも長いし、今まで触れるチャンスも無いまま来てしまって、恥ずかしながら知識はゼロ、真っ白状態。
さすがにサワリくらいは知ってないと、映画に入るのも難しいかも、と、チケットを譲ってくれたHさんにも言われ、いい機会なんで、子供向けのマンガ本、少年少女文学集、研究書、の3冊を選んで読んだ。本編は長すぎて、とてもこの短い時間では無理。
まあ、本当にザッと目を通して、主要人物の名くらいは判別できるようになって行きました(難しいのよ、漢字が…)。

映画は、第一部という事で、なんとタイトルの名高い『レッドクリフ』の戦いが始まる寸前で終わっている。
ちょっと怒るぞ。
まあ、何と言うか、アメリカナイズされた監督さんらしくと言うか、あまりに長大な原作を映画にするのはきついせいか、軽い話になってましたわ。善玉と悪玉がキッチリ分かれて、人物も単純化されてると言うか、薄い。
女なんかどーでもいいっての。女優さんはキレイだったけど。
金城武の諸葛孔明は、どう見てもインテリに見えない、って言うか、頭いいエピソードが一つも出て来ないのはナゼだ!?でも可愛いから許すけど(笑)。
とは言え、中国映画の格闘場面は、けっこう好きなんで、そこら辺はかなり楽しめました。
どちらかと言うと、豆菓子かなんかポリポリやりながら、ボンヤリ見たい感じの映画だったな。
後編公開まで間があるので、ちゃんと北方兼三読んで臨みたいと思いまっす。

券をくれたHさんも、お誘いしたM氏も、大学のマン研出身、だけど面識は無いというので(でかい団体だったし生活時間帯が人によってまちまちだったから…)この機会に紹介した。
二人は三国志も詳しいようで、けっこう話盛り上がっていた。付け焼き刃の私は、分からない事もいっぱい。
やっぱりちゃんと読んでみよう。

 


10/7(火)

やっと総合病院の“名医"に診てもらあえる、一月待たされた予約の日が来た。
出たウニを持って行って、経過を話し、「じゃあ切りますか、でも予約待ちで3週間後ね」。
まあいいさ、沖縄へはこのまま行く覚悟はできてるから。

今日手術の手続きを取っておくと、10/30には切れるという。沖縄から戻るのが26日。
けっこう。
術前検査と手続きを済ませて帰る事にした。
血液検査、肺レントゲン、心電図。
驚いたのは、HIV検査。
いえね、検査する事自体に不服は無いよ、医者や看護師のリスクも考えなきゃならないし。でも、検査に保険が利かない、というのは意外だった。伝染病なのに、蔓延させたいのか???
医者曰く、「HIV検査は強制ではありません、拒否された場合は陽性の可能性を見てそれなりの施術を行う事になります」ですと。
かえって物凄い事になりそうなので、おとなしく全額払って検査を受けた、と言っても血を採られただけだけど。(実を言うと6本も採られて、ちょっとクラッと来ました、気分的な物とは思うけど…)
でも、後で他所で聞いたら、保健所では無料で検査をしてくれるらしい。患者増やしたくなかったら、当然だよねぇ。
そういう事一言も言ってくれないし、なんなんでしょね。

 

 


10/11(土)

またまた更新遅れちゃってます。
って言うかもう、足の怪我がひどい事になっちゃってて、落ち込むし腹立たしいしで書く気になれなくて。
他にもちょっと書く事が残ってるんだけど、それは帰ってからにして。(書けたらですが…)
そうこうそてるうちに、もう明日は沖縄に出発する日になってしまったんで、一応区切りを付けておこうかなと、簡単に説明だけして行きます。

結局4軒回って、4軒目の予約に一月も待たされて、その間に小さい方が勝手に出て来た。
ウニだった。
1軒目も3軒目も「ウニじゃない」と言ったのに。2軒目はワケ分からんとしか言わなかったけど。
長い方もちゃちゃっと出てくれないかなと、儚い望みを持ったけど、今のところそれはダメ。
やっと予約の日が来て「専門家」のドクターに診せたのが7日。
またレントゲンを撮ったところ、「だいぶ皮膚近くに押し出されて来てるけど、取るのは簡単にはいかない」
かなり大がかりな手術になるそう。傷が最大3cmって、入ってるのは1cmソコソコなのに、ナニソレー!?
しかも手術の予約でまた待たされてしまうと。

結局、足にウニ刺したまま沖縄行きます。
もう今は、歩いても軽く走っても痛みはないんだけれど。
水圧かかっても大丈夫かは、不明。
行って潜れなかったら、どうしましょ!?
(念のため、先に送った荷物の中に絵の具セットを入れておいたけど…スケッチ旅行にはしたくない……)
でもなぁ。多少痛いくらいならいいけど、また悪化しちゃったら本当にヤバそうだし。
26日に帰って、30日に手術の手配をしておいた。
でも、ひょこっと自然に出てくれないかな、それも、なるべく早く。

取りあえず、もう行く事に決めたんだから、行って来ます、沖縄。
スッキリして万全な体制で行きたかったけど、本当に色々で、こうなってしまったのよ。
怪我した翌日にすぐ病院に行ったのに、すぐ取り出す方向で動いてくれてれば。
針が入ってるなんて聞かされて、本当に怖かったのに。(ウニでちょっと安心たけど)すっかり鬱になっちゃった。
ああいかん、恨み言を言い出すと、本当に止まらないのよ、もう。

11月半ば締めで仕事をいただいてるんで、ネームだけでも上げて行こうと、ついさっきまで悪戦苦闘してた。
かろうじて、終わりました、ネーム第一稿。
本当なら、2〜3日前に終わらせて、編集様のご意見を聞いて手直ししてから行くべきだったんだけど、これから編集部にFAX送り付けて、送り逃げ状態になってしまう(笑)。すみません。
それでも、一応形にしておく事ができたので、とても気持ちが軽くなった。
心置き無く遊べるぞ♪
後は本当、足さえ痛くならなければ。

一抹の不安を抱えつつ、行って来まーす。

 

 

 

10/12(日)

いよいよ沖縄へ出発。
朝10時の飛行機という事で、わりとのんびり、でも緊張して5時には起きてしまった。
早めに出たつもりが、けっこうギリギリの到着で、他の2人、S氏とMさんはもう着いてた。

昼過ぎに那覇に到着。昼食後、泊(とまり)埠頭近くの宿泊ホテルに荷物を置いて、すぐ近くでやってるお祭りの那覇大綱挽を見物。
ギネス認定の綱だそうで、あまりの太さにビックリ!中央分離帯かと思った
平地で人が多いので、殆ど何が行われているのか見えないまま、何やらエンエンと行事が進行している模様。どうやら、太い縄の先が輪っかになっていて、まず両方の輪を噛ませて(種族繁栄のお祭りだとか…)いたらしい。それから、色とりどりのノボリみたいなのが、揃いの古典的衣装の人達に担ぎ出され、中央でまた何やら鐘や太鼓の音が聞こえる(が、何も見えない)。
なんとも沖縄的なノンビリムードの進行具合。
気付くとあちこちに乳飲み子を抱いてる人がいて、最初は「こんな人混みに…」と非難がましく思ったが、どうやら縁起物と言うか、赤ん坊を連れて来る祭りのようだ(種族繁栄ですから)。
ノボリの後は市長さんだかのご挨拶があって、縄の上に先日見た『レッドクリフ』みたいな衣装の人達が槍か何かを担いで現れ、型通りの対決をして、いよいよ綱引きが始まった。
実際に綱を引くのは一般人と観光客、そして大活躍は米軍基地の皆さん(笑)。
放送で一般客の参加を呼びかけ、誰でも入っていいんだが、私は足の怪我が心配で参加できなかった。ちょっと残念。
こんなモンが動くのか!?と思ったが、動き出すと案外早く、綱引きの勝負は、たまたま我々のいた方の東組の勝利。なんだか嬉しい(笑)。
綱は縁起物なので、その場で切り分けて配られる。Mさんが果敢にも取りに人混みに飛び込み、見事3本ゲットして戻って来てくれた。
(今、支度の壁に飾ってあります…種族繁栄!?)

綱引きの後は、埠頭前のホテルの最上階で泡盛ゆんたく会に参加。
泡盛飲み放題で珍しい古酒やら幻の名酒やらがズラリ。飲み比べるとなるほど、それぞれに味わいが違う(が、すぐ忘れる)。美味しい料理にバンドも登場、遠く那覇祭りの花火も見えて、すっかり酔っ払ってしまいました♪

 

 

 

10/13(月)

那覇から阿嘉島へ。
朝食は宿の近所の24時間営業の食堂で。「軽いものを」と聞いたら味噌汁とご飯のセットを薦められたが、味噌汁がラーメン丼みたいなのでドド〜ン!と出て来てビックリ、しかも具だくさん(島豆腐、豚肉、豚脂身、各種野菜…)で凄いボリューム。食べましたさ、全部。だって美味しかったもん。
昨夜飲んだくれたホテルの真裏の泊(とまり)埠頭から高速船に乗り、ほぼ満席で分かれて座った。
約1時間、海の色がどんどん濃くなり、白い大きな阿嘉大橋が見えて来る。

港へ迎えに来てもらい、民宿兼ダイブショップの『Aka』へ。着いてすぐ1本、昼食を挟んでもう1本潜る。
心配だった足の怪我、潜っても大丈夫でした!ヨカッター!
水圧で刺さったトゲが押し込められないか、フィンの刺激で痛まないかと心配したけれど、怪我がひどくなるような事はなさそう。
1本目の佐久原(サクバル)では、不安と緊張、それにしばらく潜ってなかったので、潜行できずにジタバタしてしまった…また、初心者に逆戻り。でも、5m、10mと潜るうち、傷が痛まないのが分かって落ち着いて来た。
2本目、通算50本目の前海(マエウミ)では、いきなりデカいカメに遭遇!
実はカメに会ったのは、これが初めて。50本目のお祝い?砂地にポツンと出た岩の横で休んでいて、 黄色いコバンザメ3匹くっつけてました。
今度は浮き上がるのに慌ててしまって、

2本潜ってシャワーを浴びて、浜へ夕日を見に。
ビーサンで歩くと、まだちょっと足の怪我が痛む気がしてハラハラ。でも、ゆっくり歩いて海岸に出て、しばらく座って夕日を待ち、水平線近くは雲が多くてダメだとあきらめて立ち去りかけたら、振り返ったら真っ赤な夕日がポカンと出ていた。
そのまま坂を上り、今度は展望台へ出ると、昼間一緒に潜った女性が一人でビール片手に夕焼けを見てる。
空中に、バラ色の雲。まだ白い月も、うっすらとピンクの雲を被っている。

夕食をはさんで、S氏が車を借りて出してくれて、夜行性だという野生の鹿を見物に行き、子連れの群れを見た。
鹿を探して月夜の浜辺へ。満月か、一夜欠けるくらいの丸い月。明るい!びっくりする程。
街灯も何も無い中で、人の顔がハッキリ見える。月ってこんなに明るいんだ……フラの歌詞に、「月の浜辺で見つめ合って…」なんてのが出て来るけれど、実感したのは初めてだ。見つめ合わなかったけど。

 

 

 

10/14(火)

朝の散歩、風が強い。
鹿に出会えるかな?と思ったけど、ダメでした。
阿嘉大橋の中程で朝日が昇るのを待つが、薄曇り。
向こうから犬の散歩が来ると思ったら、宿のポン太君を連れたS氏だった。鹿に出会い、写真もバッチリ撮っていた。ん〜、コース選択を誤った!

今日は3本潜る。
久場島西。大きなサンゴ、グルクン、ハナゴイいっぱい。
北浜(ニシバマ)アザハタの根。アザハタ(40cm)2匹、エビエビエビ。エビを見てたらハタが目の前、見つめ合っても全然逃げない。キスできるかと思った(できなかったけど)。ヘラヤガラ、オイランヨウジ、ケラマハナダイ。白砂の続く青い海は、まるで天国みたい。
奥武島(オブジマ)なか岩。地形!!すごい。でかいシャコ貝、こいつ、手とか挟まれると逃げられなくて危険、でも食べると美味しい。

今夜は出歩かず、宿のダイニングで泡盛飲んで皆で話をした。
我々3人と、宿のご主人であるH氏、スタッフでまかないもしてくれるSさん、ご年配の先客T氏。
T氏はリタイアしてダイビング三昧をしている、元編集者だそうで、阿嘉島にも今回だけで一月以上の長逗留だとか。海中写真を撮って写真集も出版している本格派だ。
その上、と言うか、宿にMacBookを持ち込み、携帯電話はiPhonというMac好き。初めてiPhonに触らせてもらった!重い。
明日にはもう、二人は帰ってしまう。部屋に戻ってからも、Mさんとしばらく話し込んだ。
実はMさん、高校の同級生。偶然ダイビング関係の飲み会で再会して、本当にビックリだったんだけど、高校時代はこんな風に話し合う事があるとは思いもしなかった。
人のご縁とは、分からないものです。

 

 

10/15(水)

二人が帰る。
高速船の出発時間より、我々が海に出る方が早かったので、S氏とMさんが港で見送ってくれる形になった。
記念写真をパチパチ撮って、埠頭に立って手を振る二人が小さくなるのを船から見ていたら、今生の別れみたいな気分になった(笑)。船の別れって盛り上がります。
この日はすれ違う船に、いちいち手を振ってしまった。

まったり2本、ガイドのH氏と、超ベテランT氏と3人で。なかなか贅沢な気分。
佐久原の鼻、地形。大物狙って流れの中、キビナゴ(そう、あの酢にして食べる小魚)の大群に寄って来るのを岩にしがみついて待つ。カツオ!10数匹?
初めて見る回遊魚。すごい速さ、なんか凶暴な顔、ワイルドな動き。全身メタルな輝き。
カメラで狙ったT氏が、「早過ぎて追い切れない」と後でぼやいていた。たとえファインダーに納まっても、あの躍動感を写真で伝えるのは並大抵ではないな、と思う。カメ以上に、初めてのモノに触れた感動があった。

二本目、阿嘉でのラストダイブは「砂地が好きでしょ?」と、私に合わせてくれたのか(昨日の二本目を大喜びしたからな)砂とサンゴのまったりコース、アダナシク(あだん下)。
大好きなミナミハコフグの幼魚を見て喜んでいたら、そのすぐ先にハナヒゲウツボがいた!前に見たのより青の部分が濃い色で、とても綺麗。でも、一度でいいから泳いでる所が見てみたいな。
虹色のカスミアジ(40cm)。タテジマキンチャクダイの幼魚は、グルグル模様が可愛くて青がキレイ、自然って凄い。巨大なナマコも色んなのがいた。
そして、ハダカハオコゼ2匹、黄色。10〜12cmと、けっこう大きい。
岩場であまり動かないので見とれていたら、手を付いた岩と岩の間からデカいウツボが口を開けていた!ギャー。太さ7〜8cmはあったぞ。伊豆でもウツボはよく見るけど、こいつは黄色くてキレイだった。って言うか危ない

今日はうっすら曇っていたが、2本終えて帰る途中、パアッと晴れ渡った。
慶良間の海が、別れを告げてくれたみたい。
“慶良間ブルー"とS氏が言っていたっけ。
本当に青い、碧い。紺碧の海。

夜、T氏とSさんといっぱい話した。
明日は那覇泊まりだと言ったら、Sさんがオススメのパワースポットを紹介して、ネットで調べてくれた。
旅はまだまだこれからなんだけど、もう阿嘉島に心が残っている。
正直、西表島に行ってからの方がずっと長いし、向こうで3〜4日後発部隊を待つ事になるのだから、もう少し阿嘉島にいるようにしたら良かったな、と思った(チケットの手配が大変だから変更はしなかったけど)。
また来よう。

 

 

10/16(木)

ポン太君に熱烈に別れを告げて、阿嘉島を朝10時に出発、昼前に那覇へ。
一旦港のすぐ傍のホテルへ行って荷物を置き、阿嘉島ショップスタッフのSさんオススメの世界遺産『齋場御獄(せいふぁーうたき)』へ。
昼食がまだだったが、取りあえずバス停に行ってみたらバスが来てしまったので飛び乗った。
朝は晴れてたのに、1時間余りバスに乗る間に雨が降り出し、物凄い豪雨に。
ひぇ〜、降りて歩くのイヤだな。ホテルを出る時、置いて行こうかと思った傘(晴雨兼用)を、日射しが強いからと持って出て、本当に良かった。
バス停から一緒で観光客っぽいな、と思って見た女性が、途中運転手さんに齋場御獄について聞いたりしていて、降りる時に傘を貸りて(というか運転手さんが持たせてくれた)いた。
二人で降りると、雨は小降りになっていたが、「入りませんか」と傘を差し掛けてくれた。折り畳みの傘を出して、何となく一緒に行く事に。

なにしろ凄い!素晴らしい神秘の地。
歩き出してから、正直「ここは一人で来るべき所だったのでは?」と不安がよぎったんだが、連れになったPさんは場の空気を壊すタイプではなくて、むしろ私よりそういう感度が良いらしい。妙な言い方だけど、場所と私を繋ぐパイプ役をしてくれた印象だった。
雨は小降りになったものの、その後も降ったり止んだりの繰り返しで、齋場御獄(どうしてもこの名が覚えられない)のせっかくの景観が惜しい気がした。鍾乳石の形を生かして作られた聖なる場所は、南国の光に映えそうだ(神聖な儀式は夜間行われたそうだけれど)。特に一カ所、海が岩の間から望める場所があって、あれはぜひぜひ、青い海が見たかった!
雨に濡れた石畳の坂道で、私は何度も滑りかけた。足に刺さったトゲ対策で買ったお気に入りのadidas、軽くていいんだけど滑りやすいという欠点があったのね。

齋場御獄の見学を終え、Pさんとランチをご一緒する。
バスが来てしまって昼食を食べ損ねていたので、願ってもないタイミング。本当にご縁だったんでしょう、こういうの。
しかも、御獄を出てバス停まで歩くほんのちょっとの間に見付けて適当に入ったお店が、とても感じの良い所で、すっかりゴキゲンになってしまった。
ここで携帯に着信、見覚えの無い東京からの番号で、おっかなびっくり出てみたら旅行会社だった。帰りの飛行機がまだ決まってなくて、途中で連絡すると言われてたのをすっかり忘れていた。どーやって帰る気だったんじゃ(笑)。
電話をするため出たテラスが、とても気持ち良くて、しばらくぼんやりしてしまった。裏の空き地にバナナが生っている…。
PさんもMixiをやってるというので早速マイミクになる。ああ、便利な世の中。

お店に置いてあった雑誌に、この近辺(南城と言うらしい)の記事が出ていて、散歩コースが載っている。見れば古い物が点在しているらしい。グスク(城)跡とか、他の御獄とか、碑のような物とか、水路跡とか、なんか色々。ちょっと興味を持ったが、時間がそう早くもないし、一回りは無理そう。
そんな話をしていたら、Pさんも一番近くの知念岬には行ってみようか、と言い出した。
お天気もだいぶ、回復している。店の人に道を聞いて、バス停を通り越して歩く。途中ちょっと不安になって、観光案内所に確認したが、本当にすぐ近くだった。
快晴とは言えないが、かなり青空が戻って来て、素晴らしい景観。雨に洗われた緑も、そりゃあもう深く美しい。
…でも、雨に濡れた地面は滑りやすく、とうとう芝の盛り土でステンと尻餅を突いてしまった(泣)。あ、尾てい骨、打った!?
これが元で腰でも痛くなったらどうしよう、まだまだ長い旅が台無し…なんて、一瞬不安がよぎったが、大事には至らず。ヨカッタ。

岬の景色に大満足して、バス停へ向かう途中、さっき道を尋ねた案内所でトイレを借りたついでにバスの発車時刻を確認すると、まだ少し余裕がある。
Pさんが『ぶくぶく茶体験』という貼り紙に反応している。
奥を見れば、同じノボリが立っていて、沖縄風衣装のおじさんが一人暇そうに座っている。
すぐできる、と言うので300円払ってお願いしたら、紅型の上着を着させてくれた。これも料金内らしい(笑)。並んで記念撮影。
一人だったらこんな事、しなかっただろうなぁ。
さて、『ぶくぶく茶』だが、玄米と白米、それに番茶やさんぴん茶(ジャスミンティー)を色んな手順で混ぜ、泡立てた飲み物で、古くは宮廷で供され、今でも祝い事等で登場する、おめでたいモノだとか。
体験というだけあって、おじさんが配合したお茶を泡立てるのをやらせてくれた。まあこれは、茶道と同じ要領。
出されたお菓子を食べて、ぶくぶく茶をいただく。ジャスミンと焙じた玄米の香りがサワヤカで、なかなかよろしい。
けど、バスの時間が迫って来たので慌てて紅型を脱ぎ、バス停へ戻る。

慌てる必要も無く、バス停では少し待たされた。
そのちょっとの間に、Pさんは地元の中学生と話し込んでいる。人なつこい人だ……。
一緒にバスに乗り込み、その子が降りる時には一緒に手を振った。
そして、帰りは終点で降りるため、すっかり安心して二人ともグーグー寝てしまった。
時折目を開けると、夕日が赤く目に飛び込んだ。
明日はお天気、持ち直すかな?
明日は朝から飛行機で石垣島へ、石垣空港から石垣港へ行き、フェリーに乗って西表島へ入る。
チケットは用意したものの、だからかえって時間に遅れないか心配になる。
無事行けるのか、西表!?ドキドキ。

※てなワケで、西表島編はこちら。※

 

 

 

2008年10月の後半はこちら。