我が家の日常はどうしても子供中心となります。家族の事柄も含め、この陽平日記帳に掲載することにしました。

     

bP<<前のページ 【16年9月】 | 次のページ>>bS
2006年4月15日(土)
陽平の誕生日 bS3
今日は陽平の9歳の誕生日会だ。毎年、両方の親を招いて、食事会をする。そのときに誕生プレゼントを渡すのが恒例となった。特に今回に限って変わったことがあるわけではないが、両方の親が元気でそろってくれたこと、陽平が元気で袖ってくれたことに感謝する日でもある。今回の私のダッチ料理は鶏肉のほうれん草詰めとジャガイモピザである。
2006年2月15日(水)
母と子の会話 bS2

今日、母親はPTAの仲間と打ち上げの食事を近くのイタメシ屋で行った。そのレストランで母親は、エビと長ネギのペペロンチーノを食べたと我が子に言った。それを聞いた我が子はとてもびっくりした様子で、「自分も食べたかったのにー。学校を休んででも食べたかったのに。」しかも「僕は、エビじゃなくて、長ネギの方が食べたいんだよ。」と涙ながらに母親に訴えた。今度行くときは絶対に呼んでよね。
 こいつは、学校を休んでスキーに行くのに絶対に
ヤダといっているのに、長ネギはいいのかよ。

2005年12月19日(月)
サンタへの願い bS1

クリスマスの1週間前になって、陽平はサンタさんへ欲しいものを書いて、かみさんに渡した。もう2ヶ月くらい前から、言っていたものである。「サンタさんへ ぼくはニンテンドウDSのグラファイトブラック」がほしいです。おねがいします。」と絵付きで書いてある。いつまでサンタさんがいると思っているのかわからないがこの時期だけは大切にしたいと思う。
しかし、先日かみさんに「昨年のプレゼントにトイザらスのシールが貼ってあったけど、サンタさんてトイザらスの人なのかなぁ」今頃言うかよ。

2005年10月21日(金)
陽平の悔し涙 bS0

昨日、陽平はスイミングの昇級試験に落ちて、がっかりして帰ってきた。「次回は絶対受かってやる。」風呂場の中で悔しがっている。かみさんは、あれは次回もだめだわ。と言っている。このおかげで、この週の土曜日のキャンプは中止になった。トホホ。
陽平は悔しがり屋であるらしい。尚、土曜日の試験はやはり落ちていた。

2005年10月3日(月)
お父さんはお金持ち?bR9

母と子の会話
母親「陽平、お父さんになってみたい?」陽平「うん」母親
「陽平のお父さんみたいになるの?」陽平「お父さんみたいにお金持ちになるの」
母親
「お父さんはお金持ちなの?」と聞くと、棚の上にある小銭の入った空き瓶を指さして言った。「うん」
私が帰ってきたときに、洋服に入っている小銭を入れた瓶である。我が子にはこれがお金持ちのお父さんの象徴らしい。
夫婦で笑いました。

2005年9月22日(木)
スイミング13級合格  bR8

最近、陽平日記を書いていないが、陽平の唯一の運動となったスイミング教室について書いてみよう。
 8月は意外と水泳に行く機会が少なかったが、9月に入ってのスイミング教室で、今日13級のテストがあり、2ヶ月足らずで、合格してしまった。次は12級である。
最近の陽平は食事も旺盛なせいもあり、おなかが出始めている。
最近心配な親である。

2005年9月3日(土)
陽平の夏休み bR7

久しぶりの陽平日記である。
今年小学2年になった陽平の夏休みは、
那須高原に一泊バンガローキャンプ、裏磐梯に一泊ホテル旅行、8月末に成田夢牧場にテントキャンプ、かみさんの実家に2回お泊まりをした。
そのほかには海浜プールに1回行ったが、海にはいけなかった。今年は2回はどこか連れて行こうと思っていたので、目標は達成できたが、この夏もとても暑く親である私がもっと涼しいところにいきたいなぁと感じた夏であった。
なお、夏休みの学校の唯一の宿題である自由研究が低学年を代表して陽平の「針金ごまの研究」(ほとんど親の作品)が選ばれました。なんか親が選ばれた気がしましたねぇ。

2005年6月14日(火)
授業参観日  bR6

今週の日曜日に陽平の授業参観日に行った。最初は算数であった。陽平は算数は得意な方だが、何故か手をあげない。陽平の友達は、元気に手を挙げる。教室内の風景の一つ一つ、教室から見る外の風景、そして子供達の動きを見ると、普段のわが子の学校の様子がわかり、授業参観はとっても大切な行事だと思った。
後で、陽平に聞いてみると、「全部わかっていたから手をあげなかったんだよ」と訳のわからないことをいう。

2005年5月10日(火)
初めてのけが bR5
家に帰ってみると、かみさんが「大変なのよ」と言った。陽平が道路で転んで、右足の甲の部分を骨折したようだ。本人は治療も終わって、けろっとしている。でも、その右足には、ギブスがまかれ、松葉杖が横に置いてあった。
ウーム、小学2年生で、私もやったことのないギブスは耐えられるのかなぁ。
日常生活に不安を感じたが、その心配は何日かでとんだ。結構器用に階段を上ったり、お風呂に入るもんだと感心した。約25日位で、ギブスは取れたが、右足をかばった歩き方は続いている。

2005年4月5日(火)
小学2年生  bR4

今日は、小学校の始業式がある。我が子も2年生になる。朝から「早く学校に行きたいなぁ」といっている。「どうして?」と聞くと「だって、2年生は教室が2階になるんだよ」といって、説明してくれた。
ピンクの名札をつけて、2年生になる我が子をみると、昨年の新入学の時が、早いもんだなぁと振り返る今日でした。

尚、左の写真は3月31日のヤマハの発表会の衣装です。
2005年3月18日(金)
ドレミ倒し?  bR3

昨日からの強風で、庭の置物が倒れたり、自転車が2台斜め間に倒れたりしていた。それを見た陽平は「ドレミ倒しのようだけど、何ていうんだっけ。」と母親に聞く。それを聞いた母親は「それをいうなら、ドミノ倒しでしょ。」と答えたようだ。
 漫才のような話だね。

2005年2月16日(水)
久しぶりの寒い日  bR2

今日は朝からの冷たい雨が降り続き、寒い時間が過ぎていた。陽平が学校から泣きながら帰ってきた。しゃくり上げ泣きやまない。しばらくして、母親が理由を聞いてみると帰り道にあまりの寒さで手が寒くて、痛くて我慢しきれなくて泣いたのである。
いつも手袋は行きはしていくのだが、帰りは鞄の中に入れたままで、どうして取り出して手袋をはめなかったのか、今でも不思議だ。
でも、そんな理由で泣くこの時期の我が子はかわいいなぁ。

2004年12月25日(土)
クリスマスプレゼント2  31

今日の朝、陽平は靴下の中にゲームボーイアドバンスSPを見つけた。私はその嬉しそうな顔が見たかった。
 
やっぱりサンタは居たんだよ。そうだよ。」でも、サンタの贈り物はゲーム機一つである。友達から、「サンタは一つしかプレゼントをくれないんだよ。」と言われ、肝心のソフトは誕生日まで伸ばすことで了解していた。大人からすれば、ゲーム機だけでソフトがなければ動かないから変であるが、小学1年生は納得するんだね。
 クリスマスパーティの当日、双方の両親との食事会の後、母親がゲームソフトをよい子にといって、陽平に渡した。
そのときの嬉しそうな顔は親魅了理につきる。

2004年12月18日(土)bR0
クリスマスの飾り付け

今日はクリスマスの飾り付けを我が子とした。先日から、「やろう、やろう」とうるさい。どうもクリスマスに意味があるらしい。それはプレゼントにある。
母親は、毎年飾り付けは片づけもあるので放棄している。数年前は、庭に木にもイルミネーションをつけたものだ。子供にとって、クリスマスは幼児期よりこれからの方が楽しみらしい。

2004年11月25日(木)29
クリスマスのおねだり
11月の始め頃から、母親に「今年絶対サンタさんに任天堂のアドバンスSPと○○○○をクリスマスプレゼントに頼むんだ」と言っている。昨年までは、こちらから「この時期に何が欲しい」と聞いていたような気がする。1年生になると急に成長するのか、明確な目標がてきたのか。
2004年10月17日(日)bQ8
久しぶりの秋晴れに

10月に入って、週末の初めての秋晴れだ。家にいてはもったいない。午前中に神社の境内で先週の秋祭りの後かたづけをすませ、ネットで印西牧の原のコスモス祭り があることを知る。
数年前に行ったことがある。陽平はあまり
気が乗らないらしい。花をじっくり見るのが
好きでないことと本心は別に行きたいところがあるようだ。
場所は自宅から40分。今回は初めての場所だ。印西市をあげてのイベントだ。売店コーナー、イベントコーナーと盛りだくさんだが、肝心のコスモスが終わりかけていた。関係者からすると、先週の台風からよく持ちこたえてくれたのではないかと思う。もう少し早くみたかったなぁ。
じっくり見れなかったが、帰りは八千代のヨーカ堂で「ムシキング」のゲームをして帰りました。まだまだのめり込むでしょう。
この時期の子が何かにはまる姿にビックリして
いる親です。

2004年10月9日(金土) bQ7
天津小湊への家族旅行
今日から、陽平の小学校の秋休みが始まった。いつもキャンプばかりなのでかみさんが企画した。金曜日から休みが始まるので、仕事を休んで出かけたが、あいにくの金土は雨らしい。東京ドイツ村に寄ったが、ほとんど客なし。雨さへ降らなければ遊べるのに----。小湊の千葉大学海洋科学研究所によって、宿泊先の「海の庭」に到着。
こじんまりとした部屋だが、久しぶりの家族旅行。お風呂とおいしい食事に満足。
 翌日は、夜半からの雨が続き、
台風22号が千葉県を午後には直撃するらしい。帰れなくなる前に早めに宿をあとにして、帰路に発った。途中、道路冠水で通行止め、崖崩れで通行止め、河川が増水して、今にも氾濫しそうな状態を見ると身震いしたが、市原にはいると安心した。
陽平は満足してくれただろうか。せっかくの雨も充分楽しめなかったのが残念だ。
2004年9月15日(水)bQ6
給食参観

 この日、陽平の通っている小学校で給食参観があった。
日頃、児童の食べている給食を親にも体験して貰おうという趣旨だ。
 母親が行ってきた。我が子は給食係りで、児童の給食の用意ができたことを確認して給食開始の号令をかける役目であった。
我が子が何かの役を負っている姿は家では見ることができない。母親も感慨深げだったに違いない。