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大日本帝国陸軍士官
(インパール作戦)
Imperial Japanese Army Officer


 インド北東部、コヒマとインパールを攻略し、ビルマを安定させる事で、援蒋ルート(蒋介石への軍事援助)を遮断し、インド内に本拠地を欲したインド独立指導者チャンドラ・ボースを介してインドに根拠地を築く事を狙い、第15軍(第15,31,33師団)司令官、牟田口中将は、参謀長や師団長全員の反対を押し切り、昭和19年2月11日、後世“最も愚劣で無謀な”と評されるインパール作戦を下令します。
 険しい地形による補給困難な状況、連合軍との装備の差から、進撃は阻止され、又、雨季の到来が日本軍将兵を疲弊させます。そして、作戦中止を具申したり、撤退を行った3人の師団長全てが作戦中に更迭されると云う異常事態も発生しました。
 各師団長が交代して作戦は続行されたものの、劣勢を覆すことは出来ず、5月末の段階で、既に作戦は破綻していたにも関わらず、中止命令が出たのは、あまりにも遅すぎた7月13日でした。退却する将兵は飢えと病気に苦しみ、作戦に参加した日本軍将兵の8万人のうち、生き残ったのは3万人でした。