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ジョージ・ワシントン
George Washington
(1732〜1799)


 ヴァージニアの大地主の子として生を受けたワシントンは、北アメリカの領土を巡ってイギリスとフランスの対立から起こったフレンチ・インディアン戦争で活躍し、ヴァージニア州軍司令官に就任しますが、1758年に辞任します。
 フレンチ・インディアン戦争は1763年、パリ講和条約が結ばれ終結しますが、この戦争で財政難に陥ったイギリス国王ジョージ三世はその穴埋めに、アメリカ植民地に対し、様々な法令を押し付けてきました。この圧力は植民地に住まう人々の反発を生み、1773年12月16日、ボストン港にて東インド会社の貿易船の積荷である紅茶が海に投げ捨てられると云う『ボストン茶会事件』が起こりました。この報復として本国が更に厳しく締め付け、本国と植民地の対立は激化。1775年4月19日、レキシントンにある武器庫を占領しようとしたイギリス軍と植民地軍が武力衝突し、ここに独立戦争が勃発しました。
 独立戦争が勃発すると、大陸会議は、民兵指揮官として従軍経験のあるワシントンを大陸軍総司令官に任命します。ワシントン自身は和解の道を模索していたのですが、事ここに至り、再び軍服に袖を通す決意をします。
 
 1776年7月4日、アメリカ独立宣言が公布され、13州からなる植民地は独立を宣言します。当初はニューヨークを占領される等、守勢と退去の連続でしたが、トレントン奇襲渡河、サラトガの戦いで勝利し、1778年、米仏同盟条約が調印され、フランスやスペインがアメリカ側について参戦すると戦況はアメリカ側に有利になります。
 1781年10月19日、ヨークタウンの戦いでイギリス軍は降伏し、1783年9月、パリ講和条約が結ばれ、アメリカは独立しました。ワシントンは公の場から自ら退き、故郷で余生を送るつもりでしたが、憲法制定会議では議長を務め、選挙によって初代大統領に選ばれます。彼自身は乗り気では無かったのですが、進言や懇願によって祖国の為に大統領の座に就きました。
 大統領を2期務めた後、故郷へ戻りますが、その3年後の1799年12月14日、この世を去りました。死後、国内の到る所で追悼行事が行われ、国外ではイギリス艦が半旗を掲揚し、フランスでもナポレオンの指示で軍旗に黒布が揚げられ、ワシントンの死を悼みました。


補足
独立戦争=“独立”と銘打っていますが、開戦当初はイギリス本国に植民地への圧政を撤回させる為の、イギリス人としての権利を主張する戦いであり、多くの人々は“独立”までは考えていませんでした。が、思想家トマス・ペインが独立の正当性を唱えた『コモン・センス(常識)』が大ベストセラーとなると、独立の気運が一気に高まり、1776年7月2日に議会は独立を論じる議決をし、4日にはトマス・ジェファソン(後の第3代大統領)が起草した『アメリカ独立宣言』が公布され、戦争の目的がイギリスからの独立となるのでした。