稲作や養蚕の減退により、
群馬県では平野部でも随所に梅の木が植えられている。
しかしその梅にしても手間の掛かる割りに収入は少ないので、
宅地や駐車場とするためにどんどん切られている。
地面から数十センチの太い幹で切られることが多いようだが、
根まで掘り起こすのはなかなか大変な作業なので、
畑として利用する場合にはそのまま残しているようである。
 
枝を切られてしまった梅の木は手も足も出せず、
何だかじっと座っている達磨のようである。
しかし一見死んだように見える根や幹もまだ生きており、
少しずつ小枝が伸びてくる。
太い幹に小枝が数本だけであるが、
そんな小枝にも梅の花は咲いている。
人間が見放しても植物は懸命に生きようとしており、
決して諦めることなく最善を尽くしている。
しかしそんな梅の株も人間の気まぐれにより、
後何年生きられるかは不明である。
 
開発と言う名の下に、自然は確実に姿を消しつつある。

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