9月18日(金) “セシウム137による放射能事故現場を訪ねて 日韓伯の学生とともに”

 ブラジルのゴヤス州ゴイヤニアで環境シンポジウムが9月17日,18日に行なわれ、その一環として、ゴイヤニアの放射能被害者との交流の為、ゴイヤス カトリック大学のジューリョ デ オリヴェイラ教授の要請で私達一向7人がゴイヤニアに行って来ました。

 9月11日から22日まで、その交流に参加する為に日本・長崎より2007年に高校生平和大使としてスイス・ジュネーブに署名を届けた学生、日本から草野昂志郎君(祖母が被爆)と韓国から李Keunwoo君(祖父が被爆)がブラジルに来られました。

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 左から、マルセーロ君、李君、草野君、森田会長。
 事務局があるスキヤキ店内で懇談する様子です


 その間、ブラジルから参加した平和大使・マルセーロ君とリオデジャネイロのプリシラ由美子さんとの懇談、サンパウロでは世界的にも有名な蛇の研究所(ブタンタン)見学、移民資料館、被爆者との懇談とこなし、16日、私達はゴイヤニアに移動、17日、18日はシンポジウムに参加、セシュウム137被害者との交流、3校での被爆証言など森田隆会長、盆子原国彦さん、渡辺、が行ない、二人の平和大使のスピーチ、そして前日より一足先に現地に入り日程を調整して下さった協会理事のアンドレ先生とロベルト(取材カメラマン)さんと総勢7人、まさにインターナショナル(日本語、英語、ポルトガル語、韓国語、スペイン語)での道中でした。


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 環境シンポジウムにて。
 森田会長がスピーチされているところです


 19日はブラジリア(ブラジルの首都)に移動し、その地にお住いの協会員の東海林さんのお知り合いのインテルポの梅田アデマルさんの招待で普通では見られない、ブラジリアの議員会館やいろんな建物に案内して頂き感謝の一日でした。

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※ セシウム137の事故とは、

 1987年9月にブラジル・ゴイヤス州ゴイヤニアで、病院が破産し、そこで医療機器に使われていた放射性物質「セシウム137」でたくさんの放射能被害者が出ました。

 危険な物質を放置していた為に起こった被害です。

 最初、鉄くずを集めている住人がカプセルを見つけて持ち帰りそれを開けて中の僅か19gの物質を取り出し、皆に配ってそれぞれが持ち帰った。
 夜になるとその物質は青白く光りとても綺麗な為に顔につけたり、なめたり、手の平に載せて両手でこすったりとしたそうです。
 物質がついたままで家族やいろんな人と接触した為にどんどん広がっていったそうです。

 重症な人が何人か出た為、慌ててその場所を立ち入り禁止、その間10日間は放置されていたといいます。
 その場所は、家を崩し地下2mまで堀り、それまでの生活財産、住まい共々(身に着けている服、メガネ、時計、などなど・・・)、全て放射能汚染として没収され、ドラム缶約3,500トン分に詰め込まれて取り除かれました。
 その工事の為にほこりが舞い上がり、広がり、その後、雨が降って地にしみていったと証言されています。

 ドラム缶は、10年間雨風にさらされ放置していた為、錆びて又被害が出る事になりました。

 そういう仕事に沢山の軍人(その軍人が仕事の時身に着けていた服装は放射能予防具には程遠い物)が携わりました。解っているだけで約600人と一般人を合わせると約6000人の放射能被害者がいるそうです。

 現在は、30km離れた場所に完全に隔離、管理され定期的に放射濃度を検査しているとの事で飛行機がその上に落ちようが地震があろうが、300年間は大丈夫との事です。


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 ポスターに写っているのが、汚染されたゴミを入れたドラム缶です。
 このままで約10年間は放置されていました


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 その後、後ろに見える高台が埋め立てられた場所です。
 前列右から2人目が軍人被害者の会・会長のサントスさん

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 私達は、そのセシュウム137が取り出され移動した所を巡りました。

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 カプセルを開けた現場で、現在は空き地になっています。
 向かって左から後列、李君、オデッソンさん(一般被害者の会の会長)、ジューリョ教授、草野君


 最後に逢った人は、
 ―― その為にそれまで生きて来た生活の全てがその時消えて、家族は癌に侵され亡くなり残った僅かな肉親も癌に侵されている。自分の家は崩され空き地になったままである、道路を隔たった前に政府が用意した家に住んでいるが今もって自分のものでは無い。自分は生きる望みも何もない!――
そう言ったお年寄りに年齢を聞いたら60歳と言われ、余りにも老けて居られた事に驚き、さぞ心身共に失望されていると思い切なく感じました。

 事故が起きてから今年で22年が経つのに、援助を受けている被害者は軍人6人を含むわずか400人程度だそうです。
 その事実が、我々の身に重なって見えました。

 そして国ではなく、ゴヤス州,ゴイヤニア市が僅かの援助をしている事に驚きました。

 我々は原爆投下64年たっても在外被爆者にとってはまだまだ裁判でしか解決出来ない現実が続いています。

 またまた、放射能がどんなに危険なものかと言う事に無知な為にこの様な結果となり、多くの被爆者を生み出して、今尚、世界中で人生の幸せが失われています。

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 私達を招待して下さったカトリック大学のジューリョ先生、奥様、の手厚いおもてなしと、二人の娘さんには二人の青年の為に英語の通訳をずーっとして頂き、心から感謝致します。
 そして、アンドレ先生のお陰でもうひとつ視野が広がり、交流が大成功した事への感謝と、シネアルチスタのロベルトさん本当にお疲れ様でした。
 我々も頑張りました!

(渡辺 淳子)

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