12月29日(土) “今年ほど在外被爆者にとって有益な年はありませんでした。皆さまに心からお礼を申し上げます”
サンパウロはクリスマス前から急に夏になり連日30度以上、今17時ですが、冷房のないスキヤキの店の中は、扇風機が8台、暑い風をかき混ぜています。
室内気温36度ぐらいでしょうか、昨日から正月用の餅、お供えも含めて31日まで此処2〜3年はだんだん少なくなっていますが1000kg以上売れるでしょう。ソバ、そーめんも売れています。その他、かまぼこ、ちくわ、揚げなど、どんどん売れ始めています。
此処2〜3年正月料理の注文が多くなっています。今日も15時まで注文を受けました。100人以上の方々が注文されました。31日には餅も含めて料理もぜんぶ注文者に引き渡します。猛烈に忙しい年の瀬です。
さて今年を振り返って、今年ほど在外被爆者に取り有益な年はありませんでした。
先ず2月に最高裁判所で、ブラジルの5年以前に遡る被爆者管理手当の時効裁判に勝訴しました。
又11月1日、三菱広島元徴用工被爆者補償請求訴訟で被爆者の権利が、国家賠償という形で認められました。
1974年7月22日、当時の厚生省が402号という通達で、在外被爆者の権利を無効とし、国内被爆者と完全に差別した政策をとりました。
この権利を取り戻すまで33年間在外被爆者は、裁判を起こし、血のにじむように一つ一つ裁判を勝ちとって、今年の最高裁判所で2つの勝訴を得ました。
国は国会で、厚生労働大臣が謝罪しました。
当協会の渡辺理事が、裁判の判決が出る前後、2度にわたり厚生労働省の担当係官に在外被爆者援護の要請の為にお会いしましたが、判決が出る前は、威張りちらした対応をしていたが、判決が出た後は、猫のようにおとなしくなったと、感想を述べていました。
そうです33年間402号通達という錦の旗を掲げた、厚生労働省の役人は、悲惨な状態で死んでいく在外被爆者を省みる事もせず。
その仕事を受託した、各県市に圧力をかけ、意のままの行政を行ってきました。
今後も反省することなく、今までと同じ様な応対をされるのでは無いかと危惧しています。
私達在外被爆者は、ただ外国に居住権があると言うだけで、広島、長崎で被曝し、日本に住む被爆者と同じ苦しみを受けているのに、33年間も差別を受けました。
この事を日本の政治に携わる方々はどのように考えておられるのでしょうか、本音をお聞きしたいものです。
来年は今年の裁判の結果が一日も早く在外の被爆者に及ぶように祈っています。
今 在外の被爆者が一番心配していることは、健康問題です、一日も早く日本並みの医療制度が、住んでいる国で受けられるように要請を続けます。
今年も皆様のおかげで多くの喜びを与えられました。
心からお礼を申し上げます。
来年もまたよろしく御願い致します。
では、2008年が皆様に取り良いお年でありますように。
2007年12月29日
(盆子原 国彦)