― 事務局の日々のできごとなどを日記・手紙スタイルで紹介します ―

※ 日付は上から [新しいもの→古いもの] の順で並んでいます。


サンパウロ事務局だより もくじ

2011年 10月

 10月15日(土) “森田会長と娘やす子さん、訪日します ブラジル出発は27日”
 10月14日(金) “26日に「州立タカシ・モリタ高校」命名式典 功績が認められての栄誉です”

2011年 8月

 8月 9日(火) “サンパウロ州議会で原爆の悲劇を伝える催し 席上、森田会長の功績が紹介されます”

2011年 2月

 2月25日(金) “「州立タカシ・モリタ高校」「アンジェラスの鐘上映権」〜吉報が2つ!皆さまのおかげです”
 2月11日(金) “厚労省はその場限りの対応を続け… いまだ「進展は無し」”
 2月 1日(火) “2月の予定〜足立弁護士がサンパウロ訪問され、渡辺理事が帰国します” 

2011年 1月

 1月31日(月) “長いですが、いま思うことを書きました…いまだに続く援護の差別について”
 1月12日(水) “ブラジルは雨続きです”
 1月 7日(金) “2010年在南米被爆者健診以後を振り返って(2) 広島県医師会速報から”
 1月 6日(木) “新年おめでとうございます 2010年在南米被爆者健診以後を振り返って(1)”
 1月 2日(日) “明けましておめでとうございます 寒い日が続くブラジルより”

2010年 12月

 12月10日(金) “〈『中国新聞』より−〉2005年度 被爆者実態調査の結果が公表 初めて在外も対象に”

2010年 11月

 11月23日(火) “森田会長と娘のやす子さんは、無事に帰国しました”

2010年 10月

 10月30日(土) “〈『中国新聞』より−〉「新たな支援策が必要」広島の医師団が指摘”
 10月26日(火) “森田会長と娘のやす子さん、日本に向け出発”
 10月25日(月) “医師団健康相談 終わる 82人が受診、50人は受診できず”
 10月17日(日) “広島、長崎からの医師団9人、サンパウロに到着です”
 10月10日(日) “在南米被爆者健康相談 10日〜22日 広島、長崎から医師団”
 10月 8日(金) “ピースボート中米各国のクルーズに同行 カストロ議長とお会いしました!” 

2010年 9月


2010年 8月

 8月15日(日) “原爆投下65年、催し続き 国賠訴訟、医師団受入の準備…事務局は忙しさもピークです”
 8月14日(火) “「平和灯ろう流し」DVDを作成 州教育局 公立校で平和プログラム実施のため”
 8月 9日(月) “きょう長崎原爆忌 長崎の原爆死没者慰霊ミサを、教会で”
 8月 8日(日) “原爆展会場でTVから取材 テレビ局のホームページでニュースの内容が見られます”
 8月 7日(土) “レジストロで平和灯ろう流し 核兵器廃絶と平和な世界を願う”
 8月 6日(金) “きょう広島原爆忌 サンパウロで法要、サントスで式典と原爆展、毎年9日を「核兵器廃絶運動の日」と決める”
 8月 4日(水) “〈『中国新聞』より−〉盆子原副会長、援護改善を訴え 広島市での集いで”
 8月 3日(火) “サンパウロで原爆展が開幕 パ医師会と広島県医師会の姉妹縁組2周年記念 9月まで”
 8月 2日(月) “〈『共同通信』より−〉森田会長、原爆症認定を求め広島地裁に提訴の方針 在外で初”
 8月 1日(日) “禎子さんの千羽鶴〜サンパウロで舞台劇を観に行きました”

2010年 7月

 7月30日(金) “賠償金、検診、etc...本当にすごく忙しいです”
 7月17日(土) “被爆者の伊藤さん、日本祭りで署名活動 平和な世界を願って”
 7月13日(火) “森田会長の妻・綾子さまの一回忌 しめやかに”
 7月 3日(土) “〈『中国新聞』より−〉国家賠償訴訟、追加提訴388人分の和解が成立 広島地裁”

2010年 6月

 6月26日(土) “〈『中国新聞』より−〉パウリスタ医師会、8月にサンパウロで原爆展”
 6月15日(火) “各所から平和活動の依頼あり、忙しい日々です”
 6月13日(日) “4月19日〜5月10日 ニューヨーク訪問での出来事”
 6月12日(土) “〈『長崎新聞』より−〉在外邦人の平和活動を支援、ネットワーク化へ 長崎市が計画”

2010年 5月

 5月25日(火) “盆子原副会長のNYでの証言活動が『中国新聞』に紹介されました”
 5月22日(土) “国家賠償訴訟の和解成立、日本の方々からの支援に心からお礼を申し上げます”
 5月21日(金) “いまニューヨークです 国賠訴訟は和解が成立し、次は医療支援です”
 5月13日(木) “NYから帰国 いまは健康管理手当更新のお手伝いに追われています”

2010年 4月

 4月30日(金) “素晴らしい出会いの日々 ニューヨーク滞在も半分が過ぎました”
 4月24日(土) “被爆者に「ごめんなさい」 ニューヨークの行事は続いています”
 4月22日(木) “〈『長崎新聞』『中国新聞』より−〉「ヒバクシャ証言の航海」映画、長崎と広島で上映される”
 4月20日(火) “森田会長と渡辺理事 無事にニューヨークに着きました”
 4月15日(木) “盆子原理事、ピースボート101日の航海に出発します”
 4月12日(月) “NPT再検討会議に先立ち、19日から5月10日までニューヨークを訪問します”
 4月 7日(水) “〈『中国新聞』より−〉北朝鮮在住の被爆者を描く記録映画 25日に広島で上映会”
 4月 3日(土) “〈『長崎新聞』より−〉「ヒバクシャ証言の航海」ドキュメンタリー映画 18日に長崎で上映会”
 4月 2日(金) “ピースボート、リオ〜ブエノス〜モンテビデオの航海に乗船した6日間”

2010年 3月

 3月29日(月) “モジ市の原爆展で被爆体験を話す/ 4月、盆子原理事がピースボートに乗船します”
 3月14日(日) “ピースボート「第3回ヒバクシャ地球一周」に、ブラジルから盆子原理事が参加します” 

2010年 2月

 2月15日(月) “ピースボートから帰ってきました。毎日暑いです”
 2月11日(木) “〈長崎新聞』より−〉サンタ・カタリーナの小川さんが建設を進めてきた平和記念館、来月オープンへ”
 2月 2日(火) “2月、ラテンアメリカで「ピースボート」に乗船、再び”

2010年 1月

 1月26日(火) “〈『長崎新聞』『中国新聞』より−〉在韓被爆者集団訴訟 国と和解 長崎と広島で”
 1月13日(水) “〈『中国新聞』より−〉在外で原爆症認定申請が可能に 方針固める、厚労省”
 1月 2日(土) “年末の明かりをお届けします 2010年が良い一年でありますように”
 1月 1日(金) “皆さまからの暖かいご支援にも関わらず、また一から書類作成を?…” 

2009年 その他の記事

 11月25日(水) 記録映画 制作プロジェクト“がんばれ”(ロベルト・フェルナンデス監督)
 5月26日(火) 「世界の指導者へ 、 北朝鮮の核実験に抗議します!」
 2008年8月〜2009年1月 第63回ピースボート25周年記念プロジェクト「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」 を終えて ― おりづるプロジェクト ―
 2008年9月〜2009年1月 「元」在ブラジル被爆者・三戸氏のピースボート航海日記
 2月17日(火) ブラジル被爆者平和協会が厚生労働省に提出した要望書
 2月17日(火) 在韓原爆被害者協会が厚生労働省に提出した要望書

2009年 12月

 12月12日(土) “天皇即位20周年祝賀会(於・総領事公邸)に招待されました”
 12月 6日(日) “ジャーナリズム専攻の大学生4人が、森田会長を訪問”
 12月 1日(火) “ブラガンサ・パウリスタ日本語学校で、劇「広島の花」を観て”

2009年 11月

 11月17日(火) “お姫様の耳飾りをご覧ください。森田会長父娘は無事に帰国、元気です”
 11月 9日(月) “メールを頂きました:「在外被爆者を支援する集会」に参加して”

2009年 10月

 10月28日(水) “〈「TBSニュース」より−〉ピースボート「ヒバクシャ世界一周」の映画、国連本部で上映”
 10月27日(火) “11月6〜9日、パウリスタ医師会が広島県医師会を訪問”
 10月26日(月) “連絡事項(11月12日東京での打合せについて)”
 10月25日(日) “11月8日 広島で「在外被爆者を支援する集会」が開かれます”
 10月24日(土) “〈『長崎新聞』より−〉平野さん、谷本清平和賞を受賞 おめでとうございます”
 10月23日(金) “〈『長崎新聞』より−〉国賠訴訟、遅延損害金の起算日がほぼ確定”
 10月16日(金) “森田会長が訪日 ブラジルは夏時間に入ります”

2009年 9月

 9月18日(金) “セシウム137による放射能事故現場を訪ねて 日韓伯の学生とともに”

2009年 8月

 8月31日(月) “ブラジルの国花イぺが黄色の可憐な花を咲かせました”
 8月23日(日) “綾子さんを偲ぶ席で、寄付の贈呈を受ける栄誉 平和を願う遺志は受け継ぎます”
 8月21日(金) “9日に長崎慰霊ミサ そして、証言の8月”
 8月 7日(金) “美術展、灯ろう流し、慰霊法要 〜 ブラジルで、わたしたちの8月6日”
 8月 2日(日) “竹田監督が北米被爆者を追ったドキュメンタリー映画、広島と長崎で試写会”
 8月 1日(土) “〈『中国新聞』より−〉広島原爆資料館に、在外被爆者の展示コーナー新設を要望”

2009年 7月

 7月25日(土) “〈『長崎新聞』より−〉サンタ・カタリーナの小川さん、原爆資料館を建設 長崎市に資料提供を依頼”
 7月22日(水) “〈『中国新聞』より−〉日本全国の被爆者 平均75.92歳に 厚労省まとめ”
 7月18日(土)〔A〕 “母県の知人からメール「行政の判断が、被爆地の県民として恥ずかしい」”
 7月18日(土)〔@〕 “7月度月例会 在外被爆者援護を訴え続けた綾子さんの半生に祈りを”
 7月16日(木) “〈『中国新聞』より−〉在ブラジル被爆者手帳裁判、県が控訴取り下げ”
 7月13日(月) 訃報:“森田綾子さん(森田隆会長の妻、被爆地・広島=直爆、享年84)”
 7月 5日(日) “サン・ジョアン祭り ブラジルの冬の風物詩 6月に各学校などで催されました” 

2009年 6月

 6月30日(火) 「被爆県」だから、「慎重」に「慎重」にやってきたわけです…『長崎新聞』を読み、思う
 6月27日(土) “大阪府・橋下知事の英断に感謝! 裁判で勝訴した以上の意義があると喜んでいます”
 6月17日(水) “ブラジルの国花イぺが紫の花をつけました”

2009年 5月

 5月27日(水) “米国の方との不思議な出会いと縁。それは…「偶然などではありません」”
 5月26日(火) “「核」保有国の指導者へ…自分の首を絞めている事に気づいて下さい!” 

2009年 4月

 4月29日(水) “セントロ・パウラ・ソウザ高校で証言活動 2日間で300人が熱心に聴講”
 4月26日(日) ルモ・コレジオ高校で証言活動 200人の学生と先生たちを前に”
 4月22日(水) 訃報:“細川照男さん(被爆地・広島=入市、享年81)”
 4月19日(日) “アルゼンチンから映像作家「ブラジル被爆者の証言を後世に残したい」”

2009年 3月

 3月31日(火) “ブラジルで第1号となる被爆者手帳の現地交付がようやく実現! 確認証取得から4年経ち”
 3月15日(日) “〈『中国新聞』より−〉改正援護法施行3か月も、手帳申請わずか13件”

2009年 2月

 2月24日(火) “元気でブラジルに帰国しました。 鳴り響くサンバ、やはり我が家は良いです”

 2月17日(火) “毎年、要望書を提出するも、回答はなく…官僚は法の精神に背くのが仕事?”
 2月16日(月) “夏時間が終わり、今週後半からカルナバル 経済引き締めはこれから正念場です”
 2月14日(土) 〈『長崎新聞』より−〉情報の外に置かれ、日本の援護制度を知らない在外被爆者の立場に立った運用を
 2月13日(金) 〈『長崎新聞』より−〉長崎被爆の在ブラジル女性に手帳発行
 2月 5日(木) “国賠訴訟の通知義務は厚労省に! 12日に在伯・在米被爆者による第2次提訴を予定”
 2月 4日(水) 〈『長崎新聞』より−〉ブラジルから手帳を申請 長崎被爆の日本人では初
 2月 1日(日) 〈『中国新聞』より−〉森田会長、広島平和記念資料館で講演

2009年 1月

 1月30日(金) “国は、裁判を起こすことができる「一部の人」にだけ賠償金を支払って済ませるつもりですか?
 1月29日(木) 〈『中国新聞』より−〉「ヒバクシャ地球一周」成果報告へ 森田会長ら、広島市長を訪問
 1月28日(水) “国賠請求の通知、いまだ無く… 厚労省は何をしているのか?”
 1月14日(水) “〈『共同通信』『長崎新聞』より−〉「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」終える”
 1月13日(火) “「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」 森田会長と渡辺理事、東京に帰港しました 元気です”
 1月 1日(木) “2008年度 ブラジル被爆者平和協会に関係のあった主な行事・できごと / 2009年の計画・予定”

2008年 その他の記事

 2008年9月〜2009年1月 「元」在ブラジル被爆者・三戸氏のピースボート航海日記
 1月 1日(火) 2007年度 在ブラジル原爆被爆者協会に関係のあった主な行事・できごと / 2008年の予定

2008年 12月

 12月30日(火) “「ヒバクシャ世界一周 証言の航海」 森田会長と渡辺理事の活躍ぶりを紹介”
 12月29日(月) “皆さま、よいお正月をお迎え下さい”
 12月17日(水) “〈厚労省HP、『長崎新聞』『中国新聞』より−〉15日から改正被爆者援護法が施行”
 12月16日(火) “〈『中国新聞』より−〉在ブラジル被爆者手帳裁判 控訴審第1回口頭弁論 県は争う姿勢”
 12月12日(金) “厚労省HPから 〜日本国外での被爆手帳交付申請、15日から可能に”
 12月 5日(金) “〈『中国新聞』より−〉在伯、在米被爆者国賠訴訟の第1回口頭弁論開かれる 広島地裁”
 12月 2日(火) “国賠訴訟、手帳裁判、改正援護法施行… 在外被爆者に忙しい12月に”

2008年 11月

 11月26日(水) “『いまこそ戦後処理を!』市民会議の会報50号分 合本ができました”
 11月20日(木) “田村さんが、毎週月曜日に事務所を手伝ってくださることになりました”

2008年 10月

 10月30日(木) “海外での原爆症認定手続と医療支援を、いま私たちは望んでいます”
 10月28日(火) “厚労省がPコメント募集 「援護法施行令の一部を改正する政令案」にご意見を!”
 10月25日(土) “「9月27日 今、インド洋航行中です」 葉書にて”
 10月24日(金) “〈『中国新聞』より−〉在南米被爆者健診「受診者は半数以下」 医師団が帰国会見”
 10月22日(水) “〈ピースボートのブログより−〉森田会長ら、国連総会に参加へ”
 10月17日(金) “10月5〜14日 ブラジルでの在南米被爆者健診事業で感じ、思ったこと”
 10月 7日(火) “〈『中国新聞』より−〉国に慰謝料など求め集団訴訟を提訴 伯、米の被爆者163人”
 10月 1日(水) “〈『中国新聞』より−〉在南米被爆者巡回診療、4日から 母県から医師団迎え”

2008年 9月


2008年 8月

 8月31日(日) “「ぶらじる被爆者平和協会」に名称変更しました”
 8月30日(土) “〈『長崎新聞』より−〉「在外被爆者の要望には応じられない」 厚労省が回答…”
 8月23日(土) “森田会長と渡辺理事がピースボート「被爆証言の航海」に参加へ 9月〜12月の世界一周”
 8月14日(木) “〈『中国新聞』より−〉在ブラジル被爆者訴訟、広島県はまだ争うのですか…”
 8月12日(火) “サンパウロで開催中の原爆展 展示内容を紹介します(PDF)”
 8月11日(月) “〈『共同通信』「時事通信」より−〉盆子原理事、厚労省へ 韓国・金会長らと共に”
 8月 9日(土) “〈『共同通信』「時事通信」より−〉厚労省、在外被爆者への賠償支払い決める〜ただし国家賠償請求訴訟の提訴が条件!?”
 8月 5日(火) “〈『中国新聞』より−〉盆子原理事、広島で”
 8月 4日(月) “6月から多忙でてんてこまいの事務局です”

2008年 7月

 7月31日(木) “〈『共同通信』『時事通信』『中国新聞』より−〉「来日できない被爆者への手帳交付申請却下は違法」在ブラジル被爆者訴訟、広島地裁判決”
 7月16日(水) “8月2日から9月7日まで、サンパウロ市で原爆展を開催します”

2008年 6月

 6月26日(木) “厚労省HPから 〜 在外被爆者への年間助成限度額が少し引き上げに”

 6月22日(日) “〈『中国新聞』より−〉当地パウリスタ医師会と広島県医師会が姉妹縁組”

 6月14日(土) “皆さんのお陰で在外被爆者への援助が実現 喜んでいます”
 6月11日(水) “〈『共同通信』『中国新聞』より−〉改正援護法ついに成立。森田会長は手を合わせ…”
 6月10日(火) “〈『中国新聞』より−〉在ブラジル被爆者、4割が病気の治療を放置”
 6月 6日(金) “〈『中国新聞』より−〉在ブラジル被爆者医療の充実のため、研修医を組織化へ”
 6月 5日(木)〔A〕 “〈『中国新聞』より−〉森田会長が原爆症の認定申請”
 6月 5日(木)〔@〕 “〈『共同通信』『長崎新聞』より−〉詳報:被爆者援護法改正案、衆院厚生労働委が本会議提出決める”
 6月 4日(水) “日本からのメールに嬉しくて…「来日要件」撤廃の被爆者援護法改正案、衆院厚生労働委で承認”

2008年 5月

 5月30日(金) “〈『中国新聞』より−〉森田会長、広島市長に支援求め要請「裁判なしで賠償を」”
 5月29日(木)〔A〕 “道が開けそうな一方で、もう一つの問題に「裁判に訴えるのが早道」とは!?…”
 5月29日(木)〔@〕 “〈『中国新聞』『時事通信』『長崎新聞』より−〉与党・民主、援護法改正へ合意”
 5月27日(火) “〈『長崎新聞』より−〉森田会長、長崎市長を訪問”
 5月23日(金) “〈『中国新聞』『長崎新聞』より−〉森田会長、国会を訪問 …与野党が協議の可能性へ”
 5月17日(土) “平等な援護を求め…森田会長、21日、再び東京に”
 5月 7日(水) “〈『中国新聞』より−〉当地パウリスタ医師会と広島県医師会、姉妹縁組へ”
 5月 5日(月) “森田会長から近況報告&「5月19日、父娘2人で訪日します」”
 5月 2日(金) “〈『中国新聞』より−〉広島県、未払い手当の支給を終える”

2008年 4月

 4月25日(金) “〈『中国新聞』より−〉在ブラジル被爆者訴訟が広島地裁で結審、7月に判決”
 4月21日(月) “きょうは祝日 協会がいま進めている活動と予定をちょっとお知らせします”
 4月18日(金) “老齢の被爆者が日本まで行き、陳情を繰り返さなければ事が前に進まないということが本来おかしいわけで…”
 4月 3日(木)[A] “「アンゼラスの鐘」サンパウロでの上映会の報告を、有原監督が執筆してくださいました(下)”
 4月 3日(木)[@] “「アンゼラスの鐘」サンパウロでの上映会の報告を、有原監督が執筆してくださいました(上)”

2008年 3月

 3月22日(土) “〈『長崎新聞』より−〉サンパウロでの「アンゼラスの鐘」上映に、長崎の高校生が出発”
 3月14日(金) “森田会長の奥様・綾子さまが入院、集中治療室へ…”

2008年 2月

 2月23日(土) “もう血も涙もない行政はやめて下さい。一被爆者として御願い致します”
 2月 9日(土) “「アンゼラスの鐘」3月にサンパウロ市で上映へ 有原監督も来伯決まる”
 2月 7日(木) “弁護士、ブラジル被爆者援護に奔走  研修医は帰国へ  渡日治療の報告に拍手”
 2月 6日(水) “〈『長崎新聞』より−〉「アンゼラスの鐘」ペルーとブラジルで上映へ 高校生たちと森田会長が会見”

2008年 1月

 1月26日(土) “森田会長、広島でシンポ出席 来週は在ブラジル被爆者裁判の原告代理人がサンパウロへ”

 1月15日(火) “森田会長父娘、日本へ”
 1月13日(日) “〈『中国新聞』より−〉被爆者援護法改正案、今国会での成立は困難に?”
 1月11日(土) “訃報:中島竜美 様(「在韓被爆者問題市民会議」代表=東京在住)”
 1月 1日(火) “今年も良い年でありますように”

2007年 その他の記事

 4月18日(水) 長崎市長 伊藤一長 様 の逝去に寄せて
 2月 6日(火) 「執念実った 最高裁の判決」
           ≪在ブラジル被爆者未払い手当訴訟 上告審(2007年2月6日最高裁判決)≫

2007年 12月

 12月29日(土) “今年ほど在外被爆者にとって有益な年はありませんでした。皆さまに心からお礼を申し上げます”
 12月 8日(土) “歌手・橘さんのコンサートを聴きに行く 年末はお店もてんてこまい”
 12月 5日(水) “広島から片山博士らサンパウロ訪問、「健康と生活習慣に関するアンケート」を調査”

2007年 11月

 11月22日(金) “私の人生に 又ひとつ 大きな栄養を 〜 渡辺理事、帰国報告”
 11月11日(日) “大学生もびっくり! 国連欧州本部に署名届けたマルセーロ君の話に”
 11月 6日(火) “〈中国新聞、厚労省HPより ― 〉韓国元徴用工の皆さまに、厚労省がついに謝罪”
 11月 5日(月) “「国としてやれることをやりたい」国会で厚労相が答弁 渡辺理事は無事帰国しました”
 11月 1日(木) “〈主要メディア報道より ― 〉国は韓国元徴用工に慰謝料を 最高裁判決”

2007年 10月

 10月31日(水) “〈『毎日新聞』より ― 〉訪日しなくても手帳が申請できるよう、法改正へ”
 10月23日(火) “在外被爆者問題が終わりにむかって大きく前進するのではないかと希望を”
 10月17日(水)〔A〕 “厚労省HPから〜在外被爆者保健医療助成事業による07年助成費申請の受付が開始されました”
 10月17日(水)〔@〕 “超過密スケジュールでしたが、ブラジルの被爆者の思いをしっかりと伝え…”
 10月13日(土) “与党PTが在外被爆者のヒアリングを要請、急きょ訪日します”
 10月12日(金)〔A〕 “〈『長崎新聞』より ― 〉「被爆ザクロ」ブラジル長崎県人会へ 長崎市の男性がご好意”
 10月12日(金)〔@〕 “〈『中国新聞』より ― 〉外務省事務次官が広島の被爆者代表と懇談会へ、6年ぶりに”
 10月 9日(火) “〈『中国新聞』より ― 〉被曝専門医師団、広島からサンパウロへ向けて出発”
 10月 5日(金) “〈『長崎新聞』より ― 〉「在ブラジル被爆者未払い手当て訴訟」勝訴に続き、韓国人被爆者の方も逆転勝訴の流れに”

2007年 9月

 9月18日(火)〔A〕 訃報:“小出範孝さん亡くなる”
 9月18日(火) “「若い人からエネルギーをもらった」事務局の7月〜9月をご報告”
 9月 7日(金) “高校生平和大使ブラジル代表 無事帰国のお礼”

2007年 8月

 8月31日(金) “〈『長崎新聞』『中国新聞』より ― 〉ブラジルの高校生平和大使と森田会長、長崎・広島を訪問”
 8月24日(金) “〈『共同通信』より ― 〉ブラジルから初参加の高校生平和大使、国連欧州本部を訪問”
 8月23日(木) “「被爆者の立場で」願う 原爆症認定見直しの報道に”
 8月11日(土) “また暑い8月が”

2007年 7月

 7月28日(土) “〈『長崎新聞』より ― 〉長崎の高校生・森さんが日本に帰国、サンパウロでの活動を報告”
 7月11日(水) “〈『長崎新聞』より ― 〉ブラジルに来られる長崎の高校生・森さんが抱負語る”
 7月 4日(水) “〈『中国新聞』より ― 〉広島県が10月に被曝専門医らをブラジルへ派遣”
 7月 3日(火) “〈日本から ― 〉久間防衛相の発言に サンパウロへの返信”

2007年 6月

 6月30日(土) “「原爆投下しょうがない」久間章生防衛相の発言を見て”
 6月29日(金) “〈『長崎新聞』より ― 〉長崎「高校生平和大使」 日本で選考された6人を紹介します”
 6月26日(火) “長崎「高校生平和大使」 ブラジルからの参加者2名が決まる / 7月のサンパウロ「日本祭り」にも長崎から高校生を迎えて”
 6月 4日(月) “すがすがしいロスで、地球温暖化を考えた”

2007年 5月

 5月31日(木) “在外被爆者として今後も協力し合おう、と ロサンゼルスで”
 5月14日(月) “ロス、未払い手当、渡日治療… 多忙の中、日々雑記”
 5月 1日(火) “〈『中国新聞』より ― 〉広島の国立祈念館、初めて在外被爆者の証言をビデオ収録へ”

2007年 4月

 4月23日(月) “ブラジルからの「高校生平和大使」を募集中”
 4月 7日(土) “〈『長崎新聞』より ― 〉在外被爆者への未払い手当支給に向けて、長崎県・市が事務を開始”

2007年 3月

 3月29日(木) “森田会長が帰国「疲れたあー」”
 3月28日(水) “国際ドキュメンタリー映画祭 在ブラジル被爆者をテーマの作品が上映”
 3月26日(月) “森田会長の東京での日程にびっくり” …追伸:地震被災地の方にお見舞い申し上げます
 3月22日(水) “広瀬さんの初七日ミサ、しめやかに…。 森田会長は東京で奔走”
 3月20日(火) “〈『長崎新聞』より ― 〉森田会長、長崎訪問 高校生や市民と交流”
 3月16日(金) “〈『中国新聞』より ― 〉故・広瀬さんの裁判、遺族に承継へ”

 3月12日(月) 訃報:“リオの広瀬泰子さん(92)亡くなる”

 3月 7日(水) “天候異変? サンパウロは朝から高温と蒸し暑さに悩まされる毎日”

2007年 2月

 2月18日(日) “老齢の被爆者にまだまだつらい日々が続くことが残念で”
 2月 6日(火) “人々は皆平等に権利が受けられるのが基本。裁判とはいえ無駄な時間を費やしたものです”
 2月 4日(日) “上告審判決を前に 集会と墓参、取材”
 2月 3日(土) “裁判の原告代理人、足立弁護士がブラジル入り”

2007年 1月

 1月30日(火) “日本の支援者の皆さま、報道機関の皆さま、…”


2006年 その他の記事

12月11日(月) 向井昭治さんの遺稿「被爆体験記」
 3月10日(金) お知らせ〜4月に広島でシンポジウム「在外被爆者問題を考える」開催
 2月16日(木) 広島県知事 藤田雄山 様 「裁判上告の撤回を求めます!」
 2月15日(水) 広島県知事 藤田雄山 様 「裁判の上告断念をお願いします…」
 1月17日(火) 「在ブラジル原爆被爆者協会 2006年 要望書」

2006年 12月

 12月13日(水) “天国で見守ってくださる向井さんを想い、気分を引き締めて”
 12月12日(火) “厚労省から朗報 「医療保険未加入者にも医療費を助成、来年度から」”
 12月11日(月) “向井さん逝去に 日系2病院のご厚意へ改めて深く感謝”
 12月10日(日) 訃報: “協会副会長・向井昭治さん亡くなる”

2006年 11月


2006年 10月

 10月 2日(月)〔C〕 “渡辺理事 訪日のご報告(4)”
 10月 2日(月)〔B〕 “渡辺理事 訪日のご報告(3)”
 10月 2日(月)〔A〕 “渡辺理事 訪日のご報告(2)”
 10月 2日(月)〔@〕 “渡辺理事 訪日のご報告(1)”

2006年 9月


2006年 8月

 8月 8日(火) “8月の、平和の祈りinブラジル〜4都市からの報告”
 8月 6日(日) “〈『中国新聞』より ― 〉1日、渡辺理事が広島で実情報告”

2006年 7月

 7月31日(月) “ブラジルからの手帳交付申請が却下された2人、広島地裁に27日提訴”
 7月26日(水) “ヒロシマとブラジリアへ。…また原爆の日が参ります”

2006年 6月

 6月29日(木) “W杯、ブラジルいよいよ準決勝戦へ 勝てば全てが明るくなり、国民もやる気が出てきます?”
 6月26日(月) “北米で活動する日本人映像作家が取材 さまざまな課題を置いて”

2006年 5月

 5月17日(水)〔A〕 “サンパウロ大分校で、被爆者が描いた絵を展示 今後、他の州でも実施へ”
 5月17日(水)〔@〕 “訪日を終え… 私たちの願いを日本政府に届ける手段は、裁判しかないようです”

2006年 4月

 4月 5日(水) “05年度分の助成費送金を受ける できれば送金の事前通知も望むのですが…”

2006年 3月

 3月27日(月) “再び映画の話。旧聞ですが―昨春の映画祭、在ブラジル被爆者を描いたドキュメンタリーがグランプリに”
 3月20日(月) “ブラジルの映画会社 在ブラジル被爆者の撮影を開始”
 3月 2日(木) “旅から帰り…。 被爆地の県議会と、クリチバーノスの鐘の音と”
 3月 1日(水) “3月、気持ちも新たに頑張ります 『サンパウロ新聞』記事に力沸く”

2006年 2月

 2月22日(水) “〈日本より ― 〉広島県がついに上告…”
 2月18日(土) “上告撤回を求め、各方面に請願書・嘆願書送る日々 もうカーニバルの季節”
 2月16日(木) “県が上告の方針!撤回を求めて、広島県知事に再び書簡を送る”
 2月15日(水) “上告断念を願って― 広島県知事に書簡を送る”
 2月 9日(木) “〈日本より ― 〉裁判勝訴!でも…向井さん、お体の具合は?”
 2月 1日(水) “手当申請の検査費 サンパウロの2病院が「無料」の好意”

2006年 1月

 1月14日(土) “長崎県・市から職員来る 17、18日サンパウロ総領事館で手当、葬祭料申請手続の説明”

2005年 その他の記事

 2月28日(月) 尾辻秀久 厚生労働相に提出した要請書
 1月25日(火) 「三菱広島元徴用工被爆者訴訟 広島高裁判決」に際する、日本政府への要請書

2005年 12月

 12月21日(水) “長崎の時効裁判、原告勝訴のニュース 2.8ブラジル時効裁判判決に向け弾みに”
 12月20日(火) “「当地の被爆者の間に混乱を起こしています」〜厚労省に再び要請、質問メール送る”
 12月16日(金) “「医療機関リスト」をめぐり、ブラジルの病院でも無料診察が受けられると誤解が…”
 12月15日(木) “サンパウロ総領事館と厚労省に質問と要請をするが、すべて否定され…”
 12月 1日(木)〔B〕 “「保健医療助成のご案内」高齢者にとって記入が難しく…”
 12月 1日(木)〔A〕 “広島・放影研より2医学博士がサンパウロを訪問 視察や説明などをされる”
 12月 1日(木)〔@〕 “高校生一万人署名活動 ブラジルの高校生も長崎に負けず頑張っています”

2005年 11月

 11月23日(水) “日本政府からの医療費助成にあたり、会員に緊急アンケートを送付”
 11月 8日(火) “サンパウロ大学主催の原爆絵画展示会が閉幕 22日からは同大学の新設校へ”

2005年 10月

 10月29日(土)〔A〕 “11月下旬、広島・放影研より2先生がサンパウロ入りを予定”
 10月29日(土)〔@〕 “学生たちに生の被爆体験を語る日々”
 10月17日(月)〔A〕 “長崎訪問のやす子さん、ブラジルの署名3500人分を高校生に”
 10月17日(月)〔@〕 “医療費助成について話し合いを実施、前向きに進めることを確認する”
 10月10日(月) “15日に緊急報告会 手当、葬祭料申請者、医療保険未加入者を対象に”
 10月 8日(土) “国の上告断念、事務所に笑顔 次の課題は現地での対応”

2005年 9月

 9月29日(木) “一日も早く、日本に行けない被爆者が喜ばれるような事務手続きを
 9月26日(月) “総領事館の被爆者担当にご挨拶 良い話し合いで、今後が楽しみに”
 9月19日(月)〔B〕 “被爆60年 7〜9月事務局のサンパウロでの活動報告”
 9月19日(月)〔A〕 “被爆60年 7〜9月訪日団の日本での活動報告”
 9月19日(月)〔@〕 “主義主張を押し通し他人を攻撃する愚かさを、移民社会ブラジルの人々は知っている”
 9月10日(土) “森田会長夫妻、無事に帰国しました 事務局も安堵”
 9月 5日(月) “原爆展閉会に思う 「真の平和」を考える心よ、ブラジルに根付け”
           “綾子事務局長、日本からの帰途に体調崩す…、会長夫妻の帰国は3日後に”

2005年 8月

 8月24日(水) “取材や、学校からの講演依頼が来る 慰霊祭も終わり落ち着きを取り戻しつつ”
 8月 9日(火) “長崎のミサも終わって。取材を受けた新聞、雑誌の記事も沢山たまって”
 8月 8日(月) “祈念行事 いろいろな人々から励ましの言葉 決意を新たに”
 8月 5日(金) “8月…事務所は取材の問い合わせでてんてこまい 外国からも取材が”

2005年 7月

 7月31日(日) “〈東京より ― 〉「あんたたちは日本を捨てたんだろう」から20年余”
 7月30日(土) “〈東京より ― 〉「在外被爆者写真展」打ち上げパーティーに理解者が駆けつけ”
 7月28日(木) “〈東京より ― 〉森田会長ら一行、無事成田に到着”
 7月27日(水) “森田会長ら訪日で寂しい事務所にも、毎日のように被爆者取材の問い合わせ続く”
 7月20日(水) “署名運動 サンパウロ大学・原爆絵画展示会に引き継がれる”
           “訪日日程について−東京での予定”
 7月18日(月) “「日本祭り」終了 署名は8,000人を超える 老人パワー爆発?”
 7月17日(日) “いよいよ「日本祭り」最終日 きょうの「事務局だより」は松尾さんからです”
 7月16日(土) “「日本祭り」いよいよ始まりました 初日から900人以上が署名”
 7月15日(金) “「日本祭り」へ 準備は完了”
 7月14日(木) “「日本祭り」に向けて 準備は進んでいます”
 7月 8日(金) “日々忙しくなってきています”
 7月 4日(月) “被爆60年 マスコミ取材の応対に追われる この機に皆さまの体験をまとめたい”

2005年 6月

 6月22日(水) “渡日治療の「同意書」要求について:支援者の方とのQ&A”
 6月21日(火) “森田会長の証人採用決まる 在ブラジル被爆者裁判控訴審 8月25日広島高裁で”
 6月20日(月) “日本からの連絡:あす県庁から電話ある予定、渡日治療の「同意書」要求の件で”
 6月19日(日) “6月の役員会を開きました 7月「日本祭り」と8月長崎「慰霊祭」について”
 6月18日(土) “自己責任で日本へ!? 広島県から渡日治療の「同意書」要求で戸惑い”
 6月17日(金) “長崎「高校生一万人署名活動」の松尾さん 7月サンパウロに派遣が決まる”

 6月16日(木) “広島被爆の内中さん、手帳交付で7月訪日へ 娘さんが自費付き添い”

 6月12日(日) “訪日に2名出発 / 証人探し、新聞掲載を被団協に依頼しました”
 6月 9日(木) “被爆60年に「平和」アピール 州立大と共催で原爆写真展を開きます”

2005年 5月

 5月27日(金) “サンパウロの「日本祭り」に協会も出展予定 アイデア募集中です”
 5月26日(木) “寝たきり被爆者の家族の相談に、どうすることもできず…”
 5月 4日(水) “森田会長夫妻 無事に帰国しました”

2005年 4月

 4月27日(水) “長崎被爆の元特殊潜航隊兵・芦原さん 県庁から手帳交付OKと連絡 申請から3年、ようやく”
 4月15日(金) “ブラジルからの葬祭料申請が却下 在外公館での申請が可能になれば…”

 4月11日(月) “日本とブラジルのメディアが被爆者をテーマに取材中”
           “外相発言、海外からの手当申請に光明が”


2005年 3月

 3月25日(金) “ブラジル最大ネットのテレビ局 戦後60年の被爆者を精力取材”
 3月24日(木) “広島滞在中の森田会長からお電話”
 3月21日(月) “3月の役員会報告 - 日本の支援者、関係者に感謝を”

 3月16日(水) “協会理事の松石キシヱさん(78) 亡くなる”
           “8日、ブラジルからの葬祭料申請も却下され… 誰のための援護法?”
           - 気が落ち込む中、土曜は役員会です -

 3月15日(火) “益本さん母娘の帰国治療付き添い報告(1月31日-3月3日)”
           - 口では言い表せないほど沢山の人のお世話になり -
 3月 6日(日) “〈広島より ― 〉無事、日本での行事も終わりました”
 3月 4日(金) “助成が受けられる人は?”
 3月 3日(木) “保健医療助成事業の問合せに、事務所の電話が鳴りっぱなし”
           “益本さん親子、無事に渡日治療を終え帰国”
           “3人姉妹が被爆者手帳の再発行のため広島へ 東京都は郵送で可、なのに…”

2005年 2月

 2月12日(土) “伯、韓、米の被爆者協会代表が厚労相に陳情へ 森田会長夫妻も今月末に訪日”
 2月9日(水) “明日はスザーノでクリ拾い”
 2月1日(火) “事務所で1月例会を開く” 

2005年 1月

 1月26日(水) “首相、法相、厚労相に要請書を送りました”
 1月20日(木) “被爆後60年ようやく、誰が考えてもおかしくないまともな判決が出ました”
 1月 5日(水) “新年になり、今年の目標を”
 1月 3日(月) “被爆60年、今年こそ在外被爆者問題の解決に、希望をもって頑張ります”

2004年 その他の記事

 11月25日(木) 厚生労働省へのお手紙(11月25日付)
 11月19日(金) 解説:ブラジルの医療保険制度について
 11月12日(金) 在カナダ被爆者協会元会長 キヌコ・ラスキーさんの逝去に寄せて
 11月10日(水) 厚生労働省へのお手紙(11月10日付)
 10月13日(水) 在アメリカ被爆者協会名誉会長 倉本寛司氏の逝去に寄せて
  8月 6日(金) 2004年8月6日 在ブラジル原爆被爆者協会メッセージ

2004年 12月

 12月30日(木) “事務所に被爆者10人が来訪”
 12月27日(月) “年明けに訪日する3名について、県庁と連絡”
 12月23日(木) “待望の在外被爆者実態調査に期待、未だ国からの連絡はないが…”
 12月14日(火) “韓国籍の在ブラジル被爆者に手帳申請が認められる”
 12月13日(月) “笑いのうちに忘年会…想い返せば変動の一年でした”
 12月 6日(月) “新規手帳取得の3人がブラジルに帰国”
 12月 2日(木) “被爆者訪日に協会理事の付き添い、今後増えるかも  厚労省職員の再来伯は、来年の課題に”

2004年 11月

 11月27日(土) “来月初旬にも、被爆者の親子が帰国治療へ”
 11月25日(木) “被爆者の夫妻が自費訪日 県庁の協力に喜び”

 11月17日(水) “会員の方々から、協会にも寄付が”

 11月10日(水) “在ブラジル被爆者健診事業の結果報告”
                ◆ 多くの方々に感謝
            = 今年の健診結果 =
                ◆ 受診者数107人、平均年齢72歳を超える
                ◆ 健康状態は悪化、約4割が外出に付添人必要
                ◆ 受診者1名、きょう逝去 〜 今年3人目、日本政府の援護を得られぬまま…
                                 〜 いまなお続く大きな差別
                ◆ 肩を落とされて帰られる姿に… 〜 無視され続ける陳情書
 11月4日(木) “在ブラジル被爆者107人の健診が終了”

2004年 10月

 10月26日(火) “サンパウロでの検診、無事終わる 有意義だった話し合い”
 10月23日(土) “日本の人事が変わるたびに、出発点に戻ってしまう気も…”
 10月21日(木) “明日から 医師団による検診 始まる”
 10月19日(火) “悲しいニュースは忘れて、元気を出して ―”
 10月18日(月) “「命がけ」の手当申請”
 10月15日(金) “広島市民が原爆の事実を忘れている…”
 10月14日(木) “在ブラジル被爆者裁判 敗訴に、報道機関より問い合わせ”

 10月13日(水) “田島さんの姉妹3人、協会に新規加入の申込”

 10月12日(火) “長崎市の告訴に怒りと悲しみで…”

 10月11日(月) “井上さん、裁判を決意 胎内被爆の長男も…”

 10月10日(日) “広島・共同通信から電話 現地の怒り伝える”
 10月 8日(金) “悲しみのため息が…”
 10月 6日(水) “事前健診も今日で3日目”