旧制第一高等学校寮歌解説
波は逆巻き |
明治39年第16回紀念祭寮歌 北寮
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1、波は逆巻き風あれて 迅雷金蛇を激したる 水門入江に夜は明けて 平和の光 空にあがれば文明の 花こそ香へ秋津洲 2、萬骨あだに遼東の いまはた誰を咎むべき 臥薪嘗膽また更に 十年待つ間の平和かな 平和よさらば春の夢 *「幽魂」は昭和50年寮歌集で「幽鬼」に変更された。 3、時運の歩み世のすがた 止めむ術はなけれども 意氣にほこりし若人が ひそかに撫する 劔の冴を誰かしる 双腕の力を誰か知る *「劔」は昭和50年寮歌集で「劒」に変更された。 |
第2段5小節3音ラ、および第3段3小節2音ドは、それぞれ1オクターブ間違いと思われるが、そのままとする。(平成16年寮歌集添付の原譜では、それぞれ1オクターブ低くなっている。この方が正しかろう) ニ長調・4分の2拍子は、昭和10年寮歌集でハ短調4分の2拍子に変わり、その他の譜も大正14年、昭和10年、平成16年寮歌集で多数変更された。概要は次のとおりである。(譜の読みは、原則ハーモニカ譜のハ長調読み) 1、「なみはーさかまき」(1段1・2小節) 「ドーレミーミ ソーラソーソ」を「ドーミソーソ ソーソソー」に(大正14年) 2、「じんらいきんだを」(1段5・6小節) 「ミーソラーラ ソーミドーレ」を「ミーミソーソ ソーソドーレ」に(昭和10年、大正14年) 3、「みーなと」(2段3小節) 「ドーララーソ」を「ドードラソ」に(大正14年) 4、「よはあけ」(2段5・6小節) 「レーレラード」を「レードラーラ」(大正14年、昭和10年) 5、「ひかりー」(3段2小節) 「ミーファソーソを「ミーソミーミ」(大正14年)、さらに「ミーミソーミ」(ミーミはタイ)に昭和10年) 6、「はなこそ」(4段3小節) 「ドーレミーミ」を「ミーミミーレ」に(大正14年、平成16年 ハ短調ではドードドード)) 7、「へ あきつし」(4段4・5小節) 「ミ レードミーレ」を「レ ミーソミーレ」に(昭和10年) ハーモニカ譜の数字譜(ハ長調の譜)を原則そのまま五線譜に直し、これに調号として♭を三つ付けて、ハ短調の譜とした。日露講和条約に対する不満と野球部が慶應・早稲田さらには学習院にまで負けた無念の気持ちにぴったりの哀調を帯びたメロディーとなった。 |
語句の説明・解釈
前年紀念祭以降の日露戦争関連事項 明治38年3月1日から10日 奉天会戦 4月21日 閣議日露講和条件を決定 4月27日から28日 日本海海戦 6月9日 米大統領ルーズヴェルト、日露両国に講和を勧告(10日 日本 12日露受諾 7月7日 日本軍樺太上陸(31日 露軍降伏) 8月10日 日露講和会議、ポーツマスで開催 9月5日 日露講和条約調印(韓国保護権、南樺太・遼東租借権、東支鉄道支線などを獲得) 日比谷で講和反対国民会議開催、民衆騒擾化して政府系新聞社・交番などを焼討ち 9月6日 東京市および府下5郡に戒厳令 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
波は逆巻き風あれて 迅雷金蛇を激したる 水門入江に夜は明けて 平和の光 |
1番歌詞 | 波は逆巻き風が荒れ、砲弾が雷鳴と稲妻のように激しく飛び交った旅順港に夜が明けて、平和の光を放って太陽が東の空に昇った。日露戦争は、文明の国・日本が野蛮な 「迅雷金蛇を激したる」 「迅雷金蛇」は、激しい雷鳴と稲妻。日露戦争。 「水門入江」 旅順港。海陸で熾烈な攻防があった。「水門」は、入江の口。「入江」は海や湖が陸に入り込んだ所。湾よりも小さいものをいう。閉塞作戦のあった旅順港口を水門、旅順港を入江といったか。 旅順は、老虎尾半島に抱かれた湾の奥に位置し、その湾口は半島突端と黄金山山麓の間の273mしかない。このうち大型艦艇が航行できるのは90m余りと言われていた。この湾口に船を沈め、旅順港に基地を置くロシア太平洋艦隊の主力艦が港外に出ることを阻止し、さらにヨーロッパから増援に派遣されるバルチック艦隊の入港を不可能とするために、明治37年2月から5月の間に、3回にわたって、東郷平八郎連合艦隊司令官率いる海軍により旅順港閉塞作戦が実行された。しかし閉塞に向った広瀬中佐の福井丸などの閉塞船は、湾口を取り囲むように設置された黄金山等敵砲台の 「平和の光 「光」は平和の光であるとともに太陽の正義の光。「 「文明の花こそ香へ秋津洲」 野蛮な |
萬骨あだに遼東の |
2番歌詞 | 多数の将兵がむなしく英霊となって戦死した旅順の熾烈な攻防戦も、今となって誰を咎めるべきであろうか。誰も咎めるべきではない。10年間臥薪嘗胆してやっとロシアに勝利したが、講和条件は満足のいくものではなく、この平和もいつまで続くか保証はない。春の夢に酔ってはいられない。さらに10年の臥薪嘗胆が必要である。平和など、一時の春の夢である。 「萬骨あだに」 多数の犠牲者をむなしく出した。「萬骨」は多くの人々の骨。”一将功成りて萬骨枯る”の萬骨。旅順の戦を指揮した乃木希典将軍を暗に非難するか。 「遼東の幽魂となりにし戰」 「幽魂」は、死者の魂。英霊。日露戦争の戦死者は約84、000人、内旅順攻防戦の戦死者は約1万5400人(内203高地占領のための戦死者約5、000人)という。昭和50年寮歌集で「幽鬼」と変更された。 「戰」は明治37年8月から5ヶ月間にわたって戦われた日露戦争最大の戦いである旅順の戦である。バルチック艦隊の来航前にロシア太平洋艦隊の基地であった旅順(遼東半島の南端、大連市の一部)を陥落させるため、乃木希典率いる第3軍は、3回にわたって敵司令官ステッセル将軍が守る旅順要塞を総攻撃し、要塞背後の203高地を占領した後、これを攻略した。 「いまはた誰を咎むべき」 乃木は第3軍司令官として旅順要塞攻略作戦を指揮、明治38年1月これを攻略した。多大な犠牲を払ったことから、非難が指揮者の乃木将軍に集中した。 また、日露の講和条件を定めたポーツマス条約は、多大の辛苦を強要された一般国民の満足するものでなく、不満は爆発し、政府系新聞社・交番などが焼き討ちにあった。 「臥薪嘗胆」 報復の為艱難辛苦すること。呉王夫差と越王句践との故事(十八史略、春秋呉)。 日露戦争後、三国干渉により、せっかく獲得した遼東半島の清国への返還を余儀なくされた際に唱えられたスローガン。報復のために艱難辛苦するという上記故事にもとづく。以後日本は、ロシアを仮想敵国として、国を挙げて軍備(とくに海軍)の増強に取り組んでいった。 「平和よさらば春の夢」 10年間臥薪嘗胆してやっとロシアに勝利したが、講和条件は満足のいくものではなく、この平和もいつまで続くか保証はない。春の夢に酔ってはいられない。さらに10年の臥薪嘗胆が必要である。 |
時運の歩み世のすがた 止めむ術はなけれども 意氣にほこりし若人が ひそかに撫する |
3番歌詞 | 盛者必衰の理というが、時の運命の歩みにより世の姿は移り変わっていく。これを止める方策はないけれども、意気に誇る一高健児が秘蔵するよく切れる刀剣の冴えを誰か知る者がいるだろうか。雙腕の力を誰か知る者はいるだろうか。一高野球部は、14年間死守してきた覇権を失ったが、まだまだ実力は衰えていない。必ず奪還してみせるという意。 「止めん術はなけれども」 常勝を誇った野球部は明治37年、早稲田・慶応に敗れ、14年間死守してきた王座を降りた。さらに翌38年には一高球場で学習院にも1-3Aで敗れた。3番は野球部敗北の無念の気持ちと王座奪還への決意を述べる。 「鐡の劔の冴え」 「劔」は昭和50年寮歌集で「劒」に変更。尚武の心をいう。 |
うつに心の急がれて 立つに立たれぬ唐衣 しばしたゝずむ花蔭に 月 |
4番歌詞 | いたずらに心ばかりが急がれて、いても立ってもいられない。桜の花影にしばし佇んで、月が没する西の方を眺めると、つむじ風に一搏9万里を飛ぶという鷲が物凄い羽風を立てて飛んでいる。すなわち、日露戦争の講和条件に対する国民の不満が渦巻いている中、日露の間では、満洲の利益範囲の確定を話し合っているが、敗戦国でありながらロシア側の態度は強硬である。あるいはロシアは戦争に敗れたりといえども戦闘能力を充分に残している。安心は出来ないという意にもとれる。 「うつに心の急がれて 立つに立たれぬ唐衣」 いたずらに心ばかりが空回りして、いても立ってもいられない。「唐衣」は、枕詞で立つ等にかかる。ここに「うつ」は、「鬱」「うつろ」「空虚」の意味の他に、「討つ」の意味が懸けられている。 日露戦争は既に終わっていたが、国民には「日比谷交番焼き討ち事件」に象徴される講和条件に対する政府への不満が渦巻いていた。 「この年の紀念祭時には日露戦争は既に終結しており、この句は時期遅れとなる。したがってこの句は「鬱」、心がふさいで楽しくない、気分の晴々しない、あるいは「虚ろ」の意と取り、戦争の空しさ、講和条件に対する国民の不満を表現したと見るのが妥当」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」) 「しばしたゝずむ花蔭に 月 櫻咲く日本から、西の方ロシアの動向を窺うと。 「扶搖に搏つは九萬里」 「扶搖」は、つむじ風、旋風。「搏つ」は、はばたく。 「圖南の翼千萬里 高粱實る満洲の」(「圖南の翼」1番) 「一搏翺翔三萬里 猛鷲されど地に落ちて」(「一搏翺翔三萬里」1番)」 「鷲の羽風ぞすさまじき」 「月没る方」を西とすれば、この鷲はロシア。明治40年7月、日露両国で、満州を南北に分けて、相互の利益範囲を秘密協定で確定した(第1次日露協約)。日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)では、所謂満州については「関東州租借権および長春・旅順口間の鉄道と付属権益を日本に譲渡する」と決められていただけである。「すさまじき」は、ものすごい。激しく強い。日露戦争に敗れたとはいえ、まだまだ戦闘能力を温存している。安心は出来ない。平和に酔っている時でない。 |
星宿めぐる十六の 春の笑まひに雪とけて 柳や眉を |
5番歌詞 | 寄宿寮は今年十六回目の開寮記念日を迎えた。浮き世と断絶して向ヶ丘に籠城しているので、外の様子は分からないが、春の訪れに柳も芽吹いていることであろう。一高健児が紀念祭を迎えた喜びに、琴の名手瓠巴の奏でる調べを聞いたように胸を躍らせているのである。 「星宿めぐる十六の」 星宿」は星座。年は廻って、今年開寮16周年の紀念祭を迎えた。 「柳や眉を攅むらむ」 「柳眉」はやなぎの葉のように細く美しい眉で、美人の眉をいう。「攅眉」は、まゆをひそめること。ここでは、柳も春になって芽吹いていることだろうの意。 「うき世に遠き武香陵」 武香陵は「向ヶ丘」「向陵」の美称。一高生は俗世間の塵を避けるため、皆寄宿制の下、全員が向ヶ丘に籠城した。 「瓠巴の調べ」 「瓠巴」は、昔の楚の人で琴の名人[荀子、勧学]。 |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井上司朗大先輩 | 日清戦争後、三国干渉により遼東半島の清国への返還を余儀なくされた際に唱えられたスローガン。歌詞2番は、「遼東還付の恨みの晴れたあとの感傷と、今後の平和は僅かまた十年で、平和に酔ってはいられぬという見透しをうたっている | 「一高寮歌私観」から |
園部達郎大先輩 | この歌は、今次戰争直後、夜帰宅の途中、岸道三先輩が省線電車(現、JR)の中で、これを高唱したそうだ。時も時、乗客が挙って相和し、中に教えてくれと迫った人も多かったとか。これは岸テロレンの直話。敗戰の悔しさ、どこにも持って行けない惨めさを、文句、殊に「臥薪嘗胆」に共鳴した国民が多かったのだろう。 | 「寮歌こぼればなし」から |