旧制第一高等学校寮歌解説
春三月の |
明治37年第14回紀念祭寮歌 中寮
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1、春三月の武香陵 おごそかに立つ柏木の 緑色濃き樹下蔭 花深く咲き花散りて たわゝに 2、その芳しき味に 酔うて祝はん今日の日を |
拍子は2拍子で不変だが、調子はハ長調からハ短調にかわり、深く哀調を帯びたメロディーとなった。譜の変遷は次のとおりである。 1、遅くも大正7年寮歌集で、「さかえあ」(6段3小節)の「か」(2音)のミがソに変更された。 2、昭和10年寮歌集で、基本的に譜をそのままに、調号だけを♭×3とすることでハ長調からハ短調に移調した。 譜自体にも変更が加えられた。譜の読みはハーモニカ譜のハ長調読みとし、以下に変更箇所を記す。 1) 「おごそか」(2段1小節) レーレレーレ 2) 「はなふかく」(4段1・2小節) 「は」の音を2分音符に伸ばし、「なふかく」をずらして、2小節にまとめるため、「な」の音を付点8分音符に、「ふ」の音を16分音符とした。同時に「く」の音をラからソと変更した。「ふかく」は弱起となり、「は ーなーふかーく」と変わった。 3) その他「かしはぎの」(2段3小節)の「ぎ」はミに、「こしたかげ」(3段3小節)の「「か」はラに、「さきはな」(4段3小節)の「き」はソに、 「たわわに」(5段1小節)の最初の「わ」はミに、「さかえあれ」(6段3小節)の「さ」はレに変わった。 |
語句の説明・解釈
この歌は、通常は1番だけしか歌われない。いい寮歌なのにもったいない気がする。2番歌詞も掲載するので、是非、歌ってみて欲しい。 「歌詞に親しみにくい漢語が多く、同趣の表現が長々と続いて、簡潔さ明快さに欠け」(一高同窓会「一高寮歌解説書」解説)てはいるが、メロディーは深く哀調を帯びたもので、良歌である。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
春三月の武香陵 おごそかに立つ柏木の 緑色濃き樹下蔭 花深く咲き花散りて たわゝに |
1番歌詞 | 春三月の向ヶ丘に厳かに立つ柏の木。その綠色の濃い葉に蔽われた木下蔭に、自治の花は色濃く、いい香りで咲く。今は、花は散って、たわわに自治の実が稔った。すなわち、向ヶ丘に生れ育った自治は、礎が固まり強化され、ますます盛んである。今年14周年を迎える寄宿寮に光榮あれ。 「春三月の武香陵」 一高の所在地「向ヶ丘」の美称。「春三月」は紀念祭期日の3月1日による。 「柏木」 一高ないし寄宿寮を象徴する。「綠色濃き」は、一高の隆々たる状態を表す。 「花」 自治の花。一高寄宿寮歌は、生徒自身の手で運営された。「たわゝに登る」は、自治の彌栄をいう。「深く」は、色・香の濃いこと。 |
その芳しき味に 酔うて祝はん今日の日を 東の空風寒く 妖雲暗く満州の 緑の野辺をうち蔽ひ 絳霞の光消え失せぬ | 2番歌詞 | 自治のいい匂いに酔って、今日の紀念祭を祝おう。しかし、日本の空は北風が吹き荒れて寒い。暗雲が緑の野辺を蔽っているため、普段なら夕陽で真っ赤に燃える満洲の太陽が、消え失せてしまったからだ。 「東の空風寒く 妖雲暗く満州の」 明治37年2月4日、御前会議を開き、昨年10月から小林外相と駐日ロシア公使ローゼンとの間の交渉を打ち切り、ロシアとの開戦を決定した。ロシアは義和団事件に乗じて出兵した兵を満洲から撤兵せず、ペゾプラーゾフが鴨綠江に木材会社を設立し、この方面への進出を画したので、遂に戦争となった。「東の空」は日本の空。 「絳霞の光消え失せぬ」 「絳」は濃い赤色。紅霞。「紅霞」は夕日で赤く染まった霞。夕焼け雲。普段なら夕陽で真っ赤に燃える満州の夕焼けが暗雲がたちこめ、消えてしまった。 |
胡沙飛ぶ空を荒鷲は 翼を搏ちて三千里 春静かなる東海の 波をみだして滔天の 罪を東亞の地に犯し 文明の名を汚したり | 3番歌詞 | 北方の蛮地を飛ぶ荒鷲(ロシア)が、翼を搏って三千里も飛んで、春、波の静かな東海の日本の海に天にも届くような高い白波を立てている。ロシアは、天をあなどる罪を東亜の地に犯し、先進文明国の名を汚した。 「胡沙飛ぶ空を荒鷲は」 「胡沙」は北方の蛮地の沙漠。「荒鷲」はロシアのこと。 「翼を搏ちて三千里」 [荘子逍遥遊] 「水撃三千里、搏扶搖而上九萬里」 「一搏翺翔三萬里 猛襲されど地に落ちて」(大正8年「一搏翺翔」1番) 「圖南の翼千萬里」(大正6年「圖南の翼」1番) 「滔天」 洪水が天にとどくほどに満ち広がること。天をあなどる。「滔天の」は、意味的には「波」と「罪」の両方にかかる。 「東海の波みだして」 東方の海。ここでは日本のこと。満蒙韓をめぐる権益の深刻な対立で日露の関係が逼迫し、開戦に至ったこと。 「文明の名を汚したり」 「文明」は野蛮に対する言葉、英知、先進の意であろう。先進文明国と訳した。 |
されど朱陽の曙の 榮ある色は永劫に 扶桑に高く麗はしき 姿不變の富士が嶺を 照らして代々に力ある 正しき道の示たれ | 4番歌詞 | そうではあるが、夜明けの太陽は、永遠に、真っ赤に輝いて東の空に昇る。日本の空に高く麗しく聳え、古来より姿の変わらない富士山の頂を照らして、長い年月、力ある正しき道を示しているのだ。 |
あゝ青冥の天長く 下綠水の波瀾あり 壯士撫剣の勇風に 眉を揚ぐれば腰間の 白羽奔りて邊月は 常はふ髓ふ弓の影 | 5番歌詞 | あゝ、悠久の天青く、下には樹影揺らめく緑の水が波打っている流れる。血気盛んな男児が勇ましく剣の柄に手をかけ、怒りをあらわにすれば腰間の真っ白な矢羽が走る。辺土の空には片割れ月が、永久に弓の形をして付き従う。これも日露の戦争の勃発に戦意高揚した一高生の尚武の心を秦の始皇帝の暗殺に向かう「荊軻」に重ね合わせて表現する。 「靑冥の天長く」 悠久の天青く。「青冥」は青い空。「天長く」は、天の永久えなること。ここでは、緑水の流れにそってどこまでも青空が続く意もあるか。 「緑水」 みどりの水。深い淵や樹影の映った水にいう。 (東大・森下先輩のコメント) 「あゝ青冥の天長く 下淥水の波瀾あり」 次の詩を踏まえている。後出の「辺月」とは関係がない。 ☆李白「上有青冥之長天 下有淥水之波瀾」(『長相思二首之一』 「淥水」――清らかな水。「緑水」は誤植。 「壯士撫劍の勇風」 意気盛んな男子が剣の柄に手をかける勇ましく雄々しいさま。 「壯士」は意氣のさかんな者。血気にはやる男子。秦の始皇帝の暗殺に向かう「荊軻」に寮生を重ね合わせる。「撫劍」は剣の束に手をかけること。「勇風」は勇ましく雄々しいさま。 「眉を揚ぐれば」 眉をつりあげる。怒った様子にいう。 「白羽奔りて」 「白羽」は 平成16年寮歌集正誤表で、「白羽」は「白刃」に改められた。しかし、大正7年、10年、14年寮歌集、昭和10年、18年、50年寮歌集、平成16年寮歌集(正誤表前)と一貫して「白羽」とあり、疑問を残す。 (東大・森下先輩のコメント) 「腰間の白羽奔りて」 「腰間の秋水」であれば、「秋水」は剣(=白刃)のことであろうが、次の例に見るように「腰間の箭(矢)」という表現も珍しくない。続く句に「弓の影」とあることからみても、「白羽」は矢と解するほうが素直であり、平成16年の正誤表で「白羽」を「白刃」としたのは勇み足であろう。 ☆杜甫「良相頭上進賢冠 猛将腰間大羽箭」(『丹青引贈曹覇将軍』) ☆李白「流星白羽腰間插 剣花秋蓮光出匣」(『胡無人』) (*流星の如く早くとぶ白羽の矢を腰に挿し) 「奔る(走る)」は、いきおいよくとびだすさま。「矢が奔る(走る)」という表現は、弓道でよく使われている。 「邊月」 片月。片割れ月。弓張り月。新月から満月に至る間、日没の頃南中し、月の右半分が輝く。真夜中に弦を上にして没する(上弦の月)。「常はに隨う弓の影」とは、常に変わることがない一高の伝統「尚武の心」をいう。秦の始皇帝暗殺に向かう荊軻の昂ぶる心に借りて、日露戦争直前の寮生の気持ちを、「起てよ正義の丈夫よ」(6番出だし)へと 続ける。「邊月」は、また辺土の月でもある。 5、あゝ青冥の天長く 下綠水の波瀾あり 壯士撫剣の勇風に 眉を揚ぐれば腰間の 白羽奔りて邊月は 常はに髓ふ弓の影 *「常はに」は明治37年初版寮歌集では「常はふ」(誤植であろう) (東大・森下先輩のコメント)「辺月は 常はに随ふ弓の影」 次の詩を踏まえている。 ☆李白「辺月随弓影 胡霜払剣花」(塞下曲六首 其五) *「辺月、弓影に随ふ」 この場合の「辺月」は「胡霜」と対句をなしていることからも、「辺地を照らす月」の意であり、その辺月は、弓が投影したように見える「弦月(弓張り月)」だというのであろう。 ☆謡曲「融(とほる)」 「青陽の春の初には/霞む夕べの遠山/眉墨の色に三日月の/影を舟にも譬へたり/又水中の遊魚は/釣針と疑ふ/雲上の飛鳥は/弓の影とも驚く」(空飛ぶ鳥は三日月を弓の影かと驚く) 「常はふ隨ふ弓の影」 「常はふ」は誤植であろう。遅くも大正7年寮歌集で、「常はに」に訂正。片割れ月は、一高生の永久に変らない尚武の心を表す。 |
起てよ正義の丈夫よ 我自治寮の健男兒 太行雪は深くとも 黄河氷は鎖すとも 熱き涙は紅の 薊の花を濕ほさん | 6番歌詞 | 起て正義の勇ましい男児よ、我が自治寮の健児。太行の雪は深くとも、黄河の水が溢れ行く手を 「太行」 中国河南省北部から北に向かって山西・河北両省の境をなす山脈。易水はこの山脈北部に発する。(井下一高先輩「一高寮歌メモ」) 「薊の花を濕ほさん」 「燕京の薊(今の北京)から刺客の荊軻が雪の太行山を越えて秦に赴いたことを踏まえる。5節の続き、また『薊花』の音読みから『荊軻』を暗示するか?」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」) 「薊」は、キク科の多年生植物。葉茎に棘があり、紅紫色の花をつける。 |
鳳凰空を下りては 簫の響に歌はなん 潜龍水を吟じては 笛の |
7番歌詞 | 鳳凰は空を降りて地上にある時は、簫の音に歌うという。まだ水に潜んでいる龍は水の中で低く鳴いては笛の音に合わせて踊るという。このように一高生も、向ヶ丘の橄欖の蔭で歌い躍って紀念祭を祝いながら、自治共同の伝統を連綿と引継いでいくのである。 「鳳凰」 古来中国で、麟・亀・龍とともに四瑞として尊ばれた想像上の瑞鳥。 「潜龍」 水中や谷間などに潜んでいて、まだ天にのぼらない龍。転じて、世に出ないで隠れている聖人、まだ活動する機会を得ない英雄などをいう。鳳凰も潜龍も紀念祭で歌い躍る一高生に重ねる。 「吟じて」 声を含んで鳴いては、低く鳴いては。 |
先輩名 | 説明・解釈 | 出典 |
井下登喜男先輩 | 日露戦争直前のことで寮歌作詞者の関心がもっぱらその方に向けられたためか、あるいは藤村 操が盛んに校風批判を展開していたグループに近かったがゆえに、これと対立関係にあった寮歌作詞者群はあえてこの大事件を無視したものか。なお校友会雑誌の方は藤村 操追悼特集を組み、田辺尚雄、安部能成らの弔文、荒井恒雄の哀悼歌を掲載 *寮生藤村 操、明治36年3月22日、「巖頭乃感」を残して日光華厳の瀧に投身自殺。世間一般に大きな反響を巻起こした。 |
「一高寮歌メモ」から |