旧制第一高等学校寮歌解説
比叡の山に |
明治36年第13回紀念祭寄贈歌 京大
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1、比叡の山に我立ちて 豊さか登る朝日影 東の空を眺むれば 雲にも自治の光あり 3、百里の山河隔て來て 任侠の風跡を絶つ 冶容の俗に交はれば 我が自治寮を夢む哉 4、意氣銷沈の境に居て 萬馬の蹄日に千里 天翔り行く雲見れば 武香陵を偲ぶ哉 |
現譜は、4段2小節が異なる以外は、原譜に同じ。 拍子記号の明示はないが、最終小節の4段2小節は、4分の5拍子である。これを遅くとも大正7年寮歌集で、他小節と同じ4分の4拍子に改めた。すなわち、該小節の5音は8分音符、休止符は8分休符と現譜どおりに変更された。 |
語句の説明・解釈
明治30年創設の京都帝國大學生からの初めての寄贈歌。明治38年同大學生からの寄贈歌「比叡の山の」の先駆けをなす寮歌であるばかりでなく、遠く離れた地にあって、向陵を切々と懐旧思慕する寄贈歌のスタイルは、以後の九大・東北大寄贈歌等に大なる影響を与えたことは想像に難くない。一高に隣接する本郷の東大寄贈歌とは趣を異にする。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
比叡の山に我立ちて 豊さか登る朝日影 東の空を眺むれば 雲にも自治の光あり | 1番歌詞 | 京都大学に進学し、比叡山に登った。一高のある懐かしい東の方角の空を眺めると、ちょうど朝日が美しく輝きながら昇った。朝日に映えた雲の光は、まるで自治の光のように赤く輝いている。 「豊さか登る」 豊栄昇るで、朝日が美しく輝きながら昇ること。 |
大堰の川に |
2番歌詞 | 大堰川に船を浮かべて、一高寮歌を大声で続けて歌う。その歌声が遠く川を溯って、「尚武」と歌えば、「勤倹」と木霊が返ってくる。 「 丹波山地から亀岡盆地を経て、京都盆地北西隅、嵐山の下へ流れ出る川。亀岡盆地と京都盆地の間は保津川ともいい、下流を桂川という。嵐山付近では平安時代、管弦の舟を浮べて貴族が宴遊した。 「長吟」 声を長く引き、または続けて吟ずること。 「呼ばはれば」 「呼ばはる」は、大声で呼び立てる。ここでは大声で歌う。 「勤儉尚武」 一高の伝統。勤勉、倹約と武を重んじること。勤倹と歌えば、木霊が尚武と返してくる。一高が懐かしくて堪らないのである。 |
百里の山河隔て來て 任侠の風跡を絶つ 冶容の俗に交はれば 我が自治寮を夢む哉 | 3番歌詞 | 東京から京都へ100里の山河を隔てると、男気の風がなくなる。軟弱の風にばかり接していると、自治寮にいた頃の尚武の風が懐かしくてたまらない。 「百里の山河」 東京ー京都間のJR営業距離は513.6km。百里=400kmよりも遠い。 「任侠の風」 「任侠」は、弱きを助け強きを挫く気性に富むことであるが、ここでは「尚武の風」(2番歌詞)と同じ意味。次の「冶容の俗」に対する。 「冶容の俗」 「冶容」は、なまめかしいようす。また、なまめかしく装うこと。軟弱の風のこと。 |
意氣銷沈の境に居て 萬馬の蹄日に千里 天翔り行く雲見れば 武香陵を偲ぶ哉 | 4番歌詞 | 意気消沈した気分になると、ますます向ヶ丘が懐かしい。天馬といわれた汗血馬は日に千里を駈けるという。空を速く流れる雲を見るにつけても、天馬や雲だったら、すぐにでも一高に飛んでいけるのにと、懐かしい一高寄宿寮のことを思っている。 「萬馬の蹄日に千里」 「萬馬」は、漢の武帝が張騫の報告から大苑(フェルガナ)に遠征軍を送り手に入れた天馬汗血馬のことか。汗血馬は日に千里の道を走るという。 「武香陵」 向ヶ丘の美称。 |
今日十三の記念日 母校の空の輝きて 天地もゆらぐ聲高く 健兒の歌の振へかし | 5番歌詞 | 今日は第13回紀念祭の日。母校一高の東の空は光輝いて、天地も揺るがす程声高く、一高健児の歌声よ響き渡れ。 「母校の空の輝きて」 大正14年寮歌集で、「母校の空に輝きて」に変更された。 |