旧制第一高等学校寮歌解説
筑波根あたり |
明治36年第13回紀念祭寄贈歌歌 東大
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1、筑波根あたり霞罩め 彌生が岡に草萠えて 春のみ神は今日こゝに 祭の庭に訪づれぬ あはれ樂しき此うたげ いざ諸共に歌はなん 6、あした隅田の川風に オールを執れば波躍り 夕べ向が岡の上に バットを振へば敵ひそむ あな勇ましの其姿 世に立つ時もかくぞあれ 8、學びの業はアゼンスの 尚武の風はスパルタの 昔偲びてオリンピア 桂の技も手折るべく 今日を祝いていやましに つとめ勵まん自治の友 |
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現譜は、昭和10年寮歌集で、「あーはれ」(5段1小節1音2音)がタイで結ばれた以外、この原譜とまったく同じ。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
筑波根あたり霞罩め 彌生が岡に草萠えて 春のみ神は今日こゝに 祭の庭に訪づれぬ あはれ樂しき此うたげ いざ諸共に歌はなん | 1番歌詞 | 東の筑波山の辺りに霞がこめて、弥生が岡に草が芽吹いた。春の神は今日、紀念祭の祭の庭に訪れた。ああ、なんと楽しい紀念祭の宴よ。友よ、一緒に寮歌を歌おう。 「筑波根」 筑波嶺。筑波山のこと。当時は本郷界隈からも筑波山が見渡せたのだろう。古来より、「西の富士 東の筑波」と称される名山。 「祭の庭」 紀念祭の会場。一高寄宿寮。 |
世の濁流を堰き止めて をゝしく建てし自治の城 十とせも過ぎて又三歳 礎こゝにいや固し ひらめく旗や柏葉の 色ます綠美しや | 2番歌詞 | 俗世間の濁流が入って来られないように堰き止めて 向ヶ丘に雄々しく建てた自治の城一高寄宿寮。爾来、10年も過ぎて更に3年、すなわち13年経って、自治の礎はいよいよ固まった。柏葉の旗はひらめき、葉の緑はますます美しくなった。 「世の濁流を堰き止めて」 一高生は、俗界の俗塵を絶って、全員が向ヶ丘の寄宿寮に入寮(籠城)した。 「自治の城」 一高寄宿寮は、四綱領に基づき寮生自らの手で運営された。四綱領は次の3番で説明。 「ひらめく旗や柏葉の 色ます綠美しや」 自治寮の礎が固まり、自治が順風満帆、前途洋々の様をいう。 |
理想は高し富士の峯 心は清し琵琶の水 四つの綱領身に守り 勵む數千のますらをが 二十世紀の大海に 漕ぎ出ん姿そもいかに | 3番歌詞 | 一高生の理想は富士の峯のように高く、心は琵琶湖の水のように清い。自治の船に乗り込み四綱領を守り、自治に励む一千の寮生が、二十世紀の大海に漕ぎ出す姿の立派なこと。 「理想は高し富士の峯」 「峯」は、昭和50年寮歌集で、「峰」に変更。 「天そゝり立つ富士の峯の 高き姿を姿にて」(「彌生が岡に地を占めて」3番) 「琵琶の水」 「淡海のみ」と言った昔は、きれいな水であったという。琵琶湖が一高寮歌に登場するのは京大寄贈歌を除いてはめずらしい。 「さゞ浪清きみづうみに 水馴の櫂をたにぎれば 志賀のから崎雨晴れて」(明治42年「天路のかぎり」2番) 「四つの綱領」 寮開設にともない木下校長が寮生活において守るべき精神として示した四つの項目のことで、次のとおり。 第一 自重の念を起して廉恥の心を養成する事 第二 親愛の情を起して公共の心を養成する事 第三 辞譲の心を起して静粛の習慣を養成する事 第四 摂生に注意して清潔の習慣を養成する事 「勵む數千のかすらを」 「励む数 千のますらを」で、「数千」ではない。 「二十世紀の大海に漕ぎ出ん姿」 寄宿寮を自治の船に喩えた表現。明治36年は、西紀2003年。 |
聲をひそめて啼かざるは 世の人醒すあらましぞ 翼おさめて |
4番歌詞 | 声をひそめて大声で鳴かないのは、今はその時でないからであり、時が来れば、世の人の目を覚まさせるために大声で鳴く。翼を閉じて飛ばないけれども、時が来れば大空を悠々と翔ける。池に潜む龍の子蛟龍が雲を得て大空を翔る姿を見よ。一高生を蛟龍に喩える。今は向ヶ丘に修業中の身であるが、やがて時を得て、天下に雄飛して、大業をなすであろうの意。 「聲をひそめて啼かざるは 世の人醒すあらましぞ」 明治治32年寮歌「一度搏てば」2番の「闇に吼ゆれば一聲に 大地おびゆる獅子王も 牙まだならぬ時のまを 潜むか暫し此洞に」と同趣旨。「醒す」は、遅くも大正7年寮歌集以降「醒て」となっているが、誤植であろう。「あらまし」は、こうありたいと願う。かねて思いもうける。 「声をひそめて壮語しないのは世の人が目覚めるよう、思いめぐらしているが故である」の意か。舌足らずな表現(井下一高先輩「一高寮歌メモ) 「翼おさめて 同上寮歌「一度搏てば」1番の「み空を翔くる大鵬も 羽根未だしき時のまを潜むか暫し此森に」と同趣旨。蛟龍(龍の子)と趨鵬(鵬の子)をごっちゃまぜにしている感があるが、龍にも翼があるとされるものもある。 「大空翔る鵬のひな 雲をまつなる龍の兒が」(大空ひたす」5番) 「蛟龍しばし池に潜む 雲を得ん時君見よや」 同上寮歌「一度搏てば」3番の「雲蒸し來なん時いつと 學びの羽根をつくろひつ 風吹きよせんときこそと 思ひの道に牙磨ぎつ」と同じ趣旨。 「蛟龍雲雨を得」〔三国志呉志、周瑜伝 蛟龍得二雲雨一、終非二池中物一也〕 英雄・豪傑が大いに力量を発揮する機会を得ることのたとえ。 |
仰ひで東亞の天見れば 妖雲常に去りやらず 俯して世のさま窺へば 濁れる浪の音すごし あゝ文明の花いづこ 奮へ武陵のをのこらよ | 5番歌詞 | 義和団事件が終わっても東アジアには戦雲が去らず、日露の対決は避けられない逼迫した情勢だ。国内の情勢はといえば、横領・汚職の事件が後を絶たない。ああ、平和で清廉な世の中は、どこにあるのか。奮い立て一高健児達よ。 「仰ひで東亞の天見れば 妖雲常に去りやらず」 明治33年の義和団事件、ロシアとの満蒙鮮での権益の対立(明治34年12月、伊藤の対露交渉打切り)、明治35年の日英同盟の締結と日露戦争前夜の様相をいう。「仰ひで」は、大正14年寮歌集で「仰いで」に変更。 「俯して世のさま窺へば 濁れる浪の音すごし」 明治33年義和団事件の分捕り品の陸軍横領疑惑、および明治35年秋に発覚した教科書疑獄事件。 (陸軍横領疑惑事件) 明治33年、義和団事件の分捕品・馬蹄銀120万両が日銀金庫に納入されたが、幸徳秋水が「万朝報」で陸軍に馬蹄銀の着服があったと痛烈に批判した。陸軍のドン山県有朋の恨みを買い、大逆事件の遠因となったという俗説もあるほどである。 (教科書疑獄事件) 公務員汚職のはしりとして有名な教科書疑獄事件が発覚したのは明治35年の秋、検挙が実際に始まったのは明治35年末で、県知事等157人の多くが検挙された。この事件を契機に教科書の検定制度が国定制度に改められた。 「混濁の浪逆巻きて 正義の聲の涸れし時」(明治35年「混濁の浪」1番) 「あゝ文明の花いづこ 奮へ武陵のをのこらよ」 「文明の花」は、平和で清廉な世。「武陵」は、向ヶ丘の美称「武香陵」のこと。 「うべ桃陵の名にそひて 武陵とこそは呼びつらめ」(明治33年「あを大空を」4番) |
あした隅田の川風に オールを執れば波躍り 夕べ向が岡の上に バットを振へば敵ひそむ あな勇ましの其姿 世に立つ時もかくぞあれ | 6番歌詞 | 朝、隅田川の川風にオールを漕げば波が躍り敵を寄せ付けない。夕、向ヶ丘の一高球場で、バットを振れば敵が逃げていく。なんと勇ましい一高生の姿であるか。将来、世に出た時もかくありたいものだ。 「オールを執れば波躍り」 かって東都を湧かせた対高商戦は一高の6連勝で終わった。しかし、対高商戦は明治32年で終わり、この頃は、対校戦はなく、内部の部対抗戦のみであった。 対校戦が復活したのは、大正9年4月の東大主催、一、二、三、四、六各高等学校端艇競漕である。 「みつちは激し鰐怒り 向はんものゝ影ぞなき」(明治43年「姑蘇の臺は」3番) 「バットを振へば敵ひそむ」 明治23年から36年は野球部黄金時代である。明治35年の野球部の試合結果は、 明治35年5月 7日 対学習院 勝つ 5月10日 第9回対横浜アマチュアクラブ 4Aー0で勝つ 5月17日 第10回対米国軍艦ケンタッキー号 34A-1で勝つ。 「バット一撃わが立てば 國の内外に今は早や おこれる仇はひれ伏して」」(明治34年「一度搏てば」5番) |
立つ白波に友千鳥 心へだてず聲かはす いばら踏み分け道ひらき 進む健兒もかゝるべく その共同の花の香は 五城の春に知られずや |
7番歌詞 | 白波が立つ浜辺で、千鳥が友を呼ぶように群れで鳴いている。そのように、一高健児も向ヶ丘の寄宿寮で寝食を共にして、心隔てず声を交わし、共同して力を合わせ困難を克服し前進している。自治共同の結果は見事に結実し、五寮の春に花咲かせているのである。 「千鳥」 千鳥は海や川の水辺にすみ、ちちと鳴いて群をなして飛ぶ。全員が寄宿寮に起伏しする一高生に喩える。 「歡呼の浪の岸を打ち 千鳥友よぶ自治の海」(明治43年「新草萠ゆる」2番) 「千鳥の夢は深くとも」(明治43年「春の朧の」2番) 「五城」 東・西・南・北・中の五つ棟の一高寄宿寮。 「共同の花の香」 自治共同の成果。 |
學びの業はアゼンスの 尚武の風はスパルタの 昔偲びてオリンピア 桂の技も手折るべく 今日を祝いていやましに つとめ勵まん自治の友 | 8番歌詞 | 昔、ギリシャのオリンピアの競技で優勝者に与えられた桂冠の名誉を得るべく、すなわち、世に出た時に、人から賞賛され、尊敬されるように、一高生は、学業はアテネに、武を重んじる心はスパルタに学んで、文武両道にこれ努めている。今日の紀念祭を祝って、自治の友よ、さらに励もうではないか。 「アゼンス、スパルタ」 ともに古代ギリシャの代表的都市国家。アゼンスは、アテネのこと。 「オリンピア」 古代ギリシャのオリンピアのゼウス神殿の4年目ごとの祭典に伴う体育の競技。優勝者への賞品は聖なるオリーブの枝で作った冠だったが、それは特別の名誉のしるしであった。 ここに「オリーブ冠」と「月桂冠」については、一般に混同されている。芸術の神様アポロンを讃えて贈られるのが『月桂冠』で、マラソンなど陸上競技の勝者に贈られるのは、スポーツの神様でもあるゼウスを讃える『オリーブ冠』という。ちなみに、日本で行われる女子マラソン勝者に贈られるのは、月桂冠ではなく、『オリーブ冠』である。 「桂の枝も手折るべく」 世の人から賞賛されるような人物になるようにの意。 古代ギリシャでアポロン神殿の霊木月桂樹の枝葉を輪にして冠とし(桂冠)、競技の優勝者に被らせて賞賛の意を表した。あるいは、「折桂」(進士の試験、すなわち高等文官試験に合格すること)とも取れるが、前者の意と解したい。 |