旧制第一高等学校寮歌解説
一度搏てば |
明治32年第9回紀念祭寮歌 西寮
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1、一度搏てば三千里 み空を翔くる大鵬も 羽根未だしき時のまを 潜むか暫し此森に 2、闇に吼ゆれば一聲に 大地おびゆる獅子王も 牙まだならぬ時のまを 潜むか暫し此洞に 4、岡の上高くうち聳え 他日我が得ん橄欖の みどり廻らす四の棟 自治の寄宿を君見ずや |
譜は「大捷軍歌・水雷艇」の譜 昭和10年寮歌集で、概要、次のとおりに変更された。 1、各段1小節の3音・4分音符を、付点8分音符と16分音符に分け、歌詞との対応を明確にした。 2、これに伴い、3段1・2小節は、音符下歌詞に移動があり、歌い方が変わった。 @1小節 「はねいま」 A2小節 「だしきー」 「「大捷軍歌・水雷艇」をMIDIで演奏します。他にMIDI・MP3の音が鳴っていないことを確かめ、下のスタートボタンをクリックしてお聴き下さい。(譜は南部東大先輩提供) 日清戦争で、威海衛軍港に停泊している清国戦艦「定遠」「鎮遠」を攻撃するため、日本海軍が行なった 水雷艇による夜間攻撃の軍歌である。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
一度搏てば三千里 み空を翔くる大鵬も 羽根未だしき時のまを 潜むか暫し此森に | 1番歌詞 | 一たび羽を水に搏ちつければ、水の上を三千里も滑走するという大鵬も、羽が十分成長しない間は、しばし、この向ヶ丘の森に潜んでいるのか。一高生を大鵬の雛に喩える。「此森」は、向ヶ丘。 荘子『逍遥遊篇』 「鵬之徒於南冥也 水撃三千里」 「水撃三千里は、「海上を滑走して浪立てること三千里」の意。したがって、この寮歌の意味は、将来の飛躍のための滑走三千里。」(井下先輩「一高寮歌メモ」) 「圖南の翼千萬里 高粱實る満洲の」(大正6年1番) |
闇に吼ゆれば一聲に 大地おびゆる師子王も 牙まだならぬ時のまを 潜むか暫し此洞に | 2番歌詞 | 闇に一声吼えると、百獣がおそれおののいて隠れ伏すという王者獅子も、牙がまだ十分成長しない間は、しばし、向ヶ丘の洞窟に潜んでいるのか。一高生を獅子に喩える。 「獅子吼」は、(仏)獅子が吼えると百獣が恐れおののいて隠れ伏すように、仏の説法で悪魔や外道が降伏すること。「此洞」は向ヶ丘の洞窟。 |
雲蒸し來なん時いつと 學びの羽根をつくろひつ 風吹きよせん時こそと 思ひの道に牙磨ぎつ | 3番歌詞 | 雲の湧きおこる時はいつかと、学に励みながら羽根をつくろって、風が吹いたら、これを引き寄せて雄飛しようと耽々と機会を窺いながら、牙を磨いで修業に励む龍、すなわち一高生。 史記 彭越伝賛 「雲蒸龍變」 雲の如く湧き起り、龍の如く変幻自在に活動する意で、英雄が機会を得て興起活躍することの喩え。 |
岡の上高くうち聳え 他日我得ん橄欖の みどり廻らす四の棟 自治の寄宿を君見ずや | 4番歌詞 | 向ヶ丘に高く聳え立つ四棟の自治の寄宿寮を君は見ないか。寄宿寮の周りは、橄欖の緑で蔽われることになるだろう。すなわ、一高の伝統や精神というものが、これから時間をかけて築かれていくことになろうの意か。「岡」は、向ヶ丘。「橄欖」は、一高の文の象徴。「寮の周りに橄欖を植栽する計画でもあったか」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)。橄欖とは、具体的な樹木の橄欖ではなく、これから積み重ね形成していく一高の伝統ないし精神というべきものか。本郷一高正門(現東大農学部正門)を入ったところ、大きく成長した橄欖の木(実はスダジー)が植わっている。「四の棟」は、一高の東・西・南・北の4寄宿寮をいう。一高は、明治22年3月22日、本郷区向ヶ丘彌生町に落成した新校舎に一ツ橋から移転、東・西2寮を建設、翌23年3月1日に入寮を許可された。同年9月には、校外の建物の賃借ではあるが南・北寮を開設した。その後、本郷では逐次寮を増設し、駒場移転の前には、寮の数は、東・西・南・北・中・朶・和・明の8寮であった。 「他日我得ん」を「橄欖」ではなく、「四の棟」にかかると考えられないことはないが(実際にそういう先輩もいた)、新たに構内に建設される寮は、南・北・中の3寮(翌年9月完成)で、既存の東西寮と合せて5寮となり、「四の棟」ではない。 |
櫻花ちる川面に 白旗一度ひらめけば 羽風に今はなびきつゝ 勇みし敵の影もなし | 5番歌詞 | 桜花散る隅田川に、一高のボートが漕ぎ出せば、その波を切るオールの音に恐れおののいて、かって勢いよく勇ましかった敵の影は今は、もういない。対高商ボートレースを踏まえる。 「川面」は、隅田川の川面。 「白旗」は、一高の応援旗、柏葉旗。「羽風」は風を切る音だが、オールの波音と訳した。「なびく」は、権利者の意思命令どおりに動く。服従する。「勇みし敵」は高等商業(現一ツ橋)。 「明治23年から32年にかけて、一高は前後六回、高等商業(現一ツ橋大)とボートで覇を争い、六たび隅田川に凱歌をあげた。・・・このボートレースは毎回満都の話題をさらい、見物の都民は墨堤を埋めた。」(「一高自治寮60年史」) |
芝生ひ茂る廣庭に バット一撃わが立てば 國の内外に今は早や おこれる仇はひれ伏して | 6番歌詞 | 芝生が生い茂った球場に、一高選手が立てば、バット一撃で相手を打ち負かす。大挙して一高に刃向ってきた敵は、今やひれ伏してしまって、國内外にもう敵はいない。明治23年から36年は野球部黄金時代である。 明治31年4月13日 一高球場で二高と対戦、11A-8で勝つ。この試合は、高等学校との初の対戦であった。 |
此洞なりて森なりて はや九とせとなりにけり 今日のうたげを雲なびき あはれ風さへ吹きたちて | 7番歌詞 | 大鵬や獅子が、この向ヶ丘の森や洞に住むようになってから、すなわち一高生が寄宿寮に起伏しするようになってから、早や9年を数える。今日の紀念祭の宴を祝福して、向ヶ丘に雲が棚引き、さらに心地よい風さえ吹きだした。 「その3月1日恰も(貞宮内親王)殿下の50日祭に當りしを以て翌2日第9回紀念祭を擧行す。祭の次第漸く定りて祭式や餘興や茶話會や例年の如くなれども樂みは新にして興盡きせず。」(「向陵誌」明治32年3月) |