結婚紹介所
一ヶ月前、最愛の妻を亡くした大川は妻・雅子の遺影の前で手を合わせていた。
大川は大学一年の時、サークルのテニス部で妻と知り合い、意気投合し、いつの間にか気が付いたら同棲していた。二人は色々な所に出掛けて色々な物を見て、自由に意見を言い合って、幸せな日々を過ごした。
あの日も大川はいつものように会社に行って、帰宅すれば、彼女の作ってくれた夕食を二人揃って食べながら、取り留めのない話をして1日を終えるはずだった。ところが、家にいない妻を心配していると、午後七時を過ぎた頃、地元の警察から電話があった。妻が横断歩道を渡っているとき、直進してきたトラックにはねられた。大川が病院に駆け付けた夜、妻は大川に看取られて五〇歳の命を閉じた。
彼女が死んで一ヶ月が経った。慌ただしく法要を済ませ、ぽつんと一人部屋にいると、彼は寂しくて何もする気が起きなかった。過去の出来事を思い返すばかりの毎日だった。大川が作った得意料理のオムライスを彼女と食べた。初めて作ったオムライスを彼女が美味しくできたと褒めてくれて、それから時々作った。オムライスを食べた「美味しいね」と笑う妻の顔を思い出す。休日、一人散歩に出ても、道ばたに咲くコスモスの花を見て「綺麗だね」と言えば、「ほんと、綺麗ね」と言葉を返してくれる彼女はいない。
再婚しなさいよ。耳元で妻が囁いた気がした。そうだ、再婚すればいい。彼女みたいな人が何億人もいる世界を探せば、一人くらい見つかるに違いない。彼女は良く言っていた。「考えるな、感じろ」と、ブルースリー、のファンだった彼女はおどけて大川の胸にツンツンと右手の人差し指を当てて笑っていた。
大川は自室のノートブックパソコンで結婚紹介所をネットで探し、その中で、再婚者専用紹介所、私たちは変わらぬ愛をあなたの心に届けます、というキャッチフレーズの紹介所を見つけた。翌日、彼は早速その紹介所に電話してみることにした。
* 「こちらK結婚紹介所、担当の田所でございます」
田所は声の低い落ち着いた感じの男性だった。人気の紹介所らしく初回の相談日は二週間後になった。相手の条件を精査するため、配偶者の生前使用していた日用品を持ってくるように。多ければ多いほど、より理想の相手を紹介できる。特に髪をとかしていたブラシ、日記、メモ帳、卒業アルバム、趣味の作品など、彼女の思考の痕跡がたどれる物は必ず持ってくるようにと言う指示だった。大川は彼女が海外旅行に行った時に使用していた大型スーツケースをクローゼットから引っ張り出した。まだ、彼女の遺品はそっくりそのまま残っていた。彼女が就職した時にお祝いに買った鏡台の前に座った。引出しを開けるとヘアーブラシが入っていた。
「やだわー、最近、抜け毛が多くなってきて、年は取りたくないわ」
肩まで伸ばした五〇歳とは思えないしなやかな髪を解かしていた。そのヘアーブラシを取り出した。
大学時代から使っていたライディングデスクが置いてある。同棲した時、彼女が自宅を飛びだしてきたものだから、バイトとしてやっと買ったデスクである。引出に彼女が毎日付けていた日記が仕舞ってある。日記を開くと事故の前日まできちんと書き込まれていた。それを取り出す。大川は部屋の中から彼女の生きていた頃の痕跡を一つひとつ探し出してはスーツケースに収めた。
大川はスーツケースを転がしながらK結婚紹介所を尋ねた。電話で話した田所はとても若い男性であった。まだ二〇台くらいだろう。名刺の肩書きには所長と記されていた。とても落ち着いた雰囲気だったので年配の男性を思い描いていた。よほど才覚のある人間に違いないと大川は思った。一時間ほどの面談をして、一ヶ月後、紹介できるという。大川はスケジュール表にその日に印を付けると毎日その日の来るのを待ち続けた。
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一ヶ月後、大川はk結婚紹介所を再度訪れた。田所は女性の待つ面談室の扉を開けた。大川が部屋に入ると、ソファーに座る彼女は恥ずかしそうに下を向いていた。田所が女性に声を掛けた。
「大川さんがお見えですよ」
彼女が伏せていた顔を上げた。大川は女性の顔を見て驚愕した。女性は大学生時代の大川雅子そのものだった。田所は自信満々の顔をして言った。
「クローンと言えども人権を持っておりますので前妻の方と差別することのないようご配慮をお願いします」
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