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薬の絵
 



 田所平八郎がパソコンを起動すると、製薬会社に勤務してい たとき同僚だった大川真一からメールが届いていた。10年遅れで入社してきた彼に製薬研究のイロハを田所が教え た。優秀な後輩であった。
 元気でやっておられますか、田所さん
 そんな書き出しで始まっていた。長文が続く。
「今更なんだろう」
 田所の脳裏に過去の記憶がよみがえった。
 大川は田所より10年遅く入社し、田所の元で製薬の研究に携わったが、凡庸な田所とは違い数々の新薬を開発 し、主任研究員であった田所は大川に出世争いで簡単に抜かれてしまった。争うなどというものではなかった、奴の ほうが数段優秀でライバルにもならなかった。
 その後、大川は特別研究チームに抜擢され、田所の部署を去った。大川がいなくなってから田所はジェネリック開 発の分野で会社に貢献した。金属40年、役職は主任研究員のままではあったが、既存の製薬に改良を加え、数々の 良薬を製造し社会貢献したという満足感があった。
 メールを読み進むうち、あり得ないことであるが、大川が若返りの薬を開発したという。これを発表していいもの か、悩んでいるという。何故、俺なんかに? メールをよこしたのであろう。かつて教えた後輩が大きく成長し、誰 もなしえなかった薬の開発に成功したのである。彼は祝福のメールを直ぐに送信した。
 新薬の開発成功おめでとう。君は大きな仕事をすると思っていたよ。心から祝福する。
 ただ、それだけ、送ってパソコンのスイッチを切った。開発の研究を終え、定年退職し、3年が経っていた。いわ ゆる年金生活という奴である。仕事に夢中になり気が付いたら独り身である。近所のゲートボールサークルに入っ て、毎火曜日、数人が集まって2時間ゲートボールをする。テレビを見たり、読書をしたりして時間が過ぎていく毎 日である。たまにうまい料理も食べたいと思うが、一口二口食べれば満腹になってしまう。歩くのも億劫になってき た。
 それから1ヶ月が過ぎた頃、田所に大川から、封書の手紙が届いた。その中に3個の鍵が同封されていた。大川は 新薬を自分で試し、若返りの効果が顕著であり興奮した。しかし、誤算が生じた。この封書が到着した頃、大川はこ の世から消えているだろうと書かれていた。若返りの速度が抑制できず、生まれる前に到達してしまう。それを抑制 できるよう改良して欲しいとも書かれていた。3つのうち一つは自宅玄関の鍵、一つは研究室の鍵とあった。
 1年後、田所は大川の家に鍵を持って向かった。世田谷の閑静な住宅街の中に大川の家があった。彼もまた、研究 に明 け暮れ、独り身だったようである。300坪はあるかと思われる敷地に平屋建ての木造家屋があり、それを倍くらい の高さのケヤキが囲っていた。田所は玄関の鍵を開け入った。研究室と思われるドアがあった。鍵を使い開けると、 20畳ほどの部屋に研究機材が整然と並んでいた。部屋の中央にバスタブが置かれ、その中には大川が着ていたもの と思われる衣服が脱ぎ捨てられていた。彼はこの中で生涯を終えた。田所は手を合わせ大川の冥福を祈った。
 3個目の鍵は新薬の入った保管庫である。保管庫には抽出されたピンク色の液体200CCがガラス瓶に入れられ 保管されていた。大川の研究資料では0.01ccを飲んだだけで、体重60キログラムの大川の場合、1ヶ月で 40歳の若返りがあった。服用する量、服用する人間の体重で、抑制することが可能であると思う。身体の小さなマ ウスで効果を試してきたが、人間は更に効果が加速されてしまうがその原因は不明である、と報告は締めくくられて いた。
 田所はバスタブの中に持って来た研究資料を放り込んだ。ライターのオイル瓶を胸ポケットから取り出すとバスタ ブの中に広がった書類に振りかけ、マッチの火を落とした。火が勢いよく上がった。
「君は神になれなかったか? 」
 そう言い放った田所はピンク色の液体のガラス瓶を手にすると、テーブルの上に置いた。そして、胸ポケットから 小瓶を取り出し、入っていた黒い液体をピンク色の液体が入った瓶に注ぎ入れた。混ざった液体から青白い光と煙が 発生した。田所はその異様な液体になった液体の瓶を口元に運び、吸い口を口に当てると一気に飲み干した。1分 後、田所の身体のしわが徐々に消えていき、白髪頭から毛髪がぱらぱらと落ちてはげ頭になったかと思うと、地肌か ら真っ黒な毛髪がみるみるうちに生えだし、頭部が真っ黒な髪で覆われた。腕、足、胴体が縮み始め、小学生くらい の身長まで縮んだ。しゃがんだ彼は四つん這いになり、更に身体を倒し横たわり、天井に向かってオギャーとひと泣 き して、姿はどんどん縮んでいった。やがて、着ていたシャツとズボン、靴だけが残った。5分後、シャツの一部が膨 らみ始めた。1時間後、筋肉隆々の青年田所が出現した。
「改良は俺の得意とするところだ、大川、見ていろ、俺がこれを使ってお前の出来なかった分まで世界を変えてや る」
  *
 戦闘激戦地アフガン北部。
「行け」
 総勢100人の集団が持っている武器は古代中世に使われていた斧(おの)と盾(たて)だけであった。誰もが筋 肉隆々の体躯を備えている。横1列に隊列を組んだ軍隊は、先に見える敵陣地に疾風のごとく走り始めた。隊列にミ サイルが飛んできて爆裂する度、その集団は爆裂をかわしながら進んでいく。それでも除けきれない数人は吹き飛ば されてしまうが、空中で回転し体制を立て直すと、両足で地面に着地し、休むことなく敵地に向かって走り始める。 それを見て恐怖を覚えたのは敵の戦闘員たちである。あんな武器だけで向かってくるから笑っていたが、彼らには信 じられないことであるが、絶対に死なないことが分かってきたのである。座って機関銃を撃っていた男たちは最初 「狙い撃ちだ」と笑っていたが、いつのまにか顔がこわばって恐怖で身体が震えだしていた。迫ってくる魔物の集団 に逃げることすら出来ずにいた。やがて、敵地に到達した軍団は斧で相手の頭蓋を一振りでかち割った。機関銃の音 は消え、悲鳴、叫びだけが響き渡った。
 1時間後、最後の絶叫が響いたとき、当たりは静寂と血まみれの遺体だけが残った。行け、と命令した男が敵地に 歩いて現れた。
「壊滅しました。当方、負傷者なし。任務成功です」
 戦闘員のチーフが現れた男に報告をした。
「自衛隊の怖さが広がればこちらの勝ちは直ぐだな」
 そういうこの男も身体は筋肉で隆起していた。
「すごいですね、この筋肉増強剤。向かうとこ、敵なしですから。このチームが全部で1000チーム、自衛隊10 万人がアフガン全土に展開されているのですから、これも7月の法案成立のお陰です」
「ああ、総理もこういう薬が開発され、死傷者が出ないからこそ、無理に法案を可決させたんだ。絶対に負けない軍 隊、まさに世界の警察国家になる日も近いぞ」
 そのとき、煙が立ち上る敵地の彼方から鎌(かま)と盾(たて)を持った黒い集団が歩いてくるのが二人の目に 映った。

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