サイパン

廃棄物

 建築家・大川平八郎はスカイツリーの前に仁王立ちし、ひたすら怖い顔をして凝視していた。
「これで日本は救われるぞ」
 平八郎の発見は国内はもとより国際的に注目された。東北地震の災害により発生した原発事故により出現した膨大な放射能汚染物質の捨て場を発見したのである。
 その世紀の大発見の記者会見が六本木ヒルズホテル王朝の間で行われることになった。
「大川先生、これはすごいことですね。我々にも優しく改めてこの装置の仕組みを説明していただけますでしょうか? 」
 ジャパン新聞の記者・山田が質問した。
「うむ、まあ、大きなエレベーターを使って、ゴミを宇宙に捨てに行く、という実にシンプルな装置だよ。その装置の原型がスカイツリーと富士山だな。このスカイツリーの700倍の大きさのものを作ると言うことだ。もともと、宇宙には宇宙線という有害物質がつねに太陽から放射されている。その宇宙線が人間の身体で言うところの抗体に当たる。それが、放射線を駆逐するのだよ」
「専門的すぎて良く分からないのですが、つまり、宇宙線で放射線を中和させると言うことでしょうか?」
「まあ、そんなところじゃ」
「その汚染物質はまた地球に落ちてくると言うことはないのでしょうか?」
「それはあり得ないな。地球の引力の働らかないところで放出するのだから地球に落ちると言うことはまずない」
「しかし、そんな大きなツリーを作ることは、論理的に可能なのでしょうか?」
「君らはスカイツリーの柱の太さを見たかね。タワー足元の鋼管は、直径2.3m、厚さ10cmという細いものです。これを700倍にすれば、高々、直径1.6Km、厚さ70mの構造物です。ピラミッドを作ったのは遙か昔の技術力でも可能であったことを考えれば、現代の技術力を結集すれば、できない構造物ではない。わしは完成を確信しています」
 オオー、と集まった記者は平八郎の説明に感嘆の声を誰もが上げた。

 かくして、平八郎のプロジェクトは、世界108国が参加したプロジェクトとして立ち上げられた。巨大なエレベーターを築き上げ、放射線物質を無重力空間まで運び、放出する装置である。なるべく地面は高いところがいいと言うことで、ヒマラヤの山を基礎にして作ることになった。国際放出発射装置と命名されたこの装置の着工は急展開で進められていった。工事期間は200年後。気の遠くなるような工事であった。
 それと時を同じくして、地球上の原発は100年を掛けすべて廃炉化することに取り決められた。人類に残された課題は汚染物質の廃棄をするだけとなった。
 予想していたこととは言え、その工事の進捗は難航し、作っては壊れ、作っては壊れるという、人類の英知を掛けたプロジェクトであった。かくして、この工事は着工から1320年の歳月が流れていた。発案者である平八郎は、当然ながら既に他界していた。そして、いつしか誰もがこの巨大構造物がどんな目的を持って作られているかも記憶するものも、記録すらもなくなっていた。

 1320年後の世界。放射能の汚染物質も放射能もなくなっていた。汚染物質を浄化する装置が、平八郎の何代かの孫により、発明されていた。使い道のない巨大な構造物はピラミッドと呼ばれ、今なお、作り続けられていた。国際協力の象徴物として。


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