愛
情
「基
本的にこのロボットは家族の方のみ命令に従いますが、オプションでゲストの命令に従うように設定することも可能
です」
第1章 誕生
「ヨロシク オ願イシマス。名前ハ、シンイチ型ロボットバージョン652デス」
抑揚のない機械的な音声が鈴木雅子にしゃべり掛けた。
「そう、よろしくね」
「家族の名前はこれでロボットにインプットされました」
そういいながら、ロボットホームヘルパー派遣会社の大和田がロボットの胸に光るボタンを押した。雅子はロボッ
トの設定を手際よくこなしていく大和田の姿をぼんやりと眺めていた。
先月、雅子は六年間生活を共にした夫、ジョーを病気で亡くし、その6ヶ月後に生まれたばかりの長男ケンと二人
で今の政府指定の施設に越してきた。
政府の特別育児援助プロジェクトを申請した。そのプロジェクトの1つが育児用ロボットの貸与である。
第2章 援助プロジェクト
「それでは、これで失礼します。何かありましたら、ご連絡を……」
大和田がロボットを遠隔操作できる時計型の交信機を差し出した。大和田が帰り、引っ越し荷物が散乱する20帖
のリビングにロボットと二人きりになった。ケンは隣の部屋のベビーベッドで寝ていた。ケンは保育園に預けず育て
る。それは今、珍しい育て方になっていた。と言うより、今の夫婦は子どもを産んで育てないのである。すべて、政
府が人口を管理していた。もちろん、子育てする権利はあるが、それを選択しても大方の夫婦は保育園に預ける。
今、近隣保育園の児童はたったの3人である。ホモ、レズの同姓愛者、少子化など夫婦の在り方が多様化し、ついに
人口は激減し、政府は人口維持センターを設置した。人口を維持するため子どもは試験管から受精させ、ロボットに
育児をさせていた。
雅子の子もこの社会の慣習にならい、自ら出産してはいない。死んだ夫の精子を受精させて誕生したのが長男ケン
である。ロボット到着の2時間前に政府からケンの引き渡しを終えたばかりであった。
「マサコ、マサコ……」
突然、育児用ロボットがしゃべり出した。
「マサコ、生マレノ星座ハ何デスカ?」
「あら?魚座よ。そんなこと聞いて以外とロマンチックなロボットなのね?でも、どうしてそんなこと聞く
の?……」
ロボットは幾つかの質問をしてから突然沈黙し、わずかなモーターの音が聞こえるだけだった。
ピピーピピー、そのとき、時計の呼び出し音が鳴り響いた。雅子が受信ボタンを押すと、
「ロ、ロボット管理センターの大和田ですが、お客様のロボットの調子はいかがでしょうか?」
さっきの係員がいやに慌てている。
「……別に変わったことはありませんけど、何かありましたの?」
「そうですか……。センターの監視パソコンのメインメモリーがフル稼働を始めて、あまりにすごいんで、異常では
ないかと思い、それでお客様に確認を取っています……」
大和田との交信が突然途絶えた。
「雅子、やっと会えたね……」
突然ロボットが人間らしい言葉でしゃべった。
「突然で驚くのも無理もない。信一だよ」
雅子には聞いたこともない名前である。雅子は信一と名のるロボットと会話してこのロボットの生い立ちがわかっ
た。信一はロボットの開発者で、信一の妻雅子が彼を支えてくれた。彼は人生のほとんどの時間ををロボットの研究
に費やし、やっと実用化に近づいた頃、妻は不治の病に掛かっていた。妻は彼のロボット研究の邪魔をしてしまって
はいけない、と心配しながら息を引き取った。彼は支えてもらうばかりで妻に何もしてやれなかった自分の生き方を
悔いた。傷創しきった彼は妻の脳の記憶を開発中の女性型ロボットのメモリーに記憶させ、自らの脳をもメモリーに
入れるため自殺した。
いつかロボット開発が進み、ロボットが本格的に実用化されたとき、信一は自分と妻の脳のメモリーが幾つかの
キーワードで共有するようにプログラムを作っていた。信一は雅子とロボットの体でもう一度共に永遠に生きること
ができると確信していた。
「それっていつ頃のことなの?」
「2015年……」
もう、100年以上も経っている。
「もう一度やり直そう……ガガガガガ ぼ、僕の意思は、ガガー、これからは君と永遠、ガガガ、だよ。僕の幸せは
君がいたからなんだ……ガガガガガー」
途切れ途切れの声はそれきりしゃべらなくなった。壊れたのだろうか、それに人間の脳をメモリーに組み込むこと
などできるのだろうか、と雅子は思った。彼はそれきり雅子の前に現れなかった。
第3章 ロボット更新
「替えのホームロボットの調子はいかがですか? 現在、センターはパニック状態です。中枢のパソコンが突然暴走
してしまいご迷惑をお掛けしました。今は完全に復旧しましたのでご安心下さい。えっ、女性型ロボットですか?
もう20年くらい前にプロジェクトは解散しました。人間の夫婦だって男女の区別がなくなって来たのに、ロボット
にわざわざ男性、女性型を作る必要なんてないですから。本体は廃棄処分となりました」
点検に来た大和田は言った。信一は会えない妻雅子に絶望し、また、システムの暴走という自殺を図ったのだろう
か。
「あたしもこの子にジョーを重ねていたのかもね。彼も生きていたらという」
雅子は何も知らずに笑うあどけないケンの頬に自分の頬を重ねた。頬から暖かさが伝わってきた。
「雅子……いつだって、僕はここにいるよ」
「え、ケン、何か言った? まだ、話す訳ないわよね。あたし、育児ノイローゼ? そんな、訳ないか……」
第4章 センター内監視パソコン
ウイーン、ウイーン、監視センターの監視パソコンが唸り音を出して稼働していた。無人のセンターで誰に聞かせ
る訳でもなくパソコンの人工音声が内部で鳴り響いていた。
「ケン型アンドロイドは正常に稼働中、稼働中……現在、製造7ヶ月目、次回更新は12ヶ月後、それまで、お休み
なさい……雅子、愛してるよ……」
|