スランプ
平八郎は自称小説家だった。本業の会社勤めも数年すると定年である。本人は小説家が本業と思っている。しかしながら、書いた作品はいろいろ公募に投稿すれど、佳作にも入らない。それでも、彼は取り憑かれたようにこつこつと小説を毎日書いた。 「いつかベストセラーを出して、直木賞でも取ってみろよ、もう、大変だぞお」 と、口癖のようにつぶやく。彼には妻と子どもがひとりいた。万年平社員の安月給ではあったが、家族は慎ましやかで幸せな生活に感謝していた。そう言う家族に温かく見守られながら、彼は毎日、来る日も来る日も、書き続けた。 そんなある日のことだった。 「ああ、もう駄目だあ」 平八郎は薄くなった髪を両手で掻きむしった。 「全然、書けない。スランプだ」 そう、今、平八郎は小説が書けないというスランプにどっぷりつかりつつあった。 「ああ、書けないよ。なんてこったあ」 書けない状態で1週間が過ぎた。1番心配したのは、妻と子どもだった。家にいるときは小説を書いている姿しか見たことがなかったからである。その彼が小説を書いていない。否、書けないのである。彼は書けないことを嘆くたび、薄くなった頭髪を掻きむしった。 「ああ、書けない、書けない、書けない」 やがて、2週間が過ぎた。 「もう駄目だ、2週間も書けないなんて」 彼は自分の頭髪を掻きむしろうとした。その髪はいつの間にか、手で掻きむしったため、全ての髪が抜け落ち坊主頭になっていた。 「ああ、髪まで掻けない。小説も書けない。書けないづくしだあ。ああ、も、もう終わりだあ」 彼は鏡の前に立ち、髪のなくなった丸い頭を見つめた。電灯の明かりが頭部に当たり、光り輝いていた。彼にはそれが神様のように光り輝いて見えた。 「おお、神様。あなたにお会いするためのスランプでしたか」 彼は納得すると、いつものように、小説をまた書き始めた。
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