小学生6年の時、僕は母に連れられて母の実家に行った。僕の街からバスに揺られて30分くらいで都心の最果てというような所に着く。

母は7人兄弟、3番目の3女である。その人たちがこの実家を中心に家族で住み、ここに集まっていた。

「こんにちは、叔父さん」

「こんにちは、叔母さん」

一人ひとり、挨拶して家々を回っていく。誰もが判を押したように僕に「ああ、来たのかい?」と言う。3人の従兄弟がいた。その中で、3歳年下の男の子がいた。小さい頃は僕が行くと遊びに来るのを待っていてくれたのだが、去年のお盆から何故か僕より大事な友だちの所へ行ってしまっていなかった。だから、この従兄弟と遊んだのは5回ほどしかない。僕と母は、正月の新年とお盆の2回だけ実家を訪れた。

僕はこの実家に来てもやることがなかった。一人だけ、大人たちの世界で行き場がなくふらふらしていた。大勢の親戚の中にいるのに一人ぼっちだった。しかし、母はそんな僕の気持ちを知る由もなかった。母はいつだってここに来れば、気心の知れた兄弟たちと話が弾んでいた。会話に加われない僕は、遠くからそんな楽しそうな母を羨ましく見ていた。僕は一人長い退屈な時間をこの不詳の地で時間を過ごした。

何もやることがなく暇を持て余していると、ふと、僕を見ている視線を感じた。その方向に向くと、一匹の猫がいた。白い体に黒い斑が入っている。ちょこんと玄関の片隅に座って僕を見ていた。

 猫は僕を見ながら舌をぺろりと出してから前足をなめた。

「ねえ、叔母さん、あの猫、飼ってるの? 」

 そばにいた母のすぐ下の妹のM叔母さんに尋ねた。

「あら、嫌だあ。また、野良が家を覗いてるよ」

 M叔母さんはそう言うなり物を投げる素振りを見せて、しっし、と声を出し、猫を追い払おうとしている。それを観たS叔父さんが言う。

「こら、生き物をいじめてどうすんだ」

 S叔父さんは手に持っていた物を猫に向かって放り投げた。猫の前足の前にうまい具合に落ちた。猫は一瞬逃げようとしたが、さっとそれを口でくわえた。叔父さんが投げたのはスルメイカであった。

 S叔父さんは母の兄弟で唯一の男であった。この叔父さんがいるからこの猫もこのうちにやってくるのかも知れない。叔父さんは奥の広間から自分の食べていたスルメのかけらを猫のいるほうに向かってうまく放り投げた。叔父さんは焼酎が好きで酒の肴にスルメをよく食べていた。それが猫の前にうまいこと転がった。猫は素早くその断片をくわえたのだった。

「お兄よ、そんな事するから野良が寄り付きよるがな」

 M叔母さんがS叔父さんに不満を漏らす。

 僕はその猫のそばに寄ろうとして、玄関の土間に降りた。

「おい、猫よ」

 心の中で声を出すと、僕は右手を差し出しながらつっかけを履いて猫のそばに寄ろうとした。猫はその手の先を観ていた。別に僕の手の中には何も入っていない。スルメがありそうな、素振りを見せれば、興味を寄せると思ったからである。でも、猫は僕が近づくとすぐに踵を返して立ち去ってしまった。

「こらあ、何も入ってないじゃないか。おいらをばかにするなよ」

 そんな捨て台詞を言って去っていったような気がした。それきり、その猫とは会っていない。何故なら、それきり僕が母の実家に行かなくなったからである。

「つまらないからもう行かない」

 この時から僕は母にそう言って家で一人留守番するようになった。家でも僕は一人だったから実家に行っても同じような気もした。僕には3人の兄姉がいる。みんな友達と遊びに行って家にいることはなかった。ここでも僕には友だちがいない。いつも一人である。

1週間ほどした頃だろうか。ぼくの家の縁側に野良猫が来るようになった。日の当る縁側に白に黒色の斑をした猫が座るようになった。実家で見た猫に似ているような気がした。あんな遠くからここまで来られるわけがない。僕はあのときと同じようにこの猫のふさふさした毛を触ってみたいと思った。あんな可愛い猫が隣に座っていてくれたら楽しいな、と思った。毎日、猫はいつも縁側で僕を見て何を考えているのか。僕の手をなめたいと思っているのであろうか。触れなくても側にいて暖かさを感じることができれば幸せなような気がした。S叔父さんもそんな気持ちだったのかも知れない。

「おい、猫や。スルメ、食べるかい」

そういった僕は、スルメなど入っているわけがないポケットを探ってみた。

 


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