鳩御殿

 

 

 小学6年の頃、平八郎の父親は鳩が好きで、伝書鳩と言うのを飼っていた。その数、1万羽である。父親の父親、つまり平八郎の祖父はモンゴルの生れで、生まれながらの遊牧民だった。モンゴルでは伝書鳩を遊牧し、海外に輸出していた。

「この仕事は辞められんねえ。幾ら売ってもうちの鳩は戻ってきてくれるんだからね。まあ、利口な鳩を育てるのが俺の仕事だからな」

 小学生の頃、そんな話を父親から聞かされていた。特に、戦時中は鳩でだいぶ儲けたらしい。無線機は敵に情報を傍受されるので、最高機密は全て鳩に託されたのである。そんな利口な鳩たちの話をよく聞かされた。平和となった現在、鳩の活躍の場はない。それでも、父は鳩が好きで育てた。

 彼の家は平屋だったが、飼われている身分の鳩の家は2階建てで、彼の家より広かった。大工が仕事の父は、仕事場から帰宅すると、その鳩小屋と言うか、鳩御殿に入ってはいつも何かしていた。彼はそっと覗いてみた。父親は鳩に囲まれて楽しそうに笑っていた。彼も楽しい気分になった。

「僕もきっと父さんみたいにりこうな鳩を育てるんだ」

 彼は遠い将来、利口な鳩と生活している自分を思い描いた。それはとても楽しそうな生活だった。

 鳩好きの父親は、仕事を時々休んでは鳩を籠に入れ、自転車で籠を載せたリヤカーを引いて出かけていった。帰宅した父親の自転車には鳩がいなかった。

「父さん、鳩はどうしたの? 」

 彼が鳩のことを問うと。

「あいつらは伝書鳩だからな、ときどき、帰巣本能を目覚めさしてやるのさ。遠くに連れて行って離してやる。頭のいい奴はどんなに遠くても帰ってくる」

 父の言うとおり、鳩は何日かすると必ず巣へ帰ってきた。それも、よそのうちの鳩を何羽か引き連れて戻った。鳩はどんどん増えていった。2階建ての鳩御殿は鳩たちで一杯になった。

「ねえ、父さん、鳩たちが窮屈そうだね」

「ああ、そうだな。もっと増築してやらんとな」

 大工の父親はいとも簡単に1人で鳩御殿を3階建てにした。今でこそ木造の3階建ては建築確認がおりるが、彼の小学生時代、昭和40年代は2階までしか建てられなかった。大工の腕は確かだったが、無学だった父親は気にすることなく3階建てを増築してしまった。

 何日かして父の所に役所の人たちが3人ほどやって来て言った。

「困りますねえ。建築違反ですから直ぐ撤去してください」

 彼はそれを遠くから心配そうに見ていた。父は何か叫んでいた。

「3階が駄目なら、4階にすればいいんだな」

「違います。2階までしか造れません。いいえ、そう言う問題ではありません。この建物自体が建築申請をして承認されていないのですから問題外なのです。撤去してくださいと申し上げているのです」

「ばっきゃろう、どうして、人間様が住むんでなくて、鳩が住むのに確認申請なんかする馬鹿がいる」

「鳩の小屋でも大きさでりっぱな工作物になります。こちらの場合、やはり申請は必要でした」

 彼には父と役所の人たちのやりとりがちんぷんかんぷんであったが、何となく、鳩には一大事だと言うことは感じていた。鳩は一斉に飼い主と役人を見つめ心配そうにしていた。

 そんな騒動があった次の朝、父は1万羽の鳩と共にいとも簡単に失踪した。

 鳩御殿は役所から来た工事の人たちが3日ほど掛けて取り壊していった。平らな土の空き地が残った。

 彼はその空き地を見て、鳩と父さんがいつか帰ってきたら、困るだろうなと思った。

 それから30年後、平八郎は、等価交換で父の残した土地に40階建てのマンションを建てた。そして、屋上には立派な木造3階建ての鳩御殿を建てた。あのときと同じ大きさと造りだった。ツーバイフォーという建築工法らしい。父はすでにあの時代にこの近代的な工法を編み出していたことになる。

「父さん、随分遠くまで出掛けているんだねえ。もう、あれから30年だよ」

 空を見上げた平八郎は鳩御殿に入った。外観は鳩たちが迷わないようにそっくりに造り上げた。ただ、30年も鳩は生きるものか知るよしもなかったが。内装はあのころとは比べようもなく立派な化粧を施した。

 会社から帰宅した平八郎は、鳩御殿の入り口を開けた。パタパタ、と音を立てて、彼の左肩に何かが飛んできて舞い降りた。1羽の鳩だった。

 彼が鳩を右手の人差し指に止まらせ、口元へ寄せた。ふっと、安堵の息を出した彼は鳩に向かって言った。

「ただいま、ゆりこ」

 鳩はくちばしで平八郎の下唇をちょんちょんと突ついた。

「お帰りなさい、平八郎さん」

 彼の鳩はしゃべれるようになっていた。伝書鳩ならぬ、伝言する鳩にまで知能が発達していた。部屋の照明スイッチを入れた彼は驚いた。ゆりこの後ろには、部屋中に鳩の群れがひしめき合っていた。くちばしを大きく開けた鳩は一斉にしゃべった。

「帰ったよ、平八郎」

 


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