なぞのおじいちゃん先生
(2001.08.26脱稿)
7月の始め、ケンタは4年1組の教室からプールを見ていました。
5時間目の体育の時間は、ケンタのにが手な水泳です。
ちょう先生が去年の水泳テストで泳げなかったせいとをプールサイドに集めました。一組で泳げない子は、ヒトシくん、メグミちゃん、トモミちゃんとケンタの
4人だけでした。4人はちょう先生の前に集まると、日ざしを受けてあつくなったプールサイドに、元気なくすわりました。
「きょうは、校長先生がきみらのために水泳の先生をとくべつにおよびしてくださいました」
ちょう先生はそういって、後ろにかくれるように立っていたやせほそったおじいさんをしょうかいしました。おじいさんは、ちょう先生のかげから出てきました。
「みなさん、こんにちは。わしは、泳げないきみたちを泳げるようにするためにやって来ました。なまえは川上すみお、っていいます。よろしく」
ケンタはびっくりしました。おじいさんの顔が、ようかいずかんにあったカッパにそっくりだったからです。くちばしのようにとがった口と、バリバリにつっぱったかたそうなかみの毛。頭のてっぺんは、丸くはげ上がって皿のように見えます。
川上先生は、せなかにかめみたいなこうらをせおっていました。手や足の指の間には、うすい皮がつながっていました。水かきというやつです。理科で習いました。やはり川上先生はカッパです。
ちょう先生は川上先生とぼくたちの前からはなれ、泳げる子のところへ歩いていってしまいました。
「わ、わああ、カ、カッパ!」
ケンタは思わず大きな声を出してしまいました。川上先生のくりくりしたまるいひとみが、ケンタをじろっとにらみました。
「大きな声をかってに出さないでくださいね」
やさしそうな静かな低い声でした。川上先生は水着のかわりに、水草のパンツをはいていました。
「さあ、みんな、泳げるようになりましょう! 」
いちだんと目を大きく開いた川上先生は、真っ赤な長いしたをペロンと出しました。ケンタは、ガタガタ体が小さくふるえてきました。
「ケンタくん、きみは水にもぐれないって? ちょっと、なさけないね。先生のおまじないをつかって、水の上を歩けるようにしてやろうかな? それなら、水の中にはいらなくてすむでしょ? 」
今までの川上先生の話や仕草から、あまりこわい感じがしませんでした。ふるえもすっかり消えていました。
「ぼ、ぼく、泳げるようになりたいです……でも、水の上、歩けたら、寒い時は水に入らなくてすむから、けっこうべんりかなあ? ……それじゃ、先生、歩けるようにもしてください」
「そうか、そうか。それでは、両方ってことで、やってみますか?」
川上先生はバケツを取ってきました。プールの水をくむと、プールサイドにまきました。
「ケンタくん、この上を歩いてごらん」
ケンタは意味がわからず、いわれたとおりに歩いてみました。
「ほら、水の上、歩けたでしょ? 」
「えーっ? 」
ケンタは口をあけたまま、とじるのをわすれてしまいました。かんたんすぎます。
(これって、ものすごく、いんちきだあ。ひどいや)
「なんでも、できる、と思うことが大事です。ケンタくんは水の上を歩けると信じました。じっさい、歩けるようになりました。ちょっといんちきですが。でも、信じてやってくださいね。そうでないと、なにもできません」
ケンタは川上先生の話をしんけんに聞きました。
川上先生がいうと、歩けるような気がしてしまったからふしぎです。ケンタはなんだか、今年こそは泳げるような気がしてきました。川上先生のいうことを信じてみることにしました。
「きみたちはこれからカッパになります」
川上先生がとつぜんへんなことをいいました。川上先生の足元に、皿とこうらが置かれていました。黒っぽい布に、白くて丸い皿が書いてあるスイミングキャップと、こうらの形をした木のうき輪です。
「なにごとも、気分が大事です。なりたいものになれるようにスタイルを決めましょう」
川上先生はいたってまじめな顔です。ケンタはなんだか、なりたいものになれるような気がしてきました。川上先生の本当の姿は、子どもだけにしか分からないようです。ちょう先生には、川上先生のこうらも頭の皿も、見えないにちがいありません。
「このこうらつければ、水にしずみません。安心して練習してください」
ケンタはこうらと皿をつけたらカッパになった気分になってうれしくなりました。川上先生のことがますますすきになってきました。
ケンタたちはひたすらプールの中でバタ足の練習をしました。足がくたくたでしたが、うき輪のこうらがあるからしずむことはありません。
「ケンタくん、顔をつけて泳ぐようにね」
川上先生はかんたんにいうけれど、ケンタは顔を水につけることができません。息つぎがうまくできないからでした。
ケンタは体を少しずつしずめていきました。あごが水につかり、くちびるまで水がきました。
(うわあ!)
ケンタはびっくりしました。そのとき、とつぜん、プールの底がなくなったのです。ケンタはどっぷり水の中にしずんでしまいました。
(あれ、しずまないはずだったのに)
どんどん、深くしずんでいきました。プールの中とは思えない流れがありました。ジェットコースターにのったみたいです。ケンタは流れの中でばたばたもがきました。
(ぼくはこれで死んじゃうんだ。おかあさん、おとうさーん…… )
「あれ、ちっとも苦しくない」
いつの間にか水の流れの中で泳いでいました。息もできます。目の前をスーと光るものが通りすぎました。まわりを見ると、たくさんのアユやウグイが泳いでいます。
(なんで、プールにアユやウグイがいるの? )
ケンタは上を見たり左を見たり、水の中を見まわしました。プールの底に岩が転がっていて、こい緑色の水草も生えています。
ケンタのかたをだれかがたたきました。ふり返ると、ヒトシくんがいました。メグミちゃんやトモミちゃんもいて、なきそうな顔をしています。
「ケンちゃん、ぼくたち、どうしちゃったんだろう? 」
ヒトシくんは今にもなきそうな顔をしています。メグミちゃんは横でないています。水の中なのに話ができます。手のひらを見ると、指の間にいつのまにか水かきができていました。本当にカッパになっていました。
「ケンちゃん、上がってみようよ」
ヒトシくんが上を指しました。
4人はそろって水の中から顔を出しました。あたりを見まわすと、遠くの川岸に高い木がおいしげっていました。鳥のさえずりも聞こえてきます。4人はいつのまにかどこかの山おくの川で泳いでいたのです。
「あっ、あれを見て!」
トモミちゃんが指差す所に目をやると、川上先生が笑って、立っていました。ケンタたちを見つけると、さっそうと川に飛びこんでぐんぐん泳いで来ます。
20メートルくらいはなれていたのに、たちまち泳ぎつきました。
「きみたち、ちょぴり、泳げるようになったかな?」
川上先生は息一つみだしていません。ケンタたちは首をたてにして、こっくりうなずきました。
「もう、大じょうぶだな」
川上先生はみんなのかたをじゅんばんにたたきながら、何度も、大じょうぶ、大じょうぶ、といってくれました。
「わたしは、まだまだ、泳げない子のところへ行かないと。きみたちとはこれでおわかれだよ」
川上先生は川の流れにもぐりました。ケンタたちはあわてて先生の後を追うためにもぐりました。けれど、もうどこにも見えません。しばらく水の中をさがしていると、息が苦しくなってきました。みんなは上に向かって泳ぎました。
「ふぁー」
水面から顔を出して、大きく息をすいこみました。
顔を出すと、おいしげっていた木も、鳥のさえずりも消えて、いつものプールにもどっていました。
「山おくの川じゃないよ」
ケンタはあたりを見まわしました。プールからあがると、ちょう先生のところに走って行きました。
「先生、大変です! 川上先生が帰られました」
ケンタがちょう先生にかけよって、うでをつかみました。
「あ、ごめん。今、行くからちょっとまっていてくれないか。きょうは泳げるまで、みっちり練習するからな」
先生はとんちんかんな返事をしました。
「川上先生が消えちゃったんですよ。さがさなくていいんですか?」
ちょう先生はまだきょとんとしています。
「なんだね? 川上先生って? だれのこと? 」
ケンタたちが今までのことを始めから話すと、ちょう先生は首をひねるばかり。まったく心あたりがなさそうです。それに、体育の時間が始まって、まだ、十分くらいしかたっていないこともわかりました。
「それじゃ、そのスイミングキャップや、こうらやうきわは、どこにあるの?」
ちょう先生にいわれて、ケンタたちはおたがいの体を見ました。水泳パンツや水着のほかには何も身につけていません。うき輪もぼうしもありません。あれは、
4人がいっしょに見た夢だったのでしょうか?
いや、夢なんかではありません。ちょう先生もおどろいていましたが、ケンタたち
4人は、十メートルも二十メートルも、泳げるようになっていたのです。
ケンタたちは、その夏、いっぱい、プールで泳ぎました。泳いでいると、水の中にもぐっている川上先生にまた会える気がしたからです。会えたら、川上先生は、目をギロギロかがやかせて、ケンタたちにこういうんです。
「きみたち、まだ、ちょっぴりですが、そこそこ泳げるようになって、よかったよかった」って…… 。
|