Fans' Boards Around The World (海外掲示板より)
Part 2 ―― Lyrical Discussion



Rushというバンドは、歌詞面でも評価が高く、そのためか、ときおり歌詞関連のトピックが話題に上ります。 うちもいちおう歌詞サイトですので、そう言う関連の話題は興味があり、 見つけるとのぞいて、「ふーん、そう言う見方もあるのか。さすがネイティヴ」と思うこともあれば、 「これは好き好きの範疇だよね」「オイオイ、これは完全にいっちゃってるよ〜」というものまで、 様々な説、議論を読んできました。そして、使えそうなものは解説に反映してきましたが、そこからこぼれたもの、 多くは疑問を呈するものなどを、集めてみました。中にはひどく妄想系も入ってますが、それはまあ、 「そんなとんでもない意見もあるのだなァ」と、軽く読んでくださいませ。




「Test For Echo」アルバムは、作詞家Neilにとって、最低の作品か?

 いきなりですが――なぜだか、この意見、よく目にしました。
「Ghost Rider」を読むと、Neilがいかに 「Test For Echo」を誇りに思っていたか、深い満足を持って作り上げた作品か、と感じさせる記述が何度か出てきますが、 それは主に、「Freddie Gruberに師事して得た新しいスタイルを、満足のいく形で音楽に反映させることが出来た」と言う、 音楽面での満足であり、「それに気を取られすぎて、歌詞まで手が回らなかったのでは」と言う辛らつな意見も、ファンの 間で、たまに見かけました。
「Test For Echo」アルバム自体、ファンにとっては、かなり評価の分かれる作品だったようです。 まあ、Rushの場合、「Signals」以降、アルバムを出すごとに、常にファンの間では評価が分かれていたようなので、 「Test For Echo」がそうだからと言って、別に目新しくはないのですが。「Vapor Trails」も賛否両論、別れまくっていましたし。 ただ、「VT」がリリースされ、その関連議論が落ち着いた所で、各掲示板で、「実は『Test For Echo』はあまり好きじゃなかった』 「自分もそうだ」と言う書き込みが結構目立っていたのが、印象に残りました。その批判の一環として、「歌詞がNeilにしては、出来が良くない」と言う 意見を見かけたのですが、特に槍玉に上がったのが、「Dog Years」「Virtuality』の2曲です。「Rush史上、最低の歌詞では」 とさえ言われたこの2曲、何がそれほど気に障ったのか――論点を取り上げてみます。


Dog Years

 この曲の歌詞を作った際、Neilは前の日に飲みすぎて、二日酔い状態だったらしいので、多少内容が支離滅裂になったのではないか、 という話もあります。
 しかし――そんなに支離滅裂かな――と言うか、ぱっと見、意味がわかりにくい歌詞というのも、Rushでは 珍しくないし、と自分でも最初は思ったのですが、この場合、どうやら、「抽象的で意味がわかりにくい、というのとは違う。 わかるのだけれど、その言い回しが支離滅裂っぽいというか、お互いに脈絡がないようで、いやだ」と言うことのようですね。
 内容的には、この曲は、誰かが「I Think I'm Going Bald '96」だと言っていました。流れゆく時の中で、あわただしさだけが 残り、自分の中の貴重な感性をどんどん失って、年をとり、よけいな智恵や考えを身につけて、つまらない人間になっていく―― 両方の曲から読み取れる思いは、たしかに共通するようにも感じます。それに危惧を抱いたのが、「Time Stand Still」と。 「I Think〜」も、「Time Stand Still」も「Dog Years」も、「時」と言う概念の中の人間、というテーマで展開されている 曲なのでしょう。そして「Dog Years」は、「I Think〜」同様、それをユーモラスに描き出したもの、という点で、共通するような 気がします。
「犬の1年は人間の7年分に当たる」そして人間は、「7年分の歳月を、1年のように生きてしまう。時はあっという間に過ぎる。 (半ば空虚に)それくらいなら、ガラパゴスの亀のように、もっとゆったりした時間を生きたい。」
――至極、まっとうな主張に思えるのですが。何がそれほど気に入らなかったのでしょうか。全体になんとなく漂う「ふざけた感じ」が 気に入らなかったのかもしれませんが、別の人が主張していたように、「これも彼らのユーモア」なのだと思います。
 ちなみに、「尻尾を股に挟んで」なら、意味わかりますが、「尻尾を耳に挟む」って、どう言う状態だ? というのも、「ふざけた」 感じの一つなのかもしれません。(そう言う投稿、見たことがあります) 実際よっぽど尻尾が長くないと、耳に届きませんって。 個人的なたとえで恐縮ですが、以前実家で買っていたポメラニアンは、頭を反らせると尻尾が耳に届いたです。もしくは、「おすわり」状態で 尻尾が立っている時。なのでこれは、「うなだれる」より「しゃんとしてる」状態なのだと思います。>尻尾を耳に挟む。 まあ、単純に「Years」と韻を踏むため、という意見が、正しいのでしょうが。
 ところで、Dog Earsは、本とかのページをしおり替わりに折る、あれのことですので、それと引っ掛けたのかな、という気もします。

 もうひとつ、一部ファンの心情を逆なでするものは、「Son of a Bitch」――「サノバビッチ!」このひと言 (厳密には、ひと言じゃないですが)でしょう。「God D*mned It!」とか「F*ck You!」 のような、典型的な悪態を、 たとえ意味的には違うにせよ、Rushに吐いて欲しくない。彼らはそんなイメージじゃない。という感じなのかもしれません。 「Ghost Rider」の中で、Neilはこの手の悪態、時々ついていましたし、 GeddyにせよAlexにせよ、日常の場面では、絶対 言っているに違いないと思うのですが、歌詞の中でこの手の言葉を言うのは、他の、そう言うのにふさわしいバンドに任せて、 Rushはやめて欲しい、という感じなのでしょうか。
 これに関しては、「良いじゃないか、そのくらい」「それに、これは本来の意味で使っているのであって、悪態じゃないし」 と言う意見も、一般的ではあります。私的には――結構、新鮮でしたね。

 全体として、かなりユーモラスな歌詞なので、それが「ふざけた」感じに映る人もいるのかもしれません。
「Rushは本質的には、かなりユーモアに溢れたバンドだ。AlexのLa VillaでのRantやBy-Torのアニメを見てみろ」
「いや、そう言うユーモアがきらめくのは、彼らが本来知性に溢れたバンドだからで、もとがおバカじゃ、だめだ」
どっちも一理ありますが――「一曲くらい、いいじゃない」と、個人的には思います。


Virtuality

 これの最大のネックは、「net boy、net girl〜」に代表される、歌詞のなんともチープな感触、なのでしょう。
「このフレーズには我慢ならん。寒気がする!」「仮想現実シーンも類型的だし(難破船&宇宙もの&恋愛シュミレーション?)、 なによりnet boy、net girl〜? あの安っぽさは、なんなんだ!」――
 う〜む、そんなにチープだろうか――
でも、私自身、「あれ?」と疑問に思ったフレーズは、たしかにありました。 ネットボーイ、ネットガールではなくて、中盤の「Let's fly tonight/On our virtual wings/Press this key/To see amazing things」 ――amazing thing?
 いわゆる「文章の書き方」的な本は何冊か読んだことが あるのですが、そこで良く言われるのは、「生の形容詞を使うな」。つまり、花の美しさを表すのに、「美しい花」と書いてはいけない。 絵のきれいさをあらわすのに、「きれいな絵」と書いてはいけない。と言うことで、Neilもまた、形容詞を生では使わない人だと思うのです。
『文章の書き方』本で、「空の青さを表すのに、『青い空』と書かないで、それでもイメージを読者の想起させるのが、上手い文」というのを読んだ時、 真っ先に、「The Analog Kid」の第一節を思い浮かべたものです。あのシーン、草むらに寝転んだ少年が見上げている空は、きっと夏の 澄み切った青さを湛え、抜けるように高かったに違いない。(〜〜すみません。私は陳腐な形容詞から抜けられません〜〜もの書きにはなれません〜〜滝汗) あのシーンの、生の形容詞を使わない、ヴィジュアル描写の巧みさに感嘆したものでした。本当にNeilって、情景描写、上手いんです。 それだけでなく、文章そのものも上手い人です。
 なのに――なぜ、ここで「amazing」なんて、生の形容詞を使って、放り出したのでしょう。「アメージング・クレス○ン」という 奇術師がいたそうですが、そのせいだかなんだか、なんだかとてもチープな表現に思えました。キーを押したって、たいした『驚くべきこと』は 見られないんじゃないか、などと思わせるような感じなんですね。

 ここまで考えた時、ふと思いました。
「わざと、狙ってやったんじゃないか――」と。
Neilはそもそも、あまりインターネットや仮想現実にたいして、ポジティヴな感情は持っていなかったらしいですし、少なくともこの曲を 書いた時には、はっきりそうだった。所詮は本物でない、仮想のもの。リアルでないもの。キー一つでなんでも出来てしまうお手軽さから 得られるものは、それこそこの軽さ、安易さがふさわしいのでは――そんな概念から、あえてこの「Virtuality」の歌詞全体を チープな、類型的なトーンで書いたのではないか。
 これはあくまで私の推論に過ぎませんが、だとしたら、この曲の詞がチープだというのは、当然のことのような気がします。

 ちなみにこの曲、「歌詞は嫌いだが、音楽自体は好き」と言う人も、かなりいました。結構仕掛けの多い、ダイナミックな演奏で、 ある意味歌詞との落差が面白かったりします。


この2曲のほかに、一部槍玉に上がったのが、タイトルトラック。
「sense o'clock newsっ てなんだよ! 適当に意味不明な単語を作るな」
 このフレーズに関しては、「seven o'clock news かと思った」と言う人、多数。たしかに意味的には「7時のニュース」が 下敷きになっているのだと思います。で、これはsensory screenと一緒で、「テレビなどでなく、自分の感覚の中で流れる、 正時のニュース的なもの」と言う意味ではないか、と言う意見が、たぶん正しいのではないかと思います。
 Neilの造語だと思いますが、「Test For Echo」自体、現代社会をビデオにたとえた、かなり観念的で内省的なイメージの 歌詞なので、あまり違和感はなく、意味はわかると思います。


 こうしてみると、「Test For Echo」の詞が叩かれるのは、好みの問題、と言う気がしないでもないです。あと、意図が伝わりきれて いなかったのかも、という可能性もあるのでしょう。



☆「Counterparts」とセクシズム

「Counterparts」と言うアルバム自体、コンセプトは「対の概念」で、当然、男女の機微などもその範疇に入っているわけです。 「Rolling Stone」誌の「マニア度を測る100の質問・Rush編」(正確なタイトルを忘れたので、適当な題です。すみません) のような企画で出された質問の一つ。「Counterpartsのテーマは」の答えが、「sex」でしたし。(広範な意味での、「性」だと 思います。念のため)
 だからかどうかはわかりませんが、このアルバムの特定の曲(詞)が嫌い、という意見が出た二つの曲、「Animate」と「Nobody's Hero」は ともにセクシズムがらみです。で、どちらも個人的に見ると、「穿ち過ぎだ〜」と思えたりします。テーマがテーマだけに、ちょっと 微妙な問題ですが一応取り上げてみます。


Animate

 ――これの何処がいけないのか? はて? と言う感じだったのですが、どうやらこの一文に引っかかる方が、いらっしゃるようです。

A man must learn to gently dominate

 gentlyだろうがなんだろうが、結局dominateするのか。男は女を支配すべきだというのか。それはやはり、男性からの傲慢な視点の ように映る。と言う感じのようで。――ちょっと待った、それはアニマの話じゃないの? もっともアニマも、本来dominateすべき ものではなく、受け入れ、認めて、成長させるものだと、認識していますが。
 しかし、そのdominateという一語から、男尊女卑思想に 飛ぶのか――
 こう言うことに敏感な人は敏感なんだな、と。

 まあ、「男女はお互いの違い、特性を認めた上で対等であるべきだ」と言うのが理想だと、個人的にも思いますが、この曲に関しては 主題違い、と言う気もします。(それは、どちらかというと、「Alien Shore」の主題に近いのではないかと)


Nobody's Hero

――これの何が気に入らないのか?(繰り返し、すみません) 多くの理由は、このフレーズゆえだそうです。

I knew he was different, in his sexuality
I went to his parties, as a straight minority
It never seemed a threat to my masculinity
He only introduced me to a wider reality

いわゆる、ホモ・フォビア(嫌悪症)というものですね。気持ち悪い、と。
あのね〜、考え過ぎだと思いますよ。これはたしかに体験談には違いないでしょうが、だからそういう関係に落ちたとかは 書いていないでしょう。「Neilはホ○か?」なんて、とんでもない話にまで、発展させないでください。 と、思わず言いたくなるような議論(と言えるのか?)が、以前AMRで出た覚えがあるのですが、勘弁して欲しい。 それは深読みしすぎですって・・
 でもまあ、そう言うフレーズに嫌悪を示す人もいることはたしかで、歌詞にズバッと書きはしないのが普通か、とは思いますが、 それでもあえてタブーに挑んだ、その理由は、「だからと言って、その人の価値が変わるわけではない。彼はそれでも(それゆえに?) 無名のヒーローたる人生を送ったのだ」と言いたかったからではないかと、思っています。

 どちらも、この手のことには過敏な人もいるのだな、と言うことで。ゆえに、ここでも掘り下げはしないでおこうと思います。




☆ Rushとドラッグ

 ――ちょっと、ヤバくなってきたかも(汗)。
 数ヶ月前、Alt Music Rush(News Group)に、「Rushの歌詞研究をやっています。ここまで深く斬新な解釈は、自分以外にはできない」 と言うような感じの書きこみがあって、「ほー! Mystic Rhythmsの著者さんのような、本格的な研究者さんかしら。参考にできるか、 見に行こう」と、行ってみたら――まあ、凄い量の論文。(と言えるものではなかったですが) 全体で5〜6コンテンツに分かれ、 各コンテンツ十数ページの凄いボリュームで書かれていたのですが、肝心の内容がとんでもなかったです。彼の主張はズバリ、
「Rushは重度の麻薬中毒患者であり、そのほとんどの曲は麻薬の幻想と自我消滅を主題としている」
 おいおいおい〜(汗) 何処をどう読めば、そうなるんだ。あんたの方こそヤバいんじゃないの。。そう思ったのは 私だけではないようで、同様のレスがいっぱい付いていました。でも本人、懲りるどころか、ほかの人たちにコカインを勧め始めるに いたって、海外掲示板では一番寛容なはずのAMRから、締め出されたもようです。なんとも珍しい人もいたもんだ、と言う感じでした。 世界は広いです、いろんな意味で。たとえば、彼にかかると、flyと言う言葉は、すべて「ドラッグで飛んでいる」と解釈されます。 で、こういう症状が出るためのコカインの服用量はこれくらい、こっちの曲はLSDだ――あまりの長文妄想に、頭がくらくらした私は、 とても全部読みとおす根性はありませんでした。別の意味で、感服しました。

 まあ、これは本当に極端な例ですが、現実問題として、Rushにドラッグソングはあるか、と言うと、ない、とは言えないんでしょうね。 それはたぶん「A Passage To Bangkok」です。これが「大麻の産地をたどる旅」の歌であることは、「Visions」にも書かれていましたし、 コンサート会場における「A Passage To Bangkok」セクションというのが、マリファナの喫煙場所を意味することからも、たぶん そうなのでしょう。
 ロック・ミュージックにドラッグはつきものだと言われますが、Rushとて例外ではなかったようで、ことに70年代は影響を受けていた、と Geddyがインタビューでほのめかしていました。VT Tourの前に、昔のアルバムをAlexと一緒に一通り聞き返した時、「Caress Of Steel」 を聞いて、「なんてこった! きっと僕らは薬で飛びすぎてたんだな!」と笑った、とも言っていました。Neilは「Ghost Rider」で、 最愛の娘さんを亡くし、奥さんまで不治の病だと知らされた時、絶望のあまり、一時期アルコールとドラッグに逃げた、という記述が 見うけられます。(これは、同情するしかないです)
 今はどうかといえば、Rushのみなさんも健康に気を使わなければならないお年になったこともあってか、あまり縁がなさそうでは ありますね。

「Xanadu」の原詩ともいえる、Coolidgeの「Kubla Khan」も、阿片でトリップしていた時に書かれたものです。クリエイティヴな作業に 精神の鎖を切り離し、飛ばさせくれるドラッグは、助けになるのかもしれません。Rushにしても、中期の名作が多少なりとその影響下に 置かれていたとしても、それで作品価値が下がるものでもないと思います。
 でも、身体には悪いので、(それに非合法ですし) 今は切れていたなら、彼らにとって幸いなことだ、と思います。




☆ Rushとサタニズム

 最後になって、ヤバイ話題が続きますが・・Rushとは、Rule Under Satan's Hand の頭文字だ、でしたっけ――まあ、それに類似する言いまわしは、いくつかありますが、そんな 言葉を、以前聞いたことがあります。

 日本では、サタンといっても、ファンタジーかRPGの悪玉、程度の認識ではないかと思いますが(さもなければ、ギャクか)、 欧米社会におけるサタニズムは、かなり根の深いもののようです。キリスト教地盤におけるサタンとは、救い主キリストの反対者であり、 許されざるもの。ことにキリストの実在を信じている人々にとっては、サタン(魔王)もまた実在するものであり、神が統治するこの 世界を我がものにするために暗躍している――本気でそう信じている人も、多々いるようです。ことに、ファンダメンタリスト (イスラム原理主義者がそうであるように、キリスト原理主義者も教義は過激に走っていて、聖書の言うことは逐一本当だ、だから、 理科の時間に生き物の発生を教える際、ダーウィンの起源説ではなく、聖書の天地創造論を教えるべきだ、と本気で主張し、 一部の学校では実行されています。これは一例ですが、まあ、そう言う一派です)たちにとっては、ハルマゲドンで戦うべき宿敵 だったりするわけですね。
 そういう宗教的な過激派とも言える人々は、概してロックミュージックを「悪魔の音楽」と位置付けるようです。まあ、ストライパー (ロックを通じてキリスト教を伝道しようとした、いわゆるクリスチャン・ロック・バンド)のような例もありますが、だいたいにおいて、 ロックの歌詞は反道徳的、と言えるものが、かなりありますので、そう言う方々に攻撃されやすいことは分かります。

 Rushの歌詞は反道徳的とは言えないのですが、では何がいけないのか、というと、「神を否定しているから」なのだそうです。 Neilは有名な懐疑主義者で、「キリストだけが唯一の神とは言えないのではないか。宗教とは、もっと本質的な問題ではないのか。 それはどちらかと言うと、心のあり方の一つに過ぎないのではないか」と言う考え方の持ち主であり、「自らを頼りにして生きろ。 神ではなく、社会ではなく、自分自身を信じるのだ」という主義で、それが「Freewill」、「Anthem」、「Something For Nothing」など、 色々な曲の歌詞にも、しっかり反映されているので、「神を否定するとは、なにごとだ」「神を否定するなら、それはサタンの手先だ」 と言う、少々短絡的な論理回路の方々が、「Rushはサタンの手先」などという妄想につなげてしまったらしい、ということのようです。
あともう一つ、そしてとても肝心な理由がありました。「2112」のジャケットでもある、あの「Man&Star」のロゴ、あの星がペンタグラムと勘違いされたことが大きいようです。実際は星の中に線はつながっていないので、ペンタグラムではないのですけれど。ペンタグラムは主に魔術系のシンボルで、正のペンタグラム(星の頂点が上を向いているもの)は神の力、逆は悪魔の力、を意味するときいたことがあります。そうすると、RushのMan&Starも、仮に中の線がつながっていてペンタグラムだったとしても、正のペンタグラムであり、悪魔とは何の関係もないのですが。(2006年3月10日追記)

 AMRに昔、とある教会の集会で、牧師がロック=サタニズムである、という説教をし、色々なアーティストの、いくつかの曲を 「邪悪な魔王を称えるもの」であるとして、その場でレコードをかけたそうです。その中に、「Witch Hunt」があった、と 投稿してきた人がいました。本当だとしたら、なんというか――「Witch Hunt」って、あなた方のような人たちのことを歌って いるのじゃないですか――と言う感じなのですが。

 欧米における宗教観はかなり強く、深いので、へたに触らない方がいい問題だ、という気もします。宗教的基盤の比較的薄い、 私たち日本人の感覚では理解しづらいものも、あると思いますし。宗教と政治は、必ず泥沼の議論を引き起こすので、Rush.netや GL.netでは、関連トピックの投稿を禁止しているようです。
 そう言えば、GL.netが立ち上がった初期の頃、Q&Aセクションで、「あなたはどう言う宗教観や哲学を持っているんですか?」と言う ファンの質問に「僕は比較的厳格なユダヤ教徒として育てられたけれど、ある時期に神を信じられなくなって、今は『本当のところは 誰にもわからないものだ。でも、自分の人生に満足していて、正しく生きたと言えるなら、それでいいんじゃないかと思っている」的な 回答をGeddyがしたところ、『なぜ神を信じられないんですか――あなたの魂が救われることを祈ります!』的なレスがつけられ、 そこから延々と信者VS擁護者の論戦が展開してしまいまして、その書きこみがすべて長文で、思いきり熱が入っていて、いかに西洋文化に おける宗教問題が根の深いものであるかを、悟らされました。そして、このトピックは泥沼化する、というのが良くわかりました。 決着つかないんですよ。お互いに、決して説得されるこということが、ありませんから。

 ところで、NeilもGeddyも、「神を信じる人」ではないんですね。そしてAlexは、『僕はもうちょっと宗教的な人間で、神の力と 言うものを信じている』と、90年代初頭のインタビューで言っていました。でも彼らは、お互いの教義信条に干渉はしないようです。 それが得策というものです。

 ロックにおけるサタニズムといえば、もう一つ有名なのが、「Backward Masking」。レコードを逆回転させると聞こえてくるという、 いわゆる『悪魔のメッセージ』です。(CD時代では、もはや過去の遺物ですね)
Rushの場合、ATWASの「Anthem」でそれが聞こえる、と 取り沙汰されたことがありました。詳細は忘れましたが、『サタンよ、私はあなたに魂を捧げます・・」(もちろん英語で)とかなんとか 言うようなフレーズだったような・・それに対し、Neilが反論して曰く、
「『星条旗よ永遠に』を逆回転させても、悪魔のメッセージが 聞こえるだろうよ」
自分で聞いたつもりになっていれば、いくらでもこじつけて聞くことは可能だという皮肉ですね。そのとおりだと思います。

 Rushとサタニズムの問題については、The Camera EyeというRushのWebマガジンに、「Anagramは悪魔のメッセージ」というギャグっぽい パロディがのっていました。この話はフィクションですが、そこでも「Anagramは典型的な悪魔のメッセージだ。Rushは悪魔崇拝の バンドだ」と信じこむピザ屋のバイト仲間を、ファンである主人公は、あれこれ意を尽くしてそうでないことを証明しようとするの ですが、(曰く、「Anagramは言葉遊びの歌で、歌詞そのものに深い意味はないんだよ〜」みたいな)結局彼を納得させることは 出来ずに終わりました。
 教訓 : 過度の思いこみは、危険です & 短絡思考は、避けましょう。



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