Part 2 of the Sacred Mother's Ring - the 11 Years’ Sprint

五年目(6)




 食堂に残った僕ら五人はしばらく黙り、お互いに顔を見合わせていた。僕も何と言っていいかわからなかったし、他のみなもそうだったのだろう。が、やがてミックが思い切ったように、こう聞いてきた。
「ジャスティン。思い出したくないだろうけれど……いや、明日からは、もうこの話は忘れよう。でも、今だけ教えて欲しいんだ。プレストンさんのセッションで、どんな話が出た? あの人は君に、どんなことを言ったんだい? あの人が妨害者なら、他にも揺さぶりをかけていたかもしれない。それが気になるから……覚えている限りで良いから、君が見たこと聞いたこと、気がついたことを教えて欲しいんだ」
「セッションからかい?」
「ああ」
 僕はしばらく考え、最初に浮かんできた事から話し始めた。
「僕たちは健全すぎるって、嫌みなぐらい優等生だって、あの人は言っていた。あの男たちも、そんなことを言っていた。僕らはむやみに優等生すぎて癪に障るって。だから、その一角から崩してやろうと思うって、あいつらはプレストンに言っていたんだ」
「そうか……」
 みんな、真剣な面もちで頷いている。
「まあ、たしかに俺たちは業界の優等生かもな。薬もやらない。女好きでもない。むしろガードが堅いことじゃ有名だ。酒だって、へべれけになるほど飲みはしない。だからって、それは俺たちの自由で、自分で勝手に自堕落やっている連中から、そんなこと言われる筋合いはないぜ」
 ジョージが首を振って、微かに肩をすくめている。
「それはそうだ。僕らは恥じることなんて、何もないよ」
 ミックも真剣な面持ちで頷く。
「それに、グルーピーと寝ないってステラと約束をしていたことも、あいつらは知っていて……それを馬鹿らしいって、一蹴した。世間知らずだ、って」
 そのあと連中はステラへの侮辱の言葉を口にしたが、それは繰り返したくなかった。僕は苦々しく続けた。
「僕はばかばかしいほどの愛妻家だから、面白い手があるって言ってた。だから連中は、こんなやり方をしたんだと思う」
 みなはいっせいに小さな声を漏らし、そして黙った。何と言って良いか、わからなかったのだろう。しかし彼らの同情は感じられた。僕は首を振り、言葉を継いだ。
「でも、僕は恥じてはいない。あいつらから見ればばかばかしいことでも、僕たちは真剣だった。それが、僕たち夫婦の信頼の証だと思っていた。今もその気持ちは変わらないさ」
「そうだ。本当に、君が恥じることは何もないよ、これっぽっちも」
 ミックが強い口調で言い、他の三人もいっせいに頷く。
「うん。ありがとう……」
 僕は頷き、両手を前に組んで、さらに記憶を呼び起こそうとした。思い出したくないことだが、あの夜のさまざまな会話がよみがえってくる。
「それとあの人は、パーティは必要な営業だって言っていた。僕たちはあまりそういう付き合いをもたないって、暗に非社交的なことを非難しているみたいだったな」
「パーティか。俺たちの性にはあわないな」
 ジョージが肩をすくめ、
「うん。なんかあれって、The上辺の付き合い、って感じがする」
 エアリィも苦笑する。
「君たちがそうだと、僕らは言うまでもないね」
 ミックも穏やかに肩をすくめた。
「そう。僕らにその必要性はないって、僕も思ったよ。それと、原盤権やコンサートのギャラが等分なんて、普通はやらないって言っていたんだ。おのおのの貢献度は違うはずだからって」
「ああ……」
 ジョージ、ミック、ロビンの三人は、一様に複雑な表情を浮かべていた。しまったと思ったが、もう遅い。エアリィは「え? だって貢献度って、みんな同じじゃない? バンドなんだから」という、予想通りの反応を返してきたが。
「そうだよな。だから、僕も言ってやったんだ。みんなが同じように貢献しているんだから、それが当然だと僕らは思っているってね」
 僕は断固として頷いた。
「プレストンは言っていたぞ、エアリィ。おまえは聖人なのか、いや、偽善者なんだなってね。おまえは偽善者なんかじゃないって、僕はすぐに言ったんだが、あの人は納得していなかったようだよ」
「……どういう意味、それって?」
「つまりおまえの立場で、なぜそれほど無欲でいられるか、いられるはずはない、ということさ。あの人は欲の塊のような人らしいからね。だから、みんな自分と同じだと思っているんだろうよ」
「へえ……」エアリィはしんから怪訝そうに首を傾げていた。
「プレストンさんがどういう意味でそう言ったのか、僕には良くわかんないけど……無欲って? みんなが反対するからやってないけど、いっそのこと誰が何を作ったかとかいうのもなしにして、全部五等分しちゃえばいいって思ってることとか? だってその方が気楽じゃない? 僕だけ多いって、なんかみんなに悪いみたいな気になっちゃうし……みんなは気にするなっていうけど。まあ、たしかに今、お金があってよかったなって思うことはあるけどね。お金で困ってる人を助けてあげられたり、欲しかったものが買えたり、買ってあげられたり、行きたかったとこへ旅行に行ったりできるし。でも、それだけだしね。お金で買えないことも、いっぱいあるし、でも逆に、お金がなきゃできないってことも多すぎる。なんかお金偏重になりすぎてない、この社会って? いつもそう思うんだけど」
「だ、か、ら、おまえのそういうところが、あの人には理解できないのさ」
 僕は思わず肩をすくめた。
「そう……? うーん、でも、僕はよくわからないな。お金があって、いろいろときらびやかなものに囲まれて、贅沢な生活してても、プレストンさんって、あまり幸せな人には見えないけど……ジャスティンの話聞いてると。むしろ寂しい人だなって印象だった。大きなお屋敷に一人で住んでて、いつもは一人でご飯食べて……お気に入りの子を呼ぶって言っても、その子と本当の交流もないわけだろうし。犬がいるだけ良かったけど、犬だけっていうのも、寂しい気がする。それに犬に人間の食事の残りをあげるって、どうなんだろ? 犬は喜ぶだろうけど、味強すぎないかな」
「まあ、それはあるだろうし、犬にとって悪いものも、入っているかもしれないからな。たまねぎとか。あまり良くはないよな」
 僕は思わず肩をすくめた。
「でも、あの人は奥さんのことも、アクセサリーとしか考えていなかったようだし、周りの人との本気の交流は、持ちたくないのかもしれないな。そういえば、使用人さんたちとも、それほど親しくはなさそうだった。必要なこと以外は、話さない感じで。でもあの人が満足しているなら、僕は同情はしないよ」
「満足……してるのかな、それで」
 エアリィは小さく首を振る。訝っているような口調だった。
 あの人が満足していようがいまいが、僕は気にしない。おまえも、そこまで気にするものでもないだろう。完全に世界が違うのだから。そう思ったが、口には出さなかった。僕は首を振り、口調を変えた。
「でも、それ以外にも金のことは、いろいろ聞かれたな。詳しい所得配分や、何に使ったかとか、貯金が好きなのか、とか。あの人は相当な浪費家だけれど、お金にはかなり執着しているのかな。まったく、あの家をみんなに見せてやりたいぐらいさ。まあ、ミックやジョージやロビンは見慣れているかもしれないけれど。貯金はしないで使う主義だって言っていたけれど、それにしても派手だったな。それで、僕にも言うんだ。君らは相当稼いでいるだろうけれど、贅沢はしないのかって。メイオールさんに金銭的なことは管理してもらっているって言ったら、信用できるのか、なんて言っていた」
「金銭的なことを、かい? ジャスティン」ミックが眉をひそめた。
「じゃあ、ロブやメイオールさんにそのことを話した方がいいな。プレストンさんがその話を妨害者たちに話したら、何か仕掛けてこないとも限らないし……」
「メイオールさんに勘定をごまかせとか、そそのかしたりして? けど、それってないんじゃないかなあ。あの人、超がつくくらい真面目だもん。それに、ちゃんとしてるよ。計算まちがってたことないし」
 エアリィは首を振った。
「まあ、おまえがチェックしてたら、ごまかせないよな」
 ジョージが肩をすくめる。僕も思わず苦笑した。
「チェックしてるわけじゃないよ。メイオールさん、いつも明細送ってくれるから。みんなもそうじゃない?」
 そういえばメイオール氏は、たしかに四半期決算の度に、僕らに分厚い明細の写しを送ってくれる。僕はよくわからないから、ざっとしか見ていないが。しかしそれも、彼の公明正大さの証だろう。ジャック・メイオール氏は、誰もが認める誠実な人だ。彼は信頼に値する人なのだ。
「僕も信用はしているよ。でも、どういう揺さぶりをかけてくるかわからないからね」
 ミックは相変わらず重々しい顔をしている。
「マネージメントがマージンを取りすぎる、とも言っていたっけ。レーベルやマネージメントは、自分の力を利用して家来にしないとだめだって」
「なんで?」エアリィが首を傾げるので、僕は続けた。
「そうすれば、自分の思うようにやれるから、って言うのさ。僕らはもう、かなり自由を勝ち取っていると思うのに」
「そうだよ。でもそこがあの人の揺さぶりなんだろうね。今まで良い関係を続けている僕らとマネージメントを、決裂させたいんだろう」と、ミックが頷いている。
「そうだ。もう一つあの人は揺さぶりをかけてきたよ。はっきりとね。あの人とカール・シュミットさんとの過去のトラブルを、未来において僕らが再現するに違いないとね、エアリィ」
「何? それって、どういうこと?」
「つまり、おまえと僕がいつか喧嘩別れするって言うんだよ、あの人は。しかも、さんざん僕にたきつけたんだ。君はナンバー2のままじゃ、もったいないってね」
 それを聞いて、他の三人の方が心配げな顔になった。だがエアリィ自身はあまりピンとこないらしく、納得いかなげに首を傾げている。
「でも、なんで僕らが喧嘩別れしなくちゃならないのかな? 何のために? それに、別れるほどの大喧嘩の原因って、何?」
「さあな」僕は肩をすくめて、苦笑した。
「まあ、連中も言ってたんだ。今の僕らの場合、分裂を仕掛けるメリットはないって」
「そうなんだ……なら、まあ、良かったけど」
 なぜ分裂を仕掛けるメリットがないか、言った方がいいだろうか、とは思ったが、止めた。インスト陣は取り替え可能だとか、シルーヴァ・バーディット云々の話は、僕らにとって、あまり愉快な話ではないだろうと思えたからだ。
「本当に、挑発には乗らない方がいいぞ、ジャスティン。周りがあれこれ言っても、気にするな。俺たちがつぶれればいいと思っている奴らの方が、多いんだからな。殊に業界の連中は」
 ジョージは真剣な口調だった。その表情も。
「ああ、大丈夫だよ」僕は固く頷いた。
「それともう一つ……悪い、エアリィ! おまえの福祉活動のことを、あの人に話してしまったんだ。せっかく匿名でやっていたのにな。ごめん」
「ええ? まあ、言っちゃったものは仕方ないけど……大丈夫だよね? 施設に迷惑かからなきゃ……」
「それは大丈夫なんじゃないかな」
 ミックが考え込んでいるようにゆっくりとした口調で、口をはさんだ。
「君が全面的に援助しているという事実を世間に知られたところで、マイナスにはならないだろう? 売名行為だなんて、うがった見方をする皮肉屋は多少いるかもしれないが、それでも君が不幸な子供たちを助けているのを非難する人なんて、いるわけがない。僕は思うんだけれどね、エアリィ、君の福祉貢献をそれほど完全匿名でやる必要はないんじゃないかな。対外的にわかってしまったとしても、むしろ一般のファンたちの協力も仰げるかもしれない」
「まあ、たしかに悪いことしてるわけじゃないから、別にこそこそしなくてもいいんだろうけど……あえてこっちから言う必要はないけど、秘密にしなきゃいけない理由もないんだなぁ……」
 エアリィも考え込んでいるように、首をかしげていた。
「けどさ、妨害者がいるとして、そこの子供たちに悪さしたりしないかな。ロージィやアデル、エステル、アラン、継父さんなんかも……僕の周りの人たちを、巻き込みたくない。ジャスティンの妨害者が、奥さんを巻きこんだんだから……怖いなって思ったよ」
 彼はしばらく黙り、首を振って言葉を続けた。
「それに、テイザーはやばい、ホントに……嫌いだ。洒落にならないよ。僕もあの時、逆にショック起こさなかったら、どうなってたんだろうな、って思ったら……ちょっと怖くもなった、今」
 それは知らないほうが良いだろう。あの時ロブが言っていたことを思い出し、さらに薬で朦朧としている間に連中が言っていた話を、僕は思い起こした。そう――言っていたな、いろいろと。本人が聞いたら、ぞっとするような話を。美しくても醜くても、身近でずっと見ていたら、三日で慣れると人は言うが、そして僕らももう六年以上の付き合いで、バンドメイトとしても、ほぼ六年一緒にいるせいで見慣れてはいるが、改めて見ると、やはり今でも、感嘆の気持ちが湧いてくるのを押さえられない。だが彼自身は、それを自覚しているだろうか。僕が知っている限り、エアリィはナルシシストとは程遠いが。
「連中の本当の意図は、知らないほうが良いぞ」
 言葉が、思わず口から出てきた。
「おまえは知らないほうが良い。○×がなぜデビュー一年目の僕らをサポートに抜擢しようとしたのかも」
「え?」
 驚きの声は、エアリィ本人からでなく、ジョージたち三人から上がった。
「○×って、あれだろ? ファーストアルバムのサポートツアー、有終の美を飾るはずだった超ビッグネーム。まあ、今じゃ、俺たちの方が上かもしれないが」と、ジョージが首を振って言い
「そうだよね。たしか……土壇場でひっくり返されたんだよね。対立候補に。それで、ツアーが八月で終わって、年内にセカンドを出すことになって……」
 ロビンも思い出したように頷いている。
 ああ……言おうかどうか考える前に、言ってしまった。結局僕らは危うく難を逃れたのだから、あえて言うべきことではなかったかもしれないのに。しかしここまで来たら、あとへは引けない。僕は繰り返した。あの時連中が言っていたことを、覚えている限り、でも言葉をぼやかして。しかしその内容は、明確に彼らに伝わったようだ。ミック、ジョージ、ロビンの三人は、その話を聞いて震えあがったようだった。
「なんて危ないところだったんだ!」と、ジョージは叫び声をあげた。
「まったくね……ロブやマネージメントも、リサーチが甘いよ。向こうがおろしてくれて、本当に良かった」
 ミックは嘆息するような口調だ。
「その話……知ってた」
 エアリィはちょっと青ざめながらも、肘をついて両手を顔の前に組み、そう言った。
「えっ?」今度は僕らが驚いた。
「どこで……知ったんだ?」僕は問いかけた。
「ネイトが……セキュリティとして最初に仕事したメジャーツアーが、あの人たちのあのツアーだったらしくて。二十人くらいのセキュリティ軍団の、一番下っ端だったって言ってたけど。一昨年の、二度目の全米の時、モートンと三人で、ホテルの部屋で話してて。二人は今までの職歴とか、話してくれたんだけど、ネイトが『最初のツアーは二〇一一年の○×』って言ってたんだ。で、僕が『あ、そのツアー、僕らが参加する予定で話きたんだけど、土壇場で流れた奴だ。じゃ、もし僕らが参加してたら、君に会ったのかもね』って言ったら、彼の顔色が変わって……『参加しなくて良かったな! 本当に!』って。それで、話してくれたんだ。彼はいつも廊下で立ち番だったらしいけど、仲間から詳しい話を聞いたって。『えー、怖! じゃあ僕らの誰かが、そのターゲットに選ばれてたけど、やめたってこと?』って驚いて聞いたら、『君はそれを本気で言っているのか?』って、一瞬わけのわからないこと言われた。『連中のターゲットを、僕は見たことがある。あれが連中の好みだとしたら、君はまさにど真ん中だ。でも連中は土壇場で、君の年齢に躊躇したんだろうな、きっと。二年前なら、君は十五だっただろうから』って」
「そうなのか……じゃあ、おまえは、もう二年も前に知っていたんだな、真相を」
 僕はふっとため息をついた。とりあえず、本人に衝撃的な事実をぶちまけてしまったわけではないということに、少し安堵の気持ちを感じた。
「知っていたけれど、言わなかったんだね、君は」
 ミックが当惑したような表情で、同じくため息をついている。
「うん。だって、あえてみんなに言うような話じゃないし、言いにくいし」
 エアリィはちょっと肩をすくめた。まあ、たしかにそうだろう。
「でも、話聞いたときには、ホントショックだった。やばいとこだったんだなぁって。それに、犠牲になっちゃった人たちのことを思うとね。ネイトが言ってたけど、彼はその……弟さんがお兄さんを刺した現場を、見たんだって。デトロイトで。七、八人のセキュリティが駆けつけて止めたんだけど、弟さんは完全に錯乱してて、四、五人で押さえたらしい。で、急いで救急車をって言ったら、『それは呼ぶな』って、向こうのマネージャーさんに言われたって。『表沙汰にはできない。でも大丈夫だ。病院に伝手もある』って。それからのことは、彼は知らないらしいけど。でもその弟さんのことを、ネイトはツアーが始まったころにも見たって言ってたんだ。『パーティ要員だ』って説明されたらしい。その時には、あの人たちみたいな超大物のツアーに、お兄さんと一緒に行けたって、すごく輝いた表情だったって。話聞いて、やりきれなかった。なんでかなって、あの人たちはそれを見て、何とも思わなかったのかな、どうしてそんなことができたのかなって。闇……なのかな、あの人たちも。よくわからないけど」
「闇……か」僕はその言葉に、軽い震えを感じた。
「でもおまえ、よく闇の住人とか言うけど……それってどういう意味だ?」
「うん。闇って、光と反対のもの。悪、も近いけど、ちょっと違う。なんていうのかな、闇の住人って、他人の不幸とか悲しみや苦痛を、自分の喜びにする人。本当の愛を知らない人。そんな感じかな」
「ああ……なんとなく、わかる」
 僕は少し背筋が寒くなるのを感じながら、頷いた。
「それにしてもな」
 ジョージが首を振り、決然とした調子で声を上げた。
「ミックが言ったみたいに、ロブもマネージメントもレーベルも、リサーチ不足だ。まあ、あいつらくらい大物になれば、表ざたにならないようにすることくらいはできるだろうが、でも不自然な点くらい、すぐ出てくるだろう。現に俺たちの代わりに同行したそのバンドは、ギタリストが立て続けに、二回も変わっているわけだしな。しかもツアー中と、ツアー直後だ。人のうわさも、止められないはずだ。まあ、俺たちは知らなかったがな。でもマネージメントには探偵もいるんだし、できないことはないだろう。レーベルもだ。相手があまりにビッグネームだから、それに目がくらんでろくに調べなかったのか。それともまさか、知っていて、それでも話を通そうとしたのか?」
「いや、たぶん前者だと思う。レーベルは知らないけれど」
 ミックが首を振る。
「そういえばあの時、対立候補が好みの子を送り込んだ、ってロブが言っていたけれど……女の子もかもしれないけれど……そういう意味だったんだね」
 ロビンが震えながら言い、小さな声で言葉を継いでいた。
「でもそうしたら、初めから犠牲にするつもりだったんだね、その子を。ひどい目に合うってわかっていて。なんだか怖いね。向こうの人たちも怖いけど、一番恐ろしいのは、サポートに入った人たちだって気がするよ。だって、自分たちが彼らのツアーに同行するために、何も知らないバンドメイトの弟さんを犠牲にしたんだよ。しかもそれをお兄さんには隠していて、その後入れた人もまた犠牲に差し出したなんて」
「本当にな。一番やばいのは、俺らの代わりに決まった奴らだと、俺も思うぜ。なりふり構わずっていうのは、そういうことかってな。無関係な他人を巻き込んで……いや、なまじ完全な他人じゃないから、よけいにたち悪いぜ。あいつらの中には、きっと好みはいなかったんだろうな。だからと言って、仲間の弟を、それも十九の子を差し出すっていうのは非道だぜ。あいつらには新入りなんて、仲間じゃないのかな。その後に入れたのも、完全にそれ要員だっていう話だしな……本当にひどいと思うぜ」
 ジョージは嘆息しながら、頭を振っていた。
「うん。ジャスティンの話だと、なんだかものすごく悲劇的なことになってしまったんだね、その兄弟は。それにその前にも、ツアーのたびに犠牲者が出ていたわけだし……なんだろう。なぜ、そんなことをするんだろう。何でまわりも平気で、見て見ぬふりをするんだろう。そう……例えばみんなだったら、きっとそんなことはないよね」
 エアリィは僕らを見、そんなことを問いかける。
「あたりまえだろう!」
 僕ら四人は、ほぼ同時にそう即答した。
「それにみんなも、百人パーティに招待されても、あまり喜ばなさそうだし」
「当然だろ!」これまた四人全員で、即答だ。
「うん……みんなどのバンドも、僕たちみたいだったらよかったのに。僕たちは幸せだと思う。僕はよかったな、このバンドで、みんなと一緒で……って、ちょっと恥ずかしいセリフだけと」
 エアリィはちょっと肩をすくめ、照れたような笑みを浮かべた。
「おう、そうだぞ。俺たちは最高だ!」
 ジョージがあえて軽い調子で(たぶんそうだろう)声を上げ、僕たちはみなで顔を見合わせ、笑って頷いた。
「○×に関しては、本当にリサーチ不足だった。我々は舞い上がりすぎていたんだと思う」
 少し前に部屋に戻ってきたロブが、再び席に座りながら、ため息混じりに言った。
「結果的に流れてくれて、本当に幸いだったとしか言いようがない。向こうにも、ある程度の良識が残っている人がいてくれて、本当によかった。実は、向こうの提示条件の中に、一週間のミニブレイクに入る前の打ち上げが都合四回あるから、それにメンバー全員で参加してくれ、という要請があったんだ。おまえたちはパーティ嫌いだからどうかな、とは思ったが、まあ我々がついて上手くサポートすればいいだろう、と思っていた。まさかその打ち上げパーティが、そんなとんでもないものだとは思わなかったんだ。我々は本当に甘かった。危うく、取り返しのつかないことになるところだったと、あとでぞっとした。おまえたちの代わりに入ったサポートバンドのギターが、二か月で急病降板、というのは聞いたが、その真相も知らなかった。さらにその代わりに入ったギターが終了後すぐ脱退して、『おやおや、トラブル続きだな』とは思ったが、まさかそんなことだったとは。それから半年後、偶然社長の人脈から、○×の黒い噂を耳にして、それで調べて、わかったことだった。おまえたちにいうとショックを受けるだろうと、言わなかったんだが、知ってしまったのなら……改めてお詫びをする。すまなかった」
 ロブは僕たちに深々と頭を下げた。僕たちは顔を見合わせた。
「でも結局僕たち、同行しなかったんだし、被害ないから」
 エアリィは小さく肩をすくめ、
「そうだね。唯一の被害と言ったら、セカンドを慌てて作らされて、あのプロデューサーと組まされたことだけだね」
 ミックも微笑していた。
「それは言える」
 ジョージとロビン、僕は同時に頷き、少し笑った。
 ロブはそんな僕たちを見、少し微笑し、ちょっと咳払いをした。
「ありがとう。その時、僕たちは決意を新たにしたんだ。これからはどんなサポート話も、きちんと裏を取る。怪しい節がないかどうかを。まあ、こっちを下に見る分にはまだ許容範囲だが、妙な噂がないかどうか、確実にリサーチしようと。そして今は、ここ三年ほどはずっと、業界の一部からの攻撃を、どうやって防いでいくか。どうやっておまえたちを守っていくか。これが、僕たちがもっとも力を入れているところなんだ。ところでジャスティン、おまえに聞きたい。薬の後遺症は大丈夫だったか?」
「ああ。常習者になっていないか、っていうことかい?」
 僕は首を振った。
「とんでもない! たしかに離脱症状には十日くらい悩まされたけど、耐え切ったよ。そんなに相手の思う壺に、はまるわけにはいかないさ。薬なんて、もう生きている限り絶対に手は出さない。いや、今回だって、自分で出したわけじゃないから……人に手を出されないようにも、気をつけるさ。大丈夫だよ」
「そうか。それはよかった。大変だったな」
 ロブはほっとしたような表情で、頷いた。
「薬の離脱症状って、話には聞くけど、きついのかな」
 エアリィが少し不思議そうに、きいてきた。
「おまえはなかったか? ○○に薬打たれた時」
「だって僕は薬自体、身体が受け付けないから。言ってみれば全力で跳ね返しちゃうから、離脱症状ってないんだ。完全に追い出すまで身体が抵抗するわけだから、その間はきついけど、抜け切ったら全然平気だよ」
「そうか。でも薬が抜ける時って……いやな夢見なかったか?」
 僕は家に帰ってきて倒れこむように眠ってしまった時の夢を思い出して聞いた。
「見た見た! 最悪だったのは、最初の一日二日かな。足元にワーッと黒い渦が巻いてるんだ。本当に真っ黒な……星のない夜のような……それに飲み込まれそうになるんだ。肩まで来たところで、目が覚める。で、またうとうとしたら同じ夢を見るんだ」
「それは厳しいな。ろくに眠れないだろう」
「うん。結構きつかった。で、ずっと後ろで呪文みたいに声が響いてるんだ。『光と闇、昼と夜。無に帰れ。落ちていけ……』って」
「わけのわからない言葉だな。それになんだか、怖くないか、それ。僕もいろいろ声は聞こえたけれど」
 僕は思わず、軽い戦慄を感じた。
「あまり経験したくないな、俺らも。そういうのは」
 ジョージがぞっとしたような顔で首を振り、ロビンもぶるっと身震いしている。
「うん、それは闇の言葉なんだなって思った。だから夢の中で『いやだ』って言い続けてた。ホント、もう二度と経験したくないな」
 エアリィは両手を前に組み、一瞬震えた。また闇なのか。光と反対のもの。彼はさっきそう説明してくれたが、この場合は人じゃなさそうだ。
「ところでおまえ……あの時、どうやって携帯電話で助けを呼んだんだ? 部屋番号とかホテルの名前とかも、ロブに言ったらしいが」
 僕はふと連中の会話を思い出し、そう聞いた。部屋も変えて寝かせた。ホテルの電話もプラグを抜いた。携帯電話は手の届くところにはなかった。歩ける状態でもなかった、と言っていたが――。
「よくわからない。薬打たれた時、ものすごい血の気が引いてく感じがして、息苦しくなって、あとはもう意識ないから。途中で、このままじゃまずい、誰かに知らせなきゃって思った覚えはあるんだけど、それでロブに電話したことは……そんな夢見たかな、っていう感覚程度しか残ってなくて……」
「僕が部屋に駆けつけた時には、おまえは携帯電話を左手に握ったままだったぞ。枕元にあったんじゃないのか?」
 ロブが不思議そうに言っている。
 いや、相手のマネージャーが言うには、携帯電話はクロゼットの中の上着に入っていたのだから、起きて歩かないと、取れないはずだ。ホテル名は連れてこられる時に外観で見当がついたのかもしれないが、部屋番号にしろ、意識を失った状態で運ばれたのなら、プレートを見ることも出来ないはずだが。それとも、向こうが自分の失態を隠すために嘘をついたのだろうか――? その可能性も、充分ある。僕は首を振り、その問題を追及するのはやめた。
「まあ……愉快な経験じゃなかっただろうけれど、二人とも……プレストンさんが妨害者の一味だったとは、僕らも思わなかったから、本当に大変な目に会ってしまったね、ジャスティン」
 ミックが首を振り、同情を込めた眼差しで僕を見た。
「そうだな。本当に、とんだ災難だったが……奥さん巻き込むとか、最低だよな、本当に。でも、おまえらはまだ若いんだし、仲直りできれば、また子供は授かるさ」
 ジョージが慰めるような声と表情で、僕の肩を叩く。
「うん。ありがとう、そうだね……」僕は頷いた。
「ホントに、奥さん巻き込むのはひどすぎるよね。それで取り返しのつかない結果になっちゃって……なんて言ったらいいかわからないけど……早く仲直りできるといいなとしか」
 エアリィも首を振ってため息をついた。
「家族とか友達とか、そういう人たちを巻き込むのは、きつい。ロージィのことは偶然だったけど……ホントに周りの人にも手を出すんだ。怖いな。なんで、そんなことするんだろう」
「ロザモンドちゃんが、どうかしたのかい?」
 ミックが驚いたように問い返した。『ロージィのことは偶然』という言葉を、聞きとがめたのだろう。僕も同時に思い出した。『誰かが娘を拉致しようとした』と、連中が言っていたことを。エアリィは一瞬、(あ、しまった)というような表情になった。話すつもりのなかったことを、うっかりぽろっとしゃべってしまったような感じだ。
「うん。まあ、ちょっとね。九月にさ、アデルがロージィを連れて買い物に行った時、一瞬連れてかれちゃったんだ」
「詳しく話して!」
 ミックに厳しい顔で言われ、エアリィもあきらめたように話し始めた。
「うん。マーケットについてアデルが車から降りて、後ろのシートのロージィを降ろそうとしたら、若い男が彼女を突き飛ばして、車を奪って逃げたんだって。ロージィを乗せたまま。僕はその時、ステュアートの家へ行ってたんだけど、アデルからものすごく取り乱した電話がかかってきて……『ロージィが、ロージィが……!!』って、最初はそれだけ繰り返してて、で、よく聞いたら『知らない男に連れていかれた!』って言うから、『えっー!!』って感じで」
「それで、どうしたんだ?!」
 ジョージが咳き込むように聞いた。
「ともかく彼女にその場にいるように言って、警察に通報した?って聞いたら、まだだって……そっちが先じゃないかって思ったけど、まあ、アデルもパニックだったんだろうね。じゃ、通報して、出来たらセキュリティアラームでも知らせてって言ったら、アラームは車の中のマザーバッグに入れっぱなしにしちゃったって……携帯が手元にあって、まだ良かったけど。それで僕もとりあえず、彼女のところに行こうとしたら、ちょうど途中の信号で、彼女の車を見つけたんだ。赤いミニクーパー。ナンバーもビンゴ、間違いないって。超ラッキーだったな。しばらくあとつけて、あまり車のいない道に入ってから、追い越して前ふさいで、強引に相手を止めたんだ。途中で一回信号無視、っていうか、ぎりぎりで進んじゃったけどね。それに相手は突っ込んできたから、衝突はしたけど、最後はそんなにスピードは出てなかったから、たいしたことなかった。ロージィは無事だったし。寝てて、ぶつかって目を覚ましたって感じで、きょとんとしてた。幸い怪我もしなかったし」
「はあ……まあ、ロザモンドちゃんが無事で、本当によかったが……とんでもないな」
 ジョージはあきれたような口調だった。
「うん、本当に無事でよかった。車ぶつかったあと、運転席から男が顔出して『なんなんだよ!』って怒ったように言ってたから、僕は自分の車から飛び出して、『娘を返せ! それは僕らの車だ!』って携帯電話片手に持って言ったら、慌てて逃げてったんだ。追っかけようかなって思ったけど、一人で取り押さえる自信ないし、まずロージィを車からおろそうって思って。で、アデルと警察とに電話して……警察は未成年者略取と窃盗で立件になるって言ってたけど、実際の被害は車の物損だけだし。相手の顔は覚えてたから似顔絵描いて、被害届は出した方が良いって言うから、出したけど」
「警察は動いたんだね。でも、マネージメントには何も連絡がなかったみたいだけれど」
 ミックが首をひねっている。
「うん。マネージメントには、わざわざ知らせる必要ないかなって。心配かけるだろうし。報告入れといたほうが良いかって警察の人にも聞かれたけど、結局たいしたことにはならなかったから、いいやって思って」
「あのなあ、エアリィ。それは結果だけの話だろ? いいやですむことか? おまえがウルトララッキーなだけで、そうでなかったら、大変なことになっていたんだぞ! それほど重大なことが起こったのなら、せめて俺たちやマネージメントにくらい連絡しろ! 心配かけるじゃなくてな、何かあってからじゃ遅いんだよ」
 ジョージが声を上げた。
「僕の言いたいことをジョージが言ってくれたから、繰り返さないが、本当にその通りだぞ、エアリィ。ちゃんと我々には連絡してくれ。定期連絡の時にも、聞いたはずだぞ。何か変わったことはないかって。おまえは特にないと言ったな。なぜなんだ?」
 ロブも苦い顔で、指を振っている。
「うん……ごめん。結果的に大丈夫だったから、いいかなって。実際車二台とも修理になった以外は、特に変わってなかったから。車も三日くらいで直ってきたし」
「だから、結果論じゃないと言っただろう! おまえの動静には、我々はどれだけ気を配ってると思っているんだ。おまえにとって”変わったこと”というのは、どういう定義なんだ、エアリィ? 娘さんの誘拐未遂は“変わったこと”じゃないのか?」
「ごめん、ロブ。そんな怒んないでよ。その時には、ロージィも無事だったから、言わなくてもいいだろうって思ったんだ。今度からは結果オーライでも、事件っぽいのが起きたら言うから。それに犯人、捕まったんだよ、それから一週間後に。似顔絵で。警察から報告が来たんだ。車目当てで、赤ん坊がついてきたなんて知らなかったって、そう言ってたらしい。たまたま運が悪かった、って感じなのかな。でも偶然にしろ、そういうことが起きちゃうと、ちょっと怖くなって、それからは多少、気をつけてるよ。ロージィ連れて外に行く時には最低二人つけて、絶対目を離さないようにって。あとアラームは首から下げてって言ったんだ。ちょっと、かっこ悪いけど。アラームにGPSついてると、もっといいかもね。それで彼女が一人でロージィを外に連れて行く時には、ベビーシッターを頼んで、一緒についていってもらうようにしたんだ。いい人がいたから。昔縫い子をやっていた時の仲間で、彼女の親友なんだって」
「その人は信用できるかい?」
 ミックが冷静な口調で聞く。
「うん。ウェンディは大丈夫だと思うよ。それにそういうことって、疑ったらきりないし。どっかで信用しないと、疑心暗鬼になっちゃうのはいやなんだ」
 エアリィは小さく頭を振り、言葉を継いだ。
「たしかにさ、疑おうと思えば、絶対なんてないけど、僕は自分のカンを信じる。この人は大丈夫だって思ったら、信頼することにしてるんだ」
「気持ちはわかるけれどな、この人は大丈夫だと思って、裏切られた経験っていうのは、おまえにはないのか?」
 ジョージが懸念をにじませた声で聞いていた。
「ないよ。それだけは、ない。大丈夫かなって疑うと、けっこうその通りになっちゃったりするけどね。だから僕もやばそうな予感がする時には、引くことにしてる。最近はね。僕だって、ある程度経験から学ぶよ」
「まあ、それなら良いけれどね。トロント警察にも、頼んでおかないとだめだね。どんな小さなことでも知らせてくれるように」
 ミックもあきらめたように微笑して肩をすくめ、
「もちろんだ。社長にはすぐに連絡しておこう。それに、アラームに位置情報発信機を内蔵しておくのも、いいアイデアだな」と、ロブも頷いている。
「でも、本当に偶然なんだろうか。車目当てにしておいた方が、誘拐未遂より罪が軽くなるから、そう言っているだけという可能性もあるだろうね。そうなると、身内への妨害も考えに入れないと、だめだろうか……」
 ミックは考えるように、言葉を継いでいた。
「いや……」僕は思い出し、首を振った。
「あいつらは言っていたんだ。誰だか知らないが、間抜けな奴だ。警察沙汰になるだけで、メリットはないじゃないか、と。ロザモンドちゃんを連れ去った奴の黒幕は、あいつらじゃない。僕も車目当てだったのか誘拐だったのか、犯人の供述だけでは当てにならないと思うけれど、あいつらはかかわっていないと思う。あいつらはたぶん、あの話ぶりだと、エアリィ、妨害者たちはおまえの周りの人に手を出すなんて、まだるっこしいことはしないようだ。まあ、用心するに越したことはないだろうが……気をつけろよ。おまえに対しては、連中のターゲットはおまえ自身だ」
「そう……。なら、まだよかったけど……」
「いや、そう簡単に良かったとか言うなよ。殺し屋に襲われたりなんてことは、さすがにないだろうが、やばい状況なのには変わりないぞ。単独行動とか、絶対するなよ」
 ジョージが心配そうに言っている。
「おまえ自身は無事だったのか、エアリィ?」
 僕は聞いた。連中が『ヒットマンは一度試みたが、だめだった』と言っていたのを、思い出したからだ。
「うん……まあ……大丈夫だったよ」
「誰かに襲われたりはしなかったか? あいつらがそんなことをほのめかしてたぞ」
「あ……襲われるって、あれかな……? 先月の半ばくらいに……朝、トリクを散歩させてたら、公園の茂みから知らない男が飛び出してきて、切りつけられたことあったから」
「それは、大丈夫とは言わないよ」
 ミックが困惑した顔で咳払いし、諌めた。
「ったく、おまえは、何でそういうことを報告しないんだ! それも“変わったこと”じゃないのか!?」
 ジョージは怒ったような口調だ。
「ごめん。だって腕切られただけだし、トリクが撃退してくれたから」  トリクというのは、エアリィの家で飼っているシベリアン・ハスキーと何かのミックス犬(たぶん、サモエドかも知れない。ハスキー犬より毛足が長く、白っぽいから)で、本来の名前はトリクスターというらしい。去年の春に彼の妹エステルが友達の家で生まれたのをもらってきたらしいが、大きくなってきて、自宅で買うには狭くなってきたと、クリスマス前に持ち込んだらしい。活発で陽気な気性ではあるが、普段は人に吠えたり跳びついたりはしない犬だという。でもこの場では、危機にある主人を守ろうとしたのだろう。
「それも結果だけの話だよ。それで……怪我の具合は?」
 ミックもお説教をあきらめたのだろう。ため息をつきながらきいている。
「うん。たいしたことないよ。もう傷も消えたし」
「見せてごらん。どこを切られたんだい?」
 ミックに促され、エアリィは左腕をまくって、「大体このあたり」と、右手ですっと線を書いて見せた。肘から下の、腕の外側部分だが、その位置だと――。
「それ、腕を狙って切ったわけじゃないだろ、相手は」
 僕は手を伸ばして、腕に軽く触れた。
「防御創だ。最初はどこを狙われたんだ?」
「えーと、こうやって腕あげたから……首あたり?」
「おい、冗談じゃないぞ!」
 ジョージがたまりかねたように、テーブルを叩いて叫んだ。
「ねえ、本当に……まじめに怖いよ」
 ロビンも青ざめた顔をしている。
「うーん、状況自体はたしかにやばかったかもしれないけど、僕もすっぱり首切られるほどトロくないし。トリクがすぐにそいつの足に噛み付いて、で、その男が彼も切ろうとしたから、僕はそいつの手を蹴って、ナイフを飛ばしたんだ。それで飛んだナイフをキャッチしたら、逃げてったよ」
「おまえならではのアクロバットだな」
 その状況はとても笑えないのだが、僕は思わず苦笑した。連中が『あいつは身体能力も化け物級だ』と言っていたわけも、よくわかった気がした。
「それほど派手なアクションじゃないけどさ」
 エアリィは小さく笑って、肩をすくめる。
「でも、アデレードにはすごく心配されて、犬の散歩のためにペットシッター雇ったほうがいいかって話になったけど、僕は自分で行ける時には自分で行きたいって言ったんだ。仕事の時には仕方ないけど。そしたら、早朝とか夜とか、人目のない時はだめだって言うから、しょうがないからその辺は避けてるんだけど。でも、それはそれで結構めんどくさい。人がまわりにいると、話しかけてくる人がいるから。でも急に寄ってこられると、トリクが警戒するから、かわいそうなんだ。この間切りつけられてからは、特に。ああ……てことは、やっぱり僕が連れてかないほうがいいのかな」
「そうだね。一人で犬の散歩は、危ないかもしれない。相手が複数で来られたら、君ももちろんだけれど、犬の方も危険があるかもしれないよ。そう言ったら、君も、もう少し真剣に考えてくれるだろう、エアリィ? 実際問題として、本当に常勤のペットシッターかドッグ・トレーナーを雇った方がいいと思うな。心配なら、二人くらい交互にね。ベビーシッターさんも複数つけて、買い物要員もいた方がいいな」
 ミックが真剣な口調で、そうアドバイスする。
「そうだな。社長とも話して、手配しておこうか。おまえが個人で手配するより、その方が安心だからな」
 ロブも真面目な顔で、頷いていた。
「えー! それだと、すごく物々しくない? 僕らが外に出れない感じになっちゃうよ。オフには自分で買い物行きたいし、散歩もしたいし、遊びにも行きたいのに」
「いや、行っちゃいけないことはないと思うがな。でも用心しろってことだよ。それと、わずらわしいのも覚悟しろってこった。有名税だな。まあ逆におまえの場合、ファンに囲まれている方が、安心かもしれないぜ。それか、ジャクソンにずっとついていてもらうというのも、ありじゃないか? どうせ常勤体制になったんだし」
 ジョージが指を振って、苦笑しながら言う。
「えー、それもネイトに悪い。それに、ずっとついてなくても良いって」
「でも、次のオフになったら、考える必要のある問題かもしれないね、これは」
 ミックが重々しい調子で考え込むように言い、ロブも無言で頷いている。
「なんかホントに……やだなぁ。妨害者って、何でそんなに躍起になって、僕らを潰そうとするんだろう。ジャスティンが聞いた話だと、かなり組織的な感じだし……そんなにあれこれ手を回すのって、すごくめんどくさいと思うのに、何でそこまでして、僕らに攻撃的になっちゃうんだろう。二作続けてモンスターセールスになったのが、そんなに気に食わない人がいるのかな」
「それもあるだろうと思う。でもたぶん、それだけじゃ、ここまで躍起になっては来ないさ。二作メガヒットを続けて大スターになったアーティストは、これまでにもいなかったわけじゃないと思う。でもそれは戦略が運に後押しされて成功した、というだけに過ぎないんだろう、たぶん。だけど、僕らは違う。僕らがここまで大成功したのは、おまえが未踏の領域に覚醒したからだ、エアリィ。未踏の領域に目覚めるということは、業界にとってはタブーだって、昔ローレンスさんが言っていたけれど、本当にそうらしい。連中にとって、おまえは脅威なんだ。おまえは連中の売り出し戦略をことごとく無効にしてしまうと、あいつらは言っていた。恐ろしい一極集中を生み出してしまうと。だから連中はそれを何とかしようと、やっきになって妨害してくるんだ、おまえのコーヒーに劇薬を入れたりアスピリンを入れたり、ライトを落としたり……ヒットマンを使って襲撃もした。おまえも知っての通りだ。それだけでなく、連中は僕も利用しようとしている。僕は二年前、おまえのコーヒーに劇薬を入れろと脅迫された。その時にはできなかった。でも僕の心理状態を悪くして、おまえとの関係を崩せば、躊躇なくやってくれるかもしれない。そんな目論見で、僕に妨害を仕掛けてきたんだ。連中の最終目的――おまえを抹殺するために。物騒だが、走り続けるのを止めるには、殺すしかない。そんなことさえ、言っていたんだ。だから、本当に気をつけろ」
 思わずそこまで勢いで言ってしまってから、はっと気づいた。しまった、言い過ぎた。それは真実には違いないが、あまりにも本人が天然過ぎるとはいえ、こうまではっきりぶつける必要が、どこにあったのか。僕もあの事件で、すっかり気が動転してしまったに違いない。これでは、本当に連中の思う壺だ。実際、ロビンやジョージ、ミック、ロブの僕を見る表情の中にも、驚きと、(それはわかっていたけれど言わないでいたのに、そこまで言うか)という思いが、はっきり出ているようだ。
 エアリィも正面からその事実をぶつけられ、驚いたのだろう。明らかに衝撃を受けたような表情で、一瞬どう返答していいか、言葉が見つからないようだ。その間に、僕も今言ったことを取り消せるような、さもなければ、衝撃を和らげるような言葉を必死で探したが、出てこない。一度言ってしまったことは、もう取り返せるものでもなかった。
「本当に? じゃあ……結局、僕のせいなんだ。僕らに攻撃的になってるんじゃなくて、僕に攻撃的になってて、だからジャスティンも奥さんも、そんなひどい目にあってしまったわけなんだ。僕の巻き添えで。知らなかった……ごめん、ジャスティン! 僕のせいで、そんなことになってしまって!」
 バカ野郎――僕は思わず、自分にそう悪態をついた。あんなことを言えば、こういう反応になってしまうのは、わかっていたはずじゃないか。でも、エアリィが人間離れした才能の持ち主なのは、彼が望んだことじゃない。自分で行きたくて、未踏の領域へ突き進んでいるわけじゃない。わかっているはずだった。理解しているはずだった。でも、いざ自分に火の粉が降りかかってくると、やはり僕も動揺してしまったのだろう。
「おまえのせいじゃない。だから、謝らなくていい、エアリィ」
 僕は首を振り、テーブルの上にこぶしを握って、きっぱりと言った。
「僕らは正々堂々と活動している。妨害を仕掛けてくる奴が悪いんだ。それ以外のなにものでもない。黒幕が誰であれ、これからどんなことを仕掛けてくるのであれ、僕らは負けたくない。それに僕らはバンドだ。共同体だ。巻き込まれるのは覚悟の上さ。みんなで気をつければいい。僕らも、スタッフもクルーもセキュリティも。負けられないよ」
「そうだね、ジャスティンの言うとおりだ」
 ミックが強く頷いた。
「この業界は本当に怖いけれど……後戻りは出来ないんだものね」
 ロビンの声は小さいけれど、その口調ははっきりとしていた。
「がんばって、やっていくしかないんだな、ともかく」
 ジョージが頭を振り、決然とした口調でそう宣言した。
「俺たちみんなでがんばって、それにマネージメントもいるわけだしな。もう二度とトラブルが、エアリィにもジャスティンにも、それにまあ、連中がどんな気まぐれを起こすかわからないから、俺たちだって、百パーセント安心はしていられないぜ。とにかく二度と妨害のトラブルをかぶらないように、心してかかる必要があるな。がんばろうぜ。卑怯な奴らに負けないために」
「ああ」
「そうだね」僕らはみな頷いていた。
 エアリィはそんな僕らを見、しばらく黙った後、小さく言った。
「ありがと……ホントにみんなって、最高の仲間だな」
「おう。俺たちは最高だぞ!」
 ジョージが再び言う。少し笑って。僕らもみな、一斉に小さな笑みを浮かべた。そう、僕らはみなで進むしかない。たとえ断崖絶壁の闇の道でも、仲間を信じて。




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