Part 1 of the Sacred Mother's Ring - The New World

第四章   晩秋の世界へ(2)




 車が走り去ってしまうと、とりあえず駅を目指した。時間は九時四五分過ぎ――もう十時近い。市内の混雑に捕まったおかげで少々遅くなったけれど、僕は一番手だから待たせる相手はいない。
 これからどこへ行こうか? みんな、一時間おきに出発する。次の順番に当たっているロビンは、どのくらい待つかにもよるが、たぶんもうこっちへ向かってきているだろう。今頃はその次のエアリィが、そろそろ準備を始めている頃か。彼の場合は目立つから、何かの対策をしてくるのだろうか。それともそのまま、僕のように髪を束ねてバンダナでも巻くのか。ともかく彼が十時で、ミックが十一時、ロブが十二時。最後のジョージの出発は、スムーズに行っても午後一時になる。みんなすぐに車が拾えるとは限らないから、前の人がまだいる場合は一時間たっても出発は出来ないし、ヒッチに立っても、けっこう待つだろう。僕もあまり待たなかったと思ったのだが、ターナーさんの車に乗った時、時計はもう八時半だった。
 六人全員がそろうまで、相当の長丁場になるにちがいない。駅へ行く途中にスターバックスがあったが、マクドナルドやウェンディーズなどは、この近辺にはなさそうだ。まあ、スターバックスでも良いだろう。ここもファーストフードの一種には違いないし、わりと座席もたくさんある。ここなら、かなり長居できるだろう。
 暇つぶしに雑誌を駅のスタンドで買ってから、店へ入った。スコーンとコーヒーを買って、席を探す。奥の方で、隣との間隔が近くなく、最低でも四人座れる席――パーティションの近くに、おあつらえ向きの空席を見つけた。叱られそうではあるが、隣のテーブルをくっつけて四人席にし、使用中の札を置いてから座る。僕はゆっくりと二度目の朝食にかかった。食べ終わると、あとはなるべく他の客と目線を合わさないように、うつむいて雑誌を読んでいた。ときおり他のメンバーが来たかどうかを確認するために、ちらっと店内に目を走らせているが、次の番のロビンはなかなか来ない。彼は僕の一時間後に出発しているはずだから、その分は遅れるだろう。でも僕がここに来てから、一時間半たっている。もう十一時十五分だから。眠気を感じた。考えてみたら、昨夜は寝ていない――。
 
 僕はいつのまにか、眠りこんでいたらしい。いきなり帽子をぐいっとひっぱられて、目が覚めた。
「起きなよ、ジャスティン! こんなとこで爆睡しちゃって!」
 エアリィの声がする。でも目を上げると、そこにいたのは女の子だった。髪の毛を両サイドにピンクのリボンで結び(いわゆるツインテールという奴だ)、白いカーディガンの下に、ミニーマウスが描かれた明るいピンクのトレーナー。黒いミニスカートにタイツをはいている。まつ毛は黒く、まるでつけまつげのようなボリュームだ。胸は目立たないので、グラマーではない、でも超が何個かつく美少女。誰だ? その子は左手に僕がさっきまでかぶっていた帽子を持って、くるくる動かしていた。隣には、恥ずかしそうに微笑んでいるロビンがいた。そう、こっちはロビンだ。僕は思わず、目をパチパチさせた。
「エアリィ、だよな? なんだ、その恰好」
「違う。あたしはアメリー・スチュアート」
 口調まで、すっかり女の子になっている。僕は思わずひっくり返りそうになり、声を上げかけ、慌ててトーンを下げた。
「やめてくれ! 本当にやめてくれ!! それになんだ、そのメアリー・ステュアートみたいな名前は!」
「えー、偽名使えって言うから。それも女の子の。で、継父さんたちの苗字のステュアートに、ここはアメリカだから。まあ、適当だけどね、ホント」
 エアリィは普通の口調になって、僕の頭に再び帽子をかぶせ、椅子に座った。
「文句は僕にこんなかっこさせた、ロブたちに言って。おまえは目立ちすぎるから、女装しろって言うんだ。えっ、ジャスティンみたいに髪束ねて帽子かぶれば良くない?って言ったら、おまえはそれじゃダメだって。もともと女の子にも見えるんだから、いっそ徹底的に女になれ、ってさ。それで、今日はホテルに着くまで、そのままでいろって。せめてリボン取って、髪おろしたかったんだけど、それやると後でばれる確率上がるから、ダメだって言うんだ。あ、それ眠気覚ましのコーヒー。昨夜は結局僕ら、徹夜になっちゃったから、眠くなると思って」
 もう二人とも買い物はすませたらしく、コーヒーとサンドイッチ、それにフルーツやドーナッツなどが乗ったトレーが二つ、テーブルにおいてあった。僕のトレーは片付けられていて、かわりに新しいホットコーヒーのカップが置いてある。ロビンも腰を下ろし、「僕もびっくりしたよ」と、肩をすくめていた。
「まあ、わかるけどな。おまえは目立つし、人の印象にも残りやすいから。女の子だってことにすれば、ばれにくいと思ったんだろうけどなぁ、ロブたちも」
 僕も苦笑して、コーヒーを飲んだ。何らかの対策はしてくるだろうと思っていたが、まさか完全女装とは思わなかった。僕は髪を束ねて帽子をかぶる程度で済んでよかったと、ひそかに胸をなでおろした。まあ、僕の場合はいくらなんでも、女装はさせられないだろうが。変な趣味のお兄さんにしか見えないことは確実だ。僕は、店の時計を振り返った。十一時四五分だ。
「コーヒー、サンキュな。一人で待っていると退屈で、つい眠くなっちゃったよ。でも、おまえ見たら、目が覚めたぞ。その服はどうしたんだ?」
「ショッピングセンターで、ロブが買ってきたんだ。僕が出る前に、そこの中のスタバに場所移したから。で、トイレで着替えろって、しかも女用で。マジ? スカート! やめて! って、抵抗したんだけど、そのほうが完璧に女に見えるって。もしかしてみんな、楽しんでない? って、思った。着せ替えじゃないんだからさ。で、そのまつげの色は目立つからって、マスカラつけて……あ、ちょっと待って、もう限界。取るから」
 エアリィはウェットティッシュをバッグから取り出して、まつげを拭った。黒い色が取れて、青に戻っていく。まあ、たしかにその色は目立つし、あまりに特徴的で覚えやすいから、多少のアレルギーを覚悟してでも、黒くする必要があったのだろう。
「ああ、気持ち悪かった。で、ミックがこの髪型にしてくれたんだ。店の中でやると迷惑だから、外へ出て。それもまあ、人に見られたら、かなり怪しい光景だけど。ツインテールって、ミックってこういう趣味だったんだ。ご丁寧にリボンまで結んで。それも買ったんだよ。本当に、なんで僕の番の時に、ショッピングセンター開いてるんだろ。もっと早かったら、こんな恥ずかしいかっこせずに済んだのに」
「そうだなあ。おまえは十時だからな、出発。その頃には店も開くから、ちょっと待ってろという感じで、ロブが買ってきたんだろうな。まあ、前から思っていたが。おまえは女の子の格好をしたら、本当になりきれるだろうなって。女用トイレに行っても、完全に違和感ないだろうしな」
 想像すると笑いがこみ上げるが、大笑いするわけにはいかない。余計な注目はされたくない。
「で、そのままヒッチに立ったのか? 変な男に拾われなかったか?」
「声はかけられたけどね。いきなり二人組みの男に、『一人なの? 乗せてあげるよ! 一緒にドライヴに行こう』って。いや、これってもしかしてヒッチハイクっていうよりナンパかなって思って、パスした。友達と待ち合わせしてるからって言って。『ナンパ野郎には気をつけろよ。えらいことになるから、男の車には乗るな!』って、ジョージにも釘刺されてたし。それで、その後に来た大学生の姉妹に乗っけてもらったんだ。彼女たち、家はボルチモアの郊外なんだけど、二人でペンシルバニアの大学に行ってるらしくって、でもちょっと家に用ができて、一日早く帰るところだって言ってた。年配の人の方が良いのかなって思ったけど、まあ良いかな、って思って、乗ったんだ。彼女たちホントに親切で、わざわざボルチモアのペン駅へ回ってくれて、助かったんだけど、しっかりお説教されちゃったよ。学校はどうしたの? サボったの? 女の子がヒッチハイクで一人旅なんて、危なすぎるわよって。絶対に男の人の車になんか、乗っちゃダメよって、彼女たちにも言われたし。いや、女の子の一人旅じゃないし、とは思ったけど、訂正はしなかったよ。『うん、学校はつまんなかったから、あんまり行ってなかったの。ありがとう、心配してくれて。これから気をつけて、少し真面目になるね!』って」
「やめろ! 本当におまえ、はまり過ぎだ! 頼むから口調も女の子になるのは、やめてくれ!」
 僕は思わず再び声を上げそうになり、慌ててまたトーンを下げた。ロビンも顔が引きつっている。
「僕も好き好んでやってるわけじゃないし。でもドライヴは、けっこう楽しかったよ。あからさまな嘘つくのって、ちょっと気がひけたけど、これはもうお芝居なんだって開き直って……お祖父さんみたいな演技力はないけどさ、十四才の女の子を演じることにしたんだ。まあ、あんまり事件性のありそうな言い訳って使えないから、単純に、ボルチモアの友達のところへ行きたいんだけれど、車もないし、あまりお金もないから、誰かが乗せて行ってくれないかなって思って、って言ったんだ。まあ、世間知らずな言い訳で、思いっきりお説教される羽目になったんだけどね。お金をケチらないで、メガバス使いなさい。最悪の場合は、ひどい目にあった挙句に、殺されて捨てられるわよ、って、すごい怖いこと言われた」
「まあ……でも、殺されないまでも、どう考えても危ないな。女の子の一人旅は」
 僕は肩をすくめた。
「言い訳には困るよね、本当に。僕は長距離バスに乗っていて、トイレ休憩中においていかれたって言ったんだよ」
 ロビンも少し笑いながら、言っている。
「それだとさ、どのバス?って突っ込まれると、やばいよね。運転手の怠慢だ、とか怒る人だったら」エアリィは少し心配そうにそんなコメントをし、
「うん。でも幸い、運転手さん、そこまで気にしなかったから」と、ロビンは微かに肩をすくめて、首を振っている。
「良かった。僕はそれ、突っ込まれそうだったから、使わなかったんだ」
「まあ、十七の男なら、置いていかれたって言っても、それほど気にしない人もいるだろうけれど。災難だったな、っていう程度で。でも、十四の女の子をハイウェイに置き去りにしたって言ったら、問題だからな」
 僕も指を振り、苦笑気味の笑いを浮かべた。
「だから、実際は違うんだけど。まあでも、それでなんとかペン駅まで来て、ファーストフード探して、最初はダンキンドーナッツへ行っちゃったんだ」
「え、そんなのあったか?」
「駅中にね。もうちょっと遠くにもあるけど。一番近いって言えば一番近いから、ちょっと中見てみたんだ」
「ああ、そうなのか。僕は駅の中までは行かなかったからなぁ。気がつかなかったよ」
「だいたいロブもさ、駅から一番近いってのは、ちょっとあいまいだよね。僕らボルチモアのペン駅周辺って、そんな詳しくないからさ」
 エアリィはちょっと肩をすくめ、首を振ってから、言葉を継いだ。
「でもいなかったから、じゃ、外かなって思って、何も買わないのもなんだからベーグル一個買って、外に出たら、男の人に声かけられて。断ってもずっとついてきて、結構しつこくて、最後には腕握ってきたから、やばいな、どうしようかなって思ってたら、ちょうどロビンが店の外で、窓越しに様子を伺ってて」
「いるのかいないのかわからなかったし、一人でファーストフードって入ったことないから、ちょっと緊張しちゃって」
 ロビンは恥ずかしそうに、髪に手をやっていた。
「それにやっぱり僕、初めて知らない土地へ一人で来て、緊張してたんだ。それにね、なかなかボルチモアまで行く車が止まってくれなくて、一時間近く待ったんだよ。やっとトラックの人が、拾ってくれたんだ。君に会った時、僕は少し前に着いたばっかりだったんだ。でも本当にびっくりしたよ。急に知らない女の子が『あー、あたし、この人と待ち合わせしてるから。会えてよかったわ。行きましょう! あ、じゃあね、バイバイ!』と言いながら、僕の腕を取ってずんずん歩き出したから。僕はもうパニック寸前だったよ。『えっ、えっ、えっ?? 何? 誰?』って感じで」
 想像するだけで笑えそうな図だ。僕は返事が出来ず、うつむいてこらえた。
「おかげでロビンにも叫ばれそうになって、焦ったよ。僕だって言ったら、また叫びそうになるしさ。まあでも、とりあえずそれで相手は諦めたみたいだし、助かったけど。で、なんとかここにたどり着いて、ジャスティン見つけてほっとしたんだ」
 エアリィも苦笑に近い笑いを浮かべていた。
「僕もびっくりしたけどな。どこの女の子に声をかけられたかと思ったから」
「だから、文句は三人に言って。ジャスティンは、いつからここに来てたの?」
「九時半くらいからかな。僕は四十才くらいの女の人に乗せてもらったんだ。ターナーさんっていうフリーのジャーナリストで、仕事でボルチモアに行くって言っていたよ。彼女、向こうで会ったシンプソンさんにちょっと雰囲気が似ていて、しかも同じファーストネームで、ちょっと不思議な気がしたけれどね」
「へえ、そう。あの人に似てたんだ。同じ名前で。偶然だなぁ」
「そうなんだ。あっ、それでさ、車に乗っている時、僕らの曲がかかったのを聞いたよ」
「えっ!」
 二人は驚きの表情を浮かべ、ついでロビンがきいてきた。
「どこの局? いつごろ?」と。
「局はわからないけど、八時五十分すぎかな。ただし、僕が聞けたのはイントロだけさ。彼女がチャンネルを変えちゃって。でも、あれがたぶん僕らの、アメリカでの初のオンエアだよ。良かったなあって思ってさ。こんな場面で聞くなんて、ちょっと不思議な気もしたけどね」
「でも早いよね。デビューして三日で、もうアメリカのFMでオンエアされているなら」
 ロビンが感激したように両手をあわせた。
「まあね。ほんとに初オンエアなのかどうかは、わかんないけど。それに、いつまでかけてくれるかな、って思うし。ヘヴィロテになるのって、売れ線ばっかだから」
 エアリィの感想は、たぶんに現実的だ。彼は少し首を傾げて、言葉を継ぐ。
「けどさ、それはともかく……なんかデビューして三日って感覚、ピンと来ないなあ。僕らの感覚じゃ、十一月半ばだし。時間の後戻りって、すっごい変な感じ」
「それは言ってほしくないけれど、たしかにそうだな……」
 輪になった時間、その中にいる不思議さを改めて感じてしまう。この間の一ヵ月は、どこに属しているのだろう。小さな輪の出口に辿りつくまで、あと半月。どこにも存在しない幽霊のような一ヵ月の中に、僕たちは今いる。本当に存在しているのは、これから思いがけず初の全米ツアーに乗り出していくことになる、一ヵ月前の僕たちで、今の僕たちは存在しない影のようなものだ。これから半月、僕たちはカナダの新人バンドAirLaceではなく、正体不明のプータローだ。僕はジャスティン・ローリングスでなく、さっき名乗った出任せの名前、ジョン・ローレンスとして、この二週間だけ存在している。他のメンバーだって本名でなく、仮の名前で過ごすわけだ。僕たちは友達には違いないけれど、その関係はAirLaceというバンド仲間ではない。
 不思議な感じと同時に、空恐ろしさを感じた。まるで自分自身の存在を否定されたような気分だ。でも、それは本当かもしれない。僕たちはこれから二週間、自分自身を否認して、別の幻のような人間にならなくてはならない。今トロントに存在している本来の僕たちが、半月たって真夜中のハイウェイで消えるまで、決して自分自身にはなれない。恐い感覚だったし、憂欝でもあった。だからなのだろう、僕たち三人はあえてそのことには、何も触れなかった。
 
 僕たちの席は奥まっているし、パーティションの陰にもなっている。周りはかなりざわざわしているし、店のBGMもあいまって、小さな声で話している分には、人に聞かれる心配はないだろう。考えたくはないことだが、これだけは思わず口をついて出てきた。
「でも、サイレントハートの事故の真相が、こんなことだったなんて」と。
「うん。まさか、だったね。驚いたよ」エアリィも頷いていた。
「先輩の事故で代役に決まったって聞いた時には、あー、彼らにはアンラッキーなことが、僕らにはラッキーって、喜んでいいのかな。でもまあ、ラッキーでいいかって、単純に思ってたんだ。けど、その事故の相手がもう一組の僕らだったなんて……なんていうか、もう、やばいね」
「うん、想像もしなかったね、そんなこと。それに……なんだか少し良心の呵責を感じてしまうね」
 ロビンはしゅんとした口調だった。
「けど、あれは完全に間の悪いハプニングとしか、言いようがないよね。事故ってまあ、どれも突然のハプニングだけど、あれはどっちの不注意でもない、起こるべくして起こったんだし」
 エアリィの口調は、何か自分に言い聞かせているように響いた。でも、僕も同感だ。
「ああ。僕もまさかこっちの出口近くにサイレントハートのツアーバスがいるなんて、思わなかったからなあ。あれは絶対、よけられないよ」
「うん。それはそうだね……」
 ロビンは頷き、しばらく黙った後、再び口を開いた。
「でも、あの奇跡の時間旅行で、僕らはずいぶん関係ない人たちも巻き添えにしたんだね。サイレントハートもそうだけれど、スィフターも……ロブとパストレル博士が言っていたよね。あの事故は、僕らのタイムホールのエコーにぶつかったせいかもしれないって」
「ああ……」
 そうだ。あれほど憧れたバンド、僕らに道を開いてくれた彼らのバンド生命を断ったのも、間接的には僕らなのだとしたら──。あの時あの場所に、彼らのバスが偶然来合せていたこと、それも不幸な偶然なのだろうか。スィフターもサイレントハートと同じように、翌日は移動日だった。でも次の公演地にドラマーであるハービィさんのお友達がいて、その人の家を訪ねるために、前日の夜出発となった。相手が兄弟か友達かが違うだけで、同じような状況だ。彼らの場合、終演が夜十一時くらいになるので、出発は深夜。そしてあの時間、あの場所を走っていた。もし出発が少しでも遅れるか早くなるか、もしくはどこかで休憩でもしていたら、あの光のエコーに遭遇することは、なかったかもしれないのに。サイレントハートの場合は、時の環を作るための不可欠な犠牲者だったのかもしれない。でもスィフターは、完全に不幸な巻き添えだ。その結果、取り返しのつかないことになってしまった――。
「あの事故じゃ、六人も死んじゃったんだっけ。ロブも含めて、二人しか生き残れなかったって……スィフターもあれで終わりになっちゃったし。ぶつかったタイミングが最悪すぎたのかな。ものすごく大きな事故になっちゃって……」
 エアリィも一瞬表情を曇らせたが、すぐ頭を振って続けている。
「でもさ、これも……運が悪いんだなって思うしか、しかたないのかもしれない。起こってしまったことはもう取り返しがつかないし、死んだ人たちだって帰ってこない。僕らだって、ただあの光に巻きこまれただけだし。あまりに多くの人を巻き込みすぎてるって気は確かにするけど……でも僕らには、どうしようもないことなんじゃないのかな。悲しいことだけれど」
「そうだよなあ……」
 僕も同意するしかなかった。そう、僕らも彼らと同じ、ただ運命のいたずらに遭遇しただけなのだろうと。僕はため息をつき、頭を振った。
「でも結局、僕らのツアーも半端なまま終わっちゃったな。ニューヨークへは、結局行きそこなったし。機材がなくなっちゃったから、僕らだけ向こうに行っても、演奏はできないからね。MSGの舞台、ずっと憧れてたから、楽しみだったんだけどな。まあ、帰ってこられただけで、ありがたいんだけど、ちょっと惜しい気がするよ」
「ニューヨークかぁ……」
 エアリィはそう呟くと、微かに首を振った。
「僕はいいや。行けなくたって、それほど惜しいとは思わない」
「なんでだよ?」
「子供のころに、いたことがあるんだ。まあ、別に街自体は嫌いじゃないけど」
 彼は一瞬遠くに視線を投げた後、肩をすくめて苦笑した。
「それにさ、どうせならMSG、ヘッドライナーで目指さない? 夢を大きく持つなら」
「まあ、そうだな」僕も笑って肩をすくめる。
「でも、ボストンは行きたかったな。まあ、そっちはまた機会があるけど」
 エアリィは少し残念そうな表情になった。そこには彼の継兄もいるし、前にいたプロヴィデンスにも近いからなのだろう。きっと旧友たちと会う予定だったに違いない。僕たちは一日余裕を持って、その次の日に帰ることになっていたのだ。帰りもあのワゴン車を交代で、トロントまで運転してくる予定ではあったけれど。

 時間はゆっくりと経っていった。そのうちにエアリィがしゃべらなくなったなと思ったら、いつのまにか寝てしまっている。しかも完全に熟睡体勢だ。テーブルに右腕を投げ出し、左腕を半ばで交差させて、そこに頭をのせている。曲げた左腕で顔はほぼ隠れ、両側にまとめた髪が、光がこぼれたようにテーブルの上に広がっている。
 おまえも、こんなところで爆睡してるじゃないか。しかも仮にも女の子? がそんな体勢で寝るな、と突っ込みたいところだが、彼の女の子姿があまりにもはまりすぎて、僕も見ているだけで奇妙な感じがしてしまうので、寝てくれた方が気分的には楽だ。真剣な話をしていても、どうも妙な変な違和感を覚えてしまって、会話が八十パーセントほどしか頭に入ってこなかったのだから。しかも奥まった席で、ある程度パーティションで遮られているにもかかわらず、『あの娘、すっごいかわいい』『とんでもない美少女だよな〜』というささやきとともに、通路を通る他の客の視線も、ちらちら感じていた有様だ。ここへ来る前にナンパ男に付きまとわれたと言うのも、無理はない。まるで輝く光のような存在感は、女の子の格好をしていても、まったく変わりはしない。いや、余計に目を引くだけだ。その姿勢で寝てくれたほうが、人目は引かないことは確実だ。ついでにきらきら光りすぎる髪を少し隠そうと、僕は結んだ髪をまとめてカーディガンの中に入れ、さらに自分がかぶっていた帽子を頭にかぶせた。そして、あえて起こさないでおいた。結局、全員合流するまで、エアリィはそのまま寝ていた。
 僕も再び眠さを感じ始めていたが、ロビンは眠くとも、こんなところで眠れる神経は持ち合わせていないだろう。彼一人だけ残して、僕まで眠るわけにはいかない。 僕たち二人はもう一杯眠気覚ましのコーヒーを買って、四人目のミックが来るまでの時間を待った。
 ミックは一時半過ぎに来たが、幸い迷わずに合流できたそうだ。その後、三時半前にロブが、最後に四時半を過ぎて、やっとジョージが来た。ジョージはやはり一度駅に行って、駅中の店を覗いてみたらしい。ともあれ、僕が最初にここに来てから八時間近くが過ぎたところで、再び全員がそろったわけだ。こんなに長い間、スターバックスで粘ったのは初めてだった。その間にコーヒー四杯と、スコーンとヨーグルト、ラップサンドを二つ買った。
 全員がそろったところで、僕らは外に出て、今度はダンキンドーナッツへ移動した。そこでロブが禁を犯してミックのパソコンでホテル情報を検索し、空き室のあるいくつかの小さなホテルに、現金払いで泊まれるか交渉に出かけた。そしてどうにか町外れの小さなホテルを見つけ、二部屋しか空きがなかったので三人ずつに分かれて、偽名で二泊した。僕たちは連泊時のルームメイク不要のオプションを選び、『Don’t Disturb』の札をドアに下げたまま、チェックアウトまで部屋にいた。
 もう一組の僕らがフィラデルフィアに着いた頃から、ロブは町へ出かけ、家具つきの短期滞在用アパートを見つけて、自分のクレジットカードを使って契約した。寝具をリースし、最小限必要な鍋や食器などを買い揃えたあと、十月いっぱい、そこでなりをひそめることになったのだった。

 二週間の隠遁生活は、まるで急に時間の流れがゆっくりになったような、日常の流れから遊離した、奇妙な日々だった。僕たちは期間中、外へ出ない。それが大原則だ。ロブが時々外へ出かけて、食料や暇つぶしの本やゲーム、着替えや日常雑貨などを買ってくる。ロブが買い物担当で、エアリィは家事担当。彼は母親が亡くなってから、継父のお姉さんが同居して家のことを見てくれるようになるまでの一年間、実家の家政をやっていただけあって、まるで長年主婦をやっていたような手際でこなす。「めんどくさいのは嫌いだから、簡単でいい?」と言いつつも、栄養バランス的にも調和の取れたおいしい料理を作ってくれ、毎日十分くらいで手早く部屋を掃除し、僕らが脱いだ服を回収して洗濯機に入れ、乾くとたたんで返してくれる。でも、そうやって家事をしている姿を見ていると――しかも変装用にショッピングセンターでロブが買った、ピンクのトレーナーを着ていたりすると(スカートはさすがにすぐお払い箱になったが、トレーナーとカーディガンは捨てるのがもったいないからと言う)、本当に生まれてくるのを間違えたとしか言えない感じだ。僕たち四人は、「悪いな、ありがとう」とは言うが、手伝いはしない。僕には家政がまったくわからないだけに、手伝っても、かえって邪魔になる気がしたからでもある。ロビンやジョージ、ミックもそうなのだろう。エアリィにも、「みんなには期待してないから」と、肩をすくめて言われたくらいだ。
 僕たちは本を読んだり、テレビを見たり、ゲーム機やミックが持っているノートパソコンをオフライン設定にして、簡単なゲームをしたりしていた。たくさん話もした。こんなにいろいろしゃべりあったのは、初めてだったかもしれない。
 三LDKの家の中、六人が一日中顔をつき合わせ、生活をする。未来世界でも六人が一つの部屋に二週間以上一緒に暮らしていたけれど、今はさらに外へ行けない。それだけが残念だし、身体がなまるのも気になるけれど、今は他にしかたがなかった。
 穏やかに、ゆっくりと日々が過ぎる。でも、この世界にもう一人の僕たちがいて、アメリカをバスで駆けまわりながら、コンサートをしていると思うと、言いようもないほど奇妙な気持ちになる。それは僕たち自身の、一ヵ月前の姿だ。この僕たちは何も知らない。希望と野心にあふれ、夢に向かって走り出したばかりの、若きミュージシャンだ。
 そしてもう一組、未来世界での二週間の体験と世界の終わりを知らされている、今の僕たちがいる。これが、同じ自分たちなんだろうか。一ヵ月の時を隔てた、二組の僕たち。その中身は本当に同じ人間でありえるだろうか。まるで、世界を隔ててしまったようだ。
 部屋の窓から、毎日夕日が沈んでいくのが見えた。ここでも新世界でも太陽は昇り、沈んでいく。風も月も星も。自然は、いつの時代でも存在し続ける。永遠ではなくとも、地球が自然に終焉を迎える何十億年という、気の遠くなるような未来まで。でも、僕たち人類はどうだろうか。この自然と同じように、僕たち人間も半永久的に存在しえるのだろうか。この世界は、まもなく終わりを迎えようとしている。でも、あの新世界で人々は存在し続けている。五千年先には、宇宙へも飛び出しているという。でも地球の数十億年の歴史に比べたら、人類のわずか数千年、数万年の発展が、いったいどれほどのものなのだろう。
 僕は頭を振って、考えを打ち切ろうとした。時間を持て余すと、ついいろいろなことを考えてしまう。それはいつも最後には、恐怖と不安に陥れていく。未来にあるという、大きな断崖。それは本当なのだろうかと。恐い――その恐さだけは、どうしても拭えない。もう、そのことは考えたくない。未来世界のことも、そこで聞いた世界の終わりの話も、誰もほとんどしなかった。お互いに、できるだけ忘れようと努めているようだ。それでもみんな、心の底から忘れ去ることはできないだろう。
 でも、悪いことばかりではなかった。未来世界の体験を共有し、そこで二週間過ごし、ここでまた二週間を一緒に過ごしたその経験は、僕ら五人、そしてロブも含めた六人の絆を、家族同様、いや、それ以上に深くしたと思う。僕たちは単なるバンド仲間ではなく、アーティストとマネージャーでもなく、一つのかけがえのないファミリーなのだと感じられた。それだけは大きな収穫だ。
 二週間の隠遁生活は、ゆっくりと過ぎていった。

 十一月一日、午前三時十五分、あと五分でまた運命の瞬間が訪れるというこの時、僕たちは九五号線のロードサイドに立っていた。僕たちの記憶が正しければ、たぶんこのあたり──そう、一ヵ月以上に渡る時間旅行の、始まりの場所に。
 この時にこの場所に来るのは、危険かもしれない。あたりは暗いからライトがなければ、姿を見られる心配はないけれど、六人まとめて移動するには、レンタカーを借りなければならない。それには、少なくともロブの免許証が必要になる。でも、あのワゴン車と機材をなくした言い訳をマネージメントにしなければならず、場合によっては警察が乗り出してくる。そうなると、この近辺での矛盾はタイムコンフリクトにつながる危険がある。
 僕たちはアパートにいる間にこの問題を話し合い、後でマネージメントへの言い訳の一部に使おうと、もう一組の僕らの通過時間にあわせてロブが前日、わざわざバスとタクシーを使ってワシントンの手前まで戻り(レンタカーセンターが閉まる前、ぎりぎりの時間の通過地点だ)、軽ワゴン車を借りた。そこまでしても、どうしてももう一度あの場所へ行きたい。時の円環の始まりを、そして小さな円の終わりを見届けたいという衝動に負けてしまったのだ。
 午前三時、そのグレーのワゴン車をロードサイドに止め、ヘッドライトを消した。僕たちは暗やみに佇み、黙ってその瞬間を待っていた。
「来たよ!」
 エアリィが小さくささやいた。彼はたぶん、いち早くその姿を見ることができたのだろう。僕は息をのみ、目を凝らしてその方向を見た。古びたバンが、夜の中から近づいてくる。それはロードランプの明かりの中に、ぼおっと浮かび上がった、灰色の頼りない亡霊のように見えた。
 突然、一条の青白い光が空から道路に降ってきた。それはたちまち百万のスポットライトを一斉に浴びせかけたように、目の眩むような光のカーテンになっていく。鋭くはない、柔らかい光が広がっていく。
 光のきらめきは一瞬で消えた。再び訪れた闇の中に、車も跡形もなく消えていた。僕は思わず震えを感じ、それから深くため息をついた。円が始まり、ここで再び閉じた。でも完全に閉じるまでには、あと三百年以上もの、長い年月が必要だ。僕たちには決して見届けることのできない、遠い未来に。
 車が消えたあとも、僕たちはみな黙ってそこに立ち尽くし、真夜中のハイウェイを眺めていた。一ヵ月前の僕たち。同じ時に存在していたもう一組の僕たちは、今の僕たちがここに佇んで見ていたことなど知らないで、未来へ飛んでいった。それが今の僕たちの一ヵ月前――今消えた僕たちは、これからまた今までの体験を、繰り返すのだろうか? それは無限ループにならないか? いや、その結果が今の僕たちなのだから、すべての経験はもう統合されたのだろう。たぶん――。
 不思議な気分と同時に、底無しの空恐ろしさを感じた。一瞬、自分という存在がわからなくなってしまったように。でも、今ここに存在している僕たちは、ともかくこれからまた自分自身に戻れる。再び一本の線につながった時間を、歩いていける。だが、それから先はどうなるのだろうか。十一年という、猶予期間が過ぎたら――。再び恐怖感が襲ってきた。みんなも同じように感じたのかもしれない。再び乗り込んだ車の中では、ほとんど無言だった。

 ロブは借りた車で、僕たちをその次のインターチェンジ(僕らが最初に歩いて到達したところではなく、フィラデルフィアよりのところだ)まで乗せていき、近くのファミリーレストランで僕らを降ろすと、一人でハイウェイへ引き返していった。それから二時間あまりのち、再び僕らに合流し、マネージメント会社の社長氏に電話をかけていた。車が機材もろともなくなった。その理由に、本当のことは言えない。未来世界でも口止めされていたし、仮にそれがなかったとしても、とても信じてもらえないのは、目に見えている。『いいから、本当の理由を言え』と、怒られるに決まっていた。
 真夜中にハイウェイを走っていたら、車が故障して止まってしまった。でも時々調子が悪かったので、万が一のために、ロブがワシントンDCの手前でレンタカーを借り、彼はそこから借りた車でついてきた。フィラデルフィアまで来たら車を点検してもらおうと思ったので、そこまでの契約で、と。でも本当に、途中で故障してしまった。なんとか路肩に止めることができたので、メンバーを拾って次のインターチェンジの休憩場所まで送り届け、自分はロードサービスを呼んで現場へ引き返してきたら、車がなくなっている――そう報告したようだ。それがアパートに滞在中、僕らみんなで考えた、もっとも不自然ではなく、警察が仮に乗り出してきても不審には思われない言い訳に思えたからだ。実際不審をもたれないよう、ロードサービスの人には気の毒だったが、ロブはハイウェイに戻っていった時、本当に電話をかけたらしい。
「社長さんは、なんて言っていた、ロブ?」
 連絡が終わると、僕たちはいっせいに聞いた。
「ああ、またトラブル報告で眠っているところを起こされたんだから、あまり機嫌がいいとは言えないな。どうしてこのツアーはこんなにトラブル続きなのか。やっぱり呪われているに違いないって、言っていたよ」
 ロブは肩をすくめて、答えていた。
「でも、車がなくなったことについては、あの言い訳で納得してくれたようだ。僕の不注意だと叱られたがね。僕もひたすら謝ったさ。ニューヨークには、急遽サイレントハートを送るらしい。元々おまえたちは一週間だけのピンチヒッターで、彼らとしてはシンシナティから戻るつもりでいたから、喜ぶだろうとね。先方には、これから報告することになるが、了承が取れたら、昼ごろの飛行機で行って間にあう。楽器やアンプ類は元々PAと一緒に別のバンで運んでいたから、あとはメンバーたちが行けば大丈夫らしい。クルーとPAを僕らが借りていた形だから、楽器も一緒に運ばれていたんだよ。そっちは使わなかったけれど。だから彼らは、そのまま公演できるんだ。それが幸いしたと社長も言っていたよ」
「そう。それで、僕らはどうすればいいって?」僕はそう聞いた。
「とりあえずレンタカーを返したら、飛行機でトロントへ戻ってこいと言っていた。車はフィラデルフィアで乗り捨て契約だから、そこまで行って、空港のレンタカーセンターに返せば大丈夫だ。そこから帰ろう」

 僕たちはフィラデルフィアから、お昼過ぎの飛行機でトロントへ帰った。空港に着いた時には夕方だったが、タクシーを拾って、その足でオフィスに出頭した。
 機材とワゴンをなくして、余分な飛行機代とレンタカー代をかけた上に、ツアーを中途半端に終わらせてしまったことで、さぞかし叱られるだろうなと覚悟をしていたら、予想に反してコールマン社長は機嫌が良かった。
「ああ、帰ってきたね。ごくろうさん」
 彼はこっちを見て、にやっと笑っている。
「ずいぶんと疲れた顔をしているね。初めてのツアーで疲れたかな。それに、とんだ災難にあったものだ」
「すみません」
 僕たちはみなで、いっせいに謝った。
「故障したバンを無人にしておいたのは、失敗だったね。動かないのだから、そのままでいいだろうと思ったのだろうが、車上荒らしの危険もあるからね。まあ、これはロブのミスだ。君たちのせいではないさ。レンタカーを借りていたのは先見の明があったが、でも、楽器がなければね。借りた車に、一緒に楽器を積んで来ればよかったのに。いや、ロブが借りた軽ワゴンでは、君たち全員乗ったらいっぱいだから、最初から元の車と同じ、大型ワゴンにするべきだったんだ。君たちと機材を一緒に積んでこられるように。値段の問題じゃない。フィラデルフィアで店が開くのを待って点検してもらって、修理に時間がかかるようなら、そこから大型ワゴンを借りようと思ったと、ロブは言っていたがね。少し考えが足りなかったようだ。まあ、彼もこれで学ぶだろう。結局、運が悪かったんだ」
 コールマン社長は僕らを見ながら、もう一度にやっと笑った。
「幸い、ニューヨークのステージは、穴をあけずにすんだ。サイレントハートの連中も、最後の二公演に出ることが出来て、喜んでいたよ。彼らも不本意な災難で、ツアーを中断させられたわけだからな。しかも一週間だけだと思ったら、相手が君たちを気に入って、最後まで同行してもらうことになったからね。メンバーのマイケルがその時、しょげた様子で言っていたよ。『まあ……しかたがないですね。少し悔しいですが、期待の新人なのだから。彼らのためには良かったのだし』と」
 たしかにそれは不幸な偶然だとはいえ、なんとなくバツが悪い。僕は肩を竦めたいのを我慢した。社長はケースからタバコを取り出し、一服吸い込むと、話を続けた。
「しかし今朝もまた、二週間前の悪夢の再現だったよ。本当に今回のツアーは、トラブル続きだ。ロブから電話をもらって、先方のマネージャーとエージェントに連絡したら、相手には『またかね。いったいどうなっているんだ、君のところは。スィフター以来、呪われているんじゃないか? 一度、お祓いしてもらえ』と言われたよ。『良かったのにな、あの新人は。客のリアクションも良かったし、メンバーやスタッフの受けも良かった。予備の楽器を積んでいたのなら、それを使ってやれば良いのに。なに? そっちは本来のバンドのだ? だから感触が変わって、無理だ? それに元のバンドはギター二本だから、キーボードがない? まあ……そうか。しかたがないな。本当に残念だ。メンバーたちにも話をして、それからまた連絡する』と。サイレントハートには今朝連絡して、先方の了承が取れたらすぐに出発できるように、準備しておいてくれと言ったんだ。幸い機材車とクルーは君たちに同行していたから、もうすでにニューヨークへ着くころだったしね」
 社長は煙を吐き出し、同時に長く息を吐いた後、続けた。
「それからは、本当に長く感じられたが、昼の二時ごろ、やっと向こうから電話があったんだ。『まあ、しかたがない。ラスト二公演は元のバンドを送ってもいい、ということだった』と、本当に渋々という感じで言っていた。私は返事が待ちきれず、正午にはサイレントハートのメンバーとマネージャーに、一番早い便でニューヨークへ行けと命じていた。ダメならダメで仕方がないが、返事を待っていたら、移動が間に合わない恐れがあったからね。幸い、すべてがうまくいって、無事に公演できたようだ。『自分たちは運が悪いと思っていたけれど、最後に運が回ってきて、本当に良かったです。彼らが本当に新人で、自前のクルーもPAもない状態だったから僕らのを貸したおかげで、結果的に僕らが間に合うように戻れたとは、本当に情けは人のためならず、ですね。彼らには気の毒だったけれど、それはお互い様ですし』と、ついさっきメンバーのトニーが電話で報告がてら、そう言っていたよ」
 社長は煙草の煙を吐き出しながら、話を続けている。
「だが本当にね、短い間だったけれど、君たちのツアーは大成功だったよ。君たちを見た人たちの口コミや、新聞のコンサートレビューで興味を持ってくれた人たちが、かなりいたようだ。公式サイトのアクセス数や公式チャンネルの再生数が増えて、CDの売り上げも順調だ。見たまえ。ビルボードのアルバムチャートで三〇位まであがってきた。シングルも二八位まで上がって、めでたくトップ四〇入りだ。デビュー一ヵ月足らずの無名の新人としては、上々のスタートだよ。それで君たちには、さっそく次のツアーの話が持ち上がっているんだ。アメリカのとあるベテランバンドが、十一月半ばから始まる二度目の全米ツアーのサポートに、君たちを起用したいと言ってきた。十二月の二十日から来年の一月五日までのクリスマス休暇を挟んで、一月いっぱいまで続くツアーだ。まあ、規模は今回よりは小さくて、アリーナというわけには行かないが、それでも一晩で五、六千人くらいの客が見込める。悪い話じゃないだろう?」
「え? 本当にもう、次が決まったんですか?」
 僕らは一斉に問い返した。驚きだ。
「そうだ。ほかにもいくつか、今後の動静を見て起用を考えるという打診もある。これから、まだまだ忙しくなりそうだぞ。今度のツアーは、十一月十四日から始まる。リハーサルは、九日ごろから始めよう。セットは変えなくて良いからね。二、三日でざっと通しをやればいい。リハが始まるまで、君たちはゆっくり休んでいたまえ。君たち用のスタッフもこの二週間の間に選んでおいたから、リハーサルの時に顔合わせをしよう。相手の提示条件がかなり良かったから、次回は自分で運転しなくても大丈夫だよ。ちゃんとしたバスと、運転手も手配できる。部屋はまだ、モーテルの相部屋で我慢して欲しいが。それで、なくなった機材については……」
 社長は煙草を灰皿に押しつけ、僕らを見て少し肩をすくめた。
「見つかるのを待っていたら間に合わないだろうから……レーベルのアドバンスが、まだ少し残っていないかな? もしあったら、それを使って買いなおしてくれないか? ギャラも少し入っただろうし。足りなかったら、少し貸してあげてもいいよ」
「ええ……大丈夫です」
 僕らは顔を見合わせ、小さな声を返した。みな、一応契約時にもらったアドバンスで、新しい楽器は買っている。アンプやエフェクターはもう一度買う必要があるけれど、余裕がないわけじゃない。ただただ、この時には疲れた気分だった。この一か月の経験に。
「なんだね、なんだね。その元気のない返事は。まるで人生にまで、くたびれたような顔をしているじゃないか」
 コールマン社長は僕らを見まわし、にやっと笑った。
「楽器がなくなったのが、惜しいのかい? 愛着があるだろうから、気持ちはわかるがね。運が悪かったのだから、仕方がないさ。それにしても、なんだったんだろうね。たまたま誰かが見つけて、持って行ってしまったんだろうか。故障したと思ったが、その時には動いてしまったと。まあ、よくある話ではあるが、キーをつけっぱなしにしたロブの不注意だな。詰めが甘いというか、ボーンヘッドだが、彼も反省しているようだし、人間誰しも失敗はするものだから、私もそれ以上は責めないがね。いちおうデラウェア州の警察に紛失届けは出したから、運が良ければ出てくるだろうが、でも運悪く見つからなくても、こっちはそれほど惜しくはないさ。もうあのワゴンも十五年乗っているし、そろそろお役ごめんにしようかと思っていたところだったからね。それに、この程度の災難ですんだのは、幸いだったよ。いい厄落としだったかもしれないな。君たちの機材は、もし出てこなかったら残念だが……」
「あ、でも、仕方がないですから、買いなおします……」
 僕たちは力無く笑い、そう言うしかなかった。
 その晩、やっと自分のアパートに帰りついた僕は、何もかも忘れてぐっすりと眠った。本当の自分の場所に帰れた――その安堵感でいっぱいだった。
 翌朝目覚めた時には、この一ヵ月の経験が、奇妙な長い夢だったような錯覚さえ覚えた。僕はベッドの上に起き上がり、窓を開けた。太陽はもう高く上がっている。冷たい空気をいっぱいに吸い込み、大きく伸びをした。夢のような気がするなら、これ以上深く考えるのはよそう。単なる風変わりな夢で終わらせたほうが、ずっと楽に暮らせる。今、やっと再びミュージシャンとしての自分に戻れたのだから。

 でもリハーサルのために集まったスタジオで、忘れようと努めていた事実に、もう一度直面することになった。
「そういえば、あの手紙にあったアイスキャッスルの話な。本当に出たぜ。今、会社は政府の依頼を受けて立地調査をしているところらしくてな。本当にプリンスチャールズ島になるかはわからないが、そことサザンプトン島、バフィン島が有力候補になりそうだ。細かいところはまだ調査に時間がかかるから、わからないが」
 リハーサルの休憩中に、ジョージがそう報告してきた。
「うん。びっくりしたね。本当にあの手紙のとおり、僕たちが家に帰った三日目の晩に、その話が出たんだ。ジョージ兄さんもその日は家に帰ってきて、一緒に夕食をとっている時に。前に計画していた予定地が、気流が不安定だから飛行機を飛ばすのにあまり適していないって調査でわかって、行き詰まっているって。あの辺はわりと気流が乱れているところが多くて、立地が難しいらしいんだ」と、ロビンが頷いて言う。
「一応手紙に書いてあったから、家に行かなければなと思っていたんだ。そうしたら、その日にパムが実家に用事があって出かけたんで、ちょうどいいと思ってな。おまえも泊まって来い、俺も泊まってくるからって……まあ、それはともかくな、その話を聞いて、俺は言ったんだ。いっそ島でもいいんじゃないかと。そうしたら祖父ちゃんは、一瞬驚いた顔をしていたが、それは考えていなかった、でもその手があったな、どうせ飛行機でしか行けないのだから、下の地面がしっかりしていたなら、島でも本土でもあまり関係ないし、もし良い場所があるならば検討して、政府に報告してみようって、言い出しだんだよ。それに、あのあたりの島は鳥獣自然保護区も近いから、そこを拠点として、白クマとかアザラシなんかのウォッチングも出来る、なんて言っていたな、父さんも。敷地に入ってこないように対策をしないといけないが、ビジネスチャンスとしては、いろいろ有望かもしれないと。だから、かなり本腰を入れていくみたいだぜ、これから」
「僕も、それでオタワに一度帰ったんだけれど、父さんとその話をする機会があったよ」
 ミックも頷いていた。
「本当に手紙の通りだった。あそこの計画は推進されるはずだよ。それに全体を大きな核シェルターにするという計画もね。本当に予定どおりだった」
「じゃあ、とりあえず、最初の義務は終わりだな。あとは僕が資料をしっかりと保管して、十一年後におまえたちが、そこでコンサートを開けばいいだけだ。そしてエアリィとジャスティンが、お継父さんやお兄さんをそこへ連れていけばな」
 ロブは僕らを見回しながら、微笑に少し苦笑が混じったような笑いを浮かべていた。
「じゃ、あと十一年間はなりゆきまかせってこと?」
 エアリィは小さく笑い、肩をすくめた。
「まあ……そう言われればそうだが、ともかくその間、みんな自分たちの道をしっかり進むことだけだ。ミュージシャンとしてな。未来体験のことなんて、できるだけ忘れるんだ。向こうの人たちにも言われたことだ。ただ自分たちの行く道を、精一杯進んだらいい」
 ロブの言葉に、僕たちはいっせいに頷いた。「そうだね」と。できるかできないかはわからないけれど、なるべく意識から追い出そう。今の僕たちには長い奇妙な夢だと思えるだけの、十分な“現実”があるのだから。


 公園には、午後の日光が降り注いでいた。暖かい日差しに誘われるように、この季節にしてはかなりのにぎわいを見せている。
 僕は茶色くなった芝生の上に座っていた。傍らにステラが、僕の肩にほんの少し寄りかかるようにして座っている。芝生の上に直ではなく、ブルーのスカーフを敷いて。彼女は生成り色のセーターに、紺色のジャンパースカートという軽装だ。僕もチェックのコットンシャツにライムグリーンのセーターだけで充分だ。
 明日から始まる二度目の全米ツアーを前に、僕たちはそれぞれ会いたい人に会うべく、この日をお休みにしていた。小春日和と呼ばれる、十一月の中にまちがって五月がまぎれこんできたような日だった。
「どうしたの、ジャスティン? 何か考えごと?」
 ステラは首を傾げ、僕を見上げて聞いてきた。
「なんでもないよ、ステラ。景色を見ていただけさ。いい天気だなあと思ってね」
「そうね。たしかに今日は気持ちの良い日だわ。春だったら、もっときれいだったでしょうけれど。でもわたし、淋しいわ。明日からクリスマスまで、あなたにずっと会えないなんて」
「ごめんね」
「ううん。それは仕方ないけれど……これからも、ずっとこうなのかしら?」
「そうかもしれない……ごめんね」
「ジャスティン、謝ってばかりね。でも、気にしないで。わたしは大丈夫だから」
 彼女は再び僕を見上げた。その目には、かすかに心配そうな光があった。その口調も。
「ねえ、ジャスティン。パパやママがわたしたちのお付き合いに反対でも、わたしを嫌いにならないでね」
「嫌いになるはずはないじゃないか。君の両親がどうあろうと、君のせいじゃないよ」
 僕は軽く笑い、彼女の手の上に自分の手を重ねた。
「わたしを好きでいてくれる? 十年たっても二十年たっても、ずっと」
 無邪気な調子で言われた言葉に、僕は思わずどきっとして、手を離しそうになった。二十年後の世界は、どうなっているのだろう――?
「どうしたの?」
「いいや、なんでもない」
 僕は強く首を振り、ついで頷いて、彼女の手をきゅっと握った。
「あたりまえだよ。十年たっても二十年たっても、君を愛する気持ちに変わりはないさ」
「十年後のわたしたちって、どうなってるのかしらね。結婚して、子供がいて……あら、いやだ。わたしったら、何を言ってるのかしら」
 ステラは耳まで真っ赤になって、激しく首を振っていた。
「これからずっと付きあっていけたら、そうなるだろうね」
「ええ……」
 ひとしきり、幸福な沈黙が過ぎた。
「ねえ、ジャスティン。わたし、時々思うの。未来が見えたらいいのにって。十年先のわたしたち、二十年先のわたしたち……」
「そう?」
 ひやりと心に触れるものを感じながら、僕は首を振った。
「僕は未来を見たいとは思わないな。見ないほうが幸せだよ」
「あら、どうして?」
「もし悲しい未来だったら、今から不幸になってしまう」
「ジャスティンったら。ずいぶん悲観的なのね」
 ステラは小さく笑った。
「たしかに悲しい未来はいやだけれど、幸せな未来もあると思うわ。もしそうなら、今から幸せになれるでしょう? あなたの言葉を借りるなら」
 ステラは微笑んだ。屈託のない笑顔だ。彼女にとっての未来には、少なくとも恐怖は宿っていないのだろう。たぶん、夢と希望と不安が少し。彼女は何も知らない。その海の色のような瞳にたたえられた光は、無邪気な輝きに満ちていた。僕にはもうきっと取り戻せない希望をたたえて、真っすぐに見つめている。
「そうだね……」
 僕はそっと彼女の背中に手を回し、頷いた。本当にこれから十一年の間には、幸せなこともきっとあるだろう、いや、そうあって欲しいと願いながら。

 芝生の上を、赤いボールが転がってきた。その後から、幼い男の子がトコトコと駆けてくる。二、三才くらいだろうか。帽子をかぶらない金色の髪に日の光があたって輝き、見開いた青い目には、無邪気な喜びがあふれていた。
「あら、かわいい坊や!」
 ステラは小さく叫んで笑いかけた。転がってきたボールを拾い上げて渡すと、子供はちょっと恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、小さな手を伸ばして受け取っている。
「ありがと」
 かわいい片言で、その子は言った。
「どういたしまして。坊や」
 ステラは再び子供に微笑みかける。
 僕も声をかけた。「楽しそうだね」と。
 子供はにこっと笑ってから、トコトコと駆け去っていく。その先には金褐色の髪を後ろに束ねた、二十代後半くらいの母親らしき女性がいた。彼女は僕たち二人に「ありがとうございます」と微笑むと、優しげな眼差しを子供の上に移している。

 公園には、季節はずれの暖かい光があふれていた。茶色になった芝生や、もう花のない花壇にも、金色の日光が降り注いでいた。木々は葉を落とし、まもなく冬がやってくることを教えている。それは冬の厳しさの前に授けられた、自然の贈り物のような日だった。まるで、これからの僕たちの世界を象徴しているようにも思えた。今は晩秋だ――僕たちの世界も。突然すべてを凍らせる冬が訪れることを、人々は知らない。多くの人は、今を春と思っているのだろう。ずっと終わらない春だと。
 向かいのベンチで、老夫婦が日差しにぬくもりながら語り合っていた。木の上から下りてきた二、三匹のリスに、小学校の帰りらしい子供たちが、どんぐりをやっていた。小さな子供をベビーカーに乗せて、若い母親たちが談笑しながら通りすぎていく。若い女の子が芝生に座り、写生に熱中していた。手を取り合って、おしゃべりしているカップルもいる。少し離れた芝生の上では、さっきの子供が、母親だろう人とボール投げをして遊んでいた。ときおり笑い声が響いてくる。
 ああ、この平和な光景が途切れる時が来るのだろうか。本当にあと十年あまりで、すべては終わってしまうのだろうか。無邪気に遊んでいる小さな子供。この子は今、二、三才ぐらい。十一年後には十三、四才。まだまだ人生を知り始めた頃なのに、そんな短い命で終わってしまうのだろうか。恐ろしいことだ。でも、僕には何もできない。人類すべてを救うことは、誰にもできないことなのだろう。あの体験が夢でなかったとしたら。
 子供は僕たちが見ているのに気がつくと、にこっとあどけない笑顔を見せて、手を振った。ステラとともに手を振り返しながら、僕は世界中の小さな生命たちのために、心の中で、我知らず祈りを捧げていた。

 主よ、小さな生命たちをお救いください
 世界の生きとし生けるものに
 恵みと哀れみをたまわらんことを

 残された時はあと十一年。僕たちはこれから、一つの点に向かって歩いていく。つまずいても、歩みに疲れても、進むことはやめられない。僕たちのゴール――運命の日に向かって。


★ 第一部 終 ★


【 第一部 終 】




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