コンビニ人間・古倉恵子の創作裏話 もどる
小説、「コンビニ人間・古倉恵子」の、創作の経緯を書いておこうと思う。
これは、村田沙耶香さん、の芥川賞の受賞作、「コンビニ人間」、を僕が、パロディー化して、書いた、小説である。
あまり、自分の、小説の、解説を書くのは、好きではない。
というより、小説を書いても、自分の、小説の解説を書く、ということは、ほとんど無い。
し、そんなことは、してこなかった。
小説の、出来栄えの巧拙、に関係なく、僕は、自分の、小説の解説を書く、などという、ことは、嫌いである。
これは、僕だけでなく、プロ、アマ、問わず、小説を書いている、ほとんどの人、は、そう思っていると思う。
その理由は。
自分は、こういう理由で、この小説を書いた、などと言う、創作の苦労を、述べることは、作者にとって恥ずかしいものである。
小説は、作者の、解説など、なくても、読者が、お話として、読める物で、なくては、ならない。もし、作者の解説が、なければ、意味がわからない、という小説であれば、それは、作者の力量の無さ、に他ならない。
純文学の場合、読んでも、小説の意図が、わからない、という作品はある。
しかし、そういう作品の場合、文学を見る目の肥えた、文芸評論家、が、その、小説の解説を書いてくれる。
なので、作者は、自作の、小説の解説を、書く、ということを、あまりしない。
小説は、読者が読んで、直に、読者に理解されるものでなくては、ならない。
しかし、僕は、3年前に、書いた、小説、「コンビニ人間・古倉恵子」、について、その経緯を書いておこうと思う。
その理由は。
小説は、作者が、自分の欲求から、書きたいから、書いているのであるが。
しかし、小説、「コンビニ人間・古倉恵子」に限っては、書いた経緯も、書いておきたい、という欲求が、強く僕には、あるので、書こうと思ったのである。
その文章は、小説とは、言えない、ものになるだろう。
小説とは、「お話」、であり、主人公がいて、登場人物がいて、物語が進行する、「お話」、である。
なので、これから書くことは、「エッセイ」、ということになるだろう。
まあ、たいしたエッセイではないが。
書きたい、という、パッション、は、強くあるのである。
村田沙耶香さん、の書いた小説、「コンビニ人間」、が、第155回の、芥川賞に決まったのは、2016年(平成28年)の、7月19日、である。
その日、芥川賞受賞の記者会見が行われ、村田沙耶香さん、が、記者の質問に答えていた。
それまで、僕は、村田沙耶香さん、という小説家、を知らなかった。
そして、僕が、村田沙耶香さん、の書いた、「コンビニ人間」、をパロディー化した、小説、「コンビニ人間・古倉恵子」、を書いたのは、平成28年10月9日、である。
つまり、村田沙耶香さん、が、芥川賞を受賞した、約3カ月後のことである。
僕が、「コンビニ人間・古倉恵子」、を書き始めたのは、村田沙耶香さんの、芥川賞受賞作、「コンビニ人間」、を知ってから、2か月後の、9月14日(水)、からである。
「コンビニ人間・古倉恵子」、は、原稿用紙換算で、208枚であるが、一カ月程度で書いた。
その経緯を書いておこうと思う。
なので、それ以前の、僕の、生活を、少し書いておく必要がある。
平成25年(2013年)、から、僕は、ある、コンタクトレンズの、小売り会社(中央コンタクト)、と、契約して、眼科クリニックの院長になった。
それまでも、コンタクトレンズショップに、隣接した、コンタクト眼科のアルバイト、は、していた。
コンタクト眼科の仕事は、スリットランプで、角膜に傷がないか、結膜炎は無いかを、チェックし、コンタクトレンズが、スムーズに動くか、を、チェックする、簡単なものだった。
目が痒い、とか、痛い、とか、訴えてやって来る患者もいて、その場合は、角膜、と、結膜を診て、角膜に傷がないか、結膜炎は無いかを、チェックし、必要があれば、点眼薬を処方した。その他、麦粒腫(ものもらい)、とか、目に異物が入った、患者も来ることがあって、その対応もした。
仕事の日、診療していると、中央コンタクト、の、会社の人が、来て、眼科クリニックの院長になって欲しい、という、依頼は、前から、時々、受けていた。
しかし、僕は、断っていた。
その理由は。
「最低、週5日は、診療して欲しい」、という条件だったからだ。
僕は、医師としての仕事は、生活費のため、と、割り切っていて、小説を書くことだけが、生きがい、だったので、週5日も、仕事に拘束されたくなかったからである。
なので、「週2日なら、やってもいいですよ」、と、中央コンタクトの、会社の人に言っていた。
僕は、そんなに、金が欲しいわけではなく、生活していける、程度の、年収であれば、十分だったからである。
金があっても、使うあて、も、無かった。
しかし。
コンタクト眼科の診療で、困ったことが、起こっていた。
それは。
日本眼科学会の会長が、「眼科医でない医師が、コンタクト眼科の診療をしている現状」、を強く、批判して、それを、厚生省に、訴えていたからである。
それを、厚生省が認め、コンタクト眼科の診療の、募集は、眼科専門医に限る、という、条件が、つく募集が、ほとんどになってしまったからである。
これは、僕にとっては、痛かった。
仕事がなくなってしまうからである。
そんな時。
ある日、コンタクト眼科の診療所で、代診のアルバイトを、していたら、中央コンタクトの、会社の人が来た。そして、
「今度、岩手県の盛岡駅前に、コンタクト眼科の診療を、主とした、眼科クリニックを、開こうと思っています。週2日、という条件で、院長になってもらえませんか?」
と、言ってきたのである。
僕は、迷うことなく、引き受けた。
「週2日、は、僕にとって、絶対の条件で、それを、コンタクト会社は、妥協してか、僕に、求めてきたのであり、また、コンタクト眼科の診療の、アルバイトが、眼科専門医に限る、という条件がつく風潮になってきたので、それ以外に、収入を得る方法がない」、と、思ったからである。
それで、僕は、院長になった。
眼科クリニックは、盛岡駅前の、メトロポリタンホテルの、4階の催事場のフロアーの一室にあり、診療日は、土曜日、と、日曜日、の二日で、午前10時から午後7時までの勤務だった。なので、僕は、土曜日の朝早い、5時に、起きて、アパートを出て、東京駅から、東北新幹線に乗って、盛岡へ行った。東京から盛岡までは、距離は長いが、東北新幹線で、2時間30分、で行け、アパートから、クリニックまでは、4時間30分、くらいで行けた。そして、土曜日の診療をして、その晩は、盛岡駅前のホテルに泊まり、翌日、の日曜日にも、10時から診療し、夜7時に診療が終わると、上りの、東北新幹線で、アパートに帰った。
普通一般のクリニックの院長の収入は、患者の診療報酬による。
なので、患者が少なければ、収入は少なくなるし、多ければ、収入は、多くなる。
しかし、眼科クリニックは、患者数からいえば、診療による利益は、経費である、月60万円もする、テナント料に、はるかに届かない赤字経営である。
コンタクト会社としては、眼科クリニックの診療によって、儲けようという気はなく、医師が、コンタクトを処方することによって、隣接する、コンタクトショップで、患者が、買う、コンタクトレンズ、および、そのケア用品の販売、によって、儲けよう、と、いう形態の経営だった。
法的には、僕が院長なので、患者の診療によって、得られる、わずかな診療報酬の金額も僕の報酬となるが、僕の収入を定額にするために、会社と契約した、定額の収入にするために、定額に届かない、足りない分は、業務支援金、という形で、会社が、振り込んでくれた。盛岡への往復の交通費も、土曜日のホテルの宿泊費も、会社が負担してくれた。
なので、法的には、クリニックの院長ではあるが、感覚的には、コンタクト会社から、定額の給料を貰って働いている、雇われ医者のようなものだった。
永遠に、院長を、続ける、という条件ではなく、僕、か、会社、の方、の、どちらか、が、「やめたい」、か、「やめて下さい」、と、言いだしたら、そこで、院長は、やめることになる。
ただし、それは、三ヶ月前に、どちらか、が、言わなくてはならない。
という条件だった。
そういう条件で、僕は、クリニックの院長として働いた。
しかし、3年経って、平成28年(2016年)、の、2月に、コンタクト会社の方が、眼科専門医で、クリニックの院長を、やる医師を見つけたので、僕には、6月、いっぱいで、辞めて欲しい、と言ってきた。
やはり、眼科クリニックの院長である以上、眼科医の方が、何かと良いのである。
僕は、内心、それを、コンタクト会社が、言いだすのを、おそれていた。
仕事がなくなってしまうからである。
そこで、僕は、勇気を出して、自分の、拙い、医師の能力で、出来る仕事を探すことにした。
老健の仕事は、簡単、ということは、聞いていた。
しかし、その募集は無かった。
僕の住んでいる地域の、近くに、人工透析のクリニックを、数多く展開している、医療法人グループ、があって、代診医の、アルバイトの、募集をしていたので、勇気を出して、それに、応募してみた。
人工透析のアルバイトも、簡単、ということは、聞いていたからだ。
一体、人工透析のアルバイトでは、どんな、知識、や、技術が、要求されるのかは、わからなかった。
医学部6年生で、国家試験の受験勉強をしていた時には、腎不全、や、人工透析、の、理論も理解し、覚えもしていたが、医師になって、精神科、そして、コンタクト眼科、と、腎臓の病気とは、ほとんど、無縁の医療を、長いこと、してきたので、腎臓の、医学知識は、かなり、あやふや、になっていた。
ともかく、人工透析、の医療をする以上、人工透析、に関する、医学的知識は、知っておかなければならないと思い、医学書店に行って、腎不全、や、人工透析、の本を、7冊ほど、買って、勉強し直した。
すると、人工透析、の理論が、わかって、面白くなってきた。
しかし、実際の、人工透析、で、医師が、すべき仕事は、どういうものかは、わからなかった。なので、最初に、人工透析、のアルバイトに行った時には、勇気が要った。
しかし、実際に、人工透析の仕事をしてみると、思ったより、簡単だった。
人工透析の治療は、患者に、かなり太い針を刺して、血液を抜いて、ダイアライザー(人工透析器)という機械で、血液をきれいにして、その血液を、患者の血管にもどす。
その太い針を刺すには、少し難しい技術が、必要なのだが、それは、専門の技師がやってくれる。
各々の透析クリニックには、そこで、いつも働いている専属のスタッフが、数人いて、彼女らは、その透析クリニックで、透析治療を受けている患者の状態は、よく知っている。
スタッフの方が、個々の患者の病状には詳しいので、医師は、スタッフの意見を聞いて、それを医師の責任で、サインする、というものだった。
医師の仕事は、患者に、問診をして、それを、カルテに記載することくらいだった。
そして、体の不調を訴える患者がいたら、必要な薬を処方し、通院患者の病状が、大きく悪化したら、大きな病院へ受診するための、紹介状を書くこと、くらいだった。
もちろん、代診医といっても、透析中は、患者を診療している主治医なのだから、あらゆる事態に対応する、責任はある。
しかし、難しい判断を要求される事態は、めったにないが、たまには、そういう事態に出くわすこともある。その時は、僕の持っている、医学の経験と知識を、総動員して、対応した。
平成28年(2016年)、は、わりと、創作がはかどっていた。
6月頃からは、長編、「無名作家の一生」、や、中編、「七夕の日の恋」、などの小説、を書いていた。
それで、次は、ある、医者の娘が、医学部に入り、研修医になる、という小説に、とりかかった。
僕は、医学部も経験し、研修医も経験しているので、その実態も、わかっているのだが、病院を舞台にした、医療小説を、書く気には、なれなかった。
世間には、医者で、小説家、という人は、少なからず、いる。
しかし、そういう人は、病院を舞台にした、小説ばかり、書いている人がほとんどである。
医療ミステリーだったり、病院を舞台にした感動的な人間ドラマだったり。
しかし、僕が、書きたい、そして、書ける小説は、恋愛小説であり、しかも、一人の男と、一人の女の、お話、が、ほとんど、である。
何人もの登場人物が出てくる、複雑に入り組んだ、恋愛小説、というのは、僕には書けない。
なので、それには、病院という、大舞台は、向かなかった。
しかし、新たな挑戦として、医学部および大学病院を舞台にした、小説を書き出した。
僕は、小説を書ける時は、朝から晩まで書く。
他の小説を書く人は、体調が、基本的に、いつも良いので、余裕があるのだろうが、僕は、不眠症、や、便秘、うつ病、に、悩まされている、期間の方が、年間で、圧倒的に多いので、体調が良く、小説を書かける時には、他のことは、一切、しないで、小説を書くことのみに、専念する。
唯一の、息抜き、といったら、9時からの、NHKの、ニュースウォッチ9、と、10時、からの、テレビ朝日、の、報道ステーション、くらいのものである。
ニュースは、息抜き、となる。
ニュースから、小説のヒントが、得られる場合もあるし、きれいな女子アナ、は、見ていると心が癒されるからだ。
平成28年(2016年)、の、7月19日のことである。
その日も、僕は、昼間、図書館で、小説を書き、その後も、マクドナルドで、小説を書いた。
そして、夜、8時くらいに、アパートにもどって来た。
僕は、風呂に入り、コンビニで、買った、幕の内弁当を食べながら、テレビを見た。
9時になって、ニュースウォッチ9が、始まった。
ニュースウォッチ9の、女子アナの、鈴木奈穂子アナ、は、魅力的で、とりつかれていた。
不思議なもので、鈴木奈穂子アナは、ニュースウォッチ9の、アナウンサーになるまでは、それほど、魅力的とは、思っていなかったが、毎日、見ているうちに、だんだん、魅力的になってしまっていた。
政治のニュースの後、今年の芥川賞、直木賞、の受賞者のニュースに変わった。
そして、今日、行われた、芥川賞受賞の記者会見の様子が、写し出された。
今年の、芥川賞の受賞者は、村田沙耶香さん、という、30代の女性だった。
すごく奇麗な人だな、と、僕は思った。
普通、あまり、きれいな人というは、小説なんか書かないものである。
それは、奇麗で、明るい人というのは、現実の生活が楽しいから、友達との、付き合いに、喜びを感じるから、一人きりで、カリカリ、小説を書くより、友達と、遊ぶことに、生きる喜びを感じられるからである。
小説なんて、友達がいない、性格の暗い人間が書くものである。
受賞作は、「コンビニ人間」、というタイトルで、コンビニでしか働けず、コンビニで働くことに、他人から、バカにされようとも、生きがい、を感じている女性の話、らしい。
記者会見での、彼女の対応は、すごく、おとなしく、そして正直だった。
記者の質問に対し、
「本当に、私は、コンビニで働いています」
とか、
「今日も、コンビニで働いてきました」
とか、
「コンビニは、私の聖域なので、小説にすることは、ないと思っていましたが・・・」
とか、言っていた。
コンビニが、自分の聖域、などと言うのは、ずいぶん変わった人だな、と、思った。
ただ、記者会見での、彼女は、少し、息を切らして答えているような様子が見受けられた。
また、
「子供の頃から、何事にも、不器用な私が、唯一、ちゃんと、成し遂げることが出来たのが、コンビニでした」
との、発言から、エネルギッシュに生きる、エネルギーが無く、内気で、内向的、な性格なのだろうと、思った。
内気で、内向的な性格なら、小説を書いていても、不思議ではない。
なぜなら、元気な人間は、友達をつくることに、生きる喜びを感じられるが、内向的な人間は、エネルギーが無いので、友達と話していても、疲れてしまい、友達をつくれないので、友達と、遊ぶことが出来ず、一人きりで、空想を楽しむ、ことになる傾向があるからだ。
かく言う僕もそうである。
記者会見で、記者の質問から、彼女は、以前から、小説を書いていて、もう、文壇でも、小説家として、認められているらしい、ことを知った。
なので、インターネットで、「村田沙耶香」、で、検索したら、彼女の、Wikipedia、が、出てきた。
それには、こう書かれてあった。
村田沙耶香(むらたさやか、1979年8月14日―)は、日本の小説家、エッセイスト。
千葉県印西市出身。二松學舍大学附属柏高等学校、玉川大学文学部芸術学科芸術文化コース卒業。
2003年、『授乳』で第46回群像新人文学賞優秀賞受賞。
2009年、『ギンイロノウタ』で第22回三島由紀夫賞候補。
2009年、『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。
2010年、『星が吸う水』で第23回三島由紀夫賞候補。
2012年、『タダイマトビラ』で第25回三島由紀夫賞候補。
2013年、『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。
2014年、『殺人出産』で第14回センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞受賞。
2016年、『コンビニ人間』で第155回芥川龍之介賞受賞。
代表作
『ギンイロノウタ』(2008年)
『しろいろの街の、その骨の体温の』(2012年)
『コンビニ人間』(2016年)
主な受賞歴
群像新人文学賞優秀賞(2003年)
野間文芸新人賞(2009年)
三島由紀夫賞(2013年)
芥川龍之介賞(2016年)
と書かれてあった。
彼女は。
2003年に、群像新人文学賞優秀賞をとり、その後も、
2009年に、野間文芸新人賞、を受賞し、
2013年に、三島由紀夫賞を受賞し、
2014年に、センス・オブ・ジェンダー賞少子化対策特別賞受賞している。
そして、今回、第155回の、芥川賞の受賞となった。
さらに、三島由紀夫賞の候補には、3回も、なっている。
「受賞」、でなくても、「候補」でも、そうとうに内容のある作品でなければ、「候補」には、ならず、「候補」、は、「受賞」、と同じようなものだから、彼女は、合計、8回も、文学賞を受賞している。
彼女は、express、する何かを持った、小説家なのだ、と知った。
それまで、私は、彼女の名前すら知らなかった。
世間の人間は、新しい物、好きだから、今年の、芥川賞受賞作が発表されれば、読書好きの人なら、真っ先に、その受賞作を買って読むだろう。
しかし、僕は違う。
僕は、大学3年の時に、小説を書こうと、思い決めた時から、「自分が小説を書きたい」、という思いだけが、頭の中を占めてしまった。
僕も小説を読むが、それは、あくまで、「自分が小説を書く」、ための、勉強、としてであった。
小説を読むことも、小説を書く、ヒントになることが、あるからだ。
なので、ただ単純に、楽しむための、読書はしなかった。
そのことは、自分に厳しく、掟として課した。
そのため、僕は、村田沙耶香さんの、「コンビニ人間」、を、読もうとは思わなかった。
それは、今までの、芥川賞受賞作、に対しても、同じである。
僕は、芥川賞受賞作、だから、といって、読むことはない。
僕は、自分の、創作の、ヒントに、役立ちそうな、小説、を選んで読む。
それに、僕は、年中、病気がちで、体力がない。
それに、村田沙耶香さんの、小説、「コンビニ人間」、は、読まなくても、大体、小説に、書かれているであろう事は、予測できた。
チャールズ・チャップリンの、映画、「モダンタイムス」で、表現されているように、産業革命による機械文明の発達した、社会において、流れ作業の、同じ作業を繰り返すだけのような、労働は、人間的な仕事、生き方、ではなく、自分がやりたい事業をやる、とか、子供の頃から憧れていた、プロスポーツ選手になるとか、学者になって、自分の好きな研究をするとか、自分の意志で、自分のやりたいこと、を、するのが、真に、人間的な生き方であって、ベルトコンベヤーの、一部のような、仕事は、非人間的な、仕事、生き方、である、というのが、誰もが、納得している常識的な考え方である。
その考え方を、さかさまにして、「自分をマニュアル通りの、流れ作業の、一部品、とすることに、積極的に、生きがい、を感じる」、という、既存の常識をひっくり返した、所に、今までに無い、価値観を作り出した小説、として、芥川賞の選考委員に評価されて、芥川賞を受賞したのだろう、ということは、容易に予測された。
なので、読まないでも、それほど、新たな発見があるとは、思えなかった。
なので、読まなかった。
それに、僕は、その年の夏、研修医だが、小説家になりたいのに、結婚願望の強い、女医に、だまされて、結婚してしまう、という小説、「無名作家の一生」(345枚)、を書いていて、書き出したら、それに、油が乗ってきて、それを、毎日、書いていて、それを完成させる、ことに、精一杯だったからだ。
そして、それは、8月5日(金)、に、完成させた。
そして、それを、書きあげた次には、前から、書きたいと思っていた、医者の娘が、女医として、成長していく教養小説を、書き始めた。
今まで、書いたことのない小説(小説というものは、みんなそういうものであるが)、なので、どう書いたら、いいのか、わからなかった。
しかし、書き始めた以上は、何としても、完成させたいので、試行錯誤しながら、書いていた。
しかし。
書いてみては、違う。
書いてみれば、しっくりしない。
ストーリーが上手く進まない。
で、なかなか、筆が進まなかった。
そんなことで、夏も終わり、9月になった。
9月14日(水)に、ネットで、医師斡旋業者の、代診医募集に、人工透析の、アルバイトの募集があった。
横浜市営地下鉄の上永谷の、駅近くの、上永谷腎クリニックだった。
アパートから、クリニックまで、40分、と、近かった。
朝8時30分~夜7時までの、アルバイトだった。
もう、僕は、人工透析の、アルバイトには慣れていた。
人工透析の、患者は、血液を抜いて、ダイアライザー(人工透析器)という機械で、血液をきれいにして、その血液を、患者の血管にもどす。
普通、健康診断などの、検査のため、採血する時は、静脈から採る。
静脈とはいえ、血管の圧力のため、針を刺せば、空の注射器に、血液が噴出される。
しかし、静脈は、動脈と違って、血管の圧力が弱い。
なので、健康チェックのため、血液の成分を調べるための、少量の採血ならば、注射器でいいのだが。
しかし。
健康な人間は、1日、150ℓもの、血液を腎臓に送って、濾過して、きれいにしている。
しかし、腎不全の患者は、腎臓から、尿が出ないので、1日、150ℓもの、血液を濾過する、腎臓の代わりの透析を、2日に1回の割り合いで、しかも、その1回は、約4時間、程度で、やらなくては、ならないので、静脈から、注射器のような、針ていどの器具で血を採っても、とても、4時間では、全身の血液をきれいにすることなど出来ない。
なので、どうするか、というと、血流量が多く、血圧が高い動脈を、静脈に吻合する。
すると、静脈に、血流量の多い、血液が静脈に流れ込むので、その静脈に、太い注射針を穿刺する。
すると、大量の、動脈血が、強い圧力で、吹き出てくるので、それを、ダイアライザーという、血液をきれいにする機械を通して、きれいにして、そして、また、静脈にもどすのである。
その穿刺の技術は、難しいが、それは、技師がやってくれる。
医師の仕事といったら、全ての患者の問診と、そのカルテ記載くらいである。
もちろん、血圧が下がったり、不整脈が起こったりして、患者に病変が起こった場合には、医師が判断して、対処しなければならない。
何が起こるかは、わからない。
しかし、通院の人工透析クリニックなので、医療器具も十分には無いので、危篤になったら、クリニックでは対処できない。
なので、紹介状を書いて、総合病院に輸送する、のである。
しかし、危篤の状態になったといっても、少し、様子を見ていれば、落ち着くこともある。
なので、その判断は、難しい。
しかし、そこは、医師が判断することも、あるが、その透析クリニックで働いているスタッフの方が、通院患者の病状には、詳しいので、スタッフの助言を聞いて、医師の責任で、サインして、決める、ということが多い。
医師は、院長室に、控えているのが、基本である。
しかし。何もない時の方が、多く、人工透析の、アルバイトに行っても、問診とカルテ記載、だけで、おわり、ということも多い。
午前と午後、の二回、透析の、通院患者を診て、患者が全員、帰るまで、医師は、クリニックの中にいなくては、ならないのである。
そう医療法で決まっているのである。
一見、楽そうに、思えるが、慣れない、院長室で待機している、というのは、結構、疲れるものである。
空調が悪い院長室もある。
院長室にベッドがあって、ベッドで、横になっていても、疲れるものである。
やっと、最後の患者の返血が終わった。
ちょうど、夜7時を、10分、過ぎた、くらいだった。
最後の患者がクリニックを出たのを確認してから、退勤のタイムカードを押して、クリニックを出た。
「はあ。やっと、仕事が終わった」
いつも、人工透析の、アルバイトが終わる度に、ほっとする。
「さあ。早く、アパートに帰って、風呂に入って、コンビニ弁当を食べながら、ニュースウォッチ9を見よう」
そう、思いながら、横浜市営地下鉄の上永谷駅に向かって歩いていた。
クリニックから、駅までは、2分程度の、わずかな距離だった。
その時。
なぜかは、わからないが、小説のインスピレーションが、突然、ボッと、頭に、閃いたのである。
それは。
村田沙耶香さんは、8回も、大きな文学賞を受賞した、プロの小説家だけど、芥川賞の受賞作、の、「コンビニ人間」、の中の、主人公の女性は、小説は書かない、ただ、コンビニで働くことに、生きがい、を、感じている、変わった女性である。
僕は、小説の価値、巧拙、を、除けば、一生懸命、小説を書いて努力している、という自負はある。医師の仕事も、嫌いではあるが、何事からも、決して、逃げず、責任をもってやっている、という自負もある。村田沙耶香さんが、主人公の、古倉恵子を、どのような、人物として、描いているのかは、わからない。しかし、コンビニで働くことに、喜びを感じている、という点は、同じであり、村田沙耶香さん、は、かなりの程度、主人公に、自分を投入して、いることは、間違いないと思った。ならば、努力家の男が、コンビニで働くことに、生きがい、を感じている、変わった女を、バカにするが、しかし、実は、彼女は、芥川賞を受賞するほど、一生懸命、小説を書き続けてきた、凄い人で、芥川賞の受賞の、記者会見で、それを、知って、惨めな思いに叩きのめされ、彼女に、復讐される、という、設定にしたら、面白い小説が書ける。
と、パッと、インスピレーションが閃いたのである。
それは、ほんの一瞬のことだった。
「あっ。いただきだ。小説が書ける」
と、僕は、有頂天になって喜んだ。
どのような、形で、復讐され、そして、その後、どうなるのかは、までは、閃かなかったが、その、大きなストーリーの骨格の発見だけで、もう十分、面白い小説が書ける、と思った。どのような、形で、復讐され、そして、その後、どうなるのかは、小説を書いているうちに、思いつくだろう。
今まで、たくさん、小説を書いてきたので、ストーリーが思いつけば、それを、言葉によって、お話にすることには、十分、自信があった。
小説、「コンビニ人間」、は、まだ読んでいない。
2ヵ月前の、7月19日に、ニュースで、芥川賞受賞の記者会見で、村田沙耶香さん、という人を知った時も、また、彼女が、「自分を、マニュアル通りの、流れ作業の、一部品、とすることに、積極的に、生きがい、を感じる」、という、既存の常識をひっくり返した、小説を書いた、という、ことを、聞いても、僕の小説創作とは、無縁だと思っていた。
なぜなら、僕は、食事は、ほとんど、コンビニ弁当を食べていて、コンビニは、よく利用していたが、コンビニで働く、アルバイトや、フリーターなどを、見ても、彼ら彼女らを、バカにする気など起らなかったからだ。
僕は、真面目に働いている人をバカにするという行為が嫌いだから、そんな感情など、起こりようもなかった。
また、医者の仕事など、知的職業のように言われているが、慣れてしまえば、頭など使わない。
きれいな、女のコンビニ店員を見ると、恋してしまうことは、よくあるって、また、若い、男の店員と、女の店員が、仕事で一緒のため、仲良くなっているのを、見ると、羨ましいと思い、僕も、コンビニで働いて、女の店員と友達になれたらいいな、などと、羨ましがったりしていた。だが、医師という仕事があるのに、彼女をつくる、という目的のために、コンビニ店員になる、ということは、現実的に出来るものでは、なかった。
実際、その年の、1月28日に、僕は、「おでん」、という、コンビニ店員に恋して、おでん、を買って、食べ過ぎて、死んでしまう男、という短編小説を書いている。
ただ、医師の仕事は、時給がいいので、コンビニ店員などの、時給1000円、くらいで働いている人を見ると、申し訳なさ、を感じていた。
人工透析の、仕事は、やることは、少ないし、簡単なのだが、一日中、空調の悪い、慣れない、院長室に居るのは、クタクタに疲れるものである。
何もしないのより、何かしている方が、疲れない、ということは、よくある。
何かしている方が、脳が、活発に働いて、ドーパミンが分泌されるからである。
しかし、嫌な仕事が終わって、ほっとした時に、小説のアイデアが、沸いたり、小説の筆が、進む、ということは、結構、僕は経験していた。
この理由は。
人間の脳が、活性化されるのは、嬉しい時である。
運動している時とか、厳しい寒い冬が過ぎ、暖かくなってきて、体の調子が良くなってくる時とかに、脳にドーパミンが分泌されて、小説のアイデアが沸いてくる、ということは、よく経験していた。
しかし、それ以外でも、苦しい状態から解放されて、ほっとした時に、脳の働きが、活発になり、小説の、インスピレーションが起こる、ということも、僕は、何回も経験していた。
人間に、嬉しい気持ちが、起こるのには、二つの、時で、一つは、健康な時に、何か、嬉しいことが、起こった時であり、もう一つは、病気で体調が悪かったのが、良くなった時である。
前者は、嬉しい事を獲得した喜びであり、後者は、つらい事が無くなった喜び、である。
僕は、それを、今まで、何度も、経験していた。
なので、僕は、仕事をするのが、嫌いなだけでは、なかった。
仕事をすると、クタクタに疲れるが、仕事が終わって、ほっとした時に、小説のアイデアが、沸いたり、小説の筆が、進む、ということを、僕は何回も経験していた。
そんなことで、僕は、翌日から、「コンビニ人間・古倉恵子」、と題して、パロディー小説を書こうと思った。
その時、書いていた、女医が成長する話は、なかなか、どういう、ストーリーにすればいいのか、わからず、手こずって、筆が進まなかったので、それは、一時、やめて、「コンビニ人間」のパロディー小説を書こうと思った。
それに、小説は、インスピレーションが起こったら、その時に、すぐに、書いてしまう方がいい、ことは、経験から知っていた。
ただ、僕は、その時、まだ、村田沙耶香さん、の、「コンビニ人間」、は、読んでいなかった。
僕は、「コンビニ人間」、を、読もうか、読むまいか、と、迷った。
というのは、「コンビニ人間」、の感想は、ネットなどで、読んで、皆、「読みやすい」、とすか、「正常とは何か、を考えさせられた」、とか、いい評価ばかりである。
「コンビニ人間」、は、「自分をマニュアル通りの、流れ作業の、一部品、とすることに、積極的に、生きがい、を感じる女」、という、あらすじ、だけで、もう、読まなくても、十分、小説が書ける自信があるからである。
今回、起こったインスピレーションは、「僕には、コンビニ店員をバカにする気は起こらない。だから、小説は書けない。だが、その自分の性格を、壊してみて、自分がコンビニ店員を、バカにする性格の人間、という設定にしたら、面白い小説が書けるのではないか」、という、自分の性格を、変えてしまう、という、発想の転換にあった。
なので、それだけで、もう、小説が書ける自信があるのである。
下手に、「コンビニ人間」、を読んでしまって、その話の良さに、圧倒されたり、影響されたりしたら、自分が書きたい、「コンビニ人間」、のパロディー小説、が、書けなくなるかも、しれない、という、不安が僕には、あった。
普通の人から、見ると、ちょっと、おかしく思われるかもしれないが、僕は、それほど、神経質な性格なのである。
しかし、少し、迷ったが、僕は、勇気を出して、近くの書店で、「コンビニ人間」、を、買って、読んでみた。
それと、村田沙耶香さん、という人が、どんな小説を書いているのか、知りたくて、「殺人出産」、という文庫本も、買って、読んでみた。
幸い、「コンビニ人間」、を読んでも、自分の書きたい、コンビニ人間のパロディー小説に、問題がないことを、知った。
「コンビニ人間」、は、最初から読み進めたが、なかなか、面白い場面が、出てこなかった。
しかし、それは、純文学の賞である、芥川賞は、「思想」、や、「今までにない価値」、を、表現した作品が、選考基準として選ばれるのだから、仕方がない。
巧妙な仕掛けのある、ストーリーが、あって、面白おかしい、お話は、直木賞の選考基準である。
しかし、「コンビニ人間」、は、元恋人の白羽さん、が出てきて、白羽さんの、言葉を借りて、作者が、世間の固定観念に縛られた、人間を、皮肉る、発言をする所から、面白くなりだした。
「コンビニ人間」の、P54に、書いてある、
「人間は、皆、変なものには、土足で踏み入って、その原因を解明する権利があると思っている」
という、一文と、P115に、書いてある、
「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ」
という、一文に、繊細な感性を持った、無口で、不器用で、内向的な人間の、世の中で、90%以上を占める、圧倒的な多数派である、元気で無神経な、世間の人間に対する、痛烈な、人間批判があった。
この文章を読んだ時、村田沙耶香さん、は、内気で内向的な人間で、僕と同類の人間だ、と確信した。
そして、「コンビニ人間」、の佳境は、ラストだった。
元恋人の白羽さんに、勧められて、定職を探すために、面接に行く途中、に、彼女は、あるコンビニ店に入る。そして、そこで投げやりな、マニュアルだけ、の仕事をしている店員に我慢が出来ず、「商品の並べ方」、だの、「暑い日に気を遣うべきこと」、だの、「お客さんが来たら、笑顔で、元気に、声をかける」、などの、コンビニの仕事を、店員でもないのに、勝手に、始めてしまう。そこには、些細なことでも、コンビニの仕事には、無数に、気を配ることで、それによって、客を、喜ばせることが出来る、という、作者の、「コンビニ愛」、があり、そして、それによって、客を喜ばせたい、という作者の、「人間愛」、があった。
僕は、自分の、コンビニ人間のパロディー小説、を書きたい、と、馳せる気持ちを、押さえて、もう少し、村田沙耶香さん、の、小説を、大急ぎで、読んでみることにした。
僕は、藤沢の、有隣堂書店に行って、村田沙耶香さん、の小説を、あるだけ買って、急いで読んだ。
「しろいろの街の、その骨の体温の」、に、見られるように、子供の世界では、(否、大人の世界でも)、この世は、ネアカ、元気な人間が、支配し、牛耳っているため、内気で、無口で、おとなしい、一部の、少数派の子供たちは、インドのカースト制の、再下位の身分であって、元気な、多数派に、いじめられることを、おそれて、細々と生きている、という現状に対する異論。
容貌の悪い女の子を、「おえっ」、と、言って、からかう、元気な男の子たちの心無さ。
「ギンイロノウタ」、に見られるように、内気な子供を、強引に、元気な子供に変えようとする先生。「内気」、は異常で、みんなと、仲良くしている普通の子供が、「正常」、という、世間の、多数派が、勝手に決めている、「常識」、に対する反論。
「タダイマトビラ」に、見られるように、無口な子供は、生きた友達をつくれない。なので、自分の世界に浸り、生きた人間に対して、でなくても、漫画の登場人物に対してでも、本当の「愛」、というものは、あり得るのだ、という、作者の主張。
親と子は、血のつながりがある、というだけで、他人である、というドライな見方。世間の人間は、血のつながりがあることを、ことさら、かけがえのない大切なことのように言っているが、内向的な子は、自分の世界の中でだけ生きており、親に対しても、心を開くことが出来ず、本心を言わない。(言えない)。しかし、親子は、仲良くあるべきだ、という、世間の「常識」、に従わなくてはならないために、仕方なく、親に対して、子供の役を演じている、という主張。
また、村田沙耶香さん、は、「清潔な結婚」、で、「人間を産む行為」、と、「セックス」、とは、別であり、別にすべきである、と主張している。
人間は、セックスによって、生まれる。幼い子供は、性に対する、知識、が無いから、人間が、どのようにして、生まれてくるのかは、知らない。
しかし、子供も、成長して、中学生になり、さらに年齢が上がるのに、つれ、人間は、セックス、という行為によって、生まれる、ということを知る。「人間を産む=この世に、人間を造り出す」、という行為は、神聖で厳粛な行為である。しかし、そのためには、男と女が、セックス、をしなくてはならない。セックス、は、神聖な行為ではなく、単に、人間にとって、この上ない、快感を貪る、という行為であり、神聖でも厳粛な行為でもない。
それどころか、セックス、を、著した、動画、や、写真、などは、「悪書」、「不謹慎」、「不道徳」、として、親は、子供に、「そんなものは、見てはいけませんよ」、と注意する。
子供が初めて、大人はセックス、という、裸になって、抱き合う、という行為をすると知った時には、ほとんどの子供は、セックス、に対して、気持ちの悪い嫌悪を感じたはずである。そして、人間が、そういうセックスという、異常な行為によって、生まれてくる、ということを、初めて知った時には、その、おぞましさ、に、驚き、さらに、自分が、そして、人間が、そんな行為で生まれてきたことに対して、嫌悪を感じたはずである。
しかし、さらに、歳が上がって、高校生になると、第二次性徴による、肉体、や、感情の変化、そして、「人間が、セックス、によって、生まれてくるのは、当然のことであり、何ら、不謹慎なことではなく、むしろ、夫と妻のセックス、は、夫と妻の愛の結晶である、子供を産むための、愛の行為」、という世間の常識に、いつの間にか、洗脳されてしまっている。大人は誰でも、夫婦が、子供を産むための、セックスを、「おかしな行為」、とは、思っていない。しかし、村田沙耶香さん、は、それに、異論を唱えている。子供の方が、一切の先入観が無いから、物事を、純粋に見ることが出来る。しかし、大人になるにつれ、ほとんどの人間は、自分の、感情、や、考えが、世間の常識によって、洗脳されて、形成されてしまっている、ということを主張している。
すべて、この世を牛耳っているのは、この世の中の多数派である、元気な人間であって、彼らの、価値観が正しい、という考えに対する反発、を、作者は訴えていた。
僕も、子供の頃から、喘息内向性で、それは、痛感していた。
しかし、僕は、それを、テーマにした、シリアスな小説を、書きたいとは思わなかった。
作品が暗くなってしまう、からである。
それより、僕は、内気な子、が、好きな女の子に、告白できず、悶々としている、片思いに、美しさ、可愛さ、を、感じて、そういう恋愛小説を書いてきた。
僕にとっては、生きることが、つらいことなので、子供を産むことに対しても、生理的な嫌悪感がある。
そして、子供を産む行為である、セックスに対しても、その嫌悪感は、つながっていて、そのため、僕の性欲は、決して、男女が、和解しあって、互いに、裸になって、抱き合う、セックスではなく、距離をとって、女の裸を見たり、女を、いじめたりする、サディズム、あるいは、その逆に、好きな女に、いじめられたい、という、マゾヒズム、に向かった。
男女の安直な結合、を僕は嫌った。
セックス、というものを、理解し、受け入れる、という事が、世間では、子供から、大人になる、ということだが、僕の性欲の形は、子供のままである。セックスというものを知らない、小学生の男の子は、女の子の裸を見たい、とは、思っているが、自分は、裸になりたい、とは、思っていない。
僕もそうである。
一生、大人になる気はない。
ともかく、急いで、村田沙耶香さん、の、小説を読んで、彼女の性格、を、ある程度、理解したので、急いで、コンビニ人間、の、パロディー小説を書き始めた。
タイトルは、「コンビニ人間・古倉恵子」、とした。
体調が良かったので、どんどん、書き進められた。
コンビニで、働く、村田沙耶香さん、をモデルにした、古倉恵子。
その覇気の無さを、罵り、叱る僕。
しかし、9月17日に、ニュースで、彼女が、芥川賞を受賞するほどの、そして、8つもの、大きな、文学賞を受賞していて、今まで、ずっと、小説を書き続けてきた、つまり、目的をもって、真剣に生きてきた覇気のある、人間と、気づかされ、釈迦に説法、をしてきた自分に、自分に、恥じ入る。
そして、それ以後、毎晩、芥川賞を受賞して、勝ち誇った、彼女に、生き埋めにされて、殺される、という夢に悩まされる、僕。
そして、とうとう、悪夢に耐えられず、彼女を、今まで、バカにしてきたこと、を謝罪する。
彼女は、その大らかな性格から、何もなかったかのように、僕の今までの、暴言を許してくれる。
と、書き進めることが出来た。
そこまでは、9月14日の、上永谷の腎クリニックの仕事が終わった時に、突如、ぱっ、と、閃いた、インスピレーションで、とんとん拍子に、書くことが出来た。
しかし、それから、どうするかは、思いついていなかった。
しかし、ここまでで、十分、な量を書いていて、そして、小説の山場も書いてしまったので、あとは、結末を、どうするかは、それほど、困りはしなかった。
しかし。
ここまでの、ストーリーを、あらためて、見てみると。
いくつもある、小説の、パターンの、ある一つの、類型に当てはまっていることに、気がついた。
それは、水戸黄門のパターンである。
つまり。
ある人間を、その見た目から、つまらない、取り柄のない、人間と、バカにしていたのに、実は、優れた人だった、ことを知って、恐れ入る。
という、パターンとなっている。
小説を書いていて、こういうことは、結構、あるものである。
ある、インスピレーションから、オリジナルな小説を思いついて、書いたつもりでも、それが、小説の、パターンの、ある一つの、類型に当てはまっている、ということは。
しかし、だからと言って、その逆は、成り立たない。
つまり、ある出来事を、体験した時。
論理的に、その体験を元にして、水戸黄門のパターンによって、小説にしようと、思って、面白い小説が、書ける、ということは、ないのである。
この、コンビニ人間の、パロディー小説、「コンビニ人間・古倉恵子」、の場合には、コンビニ店員を、バカにしていない自分の性格を、変えて、自分を、コンビニ店員を、バカにする性格にする、という、発想の大きな転換が、インスピレーションで、思いついたから、小説が書けたのであり、やはり、面白い、小説を書くには、インスピレーションの降臨を、忍耐強く、待つしかないのである。
さて。
村田沙耶香さん、をモデルにした、古倉恵子さん、に、許されて、その後、どう話を展開しようかは、インスピレーションが起こった時には、思いつかなかった。
インスピレーションが、起こった時には、小説を、書き進めているうちに、思いつくだろうと、思ったが、思いつかない。
「コンビニ人間」、を書いた村田沙耶香さん、は、小説、「コンビニ人間」、の中で、「常識」、というものを決めている、世間の、多数派の強者に対して、決して、妥協することなく、自分の考えを、堂々と主張している。
しかし、村田沙耶香さん、は、決して、多数派の人間を嫌ってはいないと思う。
僕は、9月17日に、芥川賞の受賞の記者会見で見せた、村田沙耶香さん、の、優しい態度に、ウソはないと思っている。
村田沙耶香さん、の、「常識」、に対して、反論を唱えている形になっている、彼女の小説作品は、内向的人間にだけ見える、「人間の本質」、を、テーマとして、作り出した、お話であって、彼女自身は、記者会見でも、言っていたように、「人間が好き」、な善良で寛容な性格で、彼女は、実生活では、小説で書いている世界とは、違い、親子関係も、交友関係も良好だと思う。
彼女の作品は、彼女が、世間の少数派ゆえに、見える、「人間の本質」、を、知性の操作で、フィクションの、お話にしたものであって、決して、彼女の、「願望」、や、「理想郷」、の世界を描いたものでは、ないと、思う。
ただ、フィクションの作り話とは、いっても、人間が実際に持っている、「人間の本性」、が作品の根底に、しっかりと、根を張っているので、常識という惰性に染まってしまって生きている、読者は、彼女の作品を読んだ時、「こういう事って、あり得ることだよな」、と、あらためて、気づかされて、それが、彼女の作品の魅力になっているのだと思う。
この世の「常識」を決めている、健康で元気で明るい、多数派の人間は、圧倒的な、数の力によって、無口で、内気で、自分の世界に浸っている、友達のいない、少数派を、「変わり者、異常、変態」、の一言で、片付けているので、彼らは、「正常とは何か」、「人間とは何か」、という事、を考えようとすることはない。自分に理解できない少数派は、「変わり者、異常、変態」、の一言で、片付けるだけである。
しかし、「変わり者、異常、変態」、と、呼ばれている、この世の、少数派だって、自分を、「正常な人間」だと思っている。だから、「変わり者、異常、変態」、と、呼ばれる少数派の人間は、「正常とは何か」、「人間とは何か」、という問題意識が起こるのである。
それで、僕も、小説、の山場を書いた後の、続きは、村田沙耶香さん、と同様、多数派が、世間の常識を決め、彼らが、我こそは、真理だと、言っている、元気な大人、に対して、強者の理論の方が、間違っている、と、いつも、心の中で、思っている、自分の思いを、村田沙耶香さん、をモデルにした、古倉恵子さん、が、僕のアパートに来て、話し合う、という会話の形式で、続けて書くことにした。
村田沙耶香さん、の、作品を読み、彼女の、芥川賞受賞の記者会見の時の態度、だけでは、まだ、十分に、彼女の、思いは、わかっていない、ので、彼女の思いを誤解して、書いてしまうことを、おそれたので、彼女の発言は、ほんど無く、一方的に、僕が、喋り、彼女は、相槌を打つ、という会話になってしまった。
しかし、出来ることなら、小説の中での、会話は、双方が、テンポよく、交互に、発言し合う方が、いいのだが。
しかし、僕は、村田沙耶香さん、の性格を、まだ十分には、よく知らない。
彼女が思っていることと、違うことを、小説の中で、彼女に、喋らせると、彼女に、失礼になる、ことを、とても、恐れた。
繊細で、おとなしい人、の心を、こっちの主観で、粗削りに、とらえて、理解したような気になって、書いてしまうのは、彼女に、対する冒涜のように、思われた。
それは、「コンビニ人間」、や、村田沙耶香さん、の、小説を読んだため、傷つきやすく、壊れやすい、繊細な、美しいガラス細工のような、心を持った人を、乱暴に扱いたくない、という心理的影響があるだろう。
なので、会話は、僕の思いの、吐露、が、ほとんどになって、彼女は、彼女は、それに、相槌を打つ、という形になってしまった。
しかし、それは、彼女の心を、間違えて、書きたくない、という思いからなのだから、それも、仕方がないとも思う。
しかし、小説の中で、自分の、心の中に秘めている、いつもは言わない、思い、を書いているうちに、自分の本心は、そのままの形で、書くよりも、小説、の会話の中で、登場人物に喋らした方が、もっと、効果的に、読者に、訴えることが出来る、という発見をした。
なので、書いていて、気持ちがよかった。
そして、1カ月も、かからず、「コンビニ人間」、のパロディー小説、「コンビニ人間・古倉恵子」、を書きあげることが出来た。
9月14日に、書き始めて、10月9日に、完成させることが出来た。
村田沙耶香さん、という人を知ることが出来たのは、僕にとって、大きな、有意義な発見だった。
彼女が、これからも、マイペースで、面白い小説を書き続けることを、そして、彼女が幸せになってくれることを、願いつつ、筆をおくこととする。
2019年5月2日(水)擱筆