復讐の彼方に もどる
ある日のことである。
坂本哲也は図書館で小説を書いていた。
図書館は午後5時で閉まる。
坂本哲也は大抵、午後5時まで図書館にいる。
図書館では午後4時30分に、「図書館はあと、30分で閉館になります。貸し出しの方は、お急ぎ下さい」という館内放送が流れる。
それでも坂本哲也は、ねばる。
体調のいい時は30分でも、かなり書ける時も多いからである。
その日もそうだった。
午後4時50分つまり閉館10分前になって、「本日は、あと10分で閉館になります。ご利用ありがとうございました。また明日のご来館をお待ちしております。忘れ物のないよう、お帰り下さい」という館内放送が「蛍の光、窓の雪」のメロディーとともに流れた。
坂本哲也は図書館を出た。
そして自転車でアパートに帰った。
図書館はアパートに近く自転車で5分の距離である。
アパートの戸を開けると玄関にグリーンの大きな封筒があった。
奈良県立医科大学医学部医学科同窓会と書かれてある。
1年に1回くらい奈良県立医科大学から同窓会報が送られてくるのである。
誰が教授になったとか、××教室紹介、とかだが、哲也にはどうでもいいことだった。
なので、ろくに読まず、すぐに、ゴミ箱に捨てていた。
奈良県立医科大学は一応、哲也の母校、出身校、ではあるが、哲也は母校愛というものが全くない。
大学受験の時は坂本哲也の第一志望は県内の横浜市立大学医学部だった。
しかし最終選考で落ちてしまった。
奈良県立医科大学は滑り止めだった。
大学受験は浪人して、がむしゃらに勉強しても、成績はたいして上がるものではない。
なので坂本哲也は仕方なく奈良県立医科大学に入学した。
大学生活は苦しかった。
それは坂本哲也は過敏性腸症候群に悩まされていたからである。
こんな半病人のような状態では、とても大学生活など出来ない、と思っていたからだ。
過敏性腸症候群が発症せず、健康だったら全く問題はないのだが。
しかし親が、せっかく受かったんだから入学して勉強して、卒業しろ、とうるさく言った。
なので奈良県立医科大学に入学した。
医学部なんて実習が多く実習の班分けは、あいうえお順に決められて実習は全員出席するから、ほとんど小学校と変わりない。
坂本哲也はこの実習が苦手だった。
講義を聞いたり、医学書を読んだりする勉強は一人で出来るから勉強が嫌いではない哲也にはマイペースで、やれるので問題はなかった。
しかし実習は違った。
実習も、病理組織を顕微鏡で見ながらスケッチするのは、一人でやる実習なので問題はなかった。
しかしグループ実習は違った。
坂本哲也は子供の頃から、というより、生まれつき人と協力して何かやることが苦手だった。
ましてや過敏性腸症候群のため、腹がいつも痛く、要領が極めて悪いのでグループ実習ではいつも、人に迷惑をかけてしまっていた。
三年から基礎医学が始まる。
三年では、解剖学、生理学、生化学、だった。
解剖学、一つをとってみても膨大な量である。
骨学、神経、脈管、は、系統解剖学と呼ばれる。
骨学では死んだ人の骨を見て人体の全ての骨をスケッチした。
そして骨の各部の名称をラテン語で覚えなくてはならなかった。
また解剖学の中には組織学というのがあって、これは人体の各部を数ミクロンに薄く切って、HE染色というピンク色に染める染色をしてプレパラートに固定された物である。
それを顕微鏡で見てスケッチするのである。
これらの実習は、それほど苦にはならなかった。
なぜなら単に標本をスケッチするだけだからマイペースでやれたからである。
四年では、基礎医学で、解剖学、生理学、生化学、以外の基礎医学である、病理学。免疫学。腫瘍病理学。細菌学。薬理学。寄生虫学。衛生学。公衆衛生学。法医学、が加わった。
それらは全て実習があり実習は必須であった。
生理学には神経生理学と植物生理学という二つが、わかれていた。
この四年での実習が坂本哲也には苦痛だった。
5、6人のグループで協力してやる実習だからだ。
特に神経生理学の実習が苦手だった。
神経生理学では脳波や、神経の伝導速度や、嗅覚、触覚などの実習だった。
この神経生理学のグループでは佐野量子という女子医学生がいた。
ある時の神経生理学の実習である。
その時は二人一組となってやる実習だった。
二人一組をどう決めるかは、あみだくじ、で決めた。
坂本哲也は佐野量子さんとペアになった。
実習の内容は「空間二点識別検査」と言い、方法は極めて簡単で身体の各部位にノギスを当てる。ノギスを開いて二点を身体に触れさせたり一点を触れさせたりして二点で触れさせた時どの程度まで二点と正解できるかを調べるものだった。
「空間二点識別検査」では身体各部位における標準的な距離は大体わかっていた。
たとえば。
口唇2~3mm(2~3cm)
指尖3~6mm(3~6cm)
手掌・足底15~20mm(1.5~2cm)
手背・足背30mm(3cm)
脛骨面40mm(4cm)
背部40~50mm(4~5cm)
臀部50cm(5cm)
というように。
これは小学生でも出来る簡単な実験である。
そして実習をしたらレポートを書いて提出しなければならない。
坂本哲也は厳密な性格だったので、この実習を真面目にやった。
この検査を正確にするには、何回も繰り返して、正答率が100%でなくても80%くらいまで、出たら、その距離を正解とするべきなのである。
一回やって正答しても答えは「一点」か「二点」の、どちらかなので、50%の確率で当たるので一回やって当たったから「二点識別力がある」とするのは、いい加減なのである。
なので5~6回はやるべきなのである。
5~6回やって正答率が80%くらい出たら被験者は「二点識別能力がある」とすべきなのである。
哲也は物事をいい加減に出来ない几帳面な性格のため、どんな実習でも丁寧にやるので、この二点識別能力テストも厳密にやろうとした。
しかし他の人は、実習は適当にやって早く帰ることしか考えていないので坂本哲也のように厳密に何回もやることはなかった。
しかし佐野量子さんは適当な性格で実習など早く済ませて家に帰りたがっているので哲也と組むことになった時から、
「お願い。あみだくじ、もう一回やりなおして」
「いやだー。早く帰りたいー」
と他の人がいる前で叫んだ。
それが坂本哲也に恥をかかせている事ということを彼女は気づいていなかった。
医学部に入って来る人は、勉強が出来る人、とか、親が医者とかで試験で他人を蹴落とすことに何も感じないような人ばかりなので無神経な人が多いのである。
哲也も彼女に迷惑をかけたくなかったので早く済ませたい、と思ったが、それではレポートが書けない。
実習のレポートは教授が、かなり厳しく審査するので、いい加減にやってはレポートを書くことが出来ない。
なので、その実習は夜おそくまでかかった。
昼の午後から始めて夜10時くらいまで、かかった。
彼女に心の中で、済まない、済まない、と謝りながら。
しかし彼女は実習はいい加減にして、早く帰ることしか考えていなかった。
そのため。
「あーあ。もう、終電もなくなっちゃった。今夜は、安藤順子の家に泊めてもらおう」
と哲也に当てつけるように大きな声で、ひとりごとを言った。
四年の冬に過敏性腸症候群が悪化して坂本哲也は休学した。
しかし大谷純という心療内科の良い先生と出会えて坂本哲也は、とても力づけられた。
そして哲也は復学して、1年下のクラスに入り、大学を卒業して医師国家試験にも通った。
哲也は奈良県立医科大学には嫌な思い出しかなく、また関東で育ってきた坂本哲也には、どうしても関西になじむことは出来なかった。
なので大学を卒業すると、すぐにUターンして関東の国立下総療養所という研修指定病院に就職した。
それ以来、母校には一度も行っていない。
同級生とも一度も会っていない。
・・・・・・・・・
哲也は玄関に落ちている奈良県立医科大学医学部医学科同窓会の封筒を拾って封を開けた。
すると同窓会の案内状が、封筒の中に入っていた。
それには、こう書かれてあった。
「みなさん、ご多忙のことと思いますが、この度、第×回の入学生の同窓会を行いたいと考えております。どうか、ふるって、ご参加ください。場所は、ミナミのロイヤルホテルで夜5時から開催したいと思っております。幹事=青木誠」
哲也は、佐野量子が、出席するのか、どうか知りたく思った。
それで。
哲也は同窓会の幹事の青木に問い合わせてみたくなった。
しかし自分で電話すると声からバレてしまう可能性がある。
なので妹に電話した。
「・・・・もしもし。何。お兄ちゃん?」
「頼みがあるんだ。×月×日に、奈良県立医科大学、第×回生の同窓会があるんだ。それに、佐野量子、という人が出席するか、どうか、幹事に聞いて欲しいんだ」
そう言って哲也は幹事の青木誠の携帯番号を言った。
「・・・・どうして、わざわざ、そんなことを私に言うの。自分で電話すればいいじゃない?」
妹は訝しがった。
「僕が電話すると声でわかっちゃうからね。それが、ちょっと恥ずかしくてね」
「わかったわ」
そう言って妹は電話を切った。
しばしして妹から電話がかかってきた。
「お兄ちゃん。佐野量子という人は、同窓会に出席するらしいわよ。幹事の人に、あなたは誰ですか、と聞かれたので、すぐ切っちゃったけど」
「そうか。ありがとう」
そう言って哲也は電話を切った。
(佐野量子が来るのか)
哲也はニヤリと笑った。
哲也は封筒に同封されていた同窓会の出席可否の返信はがきの「出席」の方に丸をして投函した。
哲也は同窓会の日が来るのが待ち遠しかった。
数日して同窓会の日になった。
哲也は東海道新幹線で大阪に行った。
同窓会は大阪のミナミのロイヤルホテルの宴会場だった。
もう、ほとんど、みんな来ていた。
哲也は卒業以来、大学にも関西にも一度も行ったことがなかった。
同窓会は立食パーティー形式だった。
卒業以来、大学にも関西にも一度も行ったことがなかった。
なので入学時のクラスメートに会うのは久しぶりだった。
個人的な付き合いの友達は一人も出来なかったが、学校の実習では嫌でも、あいうえお順に、5、6人のグループごとに班分けされるので、友達ではないが実習で話をして会話できるようになった同級生は何人もいた。
「やあ。久しぶり」
「卒業以来××年だな」
「お前、体形、学校の時と変わってないな」
などと割と親しかった男子生徒(今ではもう立派な一人前の医師である)たちが話しかけてきた。
「ちょっと事情があってね。僕は週2回の水泳と、筋トレとランニングをしているんだ。健康のためにね」
あはは、と笑って僕は適当な返事をした。
こんなことで結構、賑やかな会話が行われた。
そろそろ同窓会も終わりの時間になった。
「じゃあ本日の同窓会は、これで終わりにしたいと思います。この後、二次会をしますので出席したい人は残って下さい」
と幹事の青木が言った。
大体、男は、みな残った。
みな、もっと飲んで、はしゃぎたいんだろう。
女子は概ね二次会には参加せず帰る人がほとんどだった。
佐野量子さんも帰ろうとした。
僕は急いで佐野量子さんの所に行った。
そして彼女に話しかけた。
「佐野さん。お久しぶり」
「お久しぶり。坂本くん。元気だった?」
「ええ。まあ」と哲也は適当な返事をした。
「佐野さん。ちょっと、二人でお話しませんか?」
「いいけれど。なあに。坂本くん?」
「まあ、いいじゃないですか」
「わかったわ」
こうして哲也は佐野と一緒にホテルを出た。
「僕、車で来たんです」
「まあ。そうなの。坂本くんの家って神奈川県でしょ。遠かったでしょ?」
「いやあ。東名高速道路を飛ばして来ましたから。たいした時間はかかりませんでしたよ」
「そうですか」
「あなたにお話したいことがあるんです。近くの喫茶店に入りませんか?」
「ええ。構いませんわ」
「じゃあ、僕の車で行きましょう」
こうして哲也は佐野量子を車を止めておいた駐車場に連れていった。
「さあ。どうぞ。お乗り下さい」
そう言って哲也は車のドアを開けた。
「はい」
佐野量子は哲也の車の助手席に乗り込んだ。
哲也も運転席に乗り込んだ。
哲也は車のドアをロックした。
そして哲也は素早く佐野量子の口にクロロホルムをたっぷり染み込ませたタオルを押しつけた。
「あっ。坂本くん。一体、何をするの?」
佐野量子は、その一言をいった後、クロロホルムの作用で昏睡状態に陥った。
哲也は佐野量子に猿ぐつわをし、両手を背中に回し手錠をした。
そして足首を縄で縛った。
哲也は車のトランクを開け昏睡状態の佐野量子を入れた。
(やった)
と哲也は喜んだ。
しかし完全に喜ぶのはまだ早い。
哲也は運転席に乗りエンジンを駆けた。
哲也は夜中の大阪を慎重に運転し、愛知県の小牧市の小牧ICに着いた。
そこから東名高速道路を飛ばして神奈川県の自宅に着いた。
大体7時間くらいかかった。
運転している時はヒヤヒヤした。
速く速く、と焦る気持ちを押さえて運転した。
高速道路ではスピードオーバーでパトカーや、覆面パトカー、白バイに捕まらないよう、スビートは抑えた。
一番、怖かったのは飲酒運転をチェックする警察の職務質問だった。
しかし幸いなことに、家に着くまで警察の職務質問に、ひっかかることはなかった。
家に着いた時、哲也は、(やった)とほっと一安心した。
哲也の家には、地下室があった。
そういう物件を運よく見つけたので、購入したのである。
哲也はトランクを開け、佐野量子をかついで家の中に入れた。
そして地下室に連れて行った。
そして佐野量子を地下室の床に寝かせた。
佐野量子は、まだクロロホルムの睡眠作用で寝ていた。
哲也は佐野量子の着ている服を全部、脱がせた。
犯すためではない。
復讐のためである。
復讐のためには、どうしても佐野量子を全裸にする必要があったのである。
なので女の性器は隠すために、哲也は尻が丸出しになったTバックの女の性器を隠すだけの極小ビキニを佐野量子の腰に取り付けた。
そして哲也は、佐野量子の体にバスタオルを巻いた。
哲也は佐野量子の頬をピチャピチャと叩いた。
佐野量子は、それによって目を覚ました。
「あ、坂本くん。ここは一体どこなの?どうして私はバスタオル一枚なの?どうして私に手錠なんかするの?」
彼女は激しく動揺していた。
「ふふふ。ここはオレの家の地下室さ。君にクロロホルムを嗅がせて、東名高速道路を飛ばしてオレの家に連れて来たってわけさ。ここはオレの家の地下室さ」
坂本哲也はふてぶてしい口調で言った。
「どうしてこんなことをするの?」
動揺して、うろたえている佐野量子を無視して、哲也は佐野量子の手錠の真ん中を縄で縛った。
そして、その縄を地下室の天井の梁に引っ掛けた。
「何をするの。や、やめてー」と叫ぶ佐野量子を無視して哲也は縄をグイグイ引っ張っていった。
佐野量子は縄に引っ張られて、いやおうなしに立たされた。
哲也はさらに縄を引っ張り続けた。
そのため佐野量子は完全に立たされ、そして手首は頭の上に引っ張られ地下室の天井から縄で吊るされた形になった。
地下室の佐野量子の前の壁には等身大のカガミが立てかけられてあった。
哲也は佐野量子の体に巻きつけたバスタオルをとった。
「あっ」と佐野量子は叫んだ。
無理もない。
佐野量子はアソコを隠すだけのTバックの極小ビキニを付けさせられているだけで、全裸同様だったからだ。
「さ、坂本くん。どうして、こんなことをするの?」
「君は大学4年の時の、神経生理学の実習を覚えているかい。空間的二点識別覚検査さ」
哲也が言った。
「お、覚えているわ。あの実習は、二人一組でやったわね。あの実習は、坂本くんと私が一組になってやったわね」
佐野量子が言った。
「誰と誰がペアになるかは、あみだくじで決めたよね。あみだくじで、僕と君がペアになった時、君は何と言った?嫌だー。早く帰れなくなっちゃうー。もう一度、あみだくじ、やり直してーと叫んだね。皆の前で。僕は要領が悪いから実習では、いつも人に迷惑をかけていたね。でも、人前で、あんな大声で叫ぶなんて、僕に失礼だとは思わないのかね?僕は物凄く傷ついたんだよ」
哲也が言った。
「あ、あの時のことは謝るわ。ゴメンなさい。あとになって私も坂本くんに失礼なことをしてしまったと気づいて反省したわ」
佐野量子が言った。
「ふふふ。ゴメンで済んだら、世の中、警察は要らないぜ。僕は、あれで落ち込んでしまって、あれが休学する決断の決定打になったんだ。落第坊主だ。それ以来、僕の人生は狂ってしまったんだ。だから、僕は卒業したら、絶対、君に復讐してやると心に誓ったんだ。そのために、こうして地下室つきの家をローンで購入したんだ」
哲也が言った。
「そ、そんなー。確かに、あの時は私が悪かったわ。でも一回の実習のことだけのことじゃない。私も坂本くんも卒業して、医者になって、もう10年以上、経つわ。今だにそんなことをネにもち続けているなんて・・・」
佐野量子は目を丸くして精神異常者を見るような目つきで哲也を見た。
「うるせー。オレはお前に復讐するためだけに生きてきたんだ。これから、あの時の復讐を、たっぷりしてやるから楽しみにしていろ」
「い、一体、何をするの?坂本くん」
「ふふふ。二点識別検査さ。当たったら解放してやる」
哲也は、ノギスを取り出した。
そして佐野量子の背後に回った。
「佐野。それじゃあ、二点識別テストをするぜ。ノギスを背中に当てるから、一点なのか、二点なのか、当てな。100回やる。全部当てたら解放してやるよ。でも全部、当てられなかったら解放しないぞ。罰として鞭打ちだ。全部、当てるまで続けるからな」
「そ、そんなー」
哲也は人間の体の各部位において、二点識別できる標準値が書かれた紙を佐野量子に示した。
それには、以下のように書かれてあった。
身体部位による標準値。
口唇2~3mm(2~3cm)
指尖3~6mm(3~6cm)
手掌・足底15~20mm(1.5~2cm)
手背・足背30mm(3cm)
脛骨面40mm(4cm)
背部40~50mm(4~5cm)
臀部50~60mm(5~6cm)
「お前はもう忘れてしまっただろうが、これが人間が二点識別できる距離だ」
じゃあ始めるぞ、と言って哲也は佐野量子の背後に回った。
そしてノギスを佐野量子の背中に当てた。
「おい。これは一点なのか二点なのか、どっちだ?」
佐野量子は即座に、
「二点です」
と答えた。
「正解だ」
哲也が言った。
哲也はノギスを10cm開いて当てたのである。
背中の二点識別できる標準値は、5cmまでなので、これは簡単だった。
哲也は少しノギスの間隔を狭めて、7cmにした。
そして佐野量子の背中にノギスを当てた。
「これは一点なのか二点なのか、どっちだ?」
哲也が聞いた。
「二点です」
佐野量子が答えた。
「正解だ」
哲也が言った。
次に哲也はノギスを5cmの間隔に開けて、佐野量子の背中に当てた。
そして、
「これは一点なのか二点なのか、どっちだ?」
と哲也が聞いた。
5cmが人間が背中で二点識別できる標準値なので、これは佐野量子も即答できなかった。
間違えたら、この地下室から出られないのである。
しかし全問、正答したら、この地下室から出られるのである。
なので佐野量子は、しばし考えた後、
「・・・一点です」
と、やや自信なさそうに言った。
「正解だ」
間違っていたのに哲也はニヤリと笑って「正解」と言った。
こうして哲也は意地悪な二点識別テストを続けた。
哲也はノギスの間隔を8cmにしたり3cmにしたりランダムな間隔で、佐野量子の背中や尻に当て、二点識別テストをした。
佐野量子は、二点なのに一点と間違えて答えることがあった。
その逆に一点なのに二点と間違えて答えることもあった。
しかし哲也は、佐野量子が間違って答えても哲也は全部、
「正解だ」
と言った。
これには哲也の計算があった。
二点識別テストが99回目を終えて最後の100回目になった。
佐野量子は20%くらい間違えていたが、哲也は、全部「正解だ」と言っていた。
「さあ。次で100回目だ。これを正解したら、お前を解放してやる」
そう言って哲也はノギスを閉じて佐野量子の背中に当てた。
これが当たったら自由になれる、という思いが佐野量子を慎重にしたのだろう。
佐野量子は、かなりの時間、迷った挙句、
「・・・一点です」
と自信なさそうに言った。
「あーあ。残念。今のは二点だよ」
あっははは、と哲也はせせら笑って言った。
佐野量子は正答を言ったのに、哲也は平気でウソをついた。
なぜ哲也がウソをついたかというと。
哲也は極度の偏執狂男なので、99回目まで当てさせて、佐野量子に希望を持たせて、最後に地獄に突き落とす、というのが哲也の計画だったのである。
「ふははははー、残念だったな、あと一回、正解すれば、お前は自由になれたのに」
極度の偏執狂男、坂本哲也は高らかに笑った。
「間違えた罰をする」
哲也は居丈高に言った。
「な、何をするの?」
佐野量子はおびえた顔で聞いた。
「鞭打ちだ」
哲也は鞭を持って佐野量子の尻を思い切り鞭打った。
ビシーン。
ビシーン。
ビシーン。
暗い地下室に鞭が尻に当たって鳴り響く音がとどろいた。
「痛―い。痛―い」
佐野量子は体をくねらわせて、泣き叫びながら身をよじった。
「坂本くん。やめてー」
佐野量子は泣き叫んだ。
100回くらい叩いて哲也は鞭打ちをやめた。
佐野量子の尻は猿の尻のように真っ赤に腫れ上がっていた。
佐野量子は、一日中、立たされ、そして鞭打たれた疲れからガックリと首を落として黙っていた。
「今日はこれで終わりにしてやる」
哲也は、そう言って、手錠に結びつけてある縄を緩めていった。
天井に吊られていた佐野量子の両手が緩んで、佐野量子の体はズルズルと床に降りていった。
一日中、責め続けられて、佐野量子はグッタリとして、死人のように冷たい地下室に倒れ伏してしまってビクとも動かなくなった。
「今日はこれで終わりにしてやる。明日もまた二点識別テストをするからな」
哲也が言った。
「い、いつまで、やるの?いつ私を解放してくれるの?」
佐野量子が涙を流しながら聞いた。
「だから、最初に言っただろう。これから毎日、100回、二点識別テストをする。お前が全部、正答したら解放してやる」
「・・・・そ、そんな」
哲也はグッタリしている佐野量子の口を開けて、強引にカロリーメイトを詰め込んだ。
「ほれ。食え」
そう言って哲也は、強引に佐野量子の顎をつかんで、無理矢理、咀嚼させた。
そして哲也は、佐野量子が凍死しないように、寝袋を置き、佐野量子をその中に入れた。
佐野量子は、寝袋から顔だけ出して、まるで蓑虫のようだった。
「それじゃあ、また明日だ」
そう言い残して哲也は地下室の階段を上がっていった。
哲也は佐野量子のカバンから携帯電話を取り出した。
そして、携帯電話に登録されている佐野量子の母親に当てて、
「お母さん。私、ある事情があって外国に行きます。いつ日本に帰ってくるかは分かりません。なので、当分の間、いなくなります。でも私の身は安全なので、決して警察に行方不明の届け出など、しないで下さい」
と書いて送信した。
卑劣で極度の偏執狂男、坂本哲也は、
「ふははははー。これでオレは安全だー」
と高笑いした。
翌日も、哲也は地下室に降りてきて佐野量子に対する二点識別テストと拷問をした。
その日も、99回目までは正答しているのに、最後の100問目は間違えた。
「ふふふ。また、せっかく、あと一問という所で間違えたな。残念だったな」
と言って、哲也は佐野量子の尻を鞭打った。
ビシーン。
ビシーン。
ビシーン。
「痛―い。痛―い」と叫びながら佐野量子は体をくねらせ、地獄のタップダンスを踊った。
「ふふふ。じゃあ、今日はこれで許してやる。また明日だ」
そう言って哲也は、佐野量子の手錠に結びつけてある縄を緩めた。
それと同時に、佐野量子の体も床に降りて行き床に尻が着いた。
その時である。
佐野量子はキッと鋭い目つきで哲也をにらみつけた。
そして強気の口調で吐き捨てるように言った。
「坂本君。二点識別テストの結果を正確には言ってないでしょ。私は自分の背中や尻や太腿、などを見ることは出来ないわ。99回目まで正解で、100回目に間違える、なんて不自然すぎるわ。あなたは私に希望を持たせて、最後に絶望のどん底に落として楽しんでいるんでしょ」
佐野量子は哲也を鬼女のような顔で、にらみつけて言った。
「ふふふ。バレたか。その通りさ。オレは、はなっから、公正な二点識別テストをするつもりなんて、ないんだ。お前をとことん嬲ってから殺すために、お前を誘拐したのさ」
ふははははー、と偏執狂男、哲也は高笑いした。
「やっぱりね。思った通りだわ」
佐野量子は哲也をキッとにらんだ。
「ふふふ。バレたんでは仕方がない。佐野。いいことを教えてやろう。この地下室では何人もの男や女が拷問されて死んでいったんだ。家の裏の雑木林には12人の死体が埋まっているんだ。皆、オレを、ネクラだの変態だのとバカにしたヤツらだ。お前は13人目だ。お前も殺すがその前に徹底的に嬲ってからだ」
ふははははー、と極度の偏執狂男、坂本哲也は高らかに笑った。
「あなたは狂っているわ」
佐野量子は哲也に向かって吐き捨てるように言った。
3日目からは、もう哲也は二点識別検査はしないで、一日中、佐野量子を虐め抜いた。
哲也が正確な二点識別検査をしていない、ということが佐野量子に分かってしまった以上、二点識別検査をする意味が無くなったからである。
哲也は佐野量子の尻を思いきり鞭打ったり、水道のホースを佐野量子に向けて、佐野量子の体のあちこちに放水した。
「寒―い。坂本くん。許して」
佐野量子は泣きながら哲也に許しを乞うた。
しかし、哲也は許さなかった。
哲也は、さらに、ゴキブリホイホイを佐野量子に見せた。
そして、ゴキブリホイホイを開いた。
ゴキブリホイホイには、10匹ほど、ゴキブリがかかっていた。
まだ、ゴキブリは生きていて、気味悪く、ゴキブリホイホイにくっつきながらも、モソモソと動いていた。
「嫌―。気味悪い。そんな物、見せないで」
佐野量子は目をそらした。
「ふふふ。これをどうすると思う?」
哲也は残忍な目で言った。
「わ、わからないわ」
佐野量子は恐怖におびえた顔で、声を震わせて言った。
「ふふふ。こうするのさ」
そう言って哲也は、ゴキブリホイホイを佐野量子の髪の毛に、くっつけた。
粘着シートの粘着力によって、ゴキブリホイホイは佐野量子の髪の毛にくっついた。
「嫌―。坂本くん。やめてー」
佐野量子は泣き叫んで言った。
しかし、哲也は佐野量子から離れて、「嫌―。坂本くん。気味悪い。お願い。とって」と泣き叫ぶ佐野量子をブランデーを飲みながら、ニヤニヤ笑って見た。
佐野量子は心身ともに衰弱していった。
4日目。
その日も哲也は佐野量子の尻を徹底的に鞭打ったり、水道のホースを彼女の体に向けて、水を放射したりして、嬲り抜いた。
「今日はこれで終わりだ。明日、また徹底的に嬲るからな」
そう言い残して哲也は地下室を出た。
そして、哲也はソファーに座りながら、カップヌードルにお湯を注いで、3分まってから食べ出した。
哲也はリモコンでテレビを点けた。
テレビでは昼のNHKのニュース番組が映し出された。
ニュースキャスターが話し出した。
「××病院に勤務する医師の佐野量子さんがいなくなって、4日、経ちました。佐野量子さんは、×月×日の奈良県立医科大学第×回の同窓会に出席して、その後、行方がわからなくなりました。夫の佐野誠さんも、いずれ携帯で連絡してくるだろう、と思っていましたが、連絡が無く、翌日の午後には、警察に行方不明の通報をしました。警察では、事故か、自殺か、あるいは、犯罪の可能性があると見て、必死に捜索を始めました。心当たりのある方は警察に連絡して下さい」
そして佐野量子の顔写真が大きく映し出された。
そして、ニュースキャスターは佐野量子が勤める病院の同僚の医師に心当たりがないかを聞いた。
「何か心当たりはないでしょうか?」
ニュースキャスターが佐野量子の同僚の医師に聞いた。
「佐野量子さんは明るく仕事も順調で、自殺するとは考えられません。一体、どういうことなのか、さっぱり心当たりがありません」
同僚医師はそう答えた。
次に佐野量子の夫が映し出された。
「量子。どこにいるんだ。このテレビを観ているんなら電話をかけてくれ」
佐野量子の夫が涙ながらに叫んだ。
次に娘が映し出された。
「ママー。どこにいるの。帰ってきて。お願い」
と娘は泣きながら叫んでいた。
哲也は驚いた。
「ええ。一体、どういうことなの。アイツは独身なんじゃないの」
哲也は訳が分からなくなった。
毎年、送られてくる同窓会名簿でも結婚した女医は皆、性が変わって夫の姓に変えられて記載されている。
同窓会名簿には、氏名、住所、勤務先、が記載されている。
しかし、同窓会名簿は、卒業生が、住所、氏名、勤務先、が変更になっても、それを卒業生が連絡ハガキで送らなければならない。
同窓会の方から電話して、現在の、氏名、住所、勤務先、を同窓生に聞いてくるということはしない。
そして、卒業生は、結構ルーズで、住所、氏名、勤務先が変わっても、律儀に変更ハガキを出さない人も多いのである。
なので同窓会名簿に記載されている、卒業生の、氏名、住所、勤務先、は必ずしも正確ではない。
しかし、ネットの厚生省のホームページには、医師等資格確認検索、というのがあって、性別と氏名を入れると、医師国家試験に合格した年が出でくるのである。
(ただし、これは常勤「週32時間以上勤務」の医師に限られる)
哲也は、これで「佐野量子」を検索してみた。
すると、ちゃんと出てきた。
これは正確なので、佐野量子は、まだ独身だとばかり哲也は思っていたのである。
哲也は訳が分からなくなった。
それで、哲也は急いで、佐野量子の携帯で、発信者番号非通知で佐野量子の弟に電話をかけてみた。
「もしもし」
「はい。どなたでしょうか?」
「佐野量子さん友達です。あなたは佐野量子さんの弟さんですね」
「はい。そうですが」
「佐野量子さんは結婚しているのですか?」
「ええ」
「結婚しているのに、どうして、佐野、の姓が変わらないのですか?」
「それは姉が結婚した相手も、佐野、の姓なのです。姉は、幼馴染みの佐野誠さんと結婚したのです。ここ、大阪の泉佐野市は「佐野」の性が多いのです」
哲也はガーンとショックを受けた。
佐野という苗字が変わらないから哲也は、佐野量子は、てっきり独身だと思っていたのだ。
ネットで検索してみると、佐野量子の住んでいる大阪の泉佐野市は「佐野」の性が多いと書かれてあった。
女は結婚すると夫の性に変える。
最近は、結婚しても夫婦別姓にしている女性もいる。
しかし、それは、タレントとか女優とか、結婚前の姓が世間に知られていて、結婚後もタレントや女優の活動を続けていく上で、姓を変えない方がメリットがあり、活動しやすい、という理由のある人だけである。
そういう特別な人でない一般の女性は、結婚したら、ほとんどは夫の姓になるものである。
哲也はガーンとショックを受けた。
「ああ。あいつも一児の母親なっていたんだ。あの子には何の罪も無い。あの子はあんなにまで母親を慕っていたのか」
偏執的な哲也の心が揺らいだ。
(オレが間違っていた)
哲也の心は打ちのめされた。
哲也は地下室の扉を開け、地下室に降りていった。
佐野量子は寝袋の中で蓑虫のように顔だけ出していた。
彼女は哲也を見ると、また嬲られるのか、といった怯えきった顔つきになった。
無理もない。
それは、あたかも虐待され続けた子供が親の顔を見ただけで怯える条件反射になっていた。
哲也が佐野量子にしてきたことは、彼女を嬲ることだけだったからだ。
そして嬲り抜いたあと殺すためだった。
哲也は、ここに連れてきた時の佐野量子の服を持っていた。
哲也は黙って黙って寝袋のチャックを外した。
そして彼女を起こし彼女の手錠を解いた。
そして彼女に服を渡した。
「佐野さん。さあ服を着なよ」
彼女は予想外のことに、驚いていたが、急いで服を着た。
パンティーを履き、ブラジャーを着け、そして、スカートを履いて、ブラウスを着た。
「さ、坂本くん。一体、どういうことなの?」
彼女が聞いた。
「佐野さん。すまなかった。僕が悪かった。どうか家に帰ってくれ。全国の警察が行方不明になった君を探している。一刻も早く警察署に行ってくれ。一刻も早く娘の里香さんを安心させてやってくれ。僕が君にした監禁、拷問のことも警察に話してくれ。僕は自分のした罪の償いをする」
哲也は打ちひしがれていた。
しかし彼女は首を振った。
「い、いいの。坂本くん。私が実習で坂本くんに無神経なことを言ったから、こうなったんだわ。私は、内気で要領の悪い人の苦しみを察することなんか、全くしないで生きてきたわ。坂本くんに仕返しされて、それが骨身にしみてわかったわ。むしろ私は坂本くんに感謝しているの。これからは弱い人の心が分かる人間になれると思うわ。ありがとう。坂本くん。警察には言いません。だって、私が悪かったんだもの」
坂本哲也は打ちひしがれていた。
彼にとって、罰されないことの方が苦痛だったからだ。
哲也は彼女に10万円、渡した。
「さあ。これで大阪の家に帰ってくれ。そして一刻も早く娘さんを安心させてあげてくれ」
哲也が言った。
「ありがとう。坂本くん。私を許してくれて。警察には言いませんから安心して下さい」
こうして佐野量子は新幹線に乗って大阪の家に帰った。
彼女は約束を守った。
ニュースでは、佐野量子が無事にもどってきた報道がなされた。
彼女は、ニュースキャスターにどんなに問い詰められても、1週間、どこへ行っていたか、については決して喋らなかった。
ただ「親しい友達の所に泊まっていました。連絡しないで心配させてゴメンなさい」と言った。
娘の由香も母親に抱きついた。
「お母さーん。さびしかったよ。お母さんがいない間、生きた心地がしなかったよ。戻ってきてくれて本当に嬉しいよ」
と娘は母親と抱き合っていた。
「ゴメンね。由香ちゃん。心配させちゃって」
と母親も泣きながら娘を抱きしめた。
それ以後、佐野量子は弱い人の心が分かる人間、医者として活躍している。
坂本哲也も極度に歪んだ偏執的な性格が治って、ネクラだの、変態、だのと悪口を言われても怒らない寛大な人間となった。
めでたし。めでたし。
2022年7月17日(日)擱筆