夏をしのぶ少年 もくじ
それは高一の夏休み、が終わって最初の日曜だった。少年は、唯一の友達と大磯ロングビーチへ行った。大磯ロングビーチは、9月10日(か15日)くらいまでは開いている。9月というコトバから、人は、祭りの後、もう夏は終わった、閉じられた映画の幕の後、などのイメージが結びつくのだろう。そう人の心を憶測するのは、少年にも、このイメージはおぼろげながらあって、自分の感じ方を持って人の感じ方を憶測しようとしていた点で、それは社会のフンイキが暗黙に促すイメージに少年も感情を操られていたという点で、他の人間と共通項を持っていたからではあった。しかし、なぜか少年には、人の心をデリケートに憶測するクセがあって、夏(8月というコトバ)に過剰のロマンスを置かず、暑ければ夏。夏はプールで泳ぐ。という単純にして(そういう感性が、夏に限らず、物事をセンチメンタルに感じたがる人間より、ずっと魅力があるようみえた)明解な感じ方をもっている人間も多くいることも憶測していた。そういう小学生のような感じ方の人間の方が、より、人間的に自然にみえた。人はいつからか社会のつくる詩的まやかしにひっかかってしまう。人が夏を最も感じるのは、夏がまだ来る前の、春である。人々は、雑誌の「今年の夏は…」のフレーズに、「今年の夏の流行は…」の、ファッションの宣伝に、夏の到来の予感に、実際の夏以上の「想像の夏」に、夏のよろこびを感じるのだ。8月の終わりから9月になると、ファッション雑誌は、「秋」を宣伝する。8月も終わりになると人々は「秋」の予感に「秋」を満喫するのである。しかし少年にとって、9月というコトバは、「夏の終わり」を直結させなかった。セミが泣いているうちは夏だった。汗が出るうちは夏だった。人が夏の名残と感じるものに、真の夏を感じていた。十月頃、も、たまに夏が戻ってきたような日にも少年にとっては、それは真の夏だった。むしろ、人々に忘れ去られようとしている夏、まばらになった夏、の方に、夏をいたわってやりたいような、執着がおこるのだった。
9月になった最初の日曜日、少年は、唯一の友達と大磯ロングビーチに行った。少年は中高一貫の、男子校で、クラスで波長のあう友がいず、高校から入ってきた、一人のつっぱったヤツに、どちらからともなく親しくなった。彼は、おもろくて人一倍、社交的なのに、クラスではなぜか友達が出来なかった。学校を離れた余所では彼は顔が広かった。初対面の人間に話しかける抵抗というものを持っていなかった。むしろ、中学から一緒だったクラスの人間の方が、徒党を組まねば何も出来ない引っ込み思案に、彼と比較してみると見える。しかし、大人ぶったところがあって、(大人ぶった、というより、一歩ある面で事実、少年の知らない大人の世界を、どの程度か、進んで知っていた)高三頃には、悪友が多くでき、それが少年とのつきあいを疎くした。が、高一の頃には、なぜかクラスにうまくなじめず友達ができなかった。少年は彼と友達になった。親友ができない同志の慰め、という面は、ある程度は確かにあったのだろうが、それ以上に、彼がクラスで、徒党に入らずとも、堂々と、自信をもって生きている行動力が魅力だった。
「夏、海行く?」
「行きてーな」
「泳ぐの好きなの?」
「いや、泳ぐより体やきてーんだよ」
こんな会話が少年が彼と親しくなるきっかけだった。だが少年は思った。
(体やきたいなんて女みたいだな)
と少年は思っておかしかった。男は、夏、おしゃれに、海に行くんじゃない。雄々しい海と対決するために行くものだというイメージがあった。
(それに、スマートなヤツならともかく、豚の丸焼きこさえて何になるんだ)
と少年は思った。彼は太っていたからだ。ふとったヤツは考え方も鈍感なのかもしれない。と思った。しかし、少年は聡明だったので、そのことは言葉に出しては言わなかった。言葉にして言っては友情にヒビが入りそうな気がしたからである。
で、大磯ロングビーチに行った。ダイビングの最上階から、飛翔する勇者がいた。三人で来ていて、他の二人に、
「あそこからとんだらいくらくれる?」
「千円」
「よーし」
といったふざけたフンイキで、上っていった。が、本気で飛び込む構えをしている。ダイビングの最上階は、そこから、プールを見た時には、足がすくんでしまうほど、恐ろしいものである。視覚的に、主観的に、プールが小さく見えるため、プールにうまく入ってくれず、まわりのコンクリートにぶち当たって即死しそうにも思えてくるのである。さらに、正しく入水しないと、確実に怪我をする。彼は飛んだ。おそらく飛び込みを練習した経験があるのだろう。実にきれいなフォームである。スポッと、水を乱すことのない、きれいな入水である。彼は仲間から二千円せしめた。彼は実に輝いていた。技術と勇気がなくてはできない。彼がほしかったものは、仲間からの二千円ではなく、自分が技術と勇気を持っていることの証明の見えざる勲章である。
帰りは、海沿いの国道をヒッチハイクして帰ることにした。大型トラックの運ちゃんが止まってくれて、平塚あたりまで、のせてもらった。別に電車賃がないわけではないが、ヒッチハイクの方が冒険で、面白いのである。また、ヒッチハイクをすることになった。レジャーからの帰りの渋滞で、多くは、キザな車に、男と女が乗っている。少年は友人より少し先をトボトボ歩いていた。が、振り返って、びっくり、というか、唖然、とした。あいつが、渋滞で、ノロノロ運転しているドライバーに、一車ずつ、指のサインでヒッチハイクを求めているのだ。何という神経なのだと、おどろいた。ヒッチハイクの根本原理を知っているはずなのに、原理に当てはまらないことをしている。ヒッチハイクとは、原則的に女がやるものであり、きれいな女を男がよだれをたらして乗せる、というのがヒッチハイクの根本原理である。デブ男を乗せる物好きな、変人は、この世に一人もいないだろう。アカ抜けたあいつのことだから、そんなことは百も承知のはずなのに、神経が無いのか歩きながらヒッチハイクのサインを出しつづけている。もちろん止まってくれる車など一台もなく、後続車から丸見えで、天下に恥をさらしているようなもので、こっちが恥ずかしくなってきた。しかし、同時に少年は、プールで見たダイバー同様、頼もしさを見た。渋滞の中を一台、一台、ヒッチハイクしていける神経の男も、まずこの世に一人もいない。車は、ほとんど男と女。夕日を背に、夏の一日の余韻に浸りながら、サイドレバーにかけた手が伸びて、彼女の脚に時たま遠征する。しかし、これだけなのだ。彼らは、確かに詩的な精神は持っている。しかし、彼らは詩人ではない。円満具足に何のギモンも感じないのだから。閉ざされたシェルターの中で男と女がいちゃつくことに何の芸術性があるというのだろう。何の緊張もなく、何の戦いもない。この貧弱な材料から、どうすれば芸術が作れるというのだろう。この安全なシェルターの中の人々から芸術は作れない。つまらないことに命をかけられるマタドール(闘牛士)のように、ばかげたことに命をかけてしまうような変人でないと芸術の対象とはなりえない。沈みゆく夕日が今日という一日を完全に消し去ってしまうことに、とりつかれた病人のように、脅えることがないのだから。