Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/15(Sun) 17:33 No.986

という題名の山岳関係図書があったかなあ。言うまでもなく、昔登ったけれど、この山にはもう登らない、ということですね。
今の私は、もう山には登らない、ということで、語順が入違っているだけですがその意味は随分違いますね。
さらにあえて言えば、もう山には登れない、ということでもあります。hi。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/15(Sun) 17:57 No.987

登れなくても図上演習ならできるのですよ、頭の中でイメージ登山。幸いそれくらいはできる、過去の豊富な経験値はありますし、そこまでのことなら今でも、いやある意味では昔よりもはるかに豊かに「山に登れる」のですよ。
でもまあ、実際、山に登ろうなんて思っちゃあいけないのです。体はそんなに動けないし、言いたくはないが頭も、です。

光岳を目指して老夫婦遭難か。信濃側の報道のようですから、易老渡のコースで登ったのかなあ。このコースの存在は知っているし、深田久弥「百名山」でもこのコースで登っている、古くからある有名なコースだということも知っているのですが。
*深田久弥のこの本をガイドに登るのはおやめください。データが古過ぎます。まさかそういう人はイマドキいないとは思いますが。
静岡側から登るとなると、畑薙湖上の大吊り橋を渡って茶臼岳を目指します。その初日はウソッコ沢かもう一つ尾根を越した横窪沢に小屋があります。2日目に茶臼まで登り、茶臼から光岳へというコース。光岳までは眺めがありません。茶臼北側の上河内岳まで行くとアルプスらしい眺望が楽しめます。以上、若い登山者だったなら、という計画。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/16(Mon) 19:54 No.988

コロナ関連、どうなる?
12日には私の亡母の実家へ行き、15日には私の妹がお盆だということで来て、16日にはXさんの兄が来て、という具合でしたが、何を言いたいかというと、私の身の回りの私とほぼ同世代は、移動せず、外へ遊びに行かず、外からも縁者が来ず、じっと禍が通り過ぎるのを待っている状態(とまでは言えないが、自粛状態ではあるだろう)なのか。
身勝手かもしれないが、私どもが耐えている程度には世の中の皆様、自粛をしていただけないものだろうか。
ちなみにここに出てきた関係者一同、年齢的な面もあって全員ワクチンの1回2回接種済み。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/16(Mon) 20:22 No.989

深田久弥の日本百名山への疑義
あまりにも神格化が過ぎて、私にはある種「危ない」もののように感じられて、疑問が多いのです。気になる部分を簡単に何点か指摘させていただきます。
1 まず、記述が古いのが気になります。記述が古いということはデータが古くて、場合によっては危害が及ぶのではないかと老婆心が働きます。ガイドブックにすべき著作ではもちろん、ありませんが。
2 頂上まで到達できない山がいくつかあります。火山であるため頂上付近が立ち入り禁止になっています。
3 著者の主観の偏りが強くて客観的な基準がないに等しいと思われます。経年劣化というべきでしょう。
4 こういう分野は適宜改定や見直し(何らかの形で)が必要だと思われますが、まったくそれらがなされてはいません。まあいいといえばそれでもいいのかもしれませんが、登山という見地からは私個人は正しいものだとは思えません。
5 趣味の範疇ととらえればかまわないのですが、こういう権威主義的なものの考え方は趣味としても決して好ましいものではありません。盲従して何も考えないで山に登るのは危険この上ない、愚者の所業にも通じます。
とはいえ、ファンの多いことは悪いこととは思えません。しかし、昔からの我々の知恵ですが「過ぎたるは及ばざるがごとし」かと。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/16(Mon) 21:03 No.990

もう登らない山、その2
これはたぶん串田孫一の著作であっただろう。どこかにあるはずだが、見つからない。
さて、この串田孫一が「日本百名山」新潮文庫版に「解説」を書いている。これを読んでみると、私が読んだ場合には、ということではあるが、深田久弥の書いたものに対する何というか「反駁」のような部分を、読み取ったものだった。
同じ本の「解説」として書かれた文章なのだから非難は言うまでもなく、批判は書けないのだが、串田は深田の「百名山」を肯定的には書きながらも、その部分の前後にそのことについての「何か違うこと」について書き加えているのだ。それもいくつかのそういう類の話題のすべてに、しっかりとその「何か違うこと」と書き添わせていると見た。
こういう部分にまで私はものごとを見ることが、読めることができるようになったかと喜んだのだが、一方ではそういうことこそが「達者な物書き」なのだとも思ったのだった。あとはそれをどの程度まで深く強く思っていたかということだが、さて?


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/17(Tue) 13:47 No.991

富士山の噴火による被害や災害
が交通通信、あるいは電機や水道などに壊滅的な打撃を及ぼす、というけれど。
鹿児島では頻繁に桜島の噴火がありますが、こういう影響については聞いたことがなく、農作物に降灰や車のフロントガラスが汚れた、という程度の「被害」の映像が出てくるくらいなのだが、こういう場合と富士山の噴火予測などの場合との「落差」が大きいのが、個人的には納得がいかないのです。
まあ、噴火や溶岩流の規模にもよるのでしょうが、あるいは私の勉強不足かもしれませんが、いまいち信用しにくいのですが。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/17(Tue) 14:06 No.992

富士山と浅間山の噴火口
今から50年以上前、両方の噴火口をすぐ上から覗き込みました。浅間山はすとんと噴火口の壁が垂直に落ちていて、下の方から噴煙が上がっていました。その後噴火口の周辺の広い範囲が立ち入り禁止になったのですね。
同じころ、富士山頂にはひと月以上暮らしていました。毎日ではありませんが時間があるときには「お鉢めぐり」を何回かやって、噴火口は何度も何度も覗き込みました。一般の方々が立ち入らないような場所にも入って、そういう角度からも眺めました。
富士山の噴火口は周囲から崩れていて、形は飯茶碗の内側のようなゆるい傾斜になっています。
富士山の中腹から噴火した、江戸時代の宝永火口も9月の登山者が全くいない時期に観察しましたが、こちらも山腹に浅い窪みをつくっている程度のものです。
全くの主観、あるいは身勝手で身びいきな思い込みですが、この富士山が噴火するなんて、なかなか想像することができにくい私です。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/18(Wed) 17:57 No.993

富士山の噴火の可能性netより
どうも可能性というほどの可能性はないように思うのだが、以下の通り。
1 2000年の秋に低周波地震が頻発したが、2001年になってそれはやんだ。
2 それから20年間低周波地震は頻発はしていない。

なお、通常は感じられない低周波地震に対して高周波地震というものがあるようなのだが、その高周波地震とは何のことだろうか。地震発生時に出る高周波、つまり電波のことだろうか。何かで読んだ気もするが、あwすれてしまったようだ。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/18(Wed) 18:12 No.994

富士山頂にも火山の脈が
通じている場所があるという記述を読んだことがある。場所は、変な言い方で、また出典を示せなくて、申し訳がないが。次に場所も次に示すが、その示し方もイレギュラーで申し訳なし。
さて、その場所は宝永山の火口のある場所を山頂方向に延長していった先にある場所。その場所を「アラマキ」と言ったかとも思うが、そこには火山由来の熱が馳せられている、ということだったと思う。
以上、細部においては書き方も怪しげで、内容もぐだぐだなのだが、確かにこういう「富士山は生きているのです」という記述は読んだことがある。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/19(Thu) 21:35 No.995

平安時代の貴族も
物忌み=ものいみ、ということで時には自粛生活をしていましたね。
方違え=かたたがえ、ということで縁起の悪い方角を避け、気分転換をしてリフレッシュをしていました。現代人の私の勝手な解釈ですが。1000年間の人々と現在の我々と、それほど大きく違うわけでもなさそうだと、私は思います。というか、感じます。
シェルター=家などに籠り、ささやかな気分転換を楽しみ、限られた範囲の中でおとなしくしていようとしたのでしょうか。
方違えは旅行や外食ということかもしれませんので、やめた方がいいのかな。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/20(Fri) 09:40 No.996

白馬岳の山小屋は
1000人宿泊できるのか。私はわがままかもしれないので、こういうところを利用した登山はしない。小屋に絶対泊まらないというのではないが、山に行ってまで旅館みたいな場所に泊まるのも業腹だ(しゃくにさわる)。
というわけで人気のある山、人出の多い山には行かない。まあ、どうしても行かなくてはいけないこともあるのではあるが、その辺は大人の対応。NHKのだドラマ制作にチーム54人の中に調子の悪い人が出て、というニュースを見て。
テントの布一枚隔てた外が山の中の自然、というのがよい。が、小屋は頼りになる存在でもあるので、テントを設営するのは、こういう小屋が管理している小屋近くのサイトであることがほとんどで、逆に小屋のない場所の露営地=テント場というものは少ない。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/20(Fri) 09:57 No.997

若者がどっと来て満員になってしまった山小屋の話
東北の山なのだが、偵察隊の3人で本隊よりも前に山に登って「偵察」をしていた。小屋近くにテント場はなく、テント場は離れた場所だった。ちなみにここはある山塊の真ん中にある無人小屋。
「偵察」であり、そのための少人数で、長時間長距離を移動したこともあり、小屋で静かな休息をとろうということにした。
ところが暗くなってきたころ、突如数十人の若者(我々3人も同じくらいの歳であるが)がどどどと入って来た。予想外の成り行きに面食らったが、地元の某国立大学の男子ばかり。
真面目でおとなしく遠慮というか配慮のできる方々だった。こちらも、次の日はさらに長距離歩かなくてはならないので、さっさとシュラフ=寝袋にくるまった。次の日の朝のことはまったく記憶がないのだが〜。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/21(Sat) 14:57 No.998

今日は「献血の日」ですか
歳をとることは当たり前のことなので、残念なことではないと思いますが、献血ができなくなることだけは残念でした。
二十歳前輸血の協力を求められて「血を取った」のが最初でした。いいことをしたのが心に残り、機会があれば献血にはいつでも応じてきました。古い献血手帳を紛失してしまったので、全部で何回になるのかわかりませんが、新らしい手帳になってそれがいっぱいになった時に「盃」を記念品にもらいました。
いつでも献血できるように運転免許証とともに献血手帳は持っていましたが、献血しなくなっていつの間にかどこかにいってしまいました。運転免許証も今はないのですが。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/21(Sat) 15:26 No.999

赤石岳
NHKではいろいろな登山の番組をやっている。BSの朝の15分間の番組を見ているが、昨日の金曜日は赤石岳だった。
たぶん私が登っている3000m峰の内で、一番多くの回数登ったのが赤石岳だろう。たまたま登っていて一番多いというわけではなく、赤石岳に登りたくて登っているのだと思うし、一番好きな山であるからだと思うが、もう一つの理由が、赤石岳の山頂からの富士山の眺めが素晴らしいことだと思う。
だが、何度も登っていても赤石岳の山頂から必ず富士山が眺められるとは限らないし、そうそうそういうわけにはいかないのだ。というか、このことに気が付いたのは何度も何度も赤石岳の山頂に立ってからだった。
赤石岳の山頂は結構広く、画角を広くとって赤石岳の山頂一帯を画面におさめ、富士山をうんと遠くの方に突き飛ばして撮ったような「絵」が案外好きだ。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/21(Sat) 19:32 No.1000

山恋=やまごい
なぜ人は山に登るのか。理解できない方からはさんざんにたたかれますが、自己責任ですのでご容赦のほどを。危険なことはどこでも同じです。山なんかは安全な方ですよ。それほど他人に迷惑がかからないなら、その人の死に場所くらいどこでもいいではないですか。
少し言い過ぎましたかね。恋することでは死ぬこともあるのでしたね。性愛というものには死のイメージがまとわりつきます。カマキリの♂は交尾した後、その相手の♀に食べられてしまうのです。
山に恋をして死ぬこともあるのです。ですがご安心を、ほとんどの人は生きて帰ってきます。山恋は禁断の語である割にはよく使います。私などもよく使いました。でも30年ぶりくらいかな、使ったのは。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/22(Sun) 10:37 No.1001

山岳遭難記
一時期よく読みました。熱心に山に登っていたころです。ほぼすべてが遭難死を扱った話で、これらを集めたものです。登山のためにこれ以上役に立つ本はないのではないかという風にも思っていたのです。
やがて私は関心をなくしこういうジャンルは読まなくなってしまったのですが、それはたぶん、山での遭難というものがそれほどたくさんあるわけではない、ということに気がついてからです。
われわれはごく普通の当たり前のものにはなかなか、案外、意外に、見えないものです。普通ではないものに心が魅かれるのです気になるのです、たぶん。他人の不幸は蜜の味、か?
山岳遭難というものはそうそう起こるものではありません。ですが、起こるときには起こってしまうものでもあります。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/23(Mon) 18:01 No.1002

ル・マンLe Mans
Le Mont Blancはモンブラン、アルプスの最高峰、訳すと白い山、leは定冠詞。monotは山、blancが白。
ル・マンはパリの西南西200kmにある都市、人口が34万人弱。ローマ時代からの古い都市だが、現在は工業都市。藤枝も東京から南西に200q。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/23(Mon) 18:21 No.1003

赤石岳ナウ
今朝NHKのBS,あさ0745の山番組を見ました、赤石岳の山頂には有人小屋が今はあるのですね。オイシイコーヒーが頂けるようです。
そういえば先週金曜日には千枚小屋でも何か、荒川小屋ではラーメン、さらに本日は小屋の名前が出なかったが、百闢エ小屋(今は呼称が違うのか)では揚げたてのとんかつののったかつ丼が提供されていた。
ただ、南アルプスではとんかつを揚げる「のどかさ」があるんだそうですから、このことはまだまだ南は登山者の絶対数が少ないのでしょう。
私が登っていたのは30年以上前の大昔ですから、目の前のTVの画面の光景が信じられないのですが、食事を出すとおおぴらには行っていなかったけれど、30年以上前にも希望者には出していたのかもしれませんね。
1970年の9月上旬だったかと思うが、信濃側から大沢岳から出ている尾根を登っていた時、下山する百闢エ小屋の管理人さんとすれ違った。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/24(Tue) 07:29 No.1004

習い事
今の子供たちがどれくらいしているか知らないが、私が子供の頃には習い事をしている子供は身近にはいなかった。
少し年長になっても塾や予備校にもいかなかった。学校以外のこの類の所には一切ご縁がなかった。
まあ、考えもなしに他人のお世話にならなくてよかったとは思うが、一抹の寂しさみたいなものがないわけじゃあない。
まあ、何でも自分で選択し自分で切り開いてきたと言えればいいのだが、そこまでたくましかったわけではなさそうだ。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/26(Thu) 19:50 No.1005

ラムネ
これが滅亡、だって? レモネード、なんだったっけ?
もうずいぶん前だけれど平城宮址で売ってて、飲みました。朱雀門が復元された頃かな。いや、まだできていなかったか。
京都・奈良間の近鉄特急の乗車率がとんでもなく低いんだって。昔はケチって特急には乗らず、急行で我慢した。急行だってさほど遅いわけではない。特急は贅沢な感じがするので、乗るときは特急券の料金分くらいドキドキしたものだ。
写真館も絶滅危惧種だって、まあ私も写真館で撮ってもらったことはないかも。アルバム制作の世話役はやったけれど。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/26(Thu) 20:02 No.1006

茶臼岳と光岳
今日はここだったが、その前の聖岳の後編が見れなかった。聖平小屋の場面が見れなかった。
茶臼小屋も、何と光小屋にも管理人がいて食事などが出るのだね。2018年の製作の番組の再放送だけれど。
茶臼小屋が今建っている場所は空き地だった時期があり、そこにテントを張って泊ったぞ、私は。
隣のテントのパーティーも学生だったようだが、ポリタンにWASSER(Aはウムラウトの付いたA)と書いていたヤツがいた。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/28(Sat) 20:50 No.1007

暑くなってしまったが
運悪く屋外での作業をやらなくてはならなくなった。いい加減嫌になってしまったが、もう少しで終わるから、我慢してやってしまおうと頑張ったが、どうしても仕事の質は荒くなってくる。
夕方が室内では案外暑い。グダグダとやっていてもぐだぐだと汗が出てくる。摂氏33.7度である。去年暑いと思ったのと同じ室温ではないか。今年に関しては、静岡は案外気温が上がってはいないように思う。今日くらいが最高かもしれない。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/29(Sun) 18:21 No.1008

どういう数字が欲しいか?
ワクチン接種者の人数→分母
うち副反応のあった人→分子、うち接種後重篤な症状の出た人→分子
うちコロナに感染して症状の出た人、うちコロナにより死亡した人→分子
こういう数字が明らかにされれば、おそらくワクチン接種がさほどの危険性がないことが、数字的にははっきりするのではないか。なにかわざわざ意地悪をして教えてくれないような気がするのだけれど、違うか?簡単に見えるところを教えてください。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/08/31(Tue) 15:00 No.1009

今朝のNHKBSの山番組は塩見岳
南側の三伏峠から登る。私は塩見には一度だけ登っている。北側から登って南側の三伏峠に下った。
塩見岳の山頂に近いあたりは岩稜帯でなかなか険しいし、鎖も付いてはいない。しかし、昔登った、というよりもこの岩稜帯を下ったのだが、さほど大変だと思った記憶はない。塩見小屋から三伏峠までが長いなあという記憶はある。
今だったら塩見岳の登り下りは、私には不可能だろうと思った。三伏峠から下まで降りるのもまたかなり大変だった。疲労も蓄積していたんだろうか。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/09/02(Thu) 18:22 No.1010

相変わらずNHKBSの、朝の山番組
高峰からの展望が楽しめない私
今朝は間ノ岳でした。最近の再測量で3190mとなって奥穂高岳と同標高の日本第3位の高峰。
今日の番組で向こう側に煮えた北岳3192mは日本第2位。ここから富士山も見える。
ただ、私は高峰に登ってそこからの眺めを楽しむという楽しみ方をあまり楽しんだ記憶がない方なのだ。
そう、運がよくないと見えないのだ。そういう場合でも今自分が踏みしめている「この山」は見える。こういう記憶の方が印象的だった。
こういう私でも、富士山と槍ヶ岳はすぐにその山だということがわかって楽しめるのがよい。悔しいけれど、私の好む赤石岳は遠くからだと、ぱっと見にはわからない。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/09/02(Thu) 18:38 No.1011

ハムフェアはどうなるのかな?
ブースを開くかどうか、ということが問題というか、関心、開けるか否か、などと言う問題になっているように見えます。
無責任に放言はしませんが、全体については意見は差し控えますが、私も(ささやかながら関わっている)QRLCについては「ブースはやめましょ」という側に手を上げるのかな。原稿は出してありますし、その私の記事が掲載されることは確実ですが。昨年に続き2年連続でオンライン発行(という呼び方になるのかな)。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/09/03(Fri) 18:26 No.1012

釘まき
ちょっと気になったものですから、一言、ここに。
今はやっていませんが、私がよく散歩をしていたころ、散歩ですからウオーキングともいえますが、舗装された道路上に釘がたくさん落ちていたことがあります。錆釘ではなく、新品にも見えるピカピカんp釘です。3センチくらいかな、一寸釘ですかね、危ないから拾いましたが、その後それをどう処分したのだったかな。そこの部分は憶えていないが。フツーの量ではなかったような記憶が。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/09/03(Fri) 19:42 No.1013

しつこくて申し訳ありませんが
ワクチン接種に尽力とか、ワクチンの早期接種に功績とか、書かれておりますが、そういう内閣=首相への評価には納得しかねます。
当初の予定では私どもの年年齢層に対してはは2月下旬というアナウンスだったのですが、実際接種できたのは8月9月でした。半年近くも遅れていましたが、記憶力は何とか保たないといけません。
私どもは2月下旬接種予定、と言いましたが、こういう予定だと、こういう見込みであったならば、9月までにはもうすべての人々に対する接種は終わっていたのではありませんか???


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/09/04(Sat) 19:57 No.1014

万能な人間はそうそういない
から、それを補佐する有能な人間が必要だということがわかっていないと、今の時代のほとんどすべては駄目になってしまうのだろう。
考えてみれば、「今」だけではなく、そのほとんどの場合は、昔もそうであったのだ。
一人で有能な人間になれる者はほとんでいないだろう。多くの人が盛り上げてくれるような人か、あるいは多くの人を自分の手足のように使いこなせる人でなければ無理なのだろう。
また、これらは何事も優雅に(=狡賢く)行わなければならなかったのだ。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/09/04(Sat) 20:08 No.1015

登山は自分としてはせいいっぱいやれた
したがって、もう思い残すことはない。過去の輝かしい、と勝手に思っていることだけで十分なのだ。
今はもう山には登らない。それはかなり賢明な私の選択なのだ。30年位前にはまだこういうことまでは考えてはいなかったが、そろそろやめようとは思っていたし、やめた方がいいのだろうとは思っていた。別の言い方をすると、もう十分やった、という気持ちに近かった。
で、登山とは別のことをしっかり始めるのだ、とも思っていた。


Re: もう登らない山 投稿者:JG2REJ 投稿日:2021/09/10(Fri) 20:11 No.1016

もう吸わないタバコ
やめてからもうかなり年数が経過しました。他にもあまり褒められはしない習慣で、嗜んでいても強い意志でやめようと思ってやめたものは結構ありますね。
今はあの紫煙の煙も、においも、そのにおいのくささも、たいへん苦手になっています。私のにおいセンサーは煙草に関しては敏感で、感知したら極力回避する行動に移るよう促します。
ですが、恐ろしいもので、ふと喫煙の心地よかった感覚が瞬間的には、脳内によみがえってくることがたまにあります。ある種の薬物の恐ろしい中毒作用はそうそう簡単には完治しないのですね。
まあ、とにかく喫煙者でない人間がいる、その同じ場所では喫煙はしてほしくなないですね。
たばこ税を納税しているから喫煙者の立場を認めろ、という気持ちはわからないこともありませんが、理解を得ることは無理のような気がします。


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