笊ヶ岳
「危険な」タイトルにしてしまった
笊ヶ岳という山を地形図上で改めて確認したけれど、静岡県の最北端3000m峰の間ノ岳から真っすぐに南下する稜線上の2629mの山だ。間ノ岳から笊ヶまでの距離のその2倍以上の長さの稜線が、さらに南下して行って、それとともに次第に標高を低くしていき、最後は静岡浅間神社の山をすとんと下りるとそこで平野部となる。
山は非日常的な場所なので、こういう地味な(と私は思うが)山はどちらかというと、私は好みではない。山そのもののイメージはそうなんだが、浅間さんから静岡の市街地を縦断して、大浜海岸に至れば3000mから海抜0mまで歩き通してきたことになる。
こういうことを考えると、というか妄想すると、こういうのも面白いかなあと思う。考えたこともなかったのだが、実際に登ることができなくなってからでも、「登山」は楽しめます、じゃあない、愉しめます。
スポーツはスポーツだけということでは
やっていけないのかな。やっていけないのだろうね。はたから見ていると、そういうふうに見えてしまいます。
まあ、それはどんな分野でも同じようなもの、似たようなもの、なのだろうが、お金の使い方、それも元々は自分たちのお金ではなく、人様からのお金の使い方、が本当に真っ当な使い方なのかどうか、ということが問われている。問われているのだから、今すぐでなくともいいとは思うが、何かの形で応えなくてはならないものだろうね。
HAMもHAMだけでやっていければいいな、と真剣に思ったよ。でもそうはいかないだろうけれどね。しかし、みっともない形で何かにぶら下がって生きていくのは嫌だな、とは思う。
手作りに対する低評価
確かに大量生産の工業製品は、高性能であるし、加工の精度はいいし、ということは見栄えが当然いいし、それでいて納得の価格(か、どうかはそう簡単には決められないが)で、まあ、こういうものを基本的には生活に必要なものとして使っている。
「手作り」ということは今の時代、一般的ではなくなってきているので、傍流のものに成り下がってしまった。そういう中で手作りのものが蔑まれたり貶められたりする場合さえある。その手作りをした人物に低い評価をすることや、人格の否定までしでかす、そういう勘違いヤローも出現する。
手の技を失ってしまうと、またそうなって少しもかまわないという考えが広まるならば、何かたいへんなことが(しかも悪いこと)が起こりそうな気がする。
無花果の苗を植えた
去年2本植えて成長しました。小さいけれど実もなりました。
味を占めて、今年も2本苗を買って植えて、片方はすぐに芽が出て葉も開いたのですが、もう片方が頑固に芽を出しません。根付かなかったのかなと思ってあきらめていたのですが、今日何とか芽が出ているを見つけ、喜んでいます。
実は静岡コンテストで自作品を使用
しました。
自作品はアンテナ同軸切替器です。3.5MHzと28MHzの同軸をIC7800のすぐ後ろまでもってきて、同軸切替器につなぎ、両バンドを運用しました。
自分で作っておきながら、一抹の不安はあったわけですが、SBEさんも使っていただいて、大丈夫だろうとは思っておりました。大丈夫でした。結果は既にここに書きましたとおり。コンテスト委員会の方にも受領していただきました。
2個作ってありますので、2個目の方も使うようにして見ようと思います。
こういうものを自作しても買ってくれる人はいないでしょうね。ですから私も売る気にはなれません。材料費の元が取れないでしょうから。ですすから、こういうものが使えるのは製作者だけ、だろうなあ。
天気予報が難しい
この先難しい、のかな?
いろいろときっちりした予定が立てられません。まあ、しょうがないですね。
世の中で一番疑問に思うのが霊能者
とか、呼ばれるのか、自らそう主張しているのか、という方々です。何のエビィデンスもないのになぜあそこまで言い張るのでしょうか。
裏返せば今の時代の科学がそこまでの力がないからなのでしょうが、それをいいことにテキトー過ぎる無責任の駄弁を垂れ流します。
でもまあ私がそう思っているだけで、私のようには思わない方々も一定数いらっしゃるから、こういう方々も存在しているのだということかと思います。
恥ずかしながらわが身自身の中にも、こういう無知蒙昧な迷信や不勉強で理解することが追い付いていかない不甲斐なさがまぎれもなく存在します。そういう隙間をついて間違っているものが、近づいてくるようにも感じます。
降る雨や昭和は遠く
なりにけり、というのは「降る雪や明治は遠くなりにけり」の下手なもじりです。身の回りに昭和的なものが少なくなっていくものですから、ある場合には「昭和の時代はよかった」でしょうし、また逆の場合は「ひどい時代だった」となるでしょうが。
実際の生活面で言えば、令和の今と比べれならば、昭和は貧しく暗く寒い時代だったと言わざるをえません。もちろん戦後生まれの私の実感ですよ。ひどい時代だったとまでは言えませんが、夜はまだまだ暗かったし物質的には貧しかったと思います。暗かったものですから夜は星がよく見えました。山の中で目を覚ますと星がきれいで、それは晴天であることを示してもくれていました。それから誰もが貧しかったような気もします。冬の朝は寒かったのですが、今は寒くはないですね。温暖化ということでしょうか。一方では多雨の傾向が近年顕著ですが、多雨は氷河期の到来の前触れだとも聞きました。
黒法師岳
登ったことはありませんし、登ろうと思ったこともありません。登りたいなあと思う山とそうではない山があります。
南アルプス主峰の山々自体がたいへんな山ですから、それより注目度の低い前衛の山々には登る機会はなかったですね。主家に注目度が低いから難易度も高いので、よっぽどのぼってみたいという気持ちが強くならないと結果的には縁のなかった山になってしまうのかな。
小学5年生で
もう学校教育を諦めた、というような話について。
そうですねえ、真剣に考え、真剣に行動したなら、そういうこともあるかもしれませんねえ。
確かに、私にもそういう部分はあったかもしれません。小学生と言えども一生懸命学んだことについては、学校というか先生方というか、そういう存在の上に行ってしまう場合もありますしね。あ、こういうことは自分でやっていけばいいのだ、学校なんかに頼るべきことではない、とまあ、年少者ではあっても気が付く場合はあるのです。
一方では学年が進むに従って次々に新たな課題も出ては来るのです。そういう中で、昔の勉強の足りなかった、自分の無様さもさらけ出されてきます。しかし、高度な段階へと進んでいると、そうおいそれとその足りない部分を糊塗しようともなかなかなかできなかったりします。
アリストテレスも言ううように人間は社会的な(正確にはポリル的な)動物ですから、年齢が高じてくるとそれなりの悟りが必要となり、自分のできることとできないこととの兼ね合い、というか調整、もしくは妥協というものが求められてきます。現実的な進路、生き方が求められ、それに沿って動くようになります。
まあ、他の方はどうなのでしょうか。しかし、そうそう他の方々のことまでは考えが及ばないのですね。
ポリス的
でした。ポリスは古代ギリシアの都市国家のことで、ポリティックス=政治、などの語源なのかな。
アリストテレスの「師匠」のプラトンの著作で読みたいものが、手元には何冊かあるが読めていない。
プラトンは数学者でもあったが、このレベルの数学は今は小中の学校で学ぶのかな。
古代オリンピックに起源のある近代オリンピックはどうなるのかな。ただのメダルの取りっこではレベルが低くはないのかな。
魅力ある女性とは
最近おめでたい話題で知られる女性たちだが、昔の人間である私から見ると、どれもみんな同じに見える、なんてことは思わない。みなさんそれぞれ個性的で魅力的だとは思います。
ただ、個性的なという方が先で、次に魅力的という語をつけたい女性が多いのかな。昔は、とにかく魅力的が何よりも重要で、個性的などと言う要素はずっとずっと後の方の項目だったような、そんな気がする。
たぶん、今の時代の方が真っ当なんだろうな。フツーなんだろうな。私は古い人間だということはよくわかる。あくまでも一個人の感想です。
10代20代のTV視聴が
この世代の半分、とありましたが、まだ半分は見ている、ということなのでしょうか?
読んでみると、若者はTV(の生番組)を見ていないという方向に文章が続いていましたが、正確さがよく出ていない見出しですね。
私はもちろん若者ではありませんが、TVは見ませんね。ドラマは見ませんし、少し前までは見ていた(と思う)朝の情報番組も見なくなっていました。光TVの海外のドラマもCSIが面白かったのですが、今は再放送ばかりのようで(それも3〜4回目?)見ていません。
今、確実に見ているのは朝の0653朝日TVの林先生の言葉教室?と、その後の天気予報だけなのかなあ?この局は静岡もポイントとして扱っているので見ているのですが、逆に公共放送の静岡の予報では役に立ちにくいですね。全国の状況が要領よくわかるので、0700まで見て、NHKにしてニュースの冒頭数分、特に見出し(字幕?)だけ見て、ここでふつうOFFですので、合計10分間くらいでしょうか。
ニュースはnetで好き勝手に見ています。スポーツニュース以外の興味のあるものの場合は深堀ができる場合もありますので楽しんでいます。たまには自分からもしゃべってみたいことがありますので、「ここ」を使わせていただいています。小声で言うだけでいいので。
蛇は飼いませんが
昔、我が家にはアオダイショウが土蔵に棲みついておりました。さすがに長く、ということは大きくもあり、ヌシという感じだったでしょうか。燕の巣作りの季節には母屋に侵入することがたびたびありました。梅の木に長々と身を絡ませというか横たわりというか、そういう姿を記憶しています。梅の木は移植されて今も別の場所にありますが、アオダイショウは今はいないようです。
蛇は水辺にいる場合が多いようで、水神とも考えられさらに天に昇れば竜神になれます。
周辺の水辺にはヤマカガシが多数生息しています。近年になって毒蛇であることが判明したということですが、昔は無毒とされていたので、蛇にはまだまだ怪しいところがあるのですね。
そうそう、例のニシキヘビは専門家の考えていた通り屋根裏でしたね。蛇の道はヘビ、とか言うんじゃあなかったですか。
レストアで行き返る古い自動車
残念ながら、海外、フランスでのお話し。日本は**なことに古い車には重い税が課せられる、信じがたい非道で恐ろしい国(茶化しているだけですので)です。私も数年前にはこのことで重い過酷な税金に苦しみ苦痛に耐え忍びながら税を払っておりました(また茶化してはいますが、本質的には事実でしょう)。
パリの工芸博物館にはキュニョーの「蒸気自動車」が展示してあります。少年の頃に見た雑誌か何かの写真にあったのを忘れずに、ここを訪れました。しかも2回。
案外想像していたよりも大きく、大きな釜(罐だな)目立ちます。アリの怪物のようでした。
外食ゼロ
でずっと暮らしていますね。もともと外食はしない習慣の家庭ですし、外のお店のものでもピザの出前くらいですね、ごくごくたまに。
飲むのは外でなくては、などともまったくありません。家飲みが一番です。焼酎を炭酸水で割ったのはハイボールと呼んでもいいのでしょうか。これも外で飲む得体のしれないショーチューの炭酸水割よりも確かです。外で飲むののいいところは銘柄の指定ができて、ふだん家庭では飲めない銘柄が飲めるところくらいでしょうか。
でもまあ、いずれ外でも飲めるようになるといいのだがなあ、という気がしないわけではありません。ですが、焦る気持ちはゼロですね。
京丸山
またもや遭難ですか。私は京丸山には登ったことはありませんが、近くのアカヤシオ、シロヤシオで知られた岩嶽山には何度か登りました。
花の季節には結構登る人が多い山です。一人で登ればあっという間に登れてしまう山ですが、危険なところもない山ですので、子供2人、まだ幼い時に連れて登りました。
彼らを休ませておいてお菓子を食べさせ、私はその周辺の写真を撮っていたのですが、大勢の登山者たちから白い目で見られてしまいました。街中なら物騒で怖いでしょうが、山の中ならそういうこともないでしょ、とは思いましたが、まあ事を荒立ててもいけませんので、なにやかや言い訳をして下山したのでした。
なお、京丸山はこの岩嶽山とは違う山です。誤解している方がいるようです。
ヒマワリの種子
を間違って買ってしまった。何かの間違いだろうと発送元に電話して、誤配ではないかと調べてもらったのだが、ちゃんと注文書に注文した事実が書かれていたらしい。
何かこういうことを未然に防ぐ工夫が必要だ。
それからヒマワリの種子をどこに蒔くか、越年させると発芽率も下がるらしいし。
再設定が面倒になるから
緊急用のブレーキを解除してあった。これでは
緊急用のブレーキではなくなってしまう。
本末転倒というのは意外にある。それは人間のいい加減さ、たぶん自分は感染しないという根拠のない自信も、これと同じだろう。
しかし、そうはいっても人間はこれを繰り返しそうな、そういう馬鹿な存在でもあるような気がする。
うっかり火傷
をしてしまった。燃えた樹脂がぽとりと脚の膝上に落ちてきて。
8ミリ×8ミリくらいの火傷の傷だが、何度ノ火傷?というのかまではわからない。原因は何か。ここではお話しできませんので、機械があればアイボールで〜
単独登山
山の用語では「単独行」とも言うんだが。ドイツ語にもある語で、男性と女性では違う用語。
やはり単独行は遭難した場合、危険度が高いですね。私は登山のセオリーに忠実で単独行はほぼしませんでした。
たぶん本格的な山で単独行は一度だけだったと思います。その時にたまたま油断していて滑って沢に落ちまして、危うく山の中で水死するところでした(半分くらい冗談ですが)。
遭難防止のために電話級の免許を取得しました。1981年でしたね。1988年にはもっぱらHAMの方に転向して山の方は「卒業」しました。電離層は山よりも高くて魅力的ですから。←?
Y野屋の牛丼
だと思いますが、たぶん1971年、練馬区江古田の、近くに音大があり、富士講のミニ富士山もあり、私の行きつけの古本屋もあった「市場」のなかにあった店ですが、ここで初めて牛丼を食べました。
市場はなくなってしまったようですし、古本屋さんもなくなってしまったようです。
牛丼を食べたのは後にも先にもこの1回だけ。基本外食はしない私です。それよりも忘れられないのは高田馬場駅前の食堂でカレーライスのお皿の隅の方に千切りキャベツが載っていて、カレーとキャベツの相性がよくて驚いたことが印象的でした。
今でもカレーにはキャベツを載せて食べます。テーブルの上にキャベツがあれば、ですが。外食の思い出など、ほとんどない私です。
なくなってしまったお店
昭和40年代以前、八百屋とか豆腐屋、醬油屋(醸造業)、籠屋に桶屋なんてありましたね。今はないけれど。
小間物屋、氷屋、魚屋に酒屋もいつの間にかなくなった。駄菓子屋、もちろんない。床屋さんはあるけれど私はいかない。文房具屋さんも、なくなってしまう?仕出し屋さんもない?麹屋、縄屋、鍛冶屋、当然ない。
暑い季節には「氷」の旗を掲げていたかき氷屋、この店なぜか「筵=むしろ屋」と呼んでいた。どちらかというと寒い季節だったのかもしれないお好み焼きのお店、「蛇=へーび屋」と読んでいたか?おでん屋、とはいっても駄菓子屋でやっていた。心太=ところてん、も。煙草屋には今は行かないが、まだあるのか?
みんなみんななくなってしまった。あるいは、なくなってしまうのか。
昭和と今と比較して
どちらが幸せか?
何をもって測るかにもよりますが、私個人は今の方が幸せと感じます。
昭和の時代は夢はあったけれど、現実は貧しかったですよ。そういう現実を知らない方は知らないものだから、そのころみんなが描いた夢の方を見ていい時代だったのでは?と思うだけなのですよ。
今の時代にごく当たり前にある、便利なものおいしいもの楽しいもののほとんどがなかったのですよ。まあ、やがてそういうものが得られる時代を期待する気持ちは山のようにあったとは思いますけれどね。
今の人間は便利で当たり前、衣食住に困らなくて当たり前と思っていますが、それが当たり前ではなかったのが昭和の時代ですよ。お金そのものがそうそうなかったし、お金を稼ぐのも今の時代よりもはるかに大変だったのです。
今の時代を豊かにしたければどこかの誰かさんに期待しても駄目、あなた自身にしかそれをやれる人はいないのではないですか?だいたい何十年も昔の日本と今の時代の日本を比較して何になりますか。何にもならないでしょう?
21MHzのDP
東西方向に張ったのですが、焼津方向に傾斜している張り方になってしまいました。給電点が12mHくらいです。
キットではなく自作ということで。バランはサガのBL40X、エレメントはアンテナ用のビニール被覆編線です。
JA2AQRとの交信では了解度が高かったのですが、逆に言えばそれまではDX向きのEU方向向きの」アンテナではよく聞こえなかったのでしょう。
本当は7MHzのフルサイズを張って21MHzでも使えるようにしようと思ったのですが、長いエレメントを扱うのが嫌になって21MHzモノバンドにしました。
さらに言えば、インバーテッドV=IVVにしたかったのですが、支柱を立てるのがなかなか大変そうで、DPにしてしまいました。
21MHzのDP続
SWRのカーブ、といってもそういうカーブそのものを見られるわけではありませんが、まあRFアナライザーMFJ259,1996年購入のもの、これでメーターの振れを見てのことです。
雨の影響があるかな、と単純に考えて計測してみたのですが、低い方にずれていました。晴れてアンテナが乾いてから測って元に戻っていればいいだけの話かもしれませんが。
昨日は〜21.450までSWR=1.5以下に収まっていましたが、今朝は〜21.375までになっていて21.375〜21.450が使いにくくなったということですね。
21MHzのDP続々
雨が小降りになってから、SWRを測りなおしたら前の状態に戻っていました。やれやれ。
次の課題は、今東西にエレメントを張っているが、南東・北西にエレメントを張りなおすことかな。同軸ももう少し長いものが必要となるけれど。
ヒトに危害を与える動物
一年間に何人のヒトを死なせるか
1位 蚊 830,000.
2位 人 580,000.
3位 蛇 60,000.
4位 蠅 24,200.*サシチョウバエ
5位 犬 17,400.
以下略
刺される虫、私の場合
1蚊 これが一番多い、痒い
2蜂 昔はたまーに刺された
3虻 同上
4百足 めったに刺されない
5蟻 同上
6電気虫 昔はよく刺されたが最近はない
7猫 月に何回か噛まれるが甘噛み、月に何度か引っ搔かれるがさほどの傷にはならない。
身近にいる危険動物、私の場合
1ヤマカガシ 猛毒があるとのこと、個体数もたいへん多い
2キクガシラコウモリ 大丈夫ですかねえ?
3飼育していた危険動物 管理をよろしく
4寄生虫の中間宿主 アナサキスとか
小赤石岳
去年の冬山で滑落して遭難死なのでしょうか。
コースは椹島から赤石岳を目指すものでしょうか。傾斜はきついですが最短雄コースです。
赤石小屋から少し登ると富士見平に出ます。真正面に赤石岳と小赤石岳が眺められて圧巻の見事さです。
積雪期は小赤石岳に続く稜線を小赤石岳を目指して登ります。
夏山の時期には向かって左側の山腹を捲く(トラバースする)コースとなります。カールの底を左に横断して、赤石岳と小赤石岳の中間にあるピークから降りてくる尾根にからんで登ります。ここもぐんぐん高度が稼げます。
主稜線に出たら右に向かえば小赤石岳、左が赤石岳です。
話しが富士見平に戻りますが、ここから眺めると赤石と小赤石その間の尾根、尾根で分けられた両側のカールが見事です。赤石岳というのがあるというよりも、赤石岳と小赤石岳がどっしりとそこにあるのだと思います。双耳峰(ツインピーク)とも私は思うのですが、そう言う人はあまりいませんね。
赤石山脈というだけのことはある素晴らしい山容です。
関ハムコンテスト
宮崎コンテスト
夜になって3.5MHzで4局交信。しかし、上の方、中華ドラゴンがひどい。
JA0と神奈川コンテスト
昼間21/28MHzを聞くもののさっぱりでした。
ビールを飲んだけれど
あまりおいしくはなかった今晩。おいしくなくなったので焼酎乙類にしたのだけれど、ビールに戻るなどと言うことはまったく考えられない。まあ嗜好品ですからいいと思うものを飲めばいいのですよね。飲んでも呑まれるな。
ラジオ
といっても、ラジオなのですが、何年ぶりかで、電源を繋ぎSWを入れてみましたが、うむ、聞こえない、しばらくいじるが、駄目になってしまったかな、と思っていたら、ふいに聞こえてきた。生き返ったような気がしたが、単なる同調の操作の問題なのか。
今朝も聞いています。
100周年
2024年が将棋連盟の100周年だそうです。
JARLももうじき100周年ではないですか。2028年、かな。
ちなみに私は将棋も囲碁も、もちろん麻雀もまったくわかりません。陣取りゲームみたいなものですか。だとしたら私の一番性に合わないのだ。
というよりゲーム全般・勝負事全般が興味なしなのだ。
ラジオ2
外部アンテナを付けてみようか、などという方向へ行ってしまう。そういう傾向のある私。放送の中身にはあまり興味が向かないのだ。
もっとも文化放送のある番組を聴く必要があって、何かいろいろ工夫した時期があった気がする。放送の中身が大切であって、聴取・受信の工夫の方は憶えていないなあ。
外部アンテナとは平行フィーダを使って、確か、タブレットを製作すればいいのだったか?ループアンテナの方がいいのかな?
ラジオ3
タブレットはFM放送用か。300÷80=3.75で、1/2波長のDPだから1.875mくらいでいいのか?待て、平行フィーダを使うということは、フォールデッドDPなのだから〜
ループアンテナのぐるぐる巻きは中波放送用でしたね。
などと空想することで終わってしまい、その先になかなかいかないことが多い。
ラジオ4
BCLラジオとも言われたらしいクーガー115である。SWが3バンドに分かれている。BCLとは和製英語のようでSWLのことらしい。
だが、このラジオのSWは聞こえないようだ。MWは1400近くの地元局が聞こえるがちょっと感度が悪いようにもにも思う。FMはいいんじゃあないかとは思うが、感じとしては頼りない気もする。
BCLブームの真っただ中の1975年製らしい。私もこの頃スカイセンサーの5500を持っていた。その前に5400というのも使っていたが、やや無理して5500にしたような気がする。
結局これらはSWLに使ったことがなかったような気がする。これらを使う前には中波放送専用のトランスレス5球スーパーヘテロダインだった。球はもちろんMT管だったが、案外あの怪しげな赤い光が懐かしい。
クーガー115(RF1150)は頂き物で2003年以来シャックにある。
要領が悪い話でSRI。
竜爪山
普通のコースで10回くらいは登ったでしょうか。普通のコースなら特別の危険はありません。
戦前は「弾除けの神」としてたいへんにぎわったお宮さんです。今は社殿はなくなってしまっています。
転落とか滑落とあったかと思いますが、沢登りのコースだったのでしょうか。
なお捜索の費用というものは必要となる場合もありませので、山岳保険というものに入っておくほうがいいでしょう。登山という夜の世間でのイメージよりは危険性の低いスポーツですから案外掛け金は安かったのですが、最近の事情は知りません。年齢にもよる金額の違いもあるのかな。