8月もレターパックで
1日、つまり今日です。QSLカードが来ました。2エリアだから7月中に来るはずなんだが、まあいいでしょう。もっと遅くなるのかと心配しました。
しかし、暑くて何もできず
レターパックを開けた、それはいいのだが、カードまで見ようとする気なし。
というか、受け身的にTVで映画を見るくらいしか、これがやっと。
半袖ジャケット
昔流行したよ。私も品が良さそうなのを1着持っていて、案外この時代は衣類が安くはなかった。
が、その値段くらいには活躍させた。クールビズということで「表側の服装」として十分通用した。
ただ、着ている人はそう多くはなく、そういう点でも私は好んでいた。
大阪の通天閣下の衣料品店でも、かなり安価なのを買い足したことがあった。
青ヶ島の話題
話題の内容は興味はないので、ああだこうだ書くのはやめておきます。
私が気になったのはその女性のことではなく、「青酎」と命名されたこの島特産の「焼酎」のことだけ。
この焼酎ももう趣味にはしていないので、関係ない。
趣味どころか酒類は一切断ったのだった。もうすぐ、そうだなあとひと月くらいで、1年半になる。やめる気になればできる。
自分で自分の心身をそれなりに制御できないのは、できないと思い込んでいるからだと思う。
遭難
報道で見る限り(かどうかは私にはわかっていないが)、水難よりは山岳遭難の方が圧倒的に少ないように見える。
私も長年山に登っていたが(私は40歳代でやめたが、まだまだ登っている方もいるようだ)山の中で一度も遭難や遭難者を見たことがない。
私が卒業してすぐ後輩が滑落する事故を起こした。群馬県のえーとどこだっけ、真田兄の方の城があった、そう、沼田だ。そこの病院まで見舞いに行った。
ドジな私だが一度も死にそうになったりけがを負ったこともなく、山は卒業した。
山中で沢に落ちて水死しそうになったことはあったっけ。たは。
無理をしないで
穂き返したことは何度もありますよ。
20年余山に登っていましたが、引き返したこと、あるいは無理に前に進まなかったこと、何度もありますよ。
確かに、せっかくの休日がもったいない、ひと月も前から楽しみにしていたのに、などと人間はなかなか執念深い生き物のようです。
次の機会を待つ方がいい場合、そこを考えましょう。というか、そこを感じてみましょう。
山を登る時
その山域の「概念図」を描いて、その山域を把握することは、山に登るために必ず行っていた、と思う。
まあ、観光パンフレットとかの地図というものの約束事が守られていないものは、もちろん却下。
ポイントは次の3点かな。@三角形でピーク、頂上、三角点、A@を繋いだ尾根線、BAの線と線の間の、沢筋、川、かな。あと、色々使えそうな目印が必要かな。
志太平野に渇水はない?
まあ、無いはず、ということだけれど、どうなるかはわからない。
大井川の流量を見てみると、あまり多くはないのに気が付くだろう。それでも「大井川本流」ではなく「大井川用水」ということでは、私の実際的に知る、この20年間ばかりは渇水はなかった。
もちろん今年もぐんぐんと勢いよく、田んぼに水を注ぎこんでくれている。
ただ、せっかく大井川用水が順調であるならば、水田1枚当たりの面積をもっと広くして、大井川用水の水を効率的に使えるようにしないと、正直駄目だと考える。水田が効率的な面積の水田であってこそ、大井川用水の「豊かな(かもしれない)」水資源が生きるというものだ。
現在の衣類事情
外に出ることはあまりなく(まあ当たり前)、だからとにかく熱くない衣類。細かいことは書かないが、ここ何日かあまりにも暑いので、半袖の薄手の前開きボタン付きのシャツである。
開襟シャツというのがむかしはあったな。あれもよさそうなのだが、今は流行ってはいないようだ。
ともかく布地がTシャツ類とりも薄く、比較した場合こちらの方が心地よい。
安いTシャツ
基本的に布地が暑いものが多く、暑苦しくてとても着ていられない。一番薄いものでも、前に述べた薄い綿の前開きのシャツにはかなわない。
安価なTシャツ詩か手元にないのだな。
でも一枚だけSousouという京都の縫製の、このしゃれたTシャツは薄手でよいが、色が濃い色系統なので、もっと薄い色がいいとも思う。
外国のお手洗いは汚い
というか、使い方が悪くて、汚れている。
このことについて、パリの場合。
宿・ホテル、さすがに汚れてはいません。
カフェ、だいたいが地下にあります。そんなに汚れてはいない感じでしたが。
美術館・博物館、どちらかというとマイナーな館は来る人が少ないので、〜
王墓のある教会、汚くはないが、ひとつ・一か所しかない。
ルーブル、まあ合格点かな。
ペールラシシェーズ墓地、下の方のはけっこう使い方が荒い。上の方のはなぜか便座がなかった。
モンマルトル墓地、奥手右側のといれは「トルコ式」まあ、イスラム式の水洗式、古めかしいが汚れてはいない。知らないで水を流すと、足が濡れてしまう。墓苑入り口のは入れないように鍵がかかっていた。床が水浸し。
パリ市庁舎向かい側のデパート、トイレが少ないが、お掃除おばさんがいた。チップを払う。
総じて、これは汚い、というところはなかったのだが〜。私の訪れたところがどこも「お上品な」ところだったのか?
トルコ式と呼ばれるトイレ
要するに@水洗式、A男もしゃがんで用を足します。まあB四角い空間が区切られています。
ドバイ空港などにはこのような「小部屋」がずら〜とならんでいるそうです。
Aの「男もしゃがんで」ということがイスラムの男たちは、これが作法なんでしょうね。ムスリムではない私だったら、どうやって使うんだ?ってなりますが、姿勢は問題ないでしょうが、男の場合は、さて。ムスリムだったならしゃがむんでしょうが。
ああ、少し間違えました。このイスラム式トイレは大小共用、また男女共用なんでしょうか。
イスラムの国に行ったことはないので、わからない。
レザーサコッシュ
初めてこんな言葉を使っているが、正しいであろうか。また、以下の文章に問題はないであろうか。
サコッシュとは小型、それも超小型の肩掛けカバンのことである。財布などの持ち物が減って、少ない持ち物で済むようになったから、スコッシュというものが注目されるようになった。
こんなの自分には関係ないな、と思っていた私だったが、ふいに思い出した。皮革製の「スコッシュ」を持っていたっけ。
もっとも「パスポート入れ」と思って、またそう呼んでいたものなのだが、まさしく今話題のサコッシュである。
しかし悲しいことに、完全にどこかに行ってしまい、探そうとしても無理だろう、という状態である。
それに今の私の生活でもこのサコッシュは小さ過ぎてしまうのだ。
モンマルトルのトルコ式トイレ
便所、とか、御不浄、などという言葉はすっかり影をひそめてしまった現在。
トイレ、なる言葉が使われているが、この中途半端は省略語、はちょっとイラつくこともある。
お手洗い、というやや古めかしいかもしれない語がきらいではない。ここに入っても手を洗わないで出て行ってしまう人も多いが、からん、というのかな、昔の便所の外にぶら下がっていた手洗い用水タンクや、手洗い用の大きな石、なんていうんだっけ?その近くには手ぬぐい賭けにひらひら揺れる手ぬぐい。昔だねえ。
さて、トルコ式トイレは室内のほとんどがタイル張りの便器である。その外側部分の床もあるが、極めて狭い。この「手洗い」に入れば自動的にこの「大きな便器」に踏み込んでしまうことになる。
この便器の中央羽くぼんでいて、ここから周辺に向かってスロープになっている。
繰り返すが排出物は中央の穴に向かって流れるようになっている。
さて、流しましょう。西洋式の便器とは違い、ある程度の広い面積があるから、水量が多くないといけない。
便器内に建ったりしゃがんだままではなく、足を便器内から外へ筒して水洗の紐、あるいは鎖を引く。
アマチュアの裏側には
しっかりと利権、というかプロの世界が。
これを批判するのか?
そんな批判はしませんよ。私もそこまで**ではありません。
ただ、何か、こう、しっくりとはこないんだな。この気持ちは否定できないな。
結局、だれが主役なの?いや、だれじゃあないな、どういう人間たちが主役となるべきなの?
私は部外者だからこの問題に、もちろん直接的な興味関心はない。だが〜
やっぱりお年寄りの登山は
自動車の運転と同じとは言わないが、似たような部分はある。似たような、ではなくても同じような原因に由来する、生命としての宿命でもある、衰えである。
昔は登山中の老人と山中で遭遇することは少なかった。いや、めったになかった。
一例、岩手・秋田の山の中で山菜取りの老人に出会った。向こうの方に「乳頭山」という目立つ山の見える場所である。おひとりで根曲竹(のタケノコ)を採っていた。
この前の年、南アルプス大沢岳へ登る道で、山を下る老人とすれ違った。百闢エの山小屋の管理人であった。重量はわからないがかなりの量の荷を「背負子」に付けていた。
私が記憶する山中の老人とは、この二人だけだったと記憶する。数少ないからこそよく記憶に残っているのだろう。
勝った負けた、はとことん嫌い
勝った負けた、これはたぶんほとんどの者に、あるいは物に、付いて回ってくるものです。
こちら(私)が、勝った負けたはいらないよ、こういうことは嫌いなんだよ、と言ってもしつこく付いてきます。悪い霊に取り付かれているようなものでしょうか。
勝つことはあまりなかった私ですし、勝ち負けは嫌いなので、負けてもそれほど気になることはありませんでした。
だがだが、下手に勝ってしまうと、そのことでいいことは少なく、むしろ悪いことの方が多くなるような気持ちがしました。
勝ったり負けたりすることのない、あるいは勝ったり負けたりしても、そのことをあまり問題にしないことに目を向けるようになったのです。しかし、やはりそういうことは少ないことに気が付きました。ただ、他人と勝ち負けや順位を争わなければいいのだ、とも思うようになっていきました。
年齢的にかなりのところまで来てしまいましたが、まあなんとか目標は達成できたのかな、という自己評価です。
天候の平穏ではなくなってしまうこと
こうなると、人間、なかなか手の下しようがない。
いくら人工的な防護の仕掛けを作ったにしても、被害はなかなか食い止められない。
昔はもっと大変だった、それはその通りだが、今の時代だって昔と比べてそれほど進歩しているわけではない、そういう風にも見える。
ただ、情報の伝達速度は向上したのだろうな。
しかし、こういう部分が発展したとしても、悲しいかな、災害の本質はそう変わっているわけではない。
それどころか、ますます自然災害や、環境の悪化は進んでいるようにさえ思えることがある。
ただ、昔は比較的安全な場所であった地域が、今の時代には危険性が増し、昔は災害常襲の地帯が、今の時代は災害から免れることにもなっていった、か。
舟形屋敷
藤枝市の高洲・大洲地区に見られる住宅敷地の形態からこのように呼ばれます。
洪水常襲地帯であった高洲・大洲では屋敷構えを洪水の襲撃する方向に向けて進んで行くような形のものにする場合が多く見られました。
これを舟形屋敷とか三角屋敷と呼びましたが、多かれ少なかれこの地区の古くからのお宅は、きっちり東西南北の方向を向いていません。
洪水の流れの方向に備えて、その方向に「船の舳先」を向けて、住居を営んでいたのです。
強くなりたければ
よりいっそう( )にならなければならない。( )にもっとも適切な言葉を入れなさい。
@傲慢で他人に嫌われる人 A謙虚で他人に親しみを持たれる人 Bひたすら自分のことを優先し、他人を打ち負かす人
うまく立ち回った人が得をする
それはその通りだと思いますよ。日本の法律も場合によっては「正直者が馬鹿をみる」という部分がありますから。
ただ、がんばって損をしないようにするしかないのではないですか、やっぱり。
「強くなりたければ」の正答
@、それからAとB、どれも正答か。
人の世は複雑怪奇なのだと思う。
メロンパンが?
あまり好みではなかったメロンパンが最近ようやく、嫌いではない、という程度にはなった。
それは一つには、新しく工夫された菓子パンがずらっと並んでいる中に、私は迷子になってしまい、いっぱいある種類の中から何を選べばよいのか、わからなくなってしまうのではないかと思っている。
メロンパンはある程度昔からある、さほどおいしいとは思えないパンなのだが、長い歴史もあるパンなので、何となくそれなりに評価してしまうわけなのだろうな。
なお一番の好みは、フランスパンの堅い塩味だけの棒状のパンです。
理科は社会人には不要という論
こんなことを言い始めたら、なんでもかんでも不要になってしまうよ。
これはある種の陰謀?
理科的な知識や至高が衰えると、恐ろしい大昔の時代に戻ってしまう。
しかしまあ、そこまで今の人類も愚かではない。そう信じたい。
案外、文科系の歴史を学ぶと、このことがよくわかる。
まあ、何時の時代にも人類の進歩を快く思わない人間はいたのだ。