ではないけれど、
今朝狐がいたそうです
我が家の近くに。私は見ませんでしたけれど、今までは遭遇するようなことのなかった野生の獣と、ひょこひょこ出くわすかもしれませんね。一次見かけなくなった鼬(いたち)もいるようですよ。
水田の放棄によって生息環境ができたのかもしれません。
米の増産何て、実際に作りもしない人が、何を勝手なホラ話を無責任に垂れ流すのか。
またもや、動物の話
X様が保護猫仲介業をやっていますので、保護猫の幼猫の世話の仕事が回ってきます。
久々に「小さいの」が我が家に来るようです。X様の専門はうろうろと動き回らないほんとの乳飲み子です。他にも何人か保護猫の世話係はいるのですが、鳥海語で授乳の難しいケースはX様が盗寄りにされているようです。
もっと大きくなると身体面では心配はなくなるのですが、動く回るようになるので、それぞれはそれぞれで厄介なようで、乳飲み子の方が楽だと豪語しています。
授乳をしてしまえば寝てしまうので、そこでやれやれということができるようです。でもまあ幼猫はやはりまだ弱いものですから親猫に代わって養育するのはそれなりのたいへんさがあるようです。
哺乳瓶で飲ませるのですが、なかなか飲まない仔猫もいるものですから、シリンジ(注射器)で飲ませるのが多いのかな。飲ませるではなく呑ませるなのかな。
仲介業はボランティア
であることは言うまでもありません。このチームは長年、よくやっています。運悪く不幸な星の下に生まれてしまった子猫を、何んとか生かし、育て、飼ってくれる方を探し、飼い主になってもらいます。
変な文章になってしまった部分の訂正
育てるのに難しい幼猫の場合、うちのX様の出番になることが多い、という部分が、何か漢字の変換が変になっています。
ひと月以上も
FT8の運用ができなかった。TS590SGのUSBコネクターとその基盤を壊してしまったようだ。
予想外のダメージ、思った以上の出費だった。
帰ってきても、これまた自力では動かせない。設定が動かしてあったようだ。OMの力を借りてようやく動かせるようになった。
すぐにも交信を楽しみたいところだが、なかなか手を付けることができず、2日遅れの本日、ようやく7MHzの国内を見る。やや出ている局が少な目か。
まあ20局ほどで、やめておく。
稲作への援助
今年は何の援助も受けてはいないと思いました。おととしまではジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)防除のスクミノンを買えばいくらか援助があったと思います。去年今年はスクミノンは効かないから買っていません。ということは援助はないです。
休耕田の景観維持のための花などの種を買えば、いくらか安くなります。今年は買ってないから、補助はなしです。
というわけで補助金はゼロです。
例えば捨て猫
は犯罪のようで(ま、当然でしょうが)警察の案件(警察用語は知らないが操作の対象?)にはなっているようですね。動物の虐待ですから当たり前です。
どうすりゃあいいの?という疑問に対して、猫の避妊手術をしてもらうこと、これが答です。生まれた猫の子を全部面倒見るなら、手術はしなくてもいいでしょうが。
生まれたばかりの猫ではなかった
ようで、生まれてから少しは経過している猫のようで、合計6匹、そのうちの♂♀2匹を預っています。ここまで育つと大丈夫なようです。
6匹とも薄茶色のよく見る猫ですが、預っている2匹の片方はアメリカンショートヘア(アメショー)みたいな渦巻き模様があります。その血が入っていることは確かなんでしょうが、mixで当然ノンペディグリーすね。
ですが実際に飼ってみると、同居してみると、雑種猫というのは個性的ですが可愛らしい。飼い主からの影響もあるのかな。
まあ、ともかく飼い主が、それもいい飼い主が早く見つかってくれるといいですね。
ボディバッグ
というものがあって、身体にピッタリ付くように荷物を運べるようだ。昔もベルトで腰のあたりに物入を付ける、何と言ったかなあバッグがあったよね。結構流行ったけれど、私はあまりその気にはなれなかったよ。
背中にぴったりと貼り付くように背負う、薄い、何か走るような場合にはよさそうな背負い具があるけれど、あれもよさそうだ。
ただ、実際はあまり使う機会が無くて、持てあますような予感もしてしまうのが難だ。
猫が家にいます
もちろんすでに何十年がずーっとといるのですが、今お話ししたいのは、我が家を仮の住まいにしている「保護猫」です。このまま我が家に居座られても困る猫です。
ネコ科の大型獣はみんな毛の色というか模様が、まあ同じです。少し例外もありますが、だいたいトラと言えば同じようなトラもう用です。ホワイトタイガー何でいう白っぽいのもいるようですが、まあ同じです。
さて、ところが猫はみんな違う(例外はありますが)、といっていいくらい違うのが猫でしょうね。
今来ている6匹のうちの2匹は、いやいや6匹全部(別の家に4匹います)ですが、薄茶色がベースのいわゆるチャトランです。全部が同じというのは珍しいと言えば珍しいようです。
ですが2匹はまったく同じではなく、濃い系と薄い系の違いがあり、片方(どにはアメショーのような渦巻き文があるように目えます。成猫になれば消えてしまう場合もあるようです。
猫は猫それぞれによって結構個性的で、興味深い生き物です。かわいいかわいい、と言われることが多いのですが、かわいくないなあ、というのもいます。
おいおい水田に裸足で入るのかよ?!
場所にもよるだろうが、人工的にビシッと管理された場所ではないんだがな。
屋外にある何があるのかわからない場所だぞ、水田は。傷でも負ったなら怖いなあ。
正気の沙汰じゃアない、驚くべき所業だ。
家庭排水、どこまで問題のないものなのかなあ。
処理はされてはいると思いますが、農業用水は下水と同居している場合も多いですよ。
鼻があまり効かない私ですが、そういう私でもかぎたくない臭いを感じますぞ。
ひらり、と蜘蛛の糸が〜
洗濯ものを物干に干していると、蜘蛛の糸が踊り、たゆたい、いつしか私の頭に絡みます。
こうなると頭が痒くなります。ふわりと来た小さな蜘蛛が私の頭を齧っているのか(不味いぞ、この頭)あるいはこの蜘蛛の糸そのものが痒み成分でも持っているのか、頭という部分はまあ敏感なので我慢ができなくなってきます。
幸い今の私はすぐに頭を洗えます。まあ、これでおさまって?いるのかな?
米の値段はおととしあたりから
上がってきていた。去年はそれがさらに上がったので、なお一層このことが明瞭になったものだった。
私の生産したコメ(玄米)の価格でこのことを言っていますので、上がったとはいっても生産者=私にとっては去年も一昨年も、あいかわらず赤字であったことは言うまでもありません。
そう、その前の何年かはかなり赤字の幅がひどかったのです。まあ、そうたいした量を売ってしまうわけではなく、資材や肥料を買うためにそれなりに現金が必要です。
案外額が大きくなる支出は農機具、ではなく農業機械というべきですね、これが大きなトラブルに遭うとかなりの出費になってしまいますが、トラブルのない年というのは滅多にありません。
コメ生産者のほとんどは米生産についてはほぼ確定的に赤字経営です。米以外の農産物(野菜果樹)でかろうじて農業収入といえるものがあるという状態が多いのでしょう。もちろん農業収入以外でやっと生計が成り立っているという方々は多々。
石油が無いと米は作れない
石油とお米は無関係と豪語、絶句です。
たいして稲作もしない私ですが、石油(内訳、軽油、ガソリン、潤滑油)はかなり使いますよ。はい、ガソリン価格はお存じでしょうが、石油全般年々高くなっています。
石油を使わない水稲栽培は不可能です。水稲栽培と関わった事のない方々、悪気ではないとは思うけれど、あまりにも江戸時代。
スペアタウン、住んでみたいもう一つの町
もう田舎に、しかも生まれ故郷に、住みついてしまったから、過去に住んだりした場所との縁は切れたとは思っているけれど、どこか他の地、他所の場所に行ってみたいという、芭蕉のような心境になったかな、と思うこともないこともない。
この、ないこともない、という二重否定は肯定であるから、ある、ということなのだが、あるということを素直ではない言い方であらわしているから、やはりどこか否定的な部分もちょいとあるようにも思う。
おそらく、現実には無理だとわかっていても、いやそうじゃあないだろう、少なくとも考えてみる、想像してみる、それくらいはいいじゃあないか、という思いが入っている、内包されている、そう言うことなのだ。
若い時には何の苦もなく成し遂げたことが、年取った今はなかなかできない、いや、できないだろうなあ、だからやめよう、そうなってしまっている、というような今の思いがかなり濃くなっているということでもある。
芭蕉も当時としてはかなりの年長者だったはずだが、奥の細道のたびに踏み出したのだった。独り身でもあったし、できるのだろうな。
今、蕪村の書いた手紙を読んでいるが、俳人蕪村は実は画家であって画家としての収入に関わる手紙をせっせと書く、ということは画家の姿を彼の手紙の中にくっきりと示される。家庭をもっている蕪村は画家として金を稼がなくてはならぬ。この点芭蕉とは違うか。
だが、手紙の末尾に二句ばかり蕪村の作品を付け加えたりする。
自分を正しいと主張したいために他者を悪しざまに言うことは避けたい
自分が正しい、ということだけを主張すればいいのだ。他者を悪しざまに非難したところで、自分が正しいということを主張できるわけがない。
2000万のコンバイン買えますか?
買えると思いますよ。だけれど大き過ぎて使えないと思いますよ。したがって、買いませんよ。自動車とはずいぶん違って、使い道も極めて限定されているものですし。
それに致命的なことには毎日使うことができないものです。ただ走らすだけでは燃費も馬鹿にならないし、高速では走らないし。乗車定員は一人だし。
要するにコスパがとんでもなく悪いです。ふざけて書きました。ふざけた口を利かないでもらいたい。
予備機は必要だね
無線機なんて、あまり壊れてしまうことはなさそうですね。
私の7800も数年前修理ではなくて、点検に出したのですけれど、どこも悪い所はなく、メインダイヤルのゴムカバー(リング)だけが交換されて帰ってきました。
しかし、無線機の方は大丈夫でも、それを扱うオペレータの方は年齢とともに劣化もする場合があり、それが原因で無線機の方が壊れる場合はあります。
というわけで、予備機、サブ機とも言いますか、これが必要ですね。これを用意したいと思っていますが、そうそうすぐにはできません。ですが、趣味としても欲しいのでこつこつ頑張ります。hi
移動できる人とできない人
というような「見出し」が少し前から目立っていた。
その話が自動車を運転できる者と、それよりは運転する場合にハンディーのある者、という話で具体例が説明されていた。
前者はレベルの高い車を運転できることの多い、つまり男。後者は男に比べると性能や価格の点で劣った車種をあてがわれることの多い、つまり女。つまり女は軽自動車、ということで、事故発生となれば、より多くのダメージを負うのは、こういう理由で女。
もう少し複雑で、入り組んだ事情があるのだとは思うのだが、個々の部分ではこう単純化されていた。
もし100万円もらったら、もう一度農業を始める
という投稿(地域広報誌)
しかも農業機械を買って稲作を、というんですが、100万で農業機械購入は中古でも無理です。桁が1桁足りないです。
令和のご時世に100万は、こういう場合にはゴミに近い価格です。昭和30年くらいの生まれの方の投稿でした。大丈夫かな?
大学で学ぶことは
好きなことばかりではない。その通りですが、結局、私は好きになれないまま終わってしまったことが多い。古文書も読めない。私のまわりには読める奴はいくらでもいたが、私はとうとうそういうレベルにまで達しなかった。
読めなくても活字の書物になっている文書史料も多いので、それで足りることが多いので駄目なわけでもないのだが、正直肩身は狭かった。しかし、古文書が読めるようになってやろうと努力ははしなかった。
試験対策的な勉強は一応のレベルまではやらないとまずいと思っていたので、やるにはやったのだけれど、その上の方までは上がっていけなかった。そういう中途半端なレベルであったことが悔やまれるのではあるが、向き不向きもあるのでまあ仕方がない。
蕪村の手紙を読んでいる
手紙は1対1の場合がほとんどだから、それ以外の人が読んでも意味が通じないこともある。ましてや、時代の違う後世の人間が読んだら、何が書いてあるのかさっぱりわからないことも当然あるだろう。
だがしかし、数多くの蕪村の手紙を読んでいくうちに、全体像も把握できるようになっていけば、だんだんに読めるようにもなるのではないか。
さて、蕪村や芭蕉のような文人は号というものを使う。この号というものは今の時代だとペンネームの湯なものだ。また、このペンネームを師匠とその弟子の間で受け継いだりもするのだ。手紙に書かれているわけではないが、こういう際にも金銭のやり取りがあるのだろう。
俳人ではないが画家の***は自分の号を他人に売って、それによってお金を得ていたようで、生涯にたくさんの号を名乗り、またそれを他者に売りつけたのだった。
この号の譲り渡しというのはかなり頻繁に行われていることが、手紙にも出てくるが、読み取るまでにはかなりの量の手紙を読まないといけない。