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祖母と旅するアフリカ

(四)三日目

朝食を得たライオンと、配偶者を失った象

ワニ園でスコールにあうこと

翌朝早朝、オレンジジュースとクッキーをつまんでサファリドライブへ出発する。きのうはボートから見たチョベ国立公園を、今日はジープから見るのだ。ガイドはプレスリーさん。

祖母も私も、期待しているのは野生の象を見ることだった。チョベ国立公園は、象の群れが見られることで有名、とガイドブックには書いてあった。しかしこの時期はシーズンが外れているそうで、期待はしないほうがいいかも、と考えていた。山すら見えない広い空の下に、湿地帯と潅木の原っぱが続いている。尾瀬の湿地帯と空気が似ているが、視界をさえぎる山がないのが落ち着かない。なんだか遠くへ来た感じがする。(そりゃそうだ)

関東では、河は西から東へ流れる。札幌で、夕日に向かって流れる川を見て、ものすごい違和感を覚えたことを思い出す。ここのチョベ川は、どっちに向かって流れているのかもよく分からない。ただそこに水がある。

絶滅危惧種のプク・アンテロープ、それにインパラの群れ、象の糞をあさるマングース、ヒヒの群れ。今はもう使われていない、廃棄されたキャンプ地。象は屍骸がひとつ、河原に落ちていた。サファリ・ツアーも折り返し地点を過ぎ、やはり象は見られないのかと考え出していたとき、プレスリーさんが遠くにライオンを見つけた。

メスライオンと子供で、象を食べていた。

みんなで静かにその様子を眺め、写真におさめ、来た道を引き返す。反対側から来たジープとすれ違うためにクルマが速度を落としたとき、祖母が「あっ」と叫んだ。手で触れられそうなくらい近くに、痩せたメスの象がいた。クルマに乗っていたツアー客は、やはりおおむね静かに写真を撮り、その場を離れた。

帰国して、しばらくたった1月中旬、祖母のアパートでお茶を飲みながら旅を回想しているとき、「あそこでライオンに食べられていたのは、あの象の仲間だね。やさしそうな目をしているのかと思ったけど、後で考えたら悲しそうな目だったよ」と、祖母は語った。そうなのか、そうでないのか、誰にも分からない。

早朝サファリで教えてもらった鳥の名前。Red-billed Francolin、Marabou Stork(アフリカハゲコウ)、Spur-winged Goose、Red-billed Hornbill、Southern Ground Hornbill(カンムリサイチョウ)、Tawny Eagle、Hooded Velture(ハゲワシ)。

ロッジに戻り、朝食を食べたら、クルマに乗ってまたビクトリア・フォールズに戻る。ボツワナはジンバブエよりインフラが整っていて、道も快適だ。ジンバブエから車を運転してきたサニーさんは、「機会があったら、ボツワナに住みたいんだけどね」と話していた。ボツワナにはインフレがないのだ。ただし、まあどこもそうだが、エイズはすごい。

昼過ぎ、ビクトリアフォールズの1泊目と同じロッジに着く。午後はフリーなので、コヤマさんと3人で、ロッジのそばの養殖ワニ園へ歩いて行く。生まれて1年めのチビワニを持たせてもらって写真などを撮るうち、スコールがやってきた。ワニ園の案内人は、解説ビデオを見ながら雨がやむのを待ちましょう、という。座ってビデオを見始めたら、雷のため停電になってしまった。そこで窓からスコールの様子を観察していた。雨にぬれたビクトリアフォールズの森は、小学生のころキャンプで行った鳩ノ巣渓谷の森に少し似ている。せっかくキャンプに行ったのに雨が降って、その雨の中、バーベキューをし、ご飯を作ったのだ。

このワニ園では、肉と革をとるためにワニを養殖している。だいたい4歳まで、体長1.5メートル弱に育てて出荷する。それ以上だと、革がかたくなってダメなのだ。タマゴをとるつがいは出荷用とは別に飼われており、モーターボートのように大きい。また、ここには、子供のときに親からはぐれてしまったライオンも飼育されている。彼らは野生には戻れないのだ。

ワニ園の売店で、従妹のためにお年玉としてビーズのアクセサリーを買う。また、自宅に出す絵葉書も買う。ビーズのネックレスは18400ジンバブエ・ドル。絵葉書は1000ジンバブエ・ドル。ちなみに、ロッジのビールは6800ジンバブエ・ドル。紅茶は1200ジンバブエ・ドル。朝食のコーヒーは、ジンバブエ・ボツワナの両ロッジともインスタントだった。アフリカにいるがキリマンジャロは遠い。

ビュッフェスタイルの夕飯のとき、1泊目にいろいろとしゃべった従業員とまた再会した。彼の持ちネタは、女性宿泊客みんなに初対面で「結婚してください」と言い、2度目に会った時は「僕の奥さん」と言うことである。われわれ女3人は彼と写真を撮らせてもらい、がっちり握手をして分かれた。

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