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祖母と旅するアフリカ

(一)出発前

どこか遠くへ行きたいと考えていた。そこで祖母の家にミシンを借りに行ったとき、質問してみた。キリンとラクダはどっちがいいか。祖母は、昭和40年代の多摩動物園で、キリンに野いちごをやった思い出をとうとうと語り始めた。そこで私は南部アフリカへ行こうと決めた。

私がアフリカへ行きたいと思ったのは、おそらくマイク・レズニックのSF小説「キリンヤガ」を読んだせいだ。「キリンヤガ」の舞台は宇宙ステーションだけど、メインテーマはアフリカへの郷愁だ。レズニックの他の宇宙アフリカ小説に続いて、「アフリカン・ネイバーズ(中尊寺ゆつこ・・・何ということだ、あんなにすばらしいクリエーターが死んでしまうなんて)」や「アフリカの日々(カレン・ブリクセン)」を読んで、ますます行きたくなった。就職して3年、貯金もできていたので、年末に仕事のスキをついて出かけることにした。しかし、私にはアフリカに一緒に行ってくれそうな友だちはいない。それで、身の回りにいる最もヒマで抵抗しそうにないキャラとして、祖母を連れて行くことにした。

祖母は大正の終わりごろ、昭和の初めごろ、兵庫県の山奥で生まれた。家はわりと豊かで、学校へ行かせてもらって看護婦になった。それで姫路の空襲の時は、手足がもげた人の手当をしなければならなかった。戦争が終わり、大陸から戻ってきた元軍人(祖父)と結婚して、子供を3人作った。 50歳を過ぎてから本格的に山登りを始め、ツアーを企画してバスを仕立て、団体を率いてハイキングにも行った。祖父が亡くなってからは、何とかお金をやりくりして海外にも出るようになった。ニュージーランドとヒマラヤでトレッキングツアーに参加したことがあるので、きっと大丈夫だろうと私は考えた。

心を決めたのは11月上旬だ。出発まで時間がなく、ネットで見つけた会社にツアーをオーダーした。ビクトリアフォールズ(ジンバブエ)、チョベ国立公園(ボツワナ)、ケープタウン(南アフリカ)を急いで回るものだ。

アフリカへ発つ日は12月20日、会社は代休を取得した。この秋は死ぬほど働いていたし、社員が代休を消化しない場合、会社も困ったことになる。私は労働基準監督署という言葉が好きだ。なんだかまがまがしい響きがある。 出発当日は母(祖母の次女)が成田空港まで見送ってくれた。南半球は夏だから、コートを母に持って帰ってもらう。飛行機は香港で乗り換え、ヨハネスブルグでまた乗り換え、ビクトリアフォールズまで25時間かかる。むかしは日本から南アフリカまで直通便も出ていたそうだが、今はない。

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