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祖母と旅するアフリカ

(八)六日目-後編-

日本の成功を感じ取ること、

岬の町で寂寥の意味を知ること

(八)六日目-後編-

ケープタウンは、会社庭園や我々のホテルのある旧市街地がどんどん寂れて治安が悪化し、海沿いのウオーターフロントに実質上の中心が移動している。だから私たちは絶対にガイドなしで街に出てはいけない。

「でも、ウオーターフロントのショッピングモールは安全です。午後はそこで過ごしてください」

とケディさんに言われて、我々はヴィクトリアワーフの巨大ショッピングモールへ移動する。ショッピングモールには、クリスマスの買い物をする人々が大勢いる。警備員がたくさん巡回しており、監視カメラも置いてあるそうで、治安にはまったく問題はない。まず昼ごはんを食べようと、インド料理の店に入る。一般的に、カレーと中華はどこで食べても外れはないと言われているが、中華はやっぱり外れがあると思う。

刺繍の入ったチョッキを着た、白髪のインド人のウェイターおじさんが注文をとりに来る。カレーの辛さは唐辛子マークで表示されている。唐辛子マークはゼロから5個まである。オヤマさんと祖母は、大事をとって唐辛子マークゼロのチキンカレー(52ラント)とマトンカレー(58ラント)を頼んだ。私は、唐辛子マーク2個の野菜カレー(38ラント)を注文した。ライス(14ラント)とナン(9ラント)は1つずつ取ってみんなでシェアする。旅行だから、昼間からビール(31.5ラント)も飲んでしまう。

唐辛子マークゼロのカレーは、まったく辛くなくて祖母とコヤマさんをがっかりさせた。野菜カレーはちょうどよい辛さだった。会社の裏にあるパキスタンカレー屋のカレーのほうが辛いくらいだな、と私は思った。もう明日には帰らなければならないのだ。

コヤマさんと私はそれぞれ、南アフリカのワインをお土産に買っていこうと画策していた。ガイドマップによると、ショッピングモールにはワインショップがあり、試飲もできるらしい。そこで我々はまずワインショップを訪ね、代金を払って試飲をした。東洋の御婦人が3人、港に係留されている船を見ながらテラスでワインを飲む光景はとても目立つ。よく晴れた穏やかな日で、海が青く光っている。かもめも飛んでいる。

「あれは日本人だね」

「日本はすごく成功したね」

と、通りすがりの人々が話しているのが聞こえる。そう、日本はとても成功した。でなけりゃ普通の女の人がケープタウンくんだりまで来て、ワインを試飲したりできない。

ワインを飲んだ後、私と祖母はオヤマさんと別れ、ショッピングモールを散歩することにした。特に買いたいものはなかったが、絵葉書や小さいお土産品などを見て回る。

しばらく歩いた後、祖母はベンチで休むことにした。私はお店を見てまわりたかったので、祖母を置いて10分ほどその場を離れた。

そして戻ってきてみると、祖母は楽しそうに知らないご婦人とおしゃべりしていた。褐色の肌をした、ほっそりした若い女性で、小さい男の子を抱いていた。私と年はほとんど違わないに違いない。っていうか年下かも。

「こちら、メリーさんです。沖縄にいたことがあるんだって。明日、パパさんと結婚するんだって」

祖母は言った。私は驚愕した。

「ママさん、ありがとう」

と言うとメリーさんは祖母をぎゅっと抱きしめてから去っていった。

「ベンチに座っていたら、あの男の子をちょっとのあいだ見ていて欲しい、と言われて、そのあと日本語でおしゃべりをしていたのよ」

祖母はうれしそうだった。こんなところまで来て、知らない人と気軽に話せたのがよかった、という。私はそのコミュニケーション能力に脱帽した。あと55年したら、私も初対面の人と緊張せずにしゃべれるようになるのだろうか。

ちょっと休んで、元気を回復した我々は、南アフリカのスーパーマーケットを探検することにした。外国のスーパーはおもしろい。それに生理が来てしまったため、私はタンポンを買う必要があった。

「お土産にチョコレートを買いたいね」

と、祖母は行った。ボランティアの集まりに持っていくのだ。我々は、生鮮食品売り場をじっくり観察し、その後お菓子の棚に移ってミントチョコ(23.5ラント)を4箱も買った。私は、会社のお土産にするため、特産のルイボス茶(5.45ラント)を買った。なお、タンパックスは一箱15.45ラントであった。

「明日は日本に帰るんだね」

お土産を買うと、帰国が近いことを思い出してしまう。なんだか帰りたくない気がする。私はインパラ・パテの缶詰とダチョウ・パテの缶詰をお土産に買う(1缶40ラント)。また、ネルソン・マンデラの顔がプリントされたTシャツを自分用に買った(143ラント)。 

その午後、テーブル山にかかっていた雲(テーブルクロス)が偶然外れて、我々は裸のテーブル山をバックに写真を撮ることもできた。ショッピングモールの広場では、大道芸人が火を使ったショーを始めていた。ショッピングモールの2階テラスから、我々はショーを眺めた。見物人には、白人も黒人もインド人もアラブ人も東洋人もいる。真っ白い民族衣装を着たアラブの若いお父さんが乳母車を押している。真っ黒な民族衣装を着た奥さんが、ルイ・ヴィトンのハンドバックを持ってその隣を歩いている。ソフトクリーム屋には、子供と大人が列を作っているが、うち子供の占める割合は70%ほどだ。そして人々のすぐ向こうには海がある。南極以外、ほとんどどこにもつうじていない海だ。ああさみしいなあ、と私は思う。ここまで来たけど、結局何も変わりはないではないか。

夕食はギリシア料理だった。オリーブとフェタチーズがのったギリシア風のサラダ、平焼きのパン、カラス貝が前菜。メインは巨大な白身魚のフライ。付け合せは小イカのフライ、ポテトフライ。デザートはアイス。ビールは、南アフリカのが品切れで、仕方なくハイトビールにした。ものすごくお腹いっぱいになってしまった。

食事の終了を見計らってケディさんが迎えに来てくれ、信号丘へ夜景と星を見に行く。信号丘は、そのむかしは大砲で信号を出していた丘だという。東京と違って、ケープタウンでは夜景も星もくっきりよく見える。ケープタウンには、極端に高いビルがないため、明かりが均一に広がって見える。

南半球の星座はまったく分からない。北半球では地平線ぎりぎりの星座、エリダヌス座や南のうお座などが見えるはずなのだが、判別不能だ。アケルナル(河の果て)、フォーマルハウト(魚の口)、見たかったな。ケディさんは南半球の三つ星、「スリーシスターズ」を教えてくれた。信号丘には観光客が次々とやってきては、去っていく。地元の若者も友達と騒ぎに来たりするらしい。

03年の8月、ケープタウンに大きなコンベンションセンターが開業した。ケディさんによると、予約は少なくとも2007年まで埋まっているそうだ。コンベンションに来る人を泊めるためのホテルもたくさんある、と言う。

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