魔術師は星とともに
 

  バーミンガムシェルター前は戦場だった。

 各国選りすぐりの軍人たちがバーミンガムに巣くうゲリラを圧倒的破壊力で文字通り潰していく。その後の始末がすむと宿営地が迅速に立ち、戦いの後は1つ残らず片付けられていった。

「本当に戦場なの?」

 対放射線対衝撃用の全身ボディースーツをまとった竹屋の疑問はもっともだった。戦う人と戦う道具はあるが戦う敵がいない。

「そうよ」

 冬華は断言した。弾丸の破片、地にこびりついた黒い液体、ゴーグル越しの視界だけでもこれだけある。匂い、肌全体で感じる張りつめた雰囲気。冬華は背筋を伸ばした。全身に程よい緊張が走り、常に戦闘体勢になれるように手が銃器を求めて動く。幸いな事にスーツの可動性は非常によく、生身の人間が厚着をしているのとたいして運動性に差はなかった。これならいざという時に戦える。

「冬華さん。あの、例の約束、忘れていませんよね」

 竹屋は冬華の緊張が移ったのか、不安そうに冬華を見つめる。

「例の約束?」

「ほら、僕の警護をするっていう事。それがここに来るための口実と言うことは分かっているけど、そばにいる限り守ってよね」

 冬華としてはそんな事で大の男がびくびくするなと怒りたかったが、か弱い民間人の研究者としてはそんな事で済む問題でもない、やむをえないだろうと思い直して「分かっている」と投げやりに返事をした。それはさらに竹屋の不安をあおったようだが、冬華としてもこの場で愛想良く笑えない。

Dr.Takeya!」

「呼んでいるよ」

 竹屋は冬華を恨めしげに見て、若い軍人らしい男の方へ走った。

 今となっては何に使われたのか分からない部屋に、さらに軍用の立派なテントが設置されていた。案内された竹屋は中に1歩踏み出したとたんうめいてうずくまった。口元を押さえて目から涙がにじむ。冬華は義理から竹屋の背をさすりつつも、同じように困惑して眉をひそめた。

 テントの中は戦死者が並んでいた。おそらく竹屋が鑑定すべき敵のバイオウェポンたちなのだろう。地面に直接投げ出されている死体は五体満足であるほうが珍しく、下半身がちぎれているなどいった悲惨な状況が当たり前になっている。もしこの場に生身でいたのなら竹屋は匂いで即座にここから逃げ出すか胃の中の物をぶちまけただろう。これだから軍人はいけない。死に慣れすぎて配慮が欠けている。自分もそうであるにもかかわらず冬華は舌打ちをしたくなった。

Dr、鑑定を」

 竹屋の反応など一行に介さず軍人はある意味非現実な実用性のある事を言った。

「無茶言うな、この顔を見てから物を言ってよ」

 相手に日本語が通じないことを良しとして、冬華は礼儀作法を無視した。しかし竹屋をかばう意図はない。竹屋の背中を軽くたたくと「適当にがんばれ、終わったころに来る」といい加減にはげまして、冬華は立ち去ろうとした。

「と、冬華さん! 僕を見捨てるのか!?」

 1人は寂しいと竹屋は冬華の足に引っ付く。

「竹屋、さっきから思っていたのだが、何だかあなたの口調は奥さんに逃げられそうになっているかわいそうな旦那さんに聞こえてならないのだけど」

「失礼な、僕には恋人がいる、冬華さんよりも可愛くていい子だ。そんな事よりもどうして行っちゃうの!」

 よほど冬華はその能天気な頭をライトニング15の柄でどついたろかと思った。いい? と顔を近づけ、すわった目で語りかける。

「わたしは誘拐されたフォーチュンのため、オースターンやここの侵略者たちについてできる限りの情報を集めて彼らを助け出す準備をする。竹屋の事は放っておく訳ではない。でもここで仕事をしている間は無事でしょう、わたし以上に頼りになる軍人たちがいるのだから。だから仕事がない時は警護をする。その代わりそれ以外の時間には口出ししないで」

 竹屋に反論はあったかもしれないが、冬華の勢いに押されて首を縦に振った。

「よし、じゃあ行く」

 スーツを着ているためいつものコートはない。それでも勇ましくひるがえるコートの幻像をおぼえる動作で、冬華は本来の目的に向けて歩き出した。

 

 竹屋は半分泣きながらも持ってきた遺伝子キットと用意された実験議具、コンピューターで解析を試みた。冬華はあちこち回り、バーミンガムシェルター内について探った。

 冬華の目的も竹屋の仕事も思うようにはかどらなかった。竹屋は遺伝子を解析するには足りなさ過ぎる器具道具と人手、周囲の研究に関する無理解が災いした。竹屋が元は植物関係のバイオテクノロジー技術者と言うこともあって動物を扱うのは苦手なのである。竹屋は再三人員と器具の追加を訴えたが、戦場でそのような要求は通りにくかった。冬華の方も誘拐事件もオースターンの事も隠しながら探るのでただでさえ容易ではない情報収集は困難を極めた。結局冬華は軍の下っ端や半分耄碌した老兵、果てはフリーの報道レポーターやその護衛とといった軍人でさえない人種とお友達になっただけだった。

(そしてあっという間に2日目の夕方)

「冬華、そろそろあなたの研究者さんの仕事が終わる時間じゃないの?」

 フリーの報道レポーター、金白宝と名乗る女性は女物にしては頑健そうな腕時計を見て冬華に指摘した。北京シェルター出身の彼女は穏やかで落ち着いており、とても戦場のレポーターには見えない優美さで空のドラム缶に腰かけ手元の紅茶を1口含む。仕事にいそしんでいる雰囲気も見られなかったので報道レポーターと言うのは嘘かもしれなかったが、危険人物にも思えなかったので冬華は放っておいている。そばには彼女の護衛のスティルが、少し離れた場所で火器の入ったコンテナにもたれかかっていた。冬華はいまだにこの若い男の声を聞いたことがない。化学兵器でのどをやられて声が出せないそうだ。

「ああ、そうだね。迎えにいかないとうるさいな」

 地下鉄内での放射線量は健康を害する量はないということが昨日分かってからはスーツを脱ぎ、冬華は普段の胴衣とコートの姿だった。そして手には金と同じカップがある。紅茶は100グラムごとに真空パックで保管されている上等のニルギリで爽やかで上品な味だった。香りがまたよく、かぐと不安も消え去り穏やかな気持ちになる。冬華は最後の一口をすすってお茶請けのクッキーをつまんだ。口の中で生地がとろけ甘く広がる。金は戦場にいい物を持ってきていた。金持ちなのか酔狂なのか。

「じゃあね。なかなか報道許可が下りないから退屈しているの。またお話してね」

「ええ、そうね」

 こっちはごめんだという言葉を飲み込んで、冬華はその場を離れた。

 これで3日目も無駄に終わった。連合国の解放作戦も布陣と情報収集の段階で、まだ本格的に乗り込んではいない。冬華は一向に進まない現状にいらだち、単身で闇雲にバーミンガムシェルターにもぐりこもうかとさえ思った。

 舌打ちを1つ。不機嫌を隠さずに冬華は竹屋がつめているバイオ研究所へ向かった。実際は研究員1人の死体置き場なのだが名前だけを聞くといかにも立派に聞こえる。

「お姫様を護衛の騎士がお迎えに来ましたよ、と」

 何気なくテントをくぐると、竹屋は1人ではなかった。なぜかうろたえる竹屋とは対照的に3人の護衛を引き連れたハロイド大佐は見下す視線を隠そうともせず冬華へ向く。冬華の方も鼻を鳴らした。ライプチヒシェルターで出会って以来の対面だが、余計な事を言う気にも媚を売る気にもなれない。個人の感情を考慮してもどうしてもこの男を信用できなかった。気を許したら裏切られる、利用されるとの予感がある。

「雇い主を放り出してどこへ行っていた?」

「地下鉄内にて友人と会っていました、失礼します。竹屋、宿営地へ帰ろう」

 最低限の礼儀正しさのみを見せて竹屋の腕をつかむ。もっと好印象を与えようよと竹屋が目で訴えるが、冬華の知った事ではなかった。

「ソウリュウトーカ、君は友人を探してここにいるそうだな」

 竹屋の腕をつかむ手に力がこもった。このお喋りめ。冬華が何か弁解する前に大佐は護衛の1人が持っていたケープをつかんで投げた。あまりにも古典的で流行とは無縁の布は空気抵抗のなすがまま地面に落ちる。

 冬華は拾わなかった。大佐も動かない。

「第7階層で回収された衣服だ。多少は調べさせてもらった、ソウリュウには心当たりがあるのではないか?」

 それだけ言うと、ハロイド大佐は部下を引き連れて出て行った。竹屋が安心の余り大きなため息をつくのを尻目にケープを拾う。絹の前時代的なケープには心当たりがあった。こんな古めかしいものを自ら着用するものはそうはたくさんいない。

「フォーチュンの物だ」

 第7階層。無意識にくりかえす冬華に、竹屋は恐る恐る申告した。

「冬華さん、あの、これ、罠じゃない? こんなに簡単に見つかるなんて怪しいよ」

「やっぱり? 竹屋さえもそう思うほどあからさまか」

 台詞とは裏腹に、しかし冬華はケープから目を離さなかった。ケープは何も語らない。

 

 地下に半分埋もれているシェルターは20の階層に分かれていて、それぞれ役割を負っている。第1階層は全てをつかさどる制御施設、6階層までが軍事施設。7から10階層が冬華やフォーチュンが普段暮らしている居住施設、11から19階層が農業工業施設で、居住空間から毎日大半の人間が働きに出かけている。最深部の第20階層が動力施設で、上層部のごく限られた一部しか入ることが許されない。階層ごとの行き来はエレベーターと螺旋型階段によって行われ、地上へ行くには軍事施設か工場施設からいくつか通じているエレベーターを通して行われる。

 ケープが落ちていたのは第7階層、立派な居住空間である。本来なら危うい均衡の上穏やかな日常が流れている空間は全て崩れ去り、階層全体が廃墟と化していた。

「人がいないともろいものだね」誰にも聞かせるでなく、冬華は1人つぶやいた。首にはケープがマフラーのように巻かれていて、普段のコートの代わりに派手な黄色のジャケットを着ている。

 第7階層である。しかも1人である。

 竹屋でさえも疑うほどあからさまなほど怪しいバーミンガムシェルターの第7階層に、たった1人冬華は潜入しているのだった。

 もちろん冬華もこれが何らかの罠であるかもしれないと承知している。ハロイド大佐が冬華のためにケープを拾ってくれたなんて夢にも思っていない。よくて冬華を利用しようとしているのだろうし、普通に考えれば生贄にしようとしているのだろう。

 ではなぜ冬華はそれでも来たのか。1つはこのケープが間違いなくフォーチュンの物だったからだ。普段からフォーチュンがこのケープを肩にかけているのを見ている。ハロイド大佐が何を考えているか知らないが、フォーチュンがここにいることは確かのようだ。ならば動く理由になる。

 さらにもう1つ冬華には理由があった。

 本音を言うと、冬華は何の変化もない現状にうんざりしたのだ。たとえ罠だと分かっていてもそれを承知で冬華は状況を動かしたかった。冬華の行動によって命運が左右されるのは冬華本人ではなくフォーチュンだ。自分の責任で一般市民の友人を巻き込んだ。そのいらだちが冬華をあせらせている。

 報道レポーターの白宝から借りたジャケットの黄色が目にまぶしい。もし発見質問された時に冬華は白宝と同職業のふりして言い訳をしようとたくらんでいる。騙される者はそうはいないだろうが、コートの何でも屋が言うよりは効果的だろう。冬華は息をつめ建物の間を足音立てずに走り、自分自身も分からない何かの手がかりを探して、無言で死んだシェルターの中を駆ける。細い髪が速度に翻弄されひるがえった。

 足はせわしなく前へと急ぎ、目は人の気配を探し、探し人の気配を探る。冬華は不意に速度を落とし左の路地へと飛んだ。1秒の空白の後冬華が走っていた道ははぜわれ砕け散る。

「来た」

 今までのつもり積もった経験が数式をはじき出し、敵の位置が頭にひらめく。エネルギーボルト05を構えおおよその見当とともに引き金を引く。

「善良中立貧乏な報道官にいきなり発砲とは何!?」

 とりあえず撃て。話はそれからだ。戦場では当然の、しかし実に殺伐とした作法どおりに冬華は口火を切った。返事の代わりに口径が並外れて大きいであろう銃が火を噴く。威力をその身で受ける前に冬華は逃げ出した。

 普通の人間が持てる物じゃないな。爆音で逆立つ髪もそのままに分析した。適当な物陰に隠れるふりをして走り続ける。白黒だった世界に赤い色がきらめき、静寂は破られもはや潜む気はまったくない足音が奇妙にも破壊音と同音量で聞こえる。

AGでもない。AGなら普通近寄られたら気がつく。バイオウェポンな人の偵察兵か)

 バイオウェポンなんて本当にろくなものじゃないと認識を新たに積み立てる。いかにも伝統と格式を重んじる旧イギリス人気概あふれるレンガの道で銃弾がはぜるなか、同じく耐久レンガの古いアパートメントへ冬華は駆け込んだ。ここから窓から窓へ飛び逃げ反撃の機会をうかがうつもりだ。

 2階の窓へ走り、手を伸ばせば届くような距離の隣の窓のさんへ足を踏み出したところで階層全体に振動が走り、冬華は危うく落ちるところだった。

「次は何!」

 声を出す余裕などないし答えてくれる優しい人もいないのは分かっているのに、それでも冬華は叫ばずにはいられない。建物の中に転がるように窓から隣の建物へ侵入してから、改めて異変について観察した。

 幸いな事に窓から外へつながる通路はよく見えた。実際には巨大な出入り口から2台のAGとその後から何台ものジープが入ってくる。

「そういうことか」

 冬華はハロイド大佐の意図がつかめた。

 もともとここに何らかの敵勢力がいるだろうという情報をつかむも、あやふや過ぎて正規の兵隊を送り込めない。そのためうかつな何でも屋を送り込んで敵の攻撃を誘発、それをきっかけに味方が大手を振って流れ込むというところだ。

もちろん、「味方」が冬華の味方であるとはかぎらない。

「ちぇ」

 冬華は迷いなく軍へも背を向けて別の家の窓へ走り出した。つまり軍からも逃げた。もはや軍も信用できない。不審を抱きつつも妥協点を見出してなあなあに接していたが、いまやのんびり彼らの前に現れたらバイオウェポンとともに殺される。相手が民間人であろうと愛国を主張する報道レポーターであろうと、面倒だからの一言で切り捨てられかねない。相手がハロイド大佐の部下ならばなおさらいけにえの口封じとして間違いなく銃弾が飛んでくるであろう。

 走りながら冬華は端末を取りだした。1つ指を操作するとすぐにつながる。

「もしもし、冬華です」

『あ、冬華? 首尾はどう?』

 端末の向こうから緊迫した状況には似つかわしくないおっとり声が電波に乗って届く。上着を借りたお礼代わりに何か軍が動くことがあったら連絡するように白宝に言われたのだ。冬華も一も二もなく乗った。カメラを持って映像を全国の皆様へ届ける報道陣がいれば軍も無茶な事はひかえる。白宝は冬華のいざという時のお守りだった。これだから友達は作っておいて損はない。

「最悪。バイオウェポンがいて襲い掛かってきて、さらに軍も来た」

『すごい! やっと私もこれで行動できるわ。ずっと待っていて退屈だったのよ、今からカメラを持ってそっちへ行くわね』

 行くといっても行かせてもらえないだろう。

『私は北京シェルターの全人民と、世界中の画面の前の人たちが味方なのよ。シェルター上層部とも仲良くさせてもらっているから虎の衣の権力もあるわ。大丈夫、何とかそっちへ行くわ。軍が止めても行く自信があるわ。今までそうしてきたのだもの。じゃあ冬華、特ダネありがとう』

 端末は切れた。白宝のやけに自信過剰な発言に冬華は呆れるよりも感心した。なるほど、たった1人の護衛のみで戦場に出ることが出来る報道レポーター、度胸が違う。

「下手な軍人よりいい根性ね。無謀でなければいいけど」

 数回窓を飛び越えて、冬華は階段を下り、再び地面の人になった。頭の中ではどうやってフォーチュンを見つけられるか、その後どうやってこの場を逃れるかの2点のみに限られていた。戦場脱出についてはもう考えている。隠れてほとぼりを冷ましてからこっそり行けばいい。何なら竹屋か白宝に迎えに来させる。逆に未だに解決の糸口さえ見つかっていないのが行方不明の友人だった。どこに行くか、どうやって探すか。そもそもまだ生きているのか。冬華は歯をくいしばった。

 角を曲がると10歩分先に身体に張り付く戦闘衣を着た青年が大型拳銃を構えて立っていた。銃口は冬華に狙いを定めている。その風景を認識行動するより先に背後から軽い金属音がした。「動くな」

 冬華は自分の鼓動が急速に早く細くなるのを感じた。まんまと挟み撃ちにされた自身のうかつさを呪う。

「何者だ。連合軍か」

 どう答えるべきか冬華は迷った。はいと答えると完全に敵対している事になる。その場で頭に風穴が開いてもおかしくはない。しかし情報収集のため生かされる可能性もある。一方無関係なものだと答えたらどうなるだろうか。はいそうですかと帰されると思うほど冬華は楽天家ではない、やっぱり結果的に頭の風通しがよくなったら非常に困る。まごまごしていても最終的には同じ道をたどるだろう。冬華の背中に冷たい汗が流れた。

「っつ」

 後ろの人物が声をもらした。冬華の前の男も銃は動かさず視線を走らせる。もちろんそれを見て冬華も仰天した。

 戦車が近づいていた。まだかなり遠くに位置しているが遠近感が狂うほど大きい。ちょっとした小屋ほどもある巨大な鉄の塊が道をほじくり溝を破壊しながら3人の元へ、戦車にしては最大級の速度で近寄る。

 1人がもう1人に目で合図をして、もう1人はかすかに首を横に振る。冬華は混乱してきた。軍にしてはやけに早いし、しかし敵のテロリストたちではないだろう。無関係な第三者がここに突然現れる訳もない。だとしたら、一体何なのだ、冬華は現実逃避のあまりの幻覚かとさえ思った。

 けして幻覚ではない証拠として、戦車砲が火を噴いた。

 冬華にも青年たちにも当たらず、10メートルははなれた建物に命中して建築物が音をたてて崩れる。冬華か青年か、どちらかの敵らしい。

「ちっ」

 AGに押されて現在の戦闘ではあまり重要視されていないとはいえ、生身で戦車にかなう訳がない。相手が戦車ならと青年2人は即座に冬華を放っておいて逃げ出した。冬華も彼らに追撃をせずに黙っていた。何かがおかしいと今までの経験が告げる。

 何かはすぐに分かった。戦車の操縦が下手なのだった。あっちによろめいては壁を破壊し、こっちによろめいては窓を砕く。戦車の大砲もまったくあさっての方角へ撃っていた。威嚇にしてもひどすぎるが、もしわざとではなく真剣に狙った結果だとすれば、中にいるのは軍に入って3日のペーペーでしかありえない。上官に見つかったら即降格ものであろう。

 何者じゃい。冬華が逃げずにつったっていると戦車の上部から丸い金属の蓋がやけに細い腕で開けられた。腕の持ち主の顔が出る。なかなか優美な動作だったが、こんな硝酸臭と煙の中で首だけ出した仕草はこっけいですらあった。

 冬華は笑わなかった。笑いが場違いだから慎んだわけでもなく、相手へ思いやりを持って遠慮したのでもない。

「冬華さんでしたか。囚われの姫君が王子様を助けに来ましたよ」

 占い師は丁寧な、しかし場違いでもあるあでやかな笑みを浮かべた。

 

 時は遡る。

 ケープを盗られてフォーチュンは機嫌が悪かった。愛用のケープがいつのまにか部屋からなくなっていたのだった。人質としては破格の与えられた広い部屋の中心で気難しげに指で卓を叩く。

「フォーチュン、そんなにがっかりしないで」

 全が慰めるも、顔には「たかが布切れでそこまで」と書いてあった。

「がっかりなどしていません」

「いやいやいや、ぜんぜんそうは見えないから」

「していません。怒っているだけです」

「なお悪いじゃないか」

 全は肩を落としたが、フォーチュンはそれで態度を改めない。その程度で怒りを隠せるのならば初めから全の前で怒りをあらわにしない。

 2人は今の所衣食住には不便していなかったが、フォーチュンは頑固にももらった着替えには目もくれずに古めかしい絹の民族衣装を着たままだった。着たままだと不衛生だと思ったのか、1回自分で洗濯をして夜のうちに乾かしてまた着ている。こだわりなくもらった軍の作業服を着ている全にはおおよそ理解できなかった。

「いいですか、全。私は占い師です」

「うん、知っている」

「その仕事に全身全霊誇りを持ってあたっているのです。そしてこの服装は珍しくて人目を引き行動しにくく、普通に考えてよい格好とはいえません」

「あ、自覚していたんだ」

「黙って聞いてください。ではなぜ常にこの服を着ているのか。私が占い師で、これははるか昔の占い師の姿そのものだからです。言ってみればこれは制服、それを盗まれて平然としていますか! これは占い師に対する侮辱です」

「そう」

 出会うたびに職業が変わる、転がる石の全にはフォーチュンの核の雲より高い職業意識がいまいち分からなかったが素直にうなずいた。

「そうです。これは許せておけません、さっそく犯人を捜して懲らしめてやらないと」

「そんなことよりここから逃げ出すことが先だよっ」

 流石に制止しようと全が立ち上がったとき、2人の部屋のドアが横に滑った。マシンガンを肩がけにした軍人2人が立っている。

「オースターンが呼んでいる。来い」

「……はいはい、行きますよ」

 怒りのはけ口を失って、フォーチュンは険悪な表情のまま答えた。

 捕らえられてここに着てから、ちょくちょくオースターンに2人は呼ばれた。それも時と状況を考えずに平気で深夜だろうと早朝だろうと呼び出す。立場が弱いフォーチュンたちは内心明日にしろと言いたいのをこらえつつも従っていた。それで呼ばれていっても何をするでもなく、つらつら会話をするだけなので分からない。フォーチュンが気に入ったのか物珍しくて見ていたいのかどちらかだろう。ちなみに初めはおびえていた全もすっかりなじんだ。敏感な嗅覚でフォーチュン1人が気に入られているのを察知し、オースターンとの対話では空気のように気配を見せずに過ごしている。フォーチュンはその的確な適応力に内心感心していた。きっと長生きするだろう。

「フォーチュン、変だ」

 全が小声でささやく。小声といってもフォーチュンに聞こえるのだから先導している軍人2人にも聞こえているのだろうが、それに気づいてか気づかずか続ける。

「何がです?」

「何かがおかしい。こう、雰囲気が気分が悪い」

「抽象的すぎます」

「うん、そうなんだけど、でもさこう」

 上手く説明できないともがいているうちにオースターンの部屋まで着いた。フォーチュンは業務用の微笑を浮かべて扉を開ける。

 中ではオースターンが仰向けにベッドに倒れていた。いつもいるはずの取り巻きが今日に限って誰もいない。手で大型拳銃をもてあそびながらも視線は虚空をさまよっている。口元にはまぎれもない喜びがあった。部屋の扉が閉まるとオースターンは上半身を起こした。

「冬華が来た。バーミンガムに来た」

 オースターンは喜びを隠しきれずに告げた。声も瞳も熱を帯びて輝き、まるで恋する乙女のようだった。あるいは目の前に獲物がたくさんいるので舌なめずりをしている狂戦士。

「そうですか、よかったですね」

 顔こそ微笑を浮かべているものの、他人事のようにいい加減にフォーチュンは答えた。

 もちろん他人事であるわけはない。つまりフォーチュンたちを助けるため、民間人立ち入り禁止のはずのバーミンガムまでわざわざ来たということだ。金も労力も使っただろうし、戦闘もいくつもあったのかもしれない。冬華のせいで今こんなに困っているにもかかわらず、ただの友人のフォーチュンたちのためにそこまでした事が逆に心に痛かった。

(冬華さん、まったくあなたは義理堅い人です)

 そして逆に言えば、冬華を誘う目的で誘拐したオースターンたちはフォーチュンがいらなくなったということでもある。今現在でも労力のかかる不穏分子であるのにさらに不要になったらどうなるのか。

「殺しやしないよ」

 フォーチュンの言いたい事を先取りして、あっけらかんとオースターンは告げた。

「もうすぐここを出てく。人間には計画があるし、俺も計画があるから。しばらくここに閉じ込める。運がよければ冬華が助けるだろ」

 オースターンは無邪気な子供のように嬉しそうに顔をゆがめた。フォーチュンはなぜかはるか老獪な悪意あるたくらみを裏に感じて仕方がなかった。

「フォーチュンは今まで訳が分からなかっただろう? 振り回されてばっかだもんな」

「状況的に当然です」

「だから、いい事2つ教えてやるよ。いや3つかな。俺と、俺の味方のふりした人間と、俺の敵のふりをした人間がなに考えているか教えてやる」

 それからオースターンがした話は短かったが、フォーチュンたちには何十分も経過したかのような衝撃的な内容だった。

 ――フォーチュンが言葉も業務用スマイルもなくして立ち尽くしている間に、オースターンは拳銃を肩にかついてベッドから床へ一息で飛んだ。腕を振り子代わりにもせずに驚異的な脚力を見せつけ、へたくそな歌を口ずさみ部屋を出る。

「あ」

 全が驚愕もそのままに、それでもドアへ腕を伸ばすと、オースターンが片手でその肩に狙いをつけた。硬直してゆっくり腕を下ろすのをオースターンは満足げに見守る。

「助かりたいか? なら祈れよ、神様なんかいいぜ、がんばりゃこたえてくれるさ」

 自分の言った事がおかしくて仕方がないと腹をよじりながら、オースターンは扉を閉めて外からロックをした。

 

 全はフォーチュンを必死でゆさぶって正気に戻し、2人で部屋を出るためのありとあらゆる努力をした。

 第一に考えたのはどこかに通路がないかどうかだった。外から鍵がかけられたのだから扉は開かない。まさかオースターンの言う通りのんびり祈っていても開く訳はない。開く扉がどこかに隠れているのではと占い師とアルバイターは部屋中をひっくり返して調べた。ベッドを動かしじゅうたんをのけ豪勢な家具を隅に寄せて、床をはいつくばり天井を凝視し、まさに隅から隅まで泥棒でもここまでやらないというほど部屋を荒らして、壁という壁床という床を調べた。通路はどこにも見当たらない。

 疲れ果て一休みしてから、全がぼんやりと上を見上げた。

「フォーチュン、こんな時に占いで何とかならないの?」

 裏返しになったじゅうたんの上に腰かけていたフォーチュンは「そうですね」としみじみうなずいた。

「あ、占いの道具を持っていない?」

「まさか、持っていますよ。失礼な」

 フォーチュンは自分のタロットカードを四六時中持ち歩いていた。大切なものはいつでも持ち歩いていたいという心境なのであろうし、占い師としての職業病なのかもしれない。

「じゃあ占ってよ、どうしたらこの状況から脱出できるかとか」

「占いとはそんなに都合のいいものではありませんよ」

 あまり気乗りがしないようだったが、それでも丁寧にカードを切って1枚めくった。カードにはライオンの口を押さえた美しい女性が描かれている。

8番、力のカード」

 フォーチュンはカードを素早く残りの束に混ぜてしまうと、大きくため息をついた。

「正攻法で正面から行くのがいいでしょうね」

「正攻法って、ひょっとして」

 フォーチュンは重々しくカードをしまった。

「ドアをぶち破りましょう」

 そこからがまた大変だった。ぶち破ると一言で言っても簡単に済むものであるわけがない。ましてや華奢な占い師と若造アルバイターという、肉体労働には不向きな職種の2人が挑むのである。互いの身長と体格を考慮して、体当たりや蹴り飛ばしてもドアが壊れるより自分たちが壊れることを確認した後、家具にその役割を代わってもらうことにした。力をあわせてテーブルを抱え、合図で横にスライドする扉にぶつかる。繰り返しては休憩し、テーブルが傷んできたら椅子、卓、動かせる大きさの家具を持ち出してはドアと格闘した。

 がんばったご褒美なのか、あるいはへたり込んでは立ち上がりをくりかえす彼らを哀れんだのかは分からないが、結果的に幸運の女神は地道な努力に微笑んだ。もう数えるのも馬鹿らしい何十回目の挑戦でドアが今までとは違う音がし、全く動かなかったドアは渾身の力を込めれば何とか横に動くようになった。

「開いた。万歳、助かった」

 すでにここにいたものたち全員が退去している通路の中、万歳の習慣がないフォーチュンは全の真似をせずにじっくり考えた。ここはどこか、どうすれば安全な所までたどりつけるのか、無事帰還するためには何をするべきなのか。全を経由してここが相当大きな基地である事、重火器や兵器は一通りそろっている事、本拠地ではない事は知っている。しかし具体的な事は何も分かっていない。ここから一歩外に踏み出せばそこは外で汚染の雪を吸い込んでしまうかもしれない。いきなりAG走る戦場でどことも知れぬ人型兵器に足でもふんづけられるかもしれない。それともシェルターからはるかはなれた陸の孤島で、人里へたどりつくのに何日もかかるかもしれない。悪い可能性は無限大だった。そのような状況でどうするべきか。

「何がともあれまずは出口ですよね。出口がないと脱出のどうのこうのもありません、見つけてから外の見当をつけて、必要なものを集めますか。さ、全さん、行きましょうか」

「その前にやる事がある」

 全は立ち上がらずに粘つくようにフォーチュンを見た。

「なんです?」

「ご飯を食べよう。おなかが減った」

「冬華さんみたいなことを言いますね」

 こんな時だというのにまっさきに空腹を訴える全にフォーチュンは呆れて笑った。確かに空腹である。飲まず食わずで慣れない運動を行ったせいで空腹のあまり胃が痛い。しかしやはりご飯を食べたがっている場合ではないし、そのためなら1日ぐらいフォーチュンは絶食を覚悟していた。

「だってすいたじゃないか。冬華でなくってもこういう時は何か食べたくなるよ。別に豪華なものとか、食べると健康になるものしかいやと言っている訳じゃないんだよ、普通のジャンクフードでも、この際猫まんまでもいい、人もいないっぽいしつまみ食いしても怒られないよ。食堂とか台所へ行って何か食べよう」

 全にしては珍しくフォーチュンに逆らって主張した。そこまで言われるとフォーチュンの我慢を誓ったはずの腹も強烈に主張し始める。

「それもそうですね。ご飯から先にしましょうか」

 かくして2人はおおよそ原始的な目的の元、人が全て消えた基地をさまようことになった。

 

 撤退は最低限の時間を与えられたらしい。あったはずの機具道具はあらかた持ち去られていて、基地がやけに広く感じられた。

「夜逃げ後みたいだ」

 全の指摘は正しく状況を表現していた。

「夜逃げをしたことがあるのですか?」

「ない。でも不動産と引越し屋のアルバイトをしたことがあるから、結構見たことがある」

 平凡は平凡なりに人生に活劇を秘めている。「だとしたら私たちはその空き家に入る泥棒ですね。何かめぼしいものはないのでしょうか?」

 本職の盗人のようにフォーチュンは注意深く使えるもの、価値があるものを捜し求めたがその何かが見つかるより先に台所に着いた。

「フォーチュン、食べ物がある!」

 全は嬉しそうに冷蔵庫の野菜室からジャガイモを取りだした。業務用の冷蔵庫は部屋のように大きく、置き去りにされているジャガイモも10袋分だった。

「きっとジャガイモは重いから置いていかれたんだね。フォーチュン、バターないかな。バターがあればじゃがバタができる。熱々のジャガイモにたっぷりバターを乗っけて、四角いバターがとろりと半分溶けてジャガイモにしみこんだところをはふはふいいながら食べるんだ。どうしよう、よだれが出てくるよ」

 フォーチュンはこの青い髪のアルバイターをこっそり哀れんだ。確かにじゃがバタはおいしい。しかしジャガイモを目撃して真っ先に出る料理ではないだろうし、そこまで賛美するほどでもない。素朴なおやつに目を輝かせる若者の姿は、それよりもう少し年を取った自営業の青年には現在進行形の貧乏さを感じさせた。

「バターは見つからないな。しょうがない、この際ただのゆでジャガイモでもおいしいよね」

「全さん。悪い事は言いません、これが終わったらちゃんと就職しましょう」

「ん? それも占いの結果なの?」

「いえ、これはただの人生経験です」

「フォーチュン、ついでにジャガイモをどう料理すればいいのか占ってよ」

「それくらい自分でお決めなさい」

 結局全は大きななべに湯を張って、ジャガイモをゆでて芯まで柔らかくなったらむいて食べた。フォーチュンもお相伴をしたが、心はどこが出入り口で、この後どうするかということだけだった。

「フォーチュン、もう1つどう?」

「ジャガイモばかりそんなにたくさん食べられませんよ、少し周囲を見てきますので、全さんはここにいてください」

「周囲って、どうしてさ。そんなに見るものはないんじゃないの?」

「ただの思いつきですが、食堂に大量の物品を運ぶのは大変です。水も食料も重いものですしごみだって相当出ます。それを少しでも軽減する方法として、あらかじめ食堂を出入り口付近に配置するということがあります。そうすれば出し入れも簡単です」

「そうなの? フォーチュンが基地に詳しいなんて知らなかったよ」

「いえ、今考えただけです。所詮素人の戯言、正しかったら運がよい程度ですよ」

 7つ目のジャガイモをかじる全に胸やけを覚えながら占い師は適当に歩き始めた。自分もジャガイモを3つ食べたものの、結局空腹の調味料にも限界があるということだった。

「私も冬華さんを笑えませんね。富山シェルターは豊かですし自分が美食家だったとは知りませんでしたよ」

 首をふりながらなくなって初めて分かるありがたさを感じていた。今は懐かしい何でも屋を思い返す。

 兵器好きの事を考えていたからその恩寵があったのだろうか。何気なくのぞいた倉庫でフォーチュンは扉の前で固まった。目をこすり、自分の幻視ではない事を確かめると即座に服のすそを翻し、残りのジャガイモをお土産として風呂敷につつんでいた全の前に飛び出る。

「フォーチュン、あった?」

「いえ。ありませんでしたがもっとすごいものを発見しました。来てください」

 強引に全の腕を引いてフォーチュンは自分が見つけたものの前へ引っぱっていった。

 それは戦車だった。四角い鉄の塊にキャタピラと大砲がついた、真っ黒い死の車だった。

 

「自転車じゃないんだから。その辺に落ちているものじゃないでしょ」

 フォーチュンが嘘をつく理由はないとは知っていながら、それでも冬華はつっこまずにはいられなかった。全がフォーチュンと一緒にいるだけでも十分意外なのに、その上戦車操縦ときたら予想外を通り越してシュールである。

「私もそう思いますよ。でも実際にあったのですから。手分けして出入り口らしい箇所を見つけて、そこから戦車で出て行ったのです。幸いにして全さんが普通四輪と普通二輪の免許を持って、しかも日常的に使いこなしていましたからね」

「動かせたのか」

 この時代人々の生活範囲は狭く、しかも公共の乗り物が発達しているので普通の人は徒歩と動く歩道で事足りる。金がかかり環境に悪い車はほとんど使われないし、当然ながら運転免許を取る人は少ない。しかし一部の職業では配達や運搬にいまだに車を使用しており、仕事を転々とする全は職業選択の幅を広げるために免許を取得したのであった。

 しかし相手は戦車である。確かに教習所で習うものだが、それは射撃ゲームが得意だから本物の戦場に立たせるような無謀さだった。

「何とか。全さんがひらったくなって下の操縦席に座って、私は右の前の大砲を撃つ席に座りました」

 ちなみに戦車を操縦する時に必要な人数は4人、操縦手車長砲手装填手である。2人でも動かせることが出来るのか。試した事はないので分からないが、実際に乗っていた以上出来るのだろう。

「初めは車の運転と同じようなものですよなんていわれて調子に乗っていたのだけど、あっちぶつけてこっちぶつけて大変だったよ。さっきでやっとまっすぐ動かせるようになった」

「大砲を撃ったのは私です。適当にやったにしてはうまくいきました。偶然とはいえいい物を拾いましたね」

「本当だね。どうしてあんないい物がほっとかれていたんだろうね」

 原因は冬華にはなんとなく見当がついた。戦車は確かに強い。動く兵器で人間はひとたまりもない。しかしあまりにも古臭い時代錯誤な物なのである。今の流行人型兵器AGに比べたら融通が利かず、4人乗らないと動かない、遅くて武器の威力もたいした事はないという微妙なものだった。余裕があるときなら持っていってもいいが、急いでいる時なら置いていかれる程度の兵器なのである。

 フォーチュンの長い話が終わり、内容がいかに戦車を乗るのが大変だったかに移行した時には、冬華はふて腐れてその場で帰ってしまいたくなった。

 要は自分たちで何とか逃げ出したのである。偶然と幸運を味方につけて、最善の努力をして勇気と知恵を振りしぼり見事脱出したのである。

 冬華はその時どうしていたか。怒って無理をしてバーミンガムに来て、じりじりとお茶をして罠と知りながらその中に飛び込んで火器の前に無防備に姿を現して危機に陥っていたのである。そうしてとどめとして助ける対象に助けられた。荒事の専門家の何でも屋がただの占い師とアルバイターに助けられたのである。心配といらだちが大きかったあまり、反動もまた大きかった。

 冬華の背負う空気が微妙に重くなったことに全は敏感に気づき「でも冬華さん来てくれてありがとう。本当にもうこれで駄目かと思ったよ。これで富山に帰れる」とはしゃいだ。

「そうですね。ここにいてもしょうがありません。冬華さん、安全な所に行きましょう」

 のど元まで「勝手にどうぞ。脱出できたのだからそこから先も出来るでしょ」と言ってすねている事を思い知らせたかったのだが、「それに安全な場所でお話したいことがあります」と不意にまじめな顔になって告げたので意地悪を危うく飲み込んだ。

「……分かった。帰ろう」

「そうでなくっちゃ。早く行こうよ」

「いや、正面きってはまずい。連合軍に見つかったら攻撃される恐れがある。この辺をうろうろしていて戦闘に巻き込まれても事だし、ここは1つ大回りをするか。シェルターの非常用階段を使って1階層下へ降りて、それから…… ここに近い旧ヨーロッパ地域のシェルター直通の運搬通路でも見つけて、そこから歩いて他のシェルターへ移動、リニアモーターカーに乗って富山へ行こうか。竹屋に挨拶もなしで義理を欠くけど仕方がない」

「あのさ、冬華。ここを襲ったバイオウェポンを避けるのは分かるけど、どうしてそれと戦っている連合軍までそんなに避けるの?」

 全が答えを聞きたくないかのように恐る恐る質問した。

「わたしだって危ない橋を渡ってきたんだ。ハロイド大佐というバーミンガムの軍人に見つかったら危ないと思って。連合軍に助けを求めないほうがいい」

「こんなに色々大変だったのに、さらに歩いてドーバー海峡を渡れって!? そんな殺生な!」

「泳いで渡れと言っていない分ましでしょう。行こう。戦車は捨てておくよ。足が遅いし、持っている方が危ない」

 冬華の口調は穏やかだったが断固としていた。フォーチュンは反対をしなかった。全は従うのには不服そうだったが、かといって敵の軍隊の中に飛び込んでいく勇気もない。

 歩きはじめて気がついたが、フォーチュンは古めかしい服を何十にもまとっているが全はシャツとズボンのみで手をすり合わせていた。冬華は黄色の上着を脱いで全に放り投げ預かり物のケープをフォーチュンに手渡す。

「どこで見つけたのですか!? 盗られた物ですよ」

「ちょっとね。これでわたしはおびき寄せられたの」

自分は荷物からコートを取り出し静かにまとう。思い出して冬華は端末をつけた。

「冬華、電話?」

「そう。その上着を貸した白宝っていう人に様子を逐一報告しろって頼まれたの」

 もう逃げ出す予定なので律儀に報告しなくてもよいのだが、友情は大切にしないといけない。とくに有効利用できる打算と思惑がたっぷり絡む灰色の友情は大切にしたほうがいい。

「もしもし、わたし冬華。今探し人を見つけたから逃げる」

『あ、冬華! よかった、無事だったのね。見つかってよかったわね。その人元気? 冬華にも怪我はない?』

「ないない全くない。何でも屋がこの程度で怪我してたまるか」

 怪我どころか命が危険だったのだが黙っていた。大半の人間と同じように冬華は自分の失敗に関しておしゃべりではない。

『よかった。今どこ? インタビューしたいわ、すぐに行くわね』

「せっかち」

 悪いけどもう2度と会えないよ、今から逃げるから。冬華はそう言うつもりだった。

『そうせっかちでもないわよ。私の方もバーミンガムシェルターにいるもの』

 冬華は桜饅頭をのどに詰まらせてお茶を欲しがっている人の真似をした。そうしようと思ってしたわけではない。

『やっとやっと事態が動いたのだもの、待ちきれないわよ。戦場にレンズを、世界の闇に光を、そして全ての世界に真実を。さっそく現地で声をかけた傭兵も収集してこっそり入り込んだのよ。今どこ? 迎えに行くわ。いやといっても行くわよ』

 冬華は一瞬、今全が羽織っている黄色のジャケットに発信機でも仕込んでいるのではないかとひらめいた。身についた習性で何もないことを確認した気はするが期待は出来ない。

「言っておくけど盗聴器じゃないよ。今端末で会話しているでしょう。私の端末から電波を逆にたどって、どの階層のどの辺りにいるか割り出すの。最新型のさらに特注品よ、いいでしょ」

 冬華が持っている端末は旧型の頑丈さだけがとりえだった。それでも冬華は今までに3回破壊し現在使用しているものは4代目である。華やかで多機能の最新型を少しだけ冬華はうらやましかったが、指をくわえている場合ではない。

『じゃあ、今から行くわね。待っていて』

 切れた。参ったなと冬華は端末をじっと眺める。

「白宝が今から来るって。しょうがない、便乗して保護してもらおうか」

「白宝さん? 今から来るのですか」

「そう。どうしてもって言っていた。あ、白宝というのは報道人で色々映像を撮ろうと燃えている人。護衛や傭兵を連れて行くから今より安全になる」

「金白宝? 北京シェルターの?」

 意外にも全が反応した。

「知っているの?」

「うん。祖父が北京シェルターの上層部にいて、結構いろいろな所で映像を写している。本を読んだ事あるけど迫力ある写真集だった」

「そう言えば上層部にコネがあるって言っていたな。あっちの方では今も昔も血縁関係を大切にするからそれか」

 一人納得する冬華とサインもらえないかなと見当違いのミーハー心を発揮する全を前に、フォーチュンは意を決した。

「冬華さん、ここは落ち着いてもいませんし安全でもありませんが、今しか機会がありません」

「何」すわった目をして迫るフォーチュンは落ち着いた普段の態度からすれば斬新だった。あまり見たいものではない。

「オースターンです。オースターンの言った事です。その白宝という人が来たら冬華さん以外の人間に聞かれずに話す機会はありません。今から話します。聞いてください」

「もう少し後にしようよ」

「いえ全さん、駄目です。今でないと話せませんし、冬華さんはもうシェルターから逃げ出すことしか考えていません。今だけです」

 フォーチュンは逃げ出すことに対して明らかに非難している。冬華は唇をきつく結んだ。自然とけんか腰になる。

「フォーチュン、私の態度に文句があるの? そんなにここで戦死したいのだったら置いてってもいいのよ」

「脅迫はよしてください。普段だったら私は冬華さんの意見には大賛成ですよ。でも私はオースターンからの言葉を預かっています。聞いてください、聞けばきっと考えが変わりますよ。

  最後の時オースターンは私達へ向かって言いました。なるべく再現します。

『俺と一緒にいる人間の目的はただ1つ、シェルターの動力源だ。今人間の住むシェルターは全てが壊れかけている。老朽化で悩んでいないシェルター上層部はない。あるシェルターでは技術者を育てて修復しようとしている。あるシェルターでは外の放射能を除去して外に住もうと考えている。でな、あるシェルターは当然ながらこう考えたんだ。他から盗ってくればいい、そしたら壊れた部品は交換して直せる。もちろんこの世界に代えのシェルターの動力源なんてない。代わりが欲しければ今動いている物を盗まないといけない。だから大半の奴らはそれ以上考えるのを止める、もっと地道で可能性の低いことに精を出す。

 考えるのを止めなかった奴らが徒党を組んで適当なシェルターを襲った。今のはそんだけだ。

 久々の戦争だ。引退寸前のじじいどもの血が騒ぐ。武器が必要だ、殺しの道具が。たくさんのたくさんの武器や兵器を買った。その中の1つ、最強の兵器が俺だ。もともとウォルトって奴の残した資料を基にシェルターで金かけて開発したんだが、ここの奴らがスカウトに来て、話に乗って研究所から逃げた。俺は強くて賢いし、ついでに俺がいると普段はばかなバイオウェポンたちが言うことをよく聞くからな。

 でも俺は、シェルターには内緒で別の事をするつもりだ』

 これを言ったオースターンは本当に嬉しそうでしたよ。全が口をはさみました。シェルターを裏切るの? オースターンは機嫌がよかったようですね。全は死なずにすみました。

『お互い様だ。利用しあって騙しあう。あいつらは俺がまんまと口車に乗って騙されていると思っている。でもあいつらは俺があらゆる軍事知識と戦略戦術を叩き込まれた事を忘れている。

 俺は動力源をぶち壊してシェルターの中でしか生きられない奴らに思い知らせてやる。俺と俺の同族が世界を支配することを。どうせ始めるならでっかく行かないとな。駒はそろっている。この辺には軍隊ばっかりだけど、TVとか新聞とかマスコミがうろついている。全シェルターに伝えるのにいい舞台だ。俺が世界を頂く。

 冬華に伝えろ、俺と会え、俺と話せ、俺と戦え。俺は最下層にいる。動力源があるところだ。1人で来い。味方も、シェルターの人間も、バイオウェポンもいらない。一対一だ。フォーチュンは冬華の友達だよな。伝言は渡した。怠けていると人間全てが死ぬかもしれないぞ』」

 フォーチュンは出来る限界までオースターンの真似をした。口調に音韻、さすが客商売だけあって上手だったが、オースターンの黒の無邪気さと残虐さまでは捕らえきれていなかった。

「冗談でしょ」

 微塵も冬華はフォーチュンが伝えた事を疑っていなかったが、それでも嘘であるのを願った。

「現実離れしすぎていて私もそう思いたいのですが、伝えられたことは事実です」

「で、わたしが行けって? バーミンガムシェルターの人間全ての責任を背負って?」

「オースターンは来なかったら何かするなどとは言っていませんでした」

「言っているも同然じゃないか。あからさま過ぎて吐き気がする!」

 怒鳴って吐き捨てて。フォーチュンが逃げ出すようなことをしてやりたかったが、言葉には意外と力はなかった。代わりに冬華自身が憤りでいっぱいになってくるのが分かる。吐き出し口も向ける力もない、今ここにある全ての不条理への怒りで身体が重い。

「なぜよ」

 不安げで頼りなかった。

「何でわたしなのよ。わたしが律するのはわたし1人だけなのに、それ以上の責任は重たくって仕方がないのに。フォーチュンだけでも重くて重くてならなかったのに。何でさらに1シェルターが背中にのしかかってくるの。わたしは超人でもなければ正義のヒーローでもない。ただのよくいる、十把ひとかけらの何でも屋だ。適当に仕事があって、時に危ない目にあって私生活は意外と平和で、そのうち仕事でへまして死ぬか無事引退して料理屋でもやるかというような普通の厄介事よろず引き受け何でも屋だよ。それなのにどうして何もかも積み重なってくるんだ」

20番、審判の正位置」

 フォーチュンがカードの山から目の前に掲げた1枚。天使が雲間からラッパを吹き、棺桶の中の死者たちが次々によみがえり起き上がる絵柄だった。

「これは最後の審判です。天使が神の出現を知らせ、眠りについていた死者は目覚め生前の行いを問われます。決断と裁きの瞬間、最終的で決定的な審判。壊れた世界は再生し、長いまどろみの人々は起き上がり、傷は癒され歴史は革命の時を迎えます。

 オースターンの事です、冬華さんを呼んだ深い意味はないでしょう。一番興味をひかれた人だから程度のものです。しかし冬華さんは呼ばれました。行くか行かないか、行ってどうするのか行かないでどう動くか、全て冬華さんの手の中です。お選びなさい冬華さん、ラッパはすでに響き渡り、警報アラームはけたたましく、目覚まし時計は隣人の迷惑になるほど鳴っています。神と対峙するか、棺桶の中に戻るか」

「……言ってくれるじゃない、伝言人は人ごとだから気楽でいいよね」

「岡目八目。客観的に見ているだけですよ」

 辛辣な舌にも差し出されたカードは動かない。冬華は鼻を鳴らして審判のカードをひったくった。

「ここまで盛大にけんかを売られたら、相手がどうであろうと買って叩きのめさないと腹の虫がおさまらない」

「それでこそ冬華さん」

 タロットカードは見た目よりは分厚くて重量があったが、重くて持てないほどではなかった。

 

「それでどうするの」

 恐る恐るの全に冬華は先回りして話した。全が本当に尋ねたい事は分かる。

「全は白宝の所にいて安全に守られていてよ。わたしが行くのは危険度Sの敵が待ち構えている最下層動力源だ。そんな所に全を連れて行けるか。フォーチュンと一緒におとなしくしていてよ」

「よかった。一緒に来いって言われたらどう断ろうかと思った」

「ちょっと待ってください、ついて行きますよ私は」

 フォーチュンがさえぎるように身体を2人の間に割り込んだ。全は地獄で蜘蛛の糸を見つけて引っ張ってみたら糸をつけた蜘蛛が落ちてきたような顔をした。

「フォーチュンなに考えているんだよ、戦場だよ戦場! あのオースターンが相手だよ、あの人は平気で人に銃を向けたんだよ、普通に人を殺せるような人だよ! 危ないよ、専門家の冬華に任せようよ」

 一般的な場合、このような事態の専門家は軍人と呼ばれる。

「火がついた戦車を放っておく隠者はいません。幸い銃も少しは扱えますし、私はオースターンに好かれているようですから対面した時多少は有利です」

「危険なんだよ、分かっているの!」

「分かっています、全さん」

「冬華だって危険な目に会うんだよ、足手まといだからって冬華に見捨てられたらどうするの」

「冬華さんに見捨てられる前に私が逃げるのが早そうですね」

「冬華ぁ」

 全は助けをもとめて、黙って目を見張っていた冬華にすがりついた。フォーチュンはいらだたしいほど落ち着いて冬華の探るような冷たい視線に対抗している。

「何でついてくるのさ」

「けしかけたのは私ですからね」

「死んだらどうするつもり」

「それまででしょうね。幸運の女神に見捨てられたらどの道おしまいですよ」

 覚悟を決めたゆるぎない態度に冬華はため息をついた。「勝手にしろ、この占い師」

「そうします」

 何かを含んだすまし顔で3人の会話は終わった。

「さて、白宝さんの方はどうします?」

 そっちの方がより扱いが難しそうである。

「お世話になったし、正直に話してその場で別れたら?」

「却下」冬華は全を見もしなかった。

「どうしてさ」

「戦場のマスコミにそんなこと話してみなよ。賭けてもいい、アーシェンスにステーキを出したようないい食いつきを見せるに決まっている。死んでもわたしから離れなくなるわよ」

「誰、その人」

「同感ですね。黙って立ち去りましょう。全さんは冬華さんの端末を持ってこの場に隠れているほうがいいでしょう。それで白宝さんが来ます、そこで適当に言って保護してもらってください」

 突っ込みを無視された全は少し寂しかったが、それでも素直にうなずいた。

「じゃあ、2人とも気をつけてね。怪我をしたりひどい目にあわないで」

「最善を尽くしますよ」

「最善を尽くしたいのだったら今すぐ隠れて」

 感動の別れを邪魔して、冬華は鋭く言い捨てた。

「え?」

AGが来る。連合軍かそれともバイオウェポンかはたまた敵か。とにかく隠れて。わたしがまず様子を見る」

 全は周りを見回して耳を澄ませた。

「またまたそんな。何にも見えないし聞こえないよ」

「全さん、隠れましょう」

 フォーチュンが全の肩をつかんで適当な瓦礫の陰に連れて行った。「私にも分かりませんが、専門家が言っている事を甘く見るとろくな事になりません。冬華さんはこんな時まで嘘をつく人でもありませんし」

 2人が瓦礫の山に消えたのを確認すると低くかがみ、AGと縁がありなおかつ美食家である冬華でしか分からないほどかすかな機械と油の臭いの正体を確認しようとした。

 AGの姿は見えたが、冬華はもっと別のものに視線が釘付けだった。

「白宝と、竹屋?」

 戦場だというのに報道用の大型車に乗って、和やかに話しかける白宝と自分が何でここにいるのか分かってなそうな助手席の竹屋がはるか遠くの人工レンガの道の先に見えた。傭兵を連れて行くと言うだけあって、AG1体に胸に傭兵派遣組織ディスパーチの印がついている強化装甲着用者が3人ついてきていた。白宝の連れてきた「軍隊」はシェルターの正規軍から見ればままごと同然だが、個人が所有すると考えると立派だった。とっさにかき集めたにしてはなかなかである。特にAG保有者などそうはいないから、よほど大金をばら撒いたのだろう。AGは個人所有のものらしくかなり改造してあった。その機体を見ると心懐かしくなるものがあって……

「あれ、アーシェンスの」

『えええ! トーカ! どうしてここにいるの?』

 1人友人が混ざっていた。顔が見られなくても驚愕しているのが分かる少女はライヒプチシェルターの何でも屋、アーシェンスである。そっちこそなんでこんな所にいるのか。冬華の疑問は瞬間的に回答にたどりついた。

「報酬はよかったの?」

『もう最高によかった! しかも即金で前払い!』

 簡潔にしてよい返事だった。

「冬華!」

 白宝は冬華を発見するとすぐに車を止めて、竹屋の手を取って駆寄ってきた。竹屋の方はいかにもいやいやついてくる。

 白宝が来るのは早かったなと冬華は心の中でぼやいた。白宝なら敵ではないが、あまり会いたくない相手でもある。どうしたものかと冬華は少し考え、すぐに結論を出した。ごまかしごまかし話して、全を押し付けとっとと逃げよう。

「やっ、白宝。白宝がここにくるのはまだしも分かるけど、どうして竹屋までついてくるの」

「僕だって来たくて来たわけじゃない。そこの北京シェルターの人が、ここは危険だとか軍に目をつけられているとか、私と一緒に行けば安全だって言って無理やりつれてきたんだ」

 今すぐ帰りたい、できれば小樽シェルターに帰りたい、無言で竹屋は訴えていた。冬華は今日何回目かも分からない後悔の念が頭をもたれるのを感じた。

「金白宝」

「だって冬華さん、きっと竹屋さんがいないと逃げてしまうもの。せっかくお見知りおきしたのにそれはないでしょう。あなたたち」

 強化装甲兵は命令に忠実に従い、重機関砲を冬華と竹屋に向けた。白宝は涼しい顔で巻き添え回避のため1歩後ろに下がる。あれの引き金が引かれれば冬華たちは原形をとどめているまい。

『金、その人は、あたしのっ!』

「あらアーシェンスちゃんの知り合い? 意外だわ、冬華は顔が広いのね。でもお仕事はちゃんとしてね。でないと契約不履行でもう二度と仕事ができないようにするわよ」

 お友達と戦うのは辛いわねと、本当にそう思っていそうな切なげな白宝だった。アーシェンスの雷花はかなり長い間ためらった後『ごめん』と銃が他の3つと同じ方向に口を開く。

「冬華さん、この人友達じゃなかったの? なんで銃を向けられるのさ!」

「うるさい」

 冬華は耳元でわめく竹屋の頭に拳を振り下ろした。軽く叩いたつもりではあったが、竹屋がうずくまったところを見ると結構強い一撃だったのかもしれない。冬華は舌打ちをして端末を地面に投げ捨てた。

「竹屋、私と冬華は友達よ。バーミンガムの宿営地で一緒にお茶をしておしゃべりしたのは楽しかったわ。でも私は仕事が好きなの。友情と仕事は両立するわ。冬華は人を探してここに来た。こんな時に、危険を冒して、連合軍を敵に回して。ただの知り合いが戦争に巻き込まれただけではないに決まっているわよね。そして知っている? 連合軍唯一バーミンガム軍人ハロイド大佐は冬華をずっと注目していたわ。動作1つに気を使い、直接出向いて対話を交わした。ここまできて言い訳は聞かないわよ。冬華、あなたは重要人物だ。あなたの謎は何。隠されている事実は何。まずは探し人を紹介してもらおうかな。自分と竹屋が大切だったら」

「ふむ」

 冬華はうなった。竹屋が腰を抜かしてへたりこみ、冬華の服のすそを引っぱる。

「とと冬華さん! 助けて、その人どこ、その人を会わせるくらいいいじゃないか、金さんに紹介してあげてよ」

「それには及びません。自分の名前くらい自分で言いますよ」

 潔くフォーチュンが姿を現した。顔は営業用の穏やかな笑みが張りついているが、背を伸ばして白宝を見すえあからさまに敵意を示している。

「フォーチュンです。職業は占い師、御用向きの時はぜひ任せてください」

「この、馬鹿者!」

 冬華は罵った。フォーチュンはあらかじめ覚悟していたように肩をすくめる。

「冬華さんと後1人には代えられませんよ」

「だからってのこのこ素直に。よくそれで商売やれたものだ」

 堂々としたフォーチュンの後ろに全はいない。冬華は白宝に探し人が複数とは伝えていない。そのときは冬華自身ですら全も一緒に捕まっていたとは知らなかったのだ。フォーチュンは自分を早々に人前にさらして全を守るつもりだ。冬華も乗った。せめて1人ぐらいは無事で済ませたい。興奮と不安で頭痛がする。全身から汗がふきだした。頼む、白宝がこれを探し人が見つかった衝撃によるものだと思いますように。

「アンニョンハセヨ。占い師フォーチュン、高名は聞いていますわ。その道での有名人がこんな所で危険にさらされているとは思いませんでした」

「私について知られていましたか」

フォーチュンは少し驚いたようだった。

「ええ。あなたの占いはよく当たるそうですね。動かないで下さい。彼があなたを見張っています」

 フォーチュンの背後に死に神のようにひっそりとAGが出現した。いきなりのように見えたが単にじっと物陰に潜んでいただけだろう。AGがもう1体出てきた事には驚かない。アーシェンスのAGは偵察と補給のための機体である。性能をより生かそうとすれば自然にもう1体ぐらいAGが湧く。黒い機体は火力機動力ともにバランスがよく、やっと生産ラインに乗ったはずの一昔の最新機種だった。冬華はAG専門家ではないが雑誌で読んだことがある。金がたまればいつかはと思わなくもなかった機種だった。

「ユニオン社製U-AG-011、ホークモス。いい機体に乗っているじゃないか」

 冬華は軽く引っかけようとした。

「あの護衛は多才ね。白宝は人を使うのがうまいじゃない」

「引っかかってあげるわ。確かにスティルは優秀ね。銃も使えればAGも乗れるのだもの。元軍人だったのだって」

 いまだ姿を見せない白宝の護衛は今やAGの中の人だった。それが分かったところで今が八方塞だということは変わらない。

「冬華、お願いだから武力に訴えないでね。AGはそれぞれ冬華とフォーチュンを見張っている。おかしな動きをしたら即行動するように命令しているわ。私はあなたを死なせたくないの」

 冬華は竹屋の背中に手を伸ばし、叩いて気休め程度に慰めた。状況は絶望的であった。こっちは生身の人間3人うち素人2人、向こうは強化装甲着用のディスパーチの傭兵3AG2体。笑い出したいほど状況は悪い。いい点として相手は軍人ではなく、あくまでも情報が欲しいこと、AG1体の中身は知り合いで動揺していること。ここは1つアーシェンスに友情を思い出させ心に火をともし手に手を取って逃げ出すのも悪くないが、そこまで長くも深くもお付き合いはしていない。逃げ出すには言葉巧みに隙を作り、そこから一発逆転を狙うしかない。

「冬華。人間、それも何も訓練を受けていない人間はそう長い間殺されるかもしれない状況、銃と殺意を向けられ続けるのに慣れていないわよ。トラウマになってもそこまで責任を取らないわ」

 その通りだった。フォーチュンは持ち前の面の皮の厚さで平然としているように見えるが、いまだ震えている竹屋は簡単に限界に到達するだろう。硬直して指一本も動かすことが出来ない竹屋に弱いのが悪いと切り捨てるほど冬華は薄情でもなければ恩知らずでもない。

 しょうがない、話そう。それで困ったことになっても知るか。色々起こりすぎて投げやりになった冬華は腹をくくった。

「話すよ」

「嬉しいけど、それは本当かしらね」

 簡単にうなずきすぎて逆に白宝は信用が置けないらしい。冬華は投げやりながらも腹がたって、憎まれ口の1つでも叩こうと息をすった。

「あんたね」

「冬華ぁぁぁ!」

 耳に痛いアクセルの音。土煙が舞いそこにいた全ての人が泣き声を聞く。冬華はあきらめかけていた顔を上げた。21番世界のカード。期待していなかった腕を差し伸べられた、そんな錯覚を抱く。

 白宝が乗っていた車がつっこんでくる。後方で放置されていた大型車の運転席には全がいた。泣きそうになりながらハンドルを握りアクセルを前かがみになるほど踏みつけている。誰もが忘れていた青い髪のフリーターは白宝に、そしてその先の冬華めがけて鉄の塊と化して走った。

「乗れぇ!」

 白宝は強化装甲の1人に横から抱えられて九死に一生を得た。迷わない、冬華は両手を広げ抱きしめるように大きく跳ぶ。乱暴に後部座席に転がり込んだ。

「フォーチュン!」

 冬華は身体を乗り出し、フォーチュンへ手を差し出した。ぶつけた頭が痛む。フォーチュンは拒まなかった。占い師を車の中に引きずり込む衝撃で冬華は再び後頭部をぶつける。

「冬華!」

「いって。全、走れ!」

「分かっている!」

 全は振り向けない。とてもそんな余裕はない。

「ちぃっ。スティル、アーシェンス。冬華を追いなさい!」

 白宝が命令する。無理だ。AGは戦闘するもので走るものではないし、もちろん強化装甲兵もとても強い鎧を着けているだけで運動能力その他は所詮人間だ。移動を目的とする車は戦うにはとても手ごわいし、ましてアクセル壊れよとばかりの時速200キロの車には勝てない。

「この、だったら」

 しかし自分たちの得意な戦闘に持ち込むことも出来ない。確かにAGたるもの破壊能力は抜群にある。車の1台や2台木っ端みじんにするなんてお手の物だ。しかし今欲しいのは命ではなく情報である。そのためにある程度は無傷で捕らえないといけないが、戦争のための道具にそんな便利な能力はついていない。交渉しようにも冬華ははるか遠くにいるし、唯一連絡が取れる端末は白宝の目の前に投げ捨てられて転がっている。

 冬華は振り返り、次の手を考えあぐねている白宝一行に陽気に手を振った。

「愛号!」

 かろうじて悪態は聞こえた。普段上品な白宝なのに驚くほど似合っている。

「冬華さん挑発している場合ではありませんよ!」

「車が止まらないよ!」

「がんばれ応援している!」冬華は全が言って欲しかったことを言わなかった。

「だから止まらないんだって! 助けて!」

「全さん、あなたなんでまたこんな事を。すみません、私はあなたを見くびっていました。そんなに勇敢だとは思わなかった」

「ちっとも勇敢なんかじゃない!」

 悲鳴を上げながらも全はハンドルを握り締め前を見つめていた。声は確かに勇敢だというよりやけくそに近い。

「こんな事するつもりじゃなかったんだ、フォーチュンに言われたとおり逃げるつもりだったんだ!」

 迫る家屋、遠くの銃撃。車側面をこすり黄色の塗料を壁に貼り付け冬華たちが乗る前まではなかった凹凸が増えていく。それでもまだ全は正面衝突もしていなければ冬華を振り落としもせず現実逃避もしていない。

「褒めなくていいよ、勇敢じゃないんだから。でも、後ろで車が置いておかれているのを見て、鍵がかかりっぱなしなのを見て、運転できるかなと思ったら何も考えずに近寄っちゃって。動かせて、ひょっとして全員で逃げられるんじゃないかと思って。本当にこんな事するつもりじゃなかったんだ、これ以上運転できないよ! 後は冬華さんが運転してよ、時速メーター振り切れちゃったよ、助けてっ」

 フォーチュンはやっと身体を起こしてその辺にしっかりつかまり、数回咳払いをしてからわざとらしく落ち着いて全に助言した。

「これだけ速いと足場も砂利と瓦礫ばかりですし、下手にブレーキ踏むとスピンしそうですね。ブレーキを踏まずにアクセルから離してください。後は事故を起こさないように運転するだけです」

「起こしそうなんだって、いつも法定速度を守って走っているのにいきなりこんなになんて出来ないよ、今すぐ代わって!」

「無理言うな。わたしは車の運転は出来ないよ」

 かつて車社会と呼ばれていたときと比べると格段に運転免許保有率は下がっていた。

「嘘だろ!? だって冬華さんAG乗れるんだろ?」

「人間難しいのが出来るからといって簡単なのが出来るとはかぎらないわよ。AGは乗れるけど車には乗れない」

「言っておきますが私も乗れませんよ、全さんがんばってください。事故を起こしても恨みませんから」

「嘘だぁ!」

 厳密に言えば冬華はぜんぜん運転できない訳でもない。AGの複雑怪奇な扱いに比べたら車はアクセルとブレーキとハンドルさえ扱えば何とかなりそうだった。でも見よう見まねでやってみる冬華と今まで運転経験がある全、根性や性格といった面を度外視すればどちらが運転したほうがいいかは火の中に手をつっこんだら火傷をするのと同じくらいに明らかだった。

「ついでに全、どうせなら階層間エスカレーターへ行って!」

「どうして!」

「オースターンに会うためよ。ここで降りていつ白宝がくるかびくびくするよりいっそこのままの方がいい。ぎりぎりまで近づいていって、それから先は逃げていいから」

「近寄りたくない!」

「そう言わずに。わたしのできる最大限まで全が安全になるようにするから」

 全が否定か肯定か、意見をはっきり言う前に人間の移動用の螺旋型階層間エスカレーターが見えた。人間用とはいえさすが階層の移動に使用されるだけある、通路は白宝の車が楽々入ることが出来る大きさだった。

「全、頼む」

 このときほど全は泣きたいけど泣けない時はなかった。自分にすら聞こえない声で小さくつぶやく。

「何?」

「きっと、こうやって詐欺にはめられて深みにはまっていくんだなって、将来を悲観したんだよっ」

 半分やけになったように全はハンドルを鋭く切り、階層間螺旋型エスカレーターへサイドミラーをこすりながら突撃した。全のやけくその怒鳴り声、ポーカーフェイスがとうとうもたなくなったフォーチュンのか細い悲鳴。車とシェルターがぶつかり合って甲高い声で叫ぶ。

「っ、冬華、なんだか変な音がしない!?」

「ああん!?」

 言われて気がついた。無線電信のノイズのように意味のない雑音が聞こえる。坂道を転がり落ちているような車の中で、大声をあげながらの道中で聞こえるのだから相当大きい。

「変なの、なんだろ!」

「ラジオですか? カーナビですか?」

「よく聞こえない、雑音がひどい」

 そう愚痴ったのを聞いた訳ではないだろうが、ばらばらの糸くずが1本の糸になるように雑音が明瞭な意味を持った。

「…Hello?

 この場にいる3人はよく知った声だった。

「と、冬華さん!」

「黙って。どうせ声だけなら何も出来ないわよ」

「待ってください」

 フォーチュンが危なっかしく身を乗り出して通信機の音量を上げる。通信機の電源は切ってあった。

「強制割り込みですか。何て事です」

「こんにちは皆さん。紳士淑女の方々。軍人会社員主婦商売人。肌黒肌白黄色に赤い肌。金持ちも貧乏人も、男も女も、老いも若きも、ありとあらゆる全ての人間へこんにちは」

 言葉は理性的で明瞭だった。

「こんにちは、こんにちは、革命の時へ。こんにちは非日常の世界へ。俺はオースターン。種族はバイオウェポン、職業はテロリスト。さてさっそくだけど」

  オースターンは演出家だった。一瞬の空白を十分に生かす。

「世界は俺がもらう」

 冬華は最大限の侮辱と怒りを込めて舌打ちをした。

 

 

これは平成163月から11月にかけて書いた。

なんだかロマンチックなタイトルになった。魔術師も星もちゃんとタロットとしてあるし本編に関係するのだが、つなげてみるとすごい事に。まるで少女漫画のようである。もちろん本編にロマンチックさはない

北京シェルターの金白宝と護衛のスティル登場。金は韓国系のレポーターで作中でも韓国語をぽつりと話す。これを書いていた当時韓国ドラマの流行があったので「どうせ書き終わるころにはブームも終わっているだろうな」と思っていたら、どっこい定着していた。もちろん熱しにくくさめやすい自分はいまだに韓流にのっていない。

2人ともちょいやくのつもりで出したら竹屋と同じように意外とでしゃばった。特に白宝は喋りすぎで大幅に削る事になり大いに苦しんだ。ちなみにスティルの乗っているAGホークモスの和名はスズメガ。

相方に読ませたらいくつか登場キャラの落書きをした。そのうち1つのフォーチュンが本当に麗しくてびっくり(散々作中で美形だ美形だと言っておきながら、自分にはいまいち顔の見当がつかなかったのである)。本当に冬華以上に美しい。正直冬華の立場がない。さぞフォーチュンは作品内でもてないであろう。

じゃがばたについて

以前大学(自分の母校ではない)の文化祭に行った時食した。もちろん今までも食べた事があったが寒風吹く中たっぷりバターのかかったジャガイモはことのほかおいしかった。たしかに高価なおやつではないが、これに関してのみフォーチュンの意見は間違っていると思う。じゃがばたはおいしい。

これを書く上での銃の調査や勉強はろくにしていない。さぞ詳しい人をいらだたせているのだろう。何かに詳しい人たちにとっていい加減だったり勝手なイメージのもと書かれるのは非常に悔しい事なのだ。自分も以前商業誌で同じ経験をしたので悔しさと無念さ、作者への恨みはよく分かる。

それを反省した訳ではないのだが、今回戦車については少し勉強した。小説のために勉強したのではなく「ジャンボジェット機の飛ばし方」という本に戦車編が載っていたので引っ張り出しただけである。なお本当に2人だけで動かせるのかは不明。もし動かせないのだったらこの近未来世界で技術進歩があったのだと解釈してください。ちなみに本は面白かった。