ロスソング(喪失歌)
空は暗く曇っている。
昨日も曇りだった。
その前の日も曇りだった。
明日も曇りだろう。
明後日もやはり曇りだろう。
あの雲は水蒸気では無い。
あの雲が雨を降らす事は無い。
なぜならあの雲は塵だからだ。
あの雲が降らすのは塵の塊と絶望感だけだ。
3ヶ月ほど前にベイルアウト(緊急脱出)した時に骨折した左腕は、とっくに完治している。
しかし自分の体が思うように動くようになった時には、もう戦争は終わっていた。
そればかりか空は塵の雲に覆われつつあり、余程頑丈な機体でしかも低速でないと飛べないだろう。
いくつかの輸送機以外、いや輸送機ですらそのうち飛べなくなる日はそう遠くないはずだ。
地上に人が住める期間も残りあとわずかだ。
もはや鋼鉄の翼は失われた。
空を飛ぶすべは無い。
空に散ったかつての戦友は、翼をもがれ地べたを這いずりまわっている俺をどう思うだろうか。
旧式な機体で満足な操縦技術さえマスターせずに飛び立って行った教え子は、俺を恨んでいないだろうか。
俺が堕とした敵機のパイロットは、この戦争の結果をどう思うのだろうか。
そして敵から『空の趙雲』の異名で呼ばれていた当時の俺は今の俺の姿を見たらどうするだろうか……
相棒のBAD「光槍(コァンチャン)」は笑うだろう。
もう一度空を飛びたい。
巨大な鋼鉄の翼で大気をつかみ。
強力な出力のジェットエンジンで空を駆け。
高価な武装を景気良くぶちかまし。
操縦桿を駆使し体の一部のように自由自在に飛び回る。
想像するだけで体が震えてくる。
しかし同時にむなしくもある。
あの興奮を味わう事はもう二度と出来ないのだ。
どれほどの金をつぎ込んでも空を駆けていたあの日々は戻らない。
この雲は1000年ほどで無くなると何処かの研究所が発表した。
1000年という時間は人間にとって長すぎる。
俺のように空で生きてきた者は死ぬ時も空でと決めていたのに。
死に場所すら選ぶことが出来ない。
その現実を認めた瞬間、俺は全てを失った。
だから、酒場でだらだらと酒を飲んでいる時に、黒ずくめの男が二人近寄ってきても特になんとも思わなかった。
全てがどうでも良かった。
それと同時に空が飛べるなら何でもやってやろうという思いもあった。
「大佐、もう一度空を飛ぶ気はありませんか?」
だから怪しい二人組みの提案に即答した。
「飛ばせてくれるなら何処へなりと勝手に連れて行ってくれ」
本当に勝手に連れて行かれた。
目隠しをされて車に揺られる事4時間ぐらいだろうか。
何処かの研究所につれてこられた。
壁にあるロゴマークからゼネラル社の研究所だという事が分かる。
まぁそんな事はどうでもいい。
それよりも目の前にある巨大機。
An-225『ムリヤ』
20世紀後半、約100年ぐらい前のロシア製大型輸送機、元々はロシア版スペースシャトル「ブラン」やその他ロケットなどを空輸するために最大搭載量275トンという驚異的な物資輸送能力を持つ。
「ムリヤ(夢)」という名前通りたった2機だけ製造され、スペースシャトル計画の中止にともない無用の長物となり忘れ去られ、置き去りにされていたはずの機体だ。
その巨大機の背中に今はスペースッシャトルの代わりに一機の戦闘機が搭載されている。
「ようこそゼネラルへ、中国軍のエース」
日本人だろうか、白衣を着てメガネをかけた優男が流暢な広東語で声を掛けてくる。
「早く飛ばせろ、それ以外に用は無い」
「あぁ私も君が飛んでくれさえすれば他に用はないよ。あの巨大機に乗ってライプチヒまで飛んでくれればいい。そして何者かに妨害を受ければ上に載っている戦闘機で蹴散らしてくれ。それだけだ、簡単だろ?」
いやらしい笑みを浮かべるやつだ。
まぁいい、飛べさえすればなんでもいい。
無言でうなずくと格納庫脇の待機所へ連れて行かれた。
そこで「積荷を詮索しない」「今回の事を他言しない」その他相手側に有利な内容の契約書を渡されたが斜め読みしてすぐにサインすると操縦方法や機体特性の話になった。
多少計器類や操縦装置の位置が違うだけでどこの国のどんな航空機も似たようなものだ。
多少特異な点があったが問題にはならなかった。
外敵駆除用に搭載された戦闘機の名前は『殲撃26型V(ジアンジー26V)』
搭載する装備はアクティブホーミングの中距離空対空ミサイル6本。と30mm機関砲が1門。
3次元推力偏向ノズルを搭載しているため運動性は保障されている。
第四次大戦時に最後に乗った機体の後継機だから性能は十分だ。
「それと君のBADだ」
ラグビーボールを二周りほど大きくしたような金属の塊。
その表面に自分がナイフで刻んだ「光槍」の文字。
間違いなく一緒に飛び続けた相棒だ。
大型輸送機「ムリヤ」に乗り込みBADをセットする。
合成音声が下手くそな、でも聞きなれた広東語を喋りだす。
<ズイブンナキタイニノルヨウニナリマシタネ>
「あぁ、おかげさまでな」
<オヒサシブリデス、ハントシブリデショウカ?>
「いや、163日ぶりだ。空を飛ぶのはな」
<アイカワラズ、ソラニコシツシテイマスネ>
「そうだ飛ぶことが全てだ。光槍離陸準備を開始しろ」
<リョウカイ>
国歌の義勇軍行進曲が流れ出す。
光槍が気を利かせて流してくれたのだろう。
もっとも何故か途中からだったが……
立ち上がれ! 立ち上がれ! 立ち上がれ!
数百万だが1つの心をもち、
敵の炎をものともせず、前進せよ!
敵の炎をものともせず。
前進せよ! 前進せよ! 前進せよ!
最後の「前進せよ!」と同時に機体がタキシングを終え滑走路にスタンバイした。
正式な空港ではないので離陸前のこまごまとしたやり取りは一切なく、すぐさまGOサインが出る。
6基のターボファンエンジンが一斉に稼動し機体が加速していく。
戦闘機ほどの加速性能ではないが2500mほど加速し、想像していたより軽く離陸する。
高度を8000フィートに保ち進路を北西へとる。
中国のターイエからドイツのライプチヒまで何事もなければ12時間ほどだろう。
無補給で飛ぶには遠すぎるが、積荷が小さいおかげで格納庫の空きスペースに燃料をたっぷり積んでいるので問題は無いらしい。
しかしせっかく空を飛んでいるのだ、何かトラブルがあったほうが面白い。
と言うよりわざわざ背中に迎撃機を積んでいるのだから何かあるはずだろう。
急造されたハッチを通り殲撃の操縦席に乗り込む。
硬いシートに体を固定する。
懐かしい、やはり自分の居場所はここしかない。
仮に俺が堕とされてもムリヤは相棒の光槍がライプチヒまで操縦するのだから問題ない。
さぁ何処からでもかかって来い。
レーダーには反応がなくてもステルス機など沢山いる。
しかも有視界外からの射撃も可能なミサイルも山ほどある。
警戒のし過ぎというものは存在しない。
そのまま操縦席に座って4時間が過ぎた………
雲が厚くなってきた。
時刻は13時過ぎ、もっとも雲が厚すぎるため薄暗い。
不意に気配を感じ上空の雲を見上げる。
ひし形、灰色の奇妙な物体が5つ、上空を飛んでいる。
「UCAV(無人戦闘機)か、機種の特定は?」
<85%ノセイドデ「X−47ペガサス」デス>
「出撃する」
光槍がムリヤから殲撃26Vを切り離す。
タイミングを合わせてアフターバーナーを点火しすぐさま上昇をかける。
すさまじいGを感じながら再び空に戻ってきた事を実感する。
しかし何故無人機は撃ってこなかった?
まぁいい、とにかく排除するだけだ。
5機で編隊を組んでいる無人機に対して下方からねじりこむように後ろをとる。
ブーンと蚊の泣くような音を立て、毎秒100発の発射速度の機関砲弾が敵機に吸い込まれるように飛んで行き、まるでボール紙で出来ているように容易く引き裂かれた複合素材の翼がひらひらと燃えながら落ちていく。
そのままヨーを効かせて射線を左にずらしもう一機を同じように撃墜すると、ようやく残りの機体が回避行動をとり始めた。
人間が乗っていない無人機だからこそ出来る無茶な機動で一気に旋回最小半径を回り始める。
全くもって味気が無い。
毎度お決まりのワンパターンな回避方法だ。
どれほど無茶をしても移動先が分かっていれば回避は造作も無い。
赤外線誘導のミサイルを発射されたがすでにフレアを射出している。
フレアをこちらの機体と誤認したミサイルが明後日の方向に飛んでゆく。
体中の血液が足にいってしまうような感覚にめまいを覚えながらも急旋回をしながら敵機の位置を確認する。
敵機の進路上に正面から突っ込む。
機銃を発射、敵機が爆散し盛大に破片をばら撒く。
残りの2機を同時にロックオンしてミサイルを発射する。
敵機の回避行動先に回り込むような飛行をすると、たちまち無人機の動きが鈍くなる。
理論的に回避不能な攻撃に対してシリコンの頭脳は回避行動を取れない。
命令を果たせず、翼をもがれ、炎に包まれながら落下していった5匹のペガサス。
空に残ったのは小型の戦闘機と超大型の輸送機。
暗雲立ち込める空の回廊を2機は西へ飛び続ける。
トルコを抜けロシア領空に差し掛かった時に攻撃は不意に下方からせまってきた。
Su−37スーパーフランカー
3次元推力偏向ノズルによる戦闘機離れした驚異的な運動性は初飛行から1世紀たった今も驚異的である。
回避運動を取りながらエンブレムを確認すると、どうやらフォーレス社製の機体らしい。
先の無人機はユニオン社製。
自分の機体はゼネラル社製。
今度の相手はフォーレス社製とは……
どうやら積荷は相当やばい物のようだ。
そして今回は勝てる見込みがほとんど無い。
敵に先手を取られ、しかも相手は9機と絶望的。
「こちらの誘導に従え。さもなければ撃墜する」
敵機からロシア語で通信が入る。
と同時に5機からロックオンされる。
また、翼を失うのか……
「冗談じゃない!断る!!」
フライ・バイ・ワイヤーのリミッターを解除して急降下をかけながら機体にひねりを加える。
1200フィートまで急降下してアフターバーナーを使用して機首を急激に上げる。
上下左右に無茶苦茶なGが加わっては消えひどい乗り心地だ。
フレアとチャフを射出して放たれたミサイルをかわして飛ぶ。
フレアが無くなりチャフも無くなった。
もはやどこをどんな姿勢で飛んでいるのか分からなくなる。
ただ、飛んでいる事と戦っている事は理解できる。
あとは闘争本能に従って敵を堕とすだけだ。
5機を撃墜し3機を戦闘不能にした時、ミサイルと機関砲弾が全弾無くなった。
右翼には複数の穴が開き左のエンジンは出力が半分に落ちている。
<モウゲンカイデスヨ>
光槍から投げやりな警告が出される。
あと一機だというのに攻撃手段が無い。
いや、まだあるか………
「光槍!荷物は任せた!しっかり運べよ!!」
<リョウカイ>
いつもの下手くそな広東語が返ってくるが心なしか淡々としているように感じる。
スロットルを全開にして最後の一機に接近する。
「華彩!冰瑩!迅!静蕾!基偉!遅くなったが今逝くぞ!!」
裂帛の気合を最後に、空から機影が2つ、永遠に消える。
光槍と名づけられたシリコンと金属で出来た人工頭脳は考える。
人は何のために生きて何のために死ぬのだろうか。
以前彼に聞いたが笑い飛ばされて結局分からずじまいだ。
もしかすると彼も分からないのかもしれない。
初めて出会い共に空を飛んだ。
無茶なGを機体にかけて整備班長に怒鳴られて無意味な不満を垂らしていた。
同期の戦友を一度に3人失い悲しみにくれていた。
脱出の時に骨折をするのを覚悟で私を機体から抜き取った。
年端もいかぬ教え子に死んで来いという命令を出してしまったと後悔していた。
そして
つい先ほど、彼は彼の望みどおり空に散った。
彼の生きた意味とはなんだろうか?
彼の死んだ意味とはなんだろうか?
ただ彼は日ごろからこう言っていた。
『自分は、ただ空を飛び続けたい』
彼の言葉の意味は、私には解らない。
それでも彼と共に飛ぶのは楽しかった。
機械の私が言うのも滑稽だが、空を飛んでいる間は自分が生きていると感じる時間だった。
ライプチヒに着くまでの残りのフライト、行っている作業は1フェーズたりともいつもと違わぬのに、彼と共に飛ぶ事が出来ないというただそれだけでひどく不快な気分になった。
着いたあとどうなるのかは知らない。
知る必要も無い。
私は、BADと呼ばれるただの道具に過ぎない。
フライトが終了し、見知らぬ人物に薄暗い倉庫に運ばれた。
重い扉が閉められた。
それでも、またいつか、空を飛びたいと思った。